第2話 鏡の魔力

 安徳帝というのが、そもそも、

「清盛の孫ということもあり、平家が落ち延びる時、一緒に連れていくことも、当然、現在の帝なのだから、一緒に三種の神器を持って行くというのも、筋は通っているのかも知れない。

 しかし、当時はまだ院政というものが蔓延っていたので、後白河法皇が、皇室でも、朝廷全体でも、その地位を確実なものとしているので、当然、天皇家としては、後白河法皇とすれば、追討を命じた源氏に対して、

「三種の神器を取り返せ」

 という命令を下して当たり前だった。

 それも、頼朝には分かっていることであり。

「源氏が三種の神器を取り返した」

 ということになると、朝廷内での源氏の力というのは、大きなものとなるだろう。

 特に頼朝は、平清盛とまではいかないが、坂東武者に対しての、長であるということに変わりはないが、いつからか、

「朝廷での力も持ちたい」

 と思っていたのだろう。

 特に娘の大姫に、

「皇室との婚姻」

 を狙っていたのだから、それはあからさまだったようだ。

 逆にいうと、それだけ、

「皇室というものの力は、武家政権においても大きなものだ」

 ということであろう。

 足利将軍第三代の義満公も、

「帝の力を利用する」

 ということで、かなり、

「公家化」

 したところがある。

 秀吉も、関白だったこともあり、朝廷とは自ずと近い存在だっただろう。

 信長も、朝廷に対しては、かなりの贈り物をしたりして、朝廷に取り入ろうというか、

「朝廷を利用して、権力を掌握し、自分の権力を、あからさまに示したい」

 という考えだったというのは、当たり前のことのようだ。

 徳川幕府も。

「あくまでも政治を、朝廷から任されて行っている」

 という考えだったようで、

「菌中並びに公家諸法度」

 というものを定めてはいるが、それも、

「朝廷が、あってこその幕府だ」

 ということを前提に、本来であれば、朝廷が決めなければいけないことを、行

「政としての、幕府が決めた」

 ということになるのだろう。

 それらを考えると、

「清盛が、あれだけ必死になって、朝廷に取り入り、天皇と姻戚関係を結ぶことに必死になっていたのかが分かるというものだ」

 朝廷の公家は、

「武家を、ただ怖がっているだけのくせに、心の中では、下等なものとしてバカにしていた」

 といってもいいだろう。

 だから、そんな公家を取り締まるのに、

「平家にあらずんば人にあらず」

 と言ったとされる平時忠が、公家などが、平家の悪口であったり、クーデターを計画している場合などをさぐるために、

「禿」

 とよばれる、

「密偵」

 を送り込んでいた。

 この禿というのは、戦などにおいて、戦災孤児となった子供たちを養い、その子たちを洗脳し、平家のための密偵として、働かせていたのだ。

 こんなことは、現在ではありえないこととして、問題になることであろう。

 禿というのは、それだけ、平家の兵隊であり、公家にとっては、恐怖の存在だったといえるだろう。

 それを思うと、

「平家がいかに、公家を利用しながら、公家を取り締まっていたのかということが分かる」

 いくら、能無しで何もできないというイメージのある公家たちであっても、京にいる限りは、

「公家社会」

 であることに変わりはない。

 それを無視して、自分たちの世界を作ることは無理なのだ。

 何と言っても、

「数十年前までは、武士というと、公家のためにこき使われるだけの存在だったではないか?」

 ということである。

 清盛の父親である、忠盛の時代に、やっと、

「武士が昇殿を許される」

 ということになったくらいであった。

 そういう意味では、ここまでの出世というのは、

「相当なスピード」

 であり、

「奇跡」

 といってもいいのではないだろうか?

 それを思うと、

「清盛の功績はすごいものだったといってもいいだろう」

 といえる。

 しかも、清盛は、対立もあったが、何とか、あの、

「後白河法皇」

 をうまく使い。平家の世を、ある程度安泰にしてきた。

 しかし、その清盛が死んだことで、全国の源氏の旗揚げに一役買うというくらいになったのだから、本当に清盛の力はすごかったということであろう。

 清盛が死んで、すぐに、源氏が台頭してくる。

 ある意味、

「火事場泥棒」

 といってもいいくらいだが、この場合、

「頼朝が、できた人間だった」

 ということが、鎌倉幕府の成立を見たのかも知れない。

 最初の悲願は、

「平家の滅亡」

 であった。

 そのために、坂東武者の結束を固めて、そして、自分の力を表に出し、

 さらに、

「自分の弟たちを使って、平家を追討させ、自分は、坂東をかためていく」

 というのが、頼朝のやり方だった。

 だから、頼朝も、清盛は宿敵であっただろうが、それなりに、リスペクトはしていただろう。

 一代で衰えたとはいえ、

「公家を相手にして、天下を握る」

 ということの手腕は見習うべきところがあるだろう。

 何と言っても、源氏の棟梁というのは、それだけ大変なことであり、天皇家を無視できるものではないということだ。

「平家追討」

 その後の、

「義経追討」

 というのも、

「法皇」

 であったり、

「天皇」

 からの、勅命がなければできないことだからである。

 平家追討と平行して、頼朝は、その拠点である、鎌倉を整備する。

 鎌倉というところは、

「天然の要塞」

 でもあり、源氏の祖先が、ここを拠点としていたということで、いい土地でもあった。

 その鎌倉を拠点として、政治を行うためには、やはり朝廷の信任が必要だった。

 そのために、三種の神器が、不可欠だったといえるだろう。

 だから、義経ら、

「追討軍」

 に対して、

「平家討伐だけではなく、三種の神器を取り戻すことが大切だ」

 といっておいたが、結果、草薙剣が、行方不明ということであった。

 頼朝の怒りは相当なものだった。

 詳しくは言われていないが、

「義経追討」

 ということになった理由の一つに、

「三種の神器」

 というものを取り返せなかったということが絡んでいるのではないかと思えるのであった。

 頼朝は、そんなことがあったせいか、結局、

「大姫を、帝の妃に」

 ということを考え始めたのではないだろうか?

 三種の神器の一つとして言われている、

「八咫鏡」

 であるが、

 そもそも、鏡というのがどういうものなのか?

 ということを考えると、前述の、

「反転問題」

 ということが言えるのではないだろうか?

 普通に考えると、

「どうして、上下反転しないのだろうか?」

 ということだけであれば、少し説得力に欠ける疑問である。

 あくまでも、その前に、

「左右が反転するのに」

 ということが絡んでくる。

 ということは、何があっても、

「左右が反転する」

 という前提が必須になるということであるが、

 実際には、

「本当に左右は反転しているのだろうか?」

 ということが疑問となったりしているだろう。

「いまさら、何を言っているんだ?」

 ということになるのは当たり前のことであり、

「左右反転」

 というものが、当たり前だと思うから、この問題は進展しないのだ。

 と言えるのではないか?

 という考えもあるのだった。

 まず、鏡が左右反転するということを、まるで当たり前のように考えるから、恐ろしいのだ。

 というのも、

「鏡に、写るものがすべて反転するから、字だって、すべてが反転しているではないか?」

 ということである。

 この考え方の一つに、

「面白い考え方」

 というのを聞いたことがあった。

「鏡というのは、そもそも、自分を写しているのではなく、本当は自分が写っているものを正面に見ているのではなく、後ろから見ているという発想になることだってあるんじゃないか?」

 ということであった。

「どういうことなんですか?」

 と聞くと、

「そもそも、左右が反転して見えるというのを、当たり前のように考えているから。じゃあ、なぜ、上下が反転しないんだ?」

 という方に疑問がいってしまって、

「何が正しいんだ?」

 ということに話がいかない。

 というようなことを言っていたということである。

 そんな鏡というものが、

「上下と左右で、見え方が違う」

 ということが基本となって話ができていると考えると、

「見方というものを一つの方向から見ないと錯覚がさらに大きくなってしまう」

 という考えと、

「すべてを一つにまとめようとすることが、誤解や錯覚を生む」

 という考えも、実は間違っていないともいえるだろう。

 と考えることで、

「鏡というものを考える時、必ずしも一方向から見る」

 ということが危険だ。

 と考えるのは、早急なことなのかも知れない。

 それを思うと、

「世の中というのは、あるいは、別の次元を考える時というのは、その時々で考え方を変える必要がある」

 と考えられるのではないだろうか?

「鏡がどうして、逆さに見えないのか?」

 と考えるから分からないので、

「どうして左右が反転するのか?」

 ということを考える方が、正直、正当な考え方だろう。

「上下が反転しないのは当たり前、左右が反転する方がおかしい」

 という考えにどうして至らないのか?

「鏡というものが、そういうものだ」

 ということで、当たり前だと思ってしまうことが、恐ろしいのではないだろうか?

 そういう意味で、

「思い込みというのは、恐ろしい」

 と言えるのではないだろうか。

 そこで、

「左右は反転するのに、なぜ、上下が反転しないのだろう?」

 というものの定義づけとして、いろいろある中に、

「あくまでも、鏡に写っているものを、後ろから見ている:

 という発想が、一番しっくりとくると、前述したが、

 その根拠として考えられるのが、

「合わせ鏡」

 というものである。

 鏡という考え方の一つで、奇妙なものとして、この

「左右反転」

 というものと同じくらいに、

「いや、気持ち悪さやカルトという意味でいけば、こちらの方がよほど怖い」

 と考えられるのが、この、

「合わせ鏡」

 という発想で、

 これは、例えば、

「自分がいる場所を拠点として、前後、あるいは左右に、鏡を自分に向けて置いた時に、どのように写るというのだろうか?」

 ということである。

 鏡というのは、この合わせ鏡という発想だけでなく、他にもいろいろ見えてくるものがあり、その一つに、

「鏡だらけの迷路」

 というものがある。

 いわゆる、縁日や初詣などでよく見る見世物小屋の一種の中に、

「ミラーハウス」

 と呼ばれるものがある。

 他には、お化け屋敷や、冷却ルームのようなものがあるが、ミラーハウスというのは、

「ただ、鏡が迷路のように置いてあるだけで、いろいろな角度から映っているので、前に進もうとしても、鏡なのか、道なのか、分からない」

 普通であれば、

「足元を見れば分かるのかも知れない」

 と思うかも知れないが、足元にも、鏡の影響が出ていて、まったく分からない。

「では、影を追いかけよう」

 といても、鏡が光を反射するので、まるで、足元から、影が無数に放射状に出ているので、まったく分からないだろう。

「行こうとすれば、右か左かどっちかを決めて、そこを手繰っていくしかない」

 ということになるのだろうが、それも、正直に言って、

「気休めにしかすぎない」

 と言えるであろう。

「それを考えると、前に進もうとするのが正しいのか?」

 ということすら、自分でも分からなくなってしまうのだった。

 そんなことを考えていると、

「鏡というのは、本当に恐ろしい」

 と思い、

「一度入ってしまうと、出ることは不可能なのではないか?」

 と真剣に思ってしまうのではないだろうか?

 その時に見える鏡に写っている自分の姿は、

「無数であり」

 さらに、あらゆる方向を向いているということで、

「一つとして、同じ角度のものはないのではないだろうか?」

 ということが考えられるのである。

 そんなミラーハウスであるが、こちらは、

「実質的にいきなりの怖さを感じるというもので、合わせ鏡というのは、徐々に恐ろしさがこみあげてくるというものではないだろうか?」

 というのも、

 合わせ鏡」

 というと、まるで、

「マトリョシカ人形」

 のようなものといってもよく、目の前の鏡には、まず、その中央に、自分というのが写っている。

 そして、その向こうに、つまり、自分の後ろにある鏡が写っている。その鏡には、後姿の自分が写っていて、さらに、その奥には、反対側の鏡が写っている……。

 というような仕掛けを、

「合わせ鏡」

 というのだ。

 そして、この合わせ鏡の場合は、その自分が写っている鏡には、

「ミラーハウス」

 のような、無数の角度が写っているわけではない。

 あくまでも映っているのは、二種類だけである。

 というのも、正面から映っている自分と、真後ろから映っている自分の二種類だけだ。少しでも角度が変わってしまうと、

「無限の自分というのが、鏡に写らない」

 ということになる。

 そういえば、あるホラーやオカルトが好きな人が言っていた話だのだが、

「合わせ鏡というのは、永遠に限りなく続くと信じられているけど、そうじゃない」

 というのだった。

「どういうことですか?」

 と聞いていると、その人がいうには、

「地球は、丸い。そして、その丸さは、地面に向かって重力が働いているので、鏡も、地球の丸さに比例するようにい、ごく微妙に丸くなっているので、そのうちに、鏡に写らなくなる」

 というのだった。

 それを聞いた時、それまで、

「何か引っかかっている」

 と思っていたことが、解消された気がした。

 というのは、

「どんどん、小さくなっていくが、決してゼロになることはない。理論上。無限に続いていくものだ」

 ということなのだが、それを表現しようとすると、

「限りなくゼロに近い」

 という理論となるのだ。

 しかし、今の、

「地球が丸い」

 ということで、

「合わせ鏡というのは、無限ではない」

 ということになると、最後に合わせ鏡でできた小ささというのは、ひょっとすると、

「粒子のような、確認できる、最小の細胞の単位なのではないか?」

 とも考えられる。

 人間だけに限ったことでないとするならば、それは、

「元素の、最小単位」

 とでもいえるのではないだろうか?

 人間というのは、

「何か、最後まで、理屈をつけて考えるものだ」

 ということで証明できるものなのではないだろうか?

 そんなことを考えていると、

「合わせ鏡」

 というのも、

「地球という大きな力学のようなものが影響しているのではないだろうか?」

 と、考えるのであった。

 そんな合わせ鏡において、以前に、こんな都市伝説があった。

 あれは、戦後のまだ、焼け野原になった時のがれきなどが残っていて、建物といっても、バラックであったり、闇市のようなものが存在しているくらいの時のことであった。

 鉄筋コンクリートの建物も、少なからず残ってはいるが、ほどんど壊れていて、床には、がれきが散乱していて、壁も半分破壊され、雨漏りを防ぐ屋根もない状態の場所があった。

 子供の遊び場としては、ちょうどいいということなのかも知れないが、それにしても、破壊の度合いがひどいことで、

「子供が危ない」

 と、警察が、敷居線を張り、立ち入り禁止にしたところがあった。

 本来なら、区画整理をして、建て直すのが一番で、その最初に手を付ける場所なのだろうが、自治体は、その建物を何とかしようとはしなかった。

 さすがに、近所の住民は、

「早くしないと、建物が老朽化と爆撃の跡から、壊れてしまって、危ない」

 というのだが、それをしないのは、どうやら、

「近くのお寺の反対がある」

 ということからだった。

 本来なら、警察は、そんなことは気にしないのだろうが、実際に、

「近所の子供が入り込んで、数日行方不明になる」

 という、

「事件なのか、事故なのか?」

 ということが数件起こったのだった。

 1,2件であれば、気のせいということで片付けられるのだろうが、そこに持ってきて、お寺の反対なので、

「何か、恐ろしいものがついているのではないか?」

 ということで、どうしようもない状態になってしまったのだ。

 警察としても、それ以上のことを、どうすることもできないとして、

「このまま、とりあえず放っておくしかない」

 ということになった。

 しかし、

「原因が分からない」

 というだけで、

「そのまま放っておくわけにもいくまい」

 と、自治体の方でも、この状態を何とかしなければいけないということになったのだ。

 そこで、そのお寺に聞いてみると、

「何かの霊がついているのだが、それを私どもが何とかできるわけではない。どこかの霊媒師に聞いてみるしかないのではないか?」

 ということであったので、早速、有名霊媒師に来てもらうことにした。

「このビルのがれきの先に、合わせ鏡のようなものを感じる」

 というではないか。

 その霊媒師の言う通りに探して見ると、果たして、そこには確かに、鏡が一つ、綺麗に残っている。

 しかし、合わせ鏡となっているはずのもう一つがないのだ。それを聞いてみると、

「本来なら、ここに合わせ鏡があって、その合わせ鏡のおかげで、霊が静まっていたのだが、その片方が行方不明になったことで、その神通力が通じなくなった。しかも、戦争の残骸となって残ってしまったことで、霊を収めることができなくなったんだろうな」

 ということであった。

「じゃあ、子供たちが定期的に行方不明になるというのは?」

 と聞くと。

「子供たちに、壊れてしまったのか、もう一つの合わせ鏡がみえるんだろう。それで、子供が近寄ると、子供を吸い込んでしまい、一定期間、閉じ込めておくようじゃな」

 と答えるのだった。

「子供ばかりというのは?」

 と聞くと、

「それは、その鏡というのを、純粋な心を持った子供にしか見えないものだということなのではないだろうか?」

 という。

 それを聞いて、

「なるほど、言っている意味が分かる気がするな」

 ということであった。

 それだけ、この話は、怖くて、信憑性のあるものだった。

 この話は、今の時代であれば、恐ろしいということを純粋に、ホラー、オカルトなどとして聞くことができるが、戦後の人たちにとっては、どう感じることなのだろう。

 時代としては、本当に激動の時代である、

 明治から、日本というと、元々は、

「国防」

 という意識が強く、国家の存亡を、

「欧米列強に追いつけ追い越せ」

 ということであった。

 何と言っても、

「不平等条約の撤廃」

 というのが、その一番であり、そのために、産業を興し、

「殖産興業」

 を目指した。

 そして、今度は、

「貿易などで国を富ませて、兵を強くする」

 という、読んで字のごとし、

「富国強兵政策」

 を推し進めてきた。

 今度は、ロシアの脅威と、列強による植民地支配、さらには、欧州での、

「民族主義や、君主国による戦争によって、世界大戦が巻き起こる」

 という時代であった。

「一次大戦のドイツへの締め付け」

 あるいは、

「世界恐慌による、国家の貧富の差の激化」

 さらには、

「社会主義、ファシズムなどの体制に対しての、締め付けであったり、民族間の争いなどで、今度は、一次大戦が終わってからすぐに、第二次大戦が、20年も経っていないのに勃発したのだ」

 ということである。

 そして、ほとんどの国、アメリカ以外は、ほとんど、焦土となり、そこからの復興が大きかったといってもいい。

 特に日本は、アメリカの焼夷弾攻撃による、

「無差別爆撃」

 で、ほとんどが焦土となってしまっているのであった。

 そのため、ほとんどの日本家屋は焼けてしまい、鉄筋コンクリートのビルでも、廃墟と化してしまうというほどになっているのだ。

 そんな中で、

「ここまでがれきがひどくて、外側が残っていないのに、それでも何とか建っているというのは、ある意味すごい」

 と、建築の専門家にも言われたものだ。

 最初はこのビルも、優先的に、廃墟の状態を撤去され、新たなビルに生まれ変わるという計画だったはずだ。

 しかし、なぜか、ずっとこのままだったというのだが、それを気にすることがないほどに、

「世の中がカオスだった」

 ということであろう。

 まわりのことを気にしなければいけないほど、このあたりの被害は尋常ではなく、その理由は、近くに軍需工場があったということもあるのだろうが、

「人がたくさん住んでいる」

 ということも理由の一つだろう。

 アメリカは、本来であれば、

「軍需工場などの軍需施設に向かってのピンポイント爆撃しか、国際法では許されていないのに、それを無視して、大都市などへの、無差別爆撃を行っていた」

 ということなのであった。

「戦争を早く終わらせるために、相手の戦意をくじく」

 ということからの、絨毯爆撃であった。

 しかし、日本の繊維は高く、少々では、降伏しない。

 こうなると、完全に、絶滅戦争の様相を呈してきたといってもいいだろう。

 終戦の時、天皇の、

「玉音放送」

 において、

「我が民族の滅亡」

 という表現があったと思うが、まさにその通りなのであろう。

 日本民族が確かに、このままでは滅亡する。

「二発の原子爆弾」

 さらには、

「ソ連による、満州侵攻」

 これは大きかった。

 ソ連とは、元々、

「不可侵条約」

 を結んでいた。

 しかし、それを破って、一方的に攻めこんできたのだ。

 しかも、水面下で、日本政府は、

「ソ連を介して、和平交渉を行おう」

 と画策していたのに、完全に、これで、和平交渉ということはなくなったのだ。

 それによって、日本は、

「もうダメだ」

 と考えたのだろう。

 しかも、それでも、陸軍における少数の兵士は、

「国体が維持されなければ、降伏はできない」

 ということで、

「日本の国体」

 つまりは、

「天皇制」

 のことである。

「天皇制が瓦解すれば、日本という国をまとめることはできない」

 ということであり、あのマッカーサーが、そのことを正確に理解し、日本の天皇制というものを、いくら、

「象徴として」

 ということであっても、

「よく認めたものだ」

 ということである。

 何といっても、マッカーサーというと、いろいろと、

「強硬路線」

 ということで有名だった。

 特に、日本を統治している時、同時期、南朝鮮も統治していた。

 そこで、いくつかの失敗を演じているのだが、まず、

「北部の社会主義勢力は攻めてこない」

 という

「お花畑的発想から、韓国軍には、武器はほとんど与えていない。訓練もしていない状態で、何といっても、戦闘機は一機もなかったのだ」

 そのせいで、ソウルが、

「数日で落ちる」

 ということになり、さらに、慌てて、

「仁川上陸作戦」

 を成功させたが、今度は、

「中国軍の介入はない」

 と、読み間違えたことで、また、攻めこまれることになった。

 一進一退を繰り返していく中で、彼はついに、

「パンドラの匣」

 というものをあけることを考えるようになった。

 当時のトルーマン大統領に、

「中国に数発の原爆を投下したい」

 と言い出したのだ。

 トルーマンというと、日本に原爆投下を命令した大統領なのに、結局、マッカーサーの強気を恐ろしいと感じたのか、結局

「マッカーサーの更迭」

 ということに、繋がったのだった。

 そんな時代、日本は、何とか、がれきの中での、絶望的な、食料、住宅の不足ということでの、

「ハイパーインフレ」

 という状態になってしまっていたのだ。


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