029
ヴォルハンド帝国の最北の街、『セヴェル』。
鉱山を主な収入源にしたこの街は、荒っぽい気風で知られていた。
酒場と娼館は、この街ではいつも盛況だった。
そんな、場末にあるありふれた酒場。
「おい、聞いたかよ」
「何がだよ」
「この街に『剣聖ゴールド』が来てるらしいぜ」
「おいおい、なんだってこんな鉄しか沸かねえ街に、Sランク冒険者が?」
「さぁな、まあ精々関わらないようにしとけ、機嫌損ねちまったら腕一本じゃすまねえぞ」
「怖えなオイ」
彼らに取っては、日常の他愛もない話だった。
だが、時として噂話は、その当人を引き寄せる事もある。
開け放たれた扉から、木枯らしと共に入ってきたのは、分厚いマントとフードで身を覆った、見慣れない風貌の戦士だった。
「おいおい、まさか噂をすりゃあ…」
「しっ!バカが目を合わせんな…」
カウンターに腰を落ち着けたその人物がフードを外すと、以外にも美しい金髪が目に留まる。
「よお旅の人、何にするよ」
「酒、あとこれ焼いてくれる?」
「…おいおい、姉ちゃんこりゃあ、とんでもねえ物持ち込んできやがったな」
何かの葉で包んだそれは、この辺りで出る厄介な魔物『ホワイトベアー』の肉塊だった。
この大きさなら、20食分は採れる。
「どうせ大した食材無いでしょ、この辺の良い部分だけ焼いてくれたら、代金替わりに上げる」
「そら構わんが、こっとは酒出しても足りねえな、釣りは出せねえぞ?」
「端から期待してない、出来るの?」
「わ、分かったから睨むなよ…しかし、有り難ぇなヘヘヘ」
新しいメニューにホクホク顔の主人を他所に、カウンターに置かれたエールに口をつける戦士。
「…不味い」
顔をしかめながらも、安酒を流し込む女戦士。
暫くすると、2種類の皿が厨房から運ばれてきた。
「ほらよ、焼いたのと煮たのだ、酒に会うように濃い目にしといたぜ」
「ありがと」
目は合わせず礼だけ言うと、その二皿に交互にかぶりつき、酒で流し込む。
「…うん、ギルドで聞いた通り、料理は美味い」
「ありがとよ、所でどっちが美味かった?」
「…強いて言えば、あたしはこっちのシチューっぽいやつ」
「ボルシチか、じゃあそっちを客に出すか」
店主が言うや否や、話を聞いていた常連達が注文を始める。
出された料理に舌鼓を打つ客たちからの礼の言葉に、女戦士は軽く手を挙げて答えた。
だが、そんな空気に入ってくるならず者というのは、どんな街にも居る。
「おいおい、女の冒険者たぁ珍しいな、へへへ!」
「ちっ、面倒な連中が来たな…」
三人程の連れ合いは、腰に下げた刃物を見せびらかすように入ってきた。
顔を顰める店主を見るまでもなく、厄介な客なのだろうと察しはついた。
店内の客達の反応は様々で、目を合わせないようにする者、女戦士を心配する者、逆にならず者を憐れむ目で見る者もいる。
その客の一人が、無遠慮に女の横から顔を覗き込む。
「見ねえ顔だな、冒険者かぁ?しかも中々良い女じゃねえか」
「こっちで一緒に飲もうぜぇ、へへへ!」
「おら、こいよ!!」
大きくため息を付いた彼女は、何か言いたげな店主を手で制し、すっと立ち上がる。
「お、その気になってくれたかい?へへ――」
「…ふっ!」
その右手には、いつのまにか白い剣が握られていた。
いつ抜いたか、誰も気が付かなかった。
「…は?!」
「…おわ!!」
「な、なんだ??」
立ち尽くす三人の男たちの、ズボンのベルトが断ち切られていた。
支えを失ったズボンは、腰の刃物ごとゴトリと床に落ちる。
下着姿で呆然とする男たちに、女戦士は告げた。
「…このまま出ていくか、ナニを斬られるか選べ」
股間の辺りに向けられた剣先に、その意味を素早く理解したならず者3人は、大慌てでズボンを直し、酒場から逃げ出した。
「このアマ!借りは必ず返すからな!」
「夜道にゃ気をつけろよ!」
「おぼえてやがれ!」
去っていく男たちを最後まで見ることもなく、カウンターに座り直す彼女。
「はぁ、汚いもん見ちゃった」
それだけ呟くと、先程と同じ様に食事を再開する。
「す、すまねえな。しかし、アンタ…今の剣さばき、何者だ?」
「何って…冒険者よ」
そう言うと、面倒そうにゴソゴソと、胸元からキラキラと輝くカードを取り出す。
「Sランク冒険者、『マリー・ゴールド』よ」
『剣聖』と呼ばれる彼女は二十四歳、あれから八年が経過していた。
◇◆◇
『魔人』や『邪神教』の活動は大人しくはなったけど、それで世界が平和になったかといえば、そうでは無かった。
何せ普通に魔物は出るし、人が減った分対応できる人材も少ない。
そういう訳で、あたしみたいに放浪しながら日銭を稼いでいる者も、それなりに生活出来てるのは皮肉ね。
メイド服を着なくなって、もう八年経つ。
ウィンが居ないなら、あの格好する意味もないし。
「それにしても、『アースドラゴン』まで出てくるのね、この辺りは」
『魔人』が出なくなった今、竜種は間違いなく最強の一角。
まあ、こいつは飛ばないだけマシだけど。
この地方じゃないけど、2回ほど討伐した経験は有る。
「あの…出来ればその依頼、受けて欲しいのですが」
「やらないわよ、相場に比べて安すぎる」
「皆さん、困ってますので…」
「困ってるのは、鉱山を一個占拠された領主でしょう?安く買い叩かれるのは嫌」
本当、舐めてるわね。
「Sランクに依頼するなら、この金額の倍は払いなさい」
「やっぱり、そうですよね…はぁ」
ため息を突く若い受付嬢から、素材の売却金だけ受け取る。
ギルドを出ると、山賊みたいな格好の男達が10人ほど、待ち構えていた。
「よお、昨日は世話になったなぁ!」
「…ああ、酒場で絡んできた汚いオッサンね」
白昼堂々、冒険者ギルドの前で待ち伏せとは…ここのギルドは舐められてるわね。
「たんまり稼いでるみてぇじゃねえか」
「昨日の詫び金だ、全部置いていけよ!!」
「ついでにお前の身体もな!!」
「ひん剥いて全員で愉しんでやるぜ!!」
…はぁ、面倒臭い。
「随分大口を叩くのね、後ろ盾でも居るの?」
「ハハハ!ここの鉱山主のイゴーリ様は、この街の顔役なんだよ!!」
「衛兵だって動かねえぜ、大人しくしやがれ」
「なるほど、そいつがあたしの敵なのね、憶えたわ」
残すのは…最初に声を掛けてきた、あの偉そうなヤツで良いわね。
腰に下げた『聖剣』を抜く。
最初はこれを雑事に使うのは気が引けてたけど、慣れてからは普通にただの剣として扱っている。
結局、剣はただの武器だから。
「最後の警告、命が惜しいなら3つ数える前に逃げて」
「はぁ?何をふざけた事を――」
「『3つ』」
向かって右から順に殺るか。
まず一人目、首を落とす。
返り血を浴びる前に二人目、横薙ぎに胴体を割る。
三人目、心臓と頭を突く。
四人目は生かしておかないと。
五人目以降は面倒になったから、走りながら適当に首を斬り落とした。
合わせて9つの死体の出来上がり。
「はぁぁぁぁ!?な、何が起こった!?」
「ほら、腕を抑えてないと、出血で死ぬわよ」
「へ?あれ?オレの腕がねえ!!あああああ!!!!」
「はぁ、面倒ね…」
懐からポーションを一本取り出すと、山賊っぽいヤツの頭にぶつける。
割れた中身は狙い通りに腕に掛かる、これで血は止まった。
「いでぇ、いでぇよぉ…」
「さ、案内して」
「ど、どこに…?」
察しが悪い、何の為に生かしておいたと思っているのか。
「あんたらの上司によ」
本当、面倒よね。
◇◆◇
「例えば、『力』って色々あると思うの、貴族の『権力』、商人の『財力』、女の『魅力』…聞いてる?」
「は、はいい!!!」
「でもね、結局の所は全部、あるモノの代用品だと思うのよ、何か理解る?」
「…え?い、いえ…」
「『暴力』よ」
「ひ、ひぃぃぃぃぃ!!!ゆ、許してください!!!!」
本当、何故金持ちってみんな、貴族みたいな屋敷に住みたがるのかしら。
この、『イゴーリ』とかいう、太ったオジサンもそう。
「あんたが『権力』や『金』を使って雇ったこいつら…まあ、みんな死体になっちゃったけど」
「あああ、殺さないで…」
「これも結局は『暴力』だから、より強い『暴力』には負けるのよ、理解る?」
「あああ!ごめんなさい!!ごめんなさい!!」
「要するに、あたしが言いたいのは『ケンカを売る相手を間違えた』って事ね」
「おおお、おっしゃるとおりです!!!」
「何をそんなに怯えているの?さっきまで『お前なんぞ衛兵に突き出せば死罪だ』とか息巻いて無かった?」
どうも、ここの衛兵は癒着関係にありそうだから、後で然るべき所に告げ口しておこうっと。
「そ、そんな!まさか貴女が『剣聖』様だとは知らず!!」
「ああ、うんうん『剣聖』ね、そういう肩書も一つの『権力』よね。
でもね、あんたはケンカを売ってしまったの、その『剣聖』に。
それで、この後どうなるか判る?」
「か、金なら出します!!おねがいしますたすけて下さい!!!」
「お金には困ってないの、残念ね」
「そ、そんな、まってくだ――」
「さようなら」
本当、無駄な時間を使っちゃった。
この首は、門の脇にでも飾っておくか。
◇◆◇
「はいこれ、イゴーリとかいうオジサンの裏帳簿とか色々よ」
「あのな『剣聖ゴールド』、街に来て三日目でこんな騒ぎ起こすのは止めてくれ」
「売られたケンカを買っただけ。
それよりギルドマスター、あんたの所ちょっと舐められてない?何してるの?」
本当に、ちょっと偉い人に言って左遷させようかな。
「うっ、すまねぇ…確かにその通りだった」
「だった?過去形ね」
「イゴーリが失脚したからな、これからは大分マシになる」
「そう、じゃあ後始末はよろしくね」
「お、オレが全部か?おい待ってくれよ!」
…はぁ、無能ね。
「あんたが出来ないなら、他の人をマスターにしてやってもらうけど?」
「…ああもうしょうがねえな!!わかったよ!!」
「ちゃんとやって、本当に無能だったら冗談じゃなくそうするから」
「ひっ!わ、わかった!わかりました!!」
ま、辺境の田舎マスターなんて、こんなものか。
あたしはギルマスの部屋を出ると、そのままカウンターに向かう。
「頼んでた資料、出来てる?」
「あ、剣聖様!こちらになります!」
…予想通り、今まで集めた情報と変わりなさそうね。
一応、宿屋に帰って精査するか。
「あの、北の資料なんて集めて…まさか、行かれるおつもりですか?」
「そうよ?」
「…あの場所は本当に、何も有りませんよ?」
「貴女には関係ないこと、そうでしょ?」
「は、はい!申し訳有りません!」
正確には、そのもっと先に用事がある。
一々説明するのは面倒だから、言わないけど。
「精霊の怒りに触れて、滅んだ皇国、ね…」
五百年前まで存在した、北の大国『グローセリア皇国』。
『大精霊』を人の手で制御しようとし、『人』と『大精霊』を融合させようとした、狂気の実験で、『ユグドラシル聖樹国』と『人族』の間に、大きな亀裂を生み出した。
そして、『大精霊』の怒りに触れて『災厄の魔王』を生み出した結果、国を滅ぼした。
その大地には、『精霊の怒り』で未だに草木一本生えないと言われている。
暴風の災厄、『魔王ウインディザスター』の爪痕が残る、滅びの大地。
「…風の、『魔王』」
ふと、最初に『魔人ベーダベータ』と戦った日を思い出す。
あの時、ウィンが使った『銀色の風』の力。
…考えても仕方がない、か。
今となっては、もう確認しようがない。
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