020
おはよう、起きて。
そんな声が聴こえた気がした。
◇◆◇
目が覚めた。
死んだ筈なのに何故、とは思わない。
理由は分かってる。
魂が教えてくれた。
「…ねえさん」
「ウィン、くん」
セラフィねえさんは、横になった俺の上に居た。
上半身だけ。
白い修道服の裾から見える筈の足は、既に結晶化して、出来の悪い砂糖菓子の様に、ザラザラと崩れている。
俺に身体を預けたままの顔も、作り物のように白く、パラパラと粒子状に表面が剥がれ落ちている。
魂を失った対価だ。
「なんでだよ…何で…こんな事したんだよ!!」
「…勇者の、定義、知ってる?」
砂糖細工のねえさんが、微笑んだ気がした。
「こんな時に何を言って――」
「『運命を覆す者』」
「それが何だって言うんだよ!!」
「ウィンは、死の運命、覆した」
「…な?!」
…やめろよ。
…何だよ運命って、意味わかんないよ。
「アナタは、きっと、勇者に、なれる」
「…嫌だ」
それをやったのは、俺じゃないだろ!!
「大丈夫、これから、は、私がいっしょ」
「嫌だ!!」
やめろって言ってるだろ!!
「よかった、こんどは、おとうとを、すくえた」
「そんな事頼んでない!!」
「あいし――」
「ああ…ねえさん!ねえさん!!嫌だ!!!」
崩れる様な音がして、砂糖細工は全て崩れた。
全部、崩れ落ちたんだ。
◇◆◇
「はああ!『セイバーウイ――』」
『ソレはもウ飽キたヨオぉォォォォ!!!』
『ベーダベータ』を抑えていたマリーが、技の隙に攻撃を差し込まれて斬られた。
奴の左肩は再生していないが、それでも手数やパワーで負ける、仕方がない。
切られたマリーの傍に、『縮地』で駆け寄る。
殆ど損傷した事のないメイド服が、袈裟懸けに斬られていた。
咄嗟に身を引いたのか、傷は深くないが、やはり『呪い』で出血は止まらないだろう。
「ぼ、坊ちゃま…逃げ…」
「身体、動かすなよ、『ソウルヒール』」
やはり、ねえさんなら魔力を節約しなければ、この程度の傷なら治せる。
そして俺は、魔力を節約する必要は無い。
「え?『神聖魔術』?!
まさか、そんな…セラフィさん…!」
「…お主の中に、セラフィの魔力が…そうか」
…ねえさんについては、後で話そう。
雷牙の様子は…気を失っただけか、魔力の流れで解る。
なら今は、俺もやるべき事がある。
覚悟を決めろ。
「ごめん、マリーの『剣』を貸してくれ」
「え?は、はい!」
『
…うん、しっくりと馴染むな、俺にあつらえたみたいに。
親父が、俺位の歳に使ってたんだから、当たり前か。
本当に、腹が立つ。
『テメェ!何生きかエッテンだァァァ!!
アレ?デモそしたラぁ、『
「『縮地』、『ヴィクトリーサイン』」
双剣の剣閃が、『ベーダベータ』の身体に走った。
『ギグァァァァ?!な、ナンでテメェ『剣』を使えんダヨォォォォ゙!!!』
「俺だって使いたく無かった」
こんな形で。
俺の胸に長年刻まれていた傷痕は、もう無い。
『クッソぉ!!“魂“新しくナッチマッタからかァァぁ裏切リモノがアァァァァ!!!』
「おいおい、逃げるなよ」
試し斬りが出来ないだろ。
「ふぅ…『
双剣を円の動きで斬り付ける。
右が終われば左、そして又右。
終わらない、死の舞踏。
初めてにしちゃ、上手く出来てるな。
『クソガキがぁ!付け焼きバの剣デェェェ!!!』
確かにそうだ、まだ奴の方が、速さも技量も上だ。
だから、工夫する。
「『韋駄天』」
『ナニィ!!イキナリ早く?!ダガ、まだぼくサマのがハェえ!!』
こいつ、さっきまでは本気じゃ無かったか。
なら、次だな。
「お前、その状態でも『魔術』斬れるのか?」
『…ナぁ?!ま、マサかァァァ!!』
「『十六夜』」
『ウグォォォぉやめロォォォォォォ゙!!!』
…強いな、これでやっと、天秤が少しコッチに傾いたか。
『オマエぇ!!その技ァ!!イツまで斬ッてやがるゥゥゥ!!!』
「お前か俺が死ぬまでだよ」
『魔人』の肉が、切り刻まれて、削ぎ落ちていく。
『魔人石』が剥き出しになる。
…そろそろ死んでろ!!
『ウボァあぁアアアァァォ゙ああァァァ!!!』
「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇェェェ!!!!!」
『魔人石』にヒビが入った、あと少し…っ?!
「――なっ?!う、ぐ…???」
何?!力が抜ける…??
何だ、この感覚は…??
頭がグラグラする…こんな感覚初めてだ…何が起こった?!
「ウィン!魔力切れじゃ!!」
「…は、魔力が…なんで…?」
俺に魔力切れは無いはず…いや、そうか!
閉鎖された空間、魔力を通さない壁。
この空間の魔素を、使い尽くしたのか…!
くそ、肝心な時に俺は!!
なんて間抜けだ!あと少しで倒せるのに!!
やっぱり俺は、勇者なんて器じゃ、ない。
『アアア、くそガ…『魔人石』ガ砕けル前にィ…!!!』
多分、あの様子なら放っておいてもヤツは死ぬ。
だが、『ベーダベータ』は己の『魔人石』に、辛うじて無事な右腕の剣を突き立てた…?!
『オオォ!!最後ニイィ!!お前ダケわァ!!ぼくサマノぉ命ヲ掛けテ!!道連レダァァァァァ!!!』
…砕けた『魔人石』が、黒いモヤの様になり、『ベーダベータ』の腕剣に纏わりつく。
それは、そのまま刃を模る。
あれは…呪いの塊か。
自分の『魔人石』を、そのまま呪いに変えた、謂わば自爆技。
察するに、俺が今使える防御手段では対抗出来ない。
ねえさんがくれた命、無駄にするつもりは無いが、これで最悪でも『魔人』は死ぬ。
剣では受けられない、無駄だろうとは思うが、双剣を頭上に構え、受けの姿勢で待つ。
諦める訳には、いかない…!
『ソンな
諦めはしなかった。
だが結局、俺にはギリギリまで『呪いの刃』を防ぐ術は、思いつかなかった。
だから、輝夜師匠は俺の前に出て、庇う様に俺を正面から抱き止めた。
そして、それよりも疾く、マリーが動いた。
彼女は『呪いの刃』の前で両腕を広げ、俺と輝夜を庇いながら、一人で『呪い』を受けた。
「な?!マリー!!!」
黒い刃が、彼女の中に吸い込まれていく?!
後ろ姿のまま、マリーは糸が切れた人形の様に、崩れ落ちた。
『アァ…外しタかぁ…だがマア良い…。
裏切リモノぉ…オマエも、絶望シろ』
最後に怨嗟の言葉を吐き出すと、『魔人 ベーダベータ』は、タールが地面に染み込む様に、跡形も無く消えていった。
だが、そんな事は今はどうでもいい!
多少は魔力を回復した俺は、倒れたマリーの元に掛けよった。
「マリー!マリー!!」
「えへへ…ぼっゴフッ…」
「喋るなマリー!!ああ…」
なんだ、これは…。
服が斬られた様子が無い。
けど、マリーは吐血し、メイド服の下に今も、徐々に刀傷が浮かび上がりつつあった。
まるで斬り口が、身体の内側から広がっている様に。
これが、呪いか?!
「くっ!『ソウルヒール』!」
…駄目だ、一時的に回復はするが、刀傷が広がる速度に追いつかない!
「これは…呪いで『魂』を斬られてるのか!?」
マリーは、苦悶の表情で唸るばかりで、目を開かない。
だめだ、このままじゃ…俺じゃ『リザレクション』は使えない、どうすれば!!
「落ち着けウィンよ!!」
「何がだよ!!どうすりゃいいんだ!!このままじゃマリーも!!!」
「妾が何とかする!!お主は傷がこれ以上広がらぬようにせよ!!」
「っ!分かった…!!」
俺じゃ何も思いつかない、ここは師匠を信じるしか無い…。
とにかく、『ソウルヒール』を掛けまくる。
不幸中の幸いだが、『魔人』が仕掛けた呪いの余剰魔力で、空間の魔素はある程度は満たされている。
「…これしか有るまい、
ただ、その作成自体難易度が高く、扱うのはほぼ『
形状は個性があり、輝夜師匠の
「暦合せ、『朔日』『子の刻』」
『月時計』の針が真上で重なり、文字盤の満月が黒く染まり、『月読』の文字が浮かび上がる?!
「月齢を支配せよ、時魔術『
発動した?!マリーの身体が、昏い棺に覆われた…。
これは…周囲ごと、時間が止まってる…?
「…呪いごと、マリーの時間を『停止』させたのか?」
「そうじゃ、完全な時間停止、もはや何者も、呪いでさえも干渉出来ぬ」
とにかく、呪いが進行する事は無くなったのか。
良かった…。
「安心するのは早い、この『呪い』は相当に手強い、あれ程の力を持った『魔人』が、命と引き換えに成した呪言じゃ。
まず、真っ当な手段では解呪出来ぬ」
「な?!そ、それじゃマリーはどうなるんだ!!」
「落ち着け、頭を冷やすのじゃ、お主も
…そうだ、落ち着いて考えないと。
俺は、それで失敗ばかりしてきたんだから。
…そうか、簡単な事だ。
「呪いに掛かる直前まで、時間を巻き戻す」
「そうよ、しかしここで問題が…二つ有るのじゃ」
問題?何だ…?
「この『月読』は、本来は『時を遡る』為に研究しておった魔術…つまり、まだ『未完成』なのじゃ。
止める事は出来た、その先…
「で、でも…止める事が出来たなら、もう少しだろ?」
「『百八十年』じゃ。
未完の『月読』を、妾自身の老化を司る部分に常に掛け、研究の時間を得る為に、身体の成長を止めた。
それだけ費やしても、実現せなんだ」
…百、八十年??
…え、師匠、何歳なんだ?
…色々突っ込みたいけど、今は大事な話の途中だからな、後回しだ。
「それより話の続きじゃ、つまり…弟子よ。
妾と、お主で、この『月読』を完成させ、マリーの時間を呪われる以前まで戻すのじゃ。
必ず完成させる、その覚悟…お主に有るか?」
「あるに決まってんだろ」
何十年掛かったってマリーを元に戻す。
「うむ、ではもう一つの問題じゃが…『月読』を他者に行使しておる間、妾は…他の魔術が一切使えぬ」
「…は?!いや、いままでソレ自分にずっと掛けてたんじゃ?!」
「お主とて判るじゃろ、同じ術でも、他者に行使するのは勝手が違う」
…確かにそうだ。
それが出来たら、俺はマリーに『韋駄天』を掛けてたし。
「魔力消費は問題ない、寝ておっても魔術は切れぬ、そう調整せねば成長を止められんかったからの。
だが、今後妾は…一切戦えぬ、足手まといになる」
…つまり、今後は俺が、輝夜を守らないといけない。
しかも、『魔王』が現れたらしい、この時に。
この、波乱が確実な時代に、輝夜は自衛の手段が無い。
その上、もし輝夜が死ねば、マリーも死ぬ。
倒れ伏し片腕の無い、雷牙。
薄昏い棺に囚われた、マリー。
魔術を禁じられた、輝夜。
もう何処にも居ない、セラフィ。
俺だけになった。
だから、俺だけで、やらないといけない。
マリーが、戻って来るまで。
「やるよ、輝夜を守って、マリーを元に戻す」
「うむ、頼む…う、ううっうわぁぁぁぁぁぁ!!!」
輝夜が泣き叫んだ。
俺にしがみついて、そのまま泣きじゃくった。
「ごべ、ごめんなざい!!やぐ、やくたたずで!!わら、妾ぁ、あああああああ!!!!」
「…そんな事言うなよ、師匠」
俺を庇ってくれようとしただろ。
あのまま『呪い』を受けてたら、間違いなく輝夜師匠は、死んでた。
それが分かってたから、マリーは自分で『呪い』を引き受けたんだ。
輝夜師匠なら、自分が呪われた後も、何とかしてくれると信じて。
そもそも、俺が『魔人』を倒しきれてれば。
俺が、死ぬなんてヘマしなけりゃ、セラフィねえさんは。
「…俺が悪いんだよ、全部」
「そ、そんなこど!ないっ!!お主がいなければ!!みな死んでおったのに!!!」
しがみつく輝夜を、しっかりと抱きしめる。
華奢な彼女の身体が、俺の腕の中で、より小さく見えた。
「…アニキ」
「…雷牙」
目が覚めたのか。
片腕がないからバランスが悪いのか、少しふらつきながら歩いてる。
傷は自分でポーションでも使ったのだろう、とりあえず塞がっている。
「アニキ…オレぁ、何で生きてんだ?一番弱いオレが、何で生き残っちまってんだ??」
「…いいんだ、もう終わったんだよ」
雷牙も、泣いていた。
よく見れば、左耳も一部ちぎれて無くなっている。
ぐしゃぐしゃに顔を濡らした、情けない顔だ。
普段なら、笑い飛ばしてやれるのに。
「こんな時はよぉ、弱ぇヤツから死ぬもんだろ?なんで…オレぁ、生きのこっちまったんだ!?
何でケントさんが死んで!!セラフィさんが死んで!!マリー姐さんもこんなになっちまって!!!
オレがやるべきだった!!一番弱ぇオレが!!アニキを庇って!!最初に死ぬべきだったんだ!!!」
「…馬鹿、二度とそんな事言うな」
「アニキ…オレぁ、オレぁ…ウガァァァァァァァァァァ!!!!!」
…そうか、俺だけじゃないのか。
みんな、自分の弱さに、打ちひしがれてる。
なら、別に泣いてもいいか。
「あああ、あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「ぐすっ、うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「ウガァァァァァァァァァァァ!!!!!」
暫く、そうやって。
みんなで、泣いた。
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