005
御前試合が三日後に迫った日、俺は校長室に呼ばれた。
「ウジ虫の分際で、陛下の御前に出るそうだな」
「…。」
「返事をしろ」
「…はい」
何だこいつは、喋るなって言ったのお前だろ。
何でも自分の思い通りになるのが当然と思ってんのか?腹立つな…。
イライラを表に出さない様に、奥歯を噛みしめていると、侯爵は引き出しから高級そうな細長い箱を取り出す。
そのままゴミでも放り投げる用に投げた箱は、俺の足に当たって床に落ちた。
痛えな、何すんだコイツ…いちいち腹が立つ。
「拾え」
ムカつくので敢えて返事はせず、箱を拾い上げる。
中身は…魔術師の杖?
学校の校章が入った、オーケストラの指揮棒みたいなのが入ってた。
「…貴様の様なウジ虫が、誉れ高き我が学び舎の生徒だと認めてはいないが、陛下の御前に杖も持たぬ貧相な格好で出しては、我が校の格まで疑われる。
試合では、必ずその杖を帯びよ」
はあ、何か杖くれるらしい…。
今更だよなー、教科書もくれなかったクセに。
「…話は終わりだ、失せろウジ虫が」
…とりあえず、ここから出よう、ムカつく。
一礼して、さっさとドアをくぐる。
面倒だ…この杖売っぱらうか?いや校章入ってるから無理か。
まあ、当日は腰にでも差しておけばいいか。
…いけない、気持ち切り替えないと。
よし、気分転換に魔術の鍛錬でもするか!
そう、張り切っていたのだが。
でも、結局の所。
俺は、その御前試合に出る事は出来なかった。
◇◆◇
ジグランド王国。
王城の、とある一室。
この部屋は、
そこには、若くして即位した国王エドワード・ル・ジグランドその人。
本来、国の頂点に立つ彼は、しかし眼の前の人物に気圧され、内心冷や汗を抑えていた。
それもその筈、向かい合うように座る黒髪の麗しい少女は、見た目に似つかわしくない、膨大な魔力を内包している。
それに、本来は国王という身分の者を守護する筈の騎士も、右腕となる宰相も、此処には居ないのだから。
尤も、その気になれば街一つ消せるであろう化け物相手に、護衛を付ける意味など無いのだろうが。
彼女はこの国に仕える人間ではない。
そもそも、一つの国家で縛れる存在ではない。
彼女は一国の主を相手にしても、頭を下げる必要は無い。
政治的な駆け引きなど、一切通じない相手だった。
可憐で、貴賓さすら感じる少女だが、その正体は世界中に存在する魔術師の中でも最高峰の一人。
「その…考え直してはくれぬか?
現在七人しか居ない”
魔術で一国をも滅ぼし兼ねない、常軌を逸した魔術を操る、超常の存在。
その中の一人である彼女は、ため息混じりに口を開いた。
「…くどい、妾は帰る」
にべもなく言い放つ彼女に、国王は不機嫌の心当たりについて、恐る恐る話を振る。
「貴女が目をかけていた生徒の…観覧試合の件は、残念でしたが…あれは、我が校の校長から、授業にも出ず素行が悪く、試合当日も登校しなかったため、校則により退学にしたと――」
話す途中で、彼女が何かを放り投げた。
カランと乾いた音が卓上に響く。
指揮者のタクトに似たそれは、魔術士の使う杖。
「これは…学校で採用されている、生徒用の杖…?」
ゆっくりと頷き肯定する魔女は、それから暫し身動ぎもせず、記憶を辿るように虚空を見続けていた。
動かない根源魔導士にしびれを切らして、国王が話しかけようとした時だった。
魔女が大きく溜息をつくと、がらんどうな瞳を国王に向ける。
怒りでも、憎悪でもない、ただの無。
「この杖で魔術を使用すると、内部に刻まれた術式により、爆発を伴いながら激しく炎が噴き出す様になっておる。
その様は、端から見れば、未熟な魔術師が制御に失敗し、自爆した様に見えるじゃろう」
「…な?!そ、そんな危険な杖が、
魔女の瞳の色が、一瞬だけ変わった。
察しの悪い、無能に向ける眼だ。
仕方ない、説明してやろう、そう顔に出ていた。
「…そんなもの、使用者を事故に見せかけて殺す為、それ以外に何がある?」
「そ、そんな事を一体誰が!!」
「暗殺は貴族のお家芸じゃ。
貴様の所の貴族…校長に、決まっておろう」
そんな馬鹿な、と思う反面。
校長――バゼル・ギルサレン侯爵ならばやりかねない、と。
最悪の想像が、国王の頭に浮かぶ。
「それにの、術式には描いた魔術師のクセが出る。
妾が読み解けば、誰が描いたのか、くらい判るわい。
どうせ爆発して消えるからと思ったのか、碌な隠蔽すらしておらんかったぞ」
バゼル侯爵は、特に選民意識の高い貴族だ。
気に入らない若造が平民なら、躊躇せずにそれをやるだろう。
「この杖はな、ある生徒が使っておった宿屋に、残されていたのじゃ。
そう、御前試合に出る筈じゃった、ある生徒のな?」
おそらく彼は、この杖を校長かその手の者に渡されたのだ。
御前試合で使うようにと。
そして、この術式を解読し、自身が暗殺されかけている事に気が付いた。
上位貴族に睨まれては、
命が惜しければ、もう逃げる他無いのだ。
「『ごめん、もう会えない』と、それだけじゃ、書いてあったのは」
事の真相を探る為に、彼が寝泊まりしていた宿を訪ねた時、その宿の者から彼女へと渡された手紙。
かなり焦って書いたのだろう、ヨレた文字が書かれた紙を、その短い文を何度も何度も読んだ。
「手紙にはな、無数の水滴の痕跡が付いておった…涙の跡の様に。
無念じゃったろう。
物覚えが悪い教え子じゃったから…妾も、苦心したわ。
失敗も多いし、よく叱りつけもした。
でも、あやつは文句を言いながら、いつも楽しそうじゃった。
それはもう子供の様に、はしゃぎおったわ。
本当は、もっと学びたかったのじゃろう。
だから、悔しくて泣きながら、書いて…妾に、頼れと、言ったのに…あの馬鹿者め」
今まで無表情だった魔女の顔に、悔哀の色が浮かんだ。
国王も掛ける言葉が見付からず、暫し沈黙と時間だけが流れる。
「…ほんの偶然で見つけた、未知の種。
どんな花を咲かせるのか、年甲斐も無く浮かれておった。
大切に、育てるつもりじゃった。
それが、これからと言う時に、愚か者に枯らされてしまった…この気持ちが判るか?」
「そ、それは…余も、預かり知らぬ所で…もし知り得ていれば、そのような事は!」
一国の主が、目に見えて狼狽えていた。
そんな事で、魔女の溜飲が下がりはしないのだが。
「そうじゃろうな、知っておれば、学び舎があの腐り様では無かっただろうの」
「そ、それはっ!余もそれを憂いて、貴女に、わが国の魔術学校の立て直しをお願いしたのです!
魔術師の頂点、世界に七人しか居ない、オリジンである貴女に、若い魔術師の未来をお願いをしたく…!」
そのための報酬として、国宝の魔道具まで用意していたのだ。
だが、此処に至っては、それも無駄になるだろうと、国王エドワードは察し始めていた。
「教師が生徒を手に掛ける様な場所はな、最早…学び舎とは言わん。
あんな腐った木は、倒れる前に切り倒した方が早かろう」
「そ、それは…」
「それとも貴様…この妾に、腐れ木の面倒を見よなどと、巫山戯た事を抜かすか?」
十四・五歳ほどの見た目にそぐわない、殺気のこもった眼で睨む魔女。
今度こそ国王は、抑えきれずにぶるりと身を震わせた。
「それにな、調べたが…ここ十年ほど、平民の入学生は居らなんだ…この意味が分かるな?」
「そ、それは…!?ですが、かの生徒は平民では?!」
「元貴族のな、多少後ろ盾が効いておったのじゃろう、特例よ」
十年といえば、丁度バゼル侯爵が学園のトップになった年。
つまりは、学園が選民していたのだろう。
貴族以外の才能を、切り捨てていたという事だ。
それも、十年に渡って。
「まあ、貴族の社交場としてなら、アレでも良いのではないか?
魔術は禄に学べんがの」
そう嫌味を言い残すと、魔女はもう話すことは無いとばかりに席を立ち、踵を返す。
「妾はこの国に興味は無い、勝手にやっておれ」
若き国王は頭を抱えた。
世界中の魔術師が、この国を見限る可能性さえあり得るのだから。
◇◆◇
のどかな陽射しの差し込む中、くたびれた幌馬車に揺られながら、御者台て欠伸をする商人風の男性。
荷台には、これから売り込みに行く商品の他に、予定に無い乗客が増えていた。
「狭くてすまないね」
「いえ、乗せて頂いてるだけで助かります」
「はい!助かります!」
この辺りは王都に近い為、治安は良い。
精々出るとしたらオオカミ位だろうが、そんな道でも歳の頃十四・五の男女が、二人だけで歩くには心許ないと感じた商人。
何より、二人の風貌が気になった彼は、親心寄りの親切心で声をかけたのだった。
「大丈夫ですよ、坊ちゃま」
「…俺のせいでごめん、マリー」
メイド服の少女が、銀髪の少年に優しく声をかけている。
少女の方は、何処かの貴族にでも雇われていたのだろう。
少年の方も、着ている服はくたびれているが、素材は良いものだと、商人の眼でみれば判る。
(…駆け落ち、か)
メイドとの、身分違いの恋。
恐らく、取るものも取らずに出てきたのだろう。
何処まで逃げるのかは分からないが。
自身の子供と同じ年頃の少年と少女に、打算よりも同情に天秤が傾いたのだった。
「…本当に、隣の町までで良いのかい?」
「はい、そこから馬車を探して、国境を越えよと思っています」
「そうかい…気を付けるんだよ(間違い無く駆け落ちだな)」
生まれた国を捨て、身分も捨てて、愛する者同士、手を取り合い生きていく。
きっと、彼らの旅は困難なものになるのだろう。
だが、揺れる荷台の上で互いの手を取り合う二人を見ていると、何故だか大丈夫だろうと思える。
二人の旅路に、幸運を。
◇◆◇
「はぁ…大丈夫かな、マリー」
「ここまで来れば大丈夫ですよ、坊ちゃま」
まあ、マリーが言うように、あいつらも平民相手に、そこまで労力を割かないハズだけど…。
「とはいえ、やはり確実なのは、他の国に逃げる事ですから」
流石に、他国まで手は伸ばさんだろうしな。
しかし…。
「なんで…何でこんな事に…」
「…坊ちゃまのせいでは有りませんよ、運が悪かったのです」
確かに、あれは…そう、不幸な事故だった。
あの、御前試合に出るはずだった日。
その前日に、あんな事件が起こるなんて…。
◆◇◆
「ち、違うんだ、こんな…俺は、そんなつもりじゃ…!!」
「これは…駄目ですね」
そう言いながら、首を横に振るマリー。
俺達の前には、ついさっき絡んできた酔っぱらいが、口から血の泡を吹いて倒れていた。
「俺は、ただ…絡まれたから避けただけで…」
「仕方ないです、これは事故ですから…」
狼狽える俺を、マリーが宥めてくれている。
少しだけ冷静さを取り戻した俺は、倒れた酔っぱらいの脈と呼吸を、もう一度確認する。
だか、首がおかしな方向に曲がったオッサンからは、何の反応も返ってこない。
…ああ、やってしまった。
「だ、駄目だ…、やっぱり死んでる…」
なんで、こんな事に…。
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