第3話 底辺絵師美青ドナ

~九音view~


「ただいま!」


 いつもよりも早く花音が帰宅した。


「まさか九音がリツイートしてくれたなんて! おかげであのキャラがわかったよ!」


 帰宅するなり真っすぐ私たちの部屋までやってきて、開口一番満面の笑みでそう言ってきた。


「どういたしまして。例の自転車の人には会えた?」


「ううん。会えなかったし、それより先にキャラがわかったから早めに切り上げてきた」


「なんかバズっちゃったけど大丈夫?」


「あはは……通知止まんないし、なんかフォロワー数ももう五十人ぐらい増えたよ」


 花音は困ったように苦笑している。


「それよりもこのキャラ! まさかオリジナルキャラクターだったんだねー。そりゃあ九音でも分かりっこないよね」


 私が花音の投稿をリツイートしたのをきっかけに、私の絵師仲間を中心にこのキャラクターは誰だという議論が展開された。なぜか大手検索サイトの画像検索にも引っ掛からなかったため究明は困難を極め、自称サブカル有識者が集まり、アニメ、漫画、ラノベ、ソシャゲ、PCゲーム、VTuber、果てはご当地キャラクターに至るまで様々な候補者が挙げられていき、挙句の果てには数年前のエロゲヒロインの二次創作説が有力視された頃合いで、真の創作者のアカウント特定報告が届いてタイムラインは大いに沸いた。


 ……もしエロゲキャラだったら、それを通りすがりの女子高生に渡す男の品性を問おうかと思っていたのはここだけの話だ。


 かくして謎のキャラの正体は判明したのであった。それはいいが……。


「これが創作者のアカウントねぇ……」


 目の前のパソコンの画面には、件の創作者のアカウント〈美青びせいドナ〉のホーム画面を映し出している。今日の騒動で発見された直後のフォロワー数は八百ほどだったが、今のフォロワー数は千二百だ。最新の投稿には自転車の写真が写っていた。


「あ! この自転車! パンク直してた人のと同じやつだよ!」


「え? じゃあアクキーくれた人って制作者本人ってこと?」


「きっとそうだよ。へー。今日はレースに出てたんだ。それじゃあ会えないね」


 花音はこのアカウントの投稿を遡りながら「自転車のレースってどんな感じなんだろう」とか「このアニメ私も観てる」などと言って、はしゃいでいる。

 しかし、私は別のことが気になった。


「この人、全然絵を描いてないわね……」


 この〈美青ドナ〉のアカウントは自転車やアニメ、ゲームといった話がほとんどで、イラストを描いて投稿している様子がない。本当にこのキャラの創作者なのか疑わしいほどに。

 ネット民によって発掘された冬コミのお品書きからサークル情報へアクセスしてみたが、先の冬コミが初参加で、配置は当然のように島中だった。

 試しにイラスト系SNSを開き、ユーザー名で検索してみると、美青ドナのアカウントがヒットした。


「これ、ドナ先生のピクシブアカウント?」


「たぶんそうよ」


「わー! ねえこれアクキーのキャラの等身絵! こんななんだ!」


 等身絵とは、SDキャラのようなデフォルメがないノーマルサイズのキャラクター絵を指す。

 美青ドナの投稿作品一覧には、アクキーに採用していたSDキャラ絵が最新作として表示されていて、続いて等身絵が四作品ほど掲載されていた。それが直近一年半の間に公開されたものだ。


 一年半でたった五作品。私からしてみれば、非常に少ない枚数だ。作品タイトルは全て『無題』で、やる気が感じられない。

 それぞれのブックマーク数も十から五十程度と少ない。絵柄は六、七年前ぐらい前を感じさせるやや古めかしいもので今の流行ではないが、このクオリティーであればどれも百以上、PR次第では千ブックマークに届いてもおかしくはないのに。


 さらにそれ以前へ遡ると、キャラクターではなく古めかしい車のイラストを、ぽつぽつと描いているだけだった。

 自動車絵から突然オリジナル美少女キャラクター絵に転向というのも不可解だが、それにしてはこの美少女キャラのイラストは素人とは思えないほど上手い。不自然に思う。


「もしかしてAIアート……?」


 AIアートとは、ソフトウェアの生成AIによって自動で生み出されるイラストのことだ。あからさまに“それ”とわかるAIアートもあれば、レタッチなども施されて人手によるものと区別がつかないほどのものまである。素人が突然クオリティーの高いデジタル絵を出してきたなら、最近はもっぱらAI製を疑うようになってしまった。


「AIアートって、九音、これ見て言ってる?」


「花音はこれ、どっちだと思う?」


「これはAIアートじゃないよ」


「そう」


 私もAIアートの見極めには自信があるけど、花音の審美眼は神業の域だ。どういう感性なのか計り知れないが、このときの姉の言は百パーセント信用できる。

 そうなると、この〈美青ドナ〉なる者がどんな人なのか、ますます理解できなくなった。


 唐突に美少女イラストを描き始めたのはなぜなのか。

 これほど魅力的なキャラを描けるのに、枚数をこなさず自転車などにうつつを抜かし、低評価に甘んじているのはなぜなのか。


 私には理解できない。しかし、それを知る術はない。

 この日は一日中、モヤモヤを抱えたままだった。




~花音view~


 月曜日の放課後。いつものように荒川でヴァイオリンを弾きながら道行く自転車を眺めていると、目当ての自転車を発見した。

 ヴァイオリンを弾く手を止め、大きく手を振って声を出す。


「おーい!」


 自転車の人はこちらに気がついたのか、小さく手を挙げてからゆっくりと減速して、目の前に停車した。


「先日はキーホルダーありがとうございました! また会えて嬉しいです」


「こんにちは。今日も来てたんだな」


 彼は汗をぬぐいながら挨拶を返してくれた。


「そういえばツイッター拝見しました! 美青ドナ先生ですよね? 昨日は自転車レースお疲れ様ですっ!」


 その言葉に、彼は一瞬きょとんとした顔を見せた。


「え? ああー。いやいや、それは俺じゃないよ」


「えっ……?」


 人違い?

 いや、でも自転車は間違いなく同じだし、そうとしか……。


 私はスマホのアプリを開いて、昨日見つけた美青ドナ先生のアカウントを見せる。


「これ、貴方の自転車じゃないんですか?」


「この自転車は間違いなくこれだけど、そのアカウントは俺じゃなくて、俺の兄のなんだよ。自転車は兄弟でシェアしてるんだ」


「あ、そうだったんですね」


 兄弟というのは盲点だった。


「まあ勘違いするのも無理ないさ」


 そう言って彼はふふっと笑った。


「渡したアクキー、気に入ってくれたようで何よりだよ。俺もあいつの描くキャラは好きだから」


「はい! とっても可愛くて素敵ですよね! アクキー以外にもグッズがあったりしますか?」


「いや、現状はあれだけだ」


「そうですかー……」


 もしもあったらぜひ欲しかったな。


「まあでも、夏コミは受かったって言ってたし、また何かしら作ると思うぞ」


「本当ですか!!」


 良いこと聞いた! 何を作ってくれるんだろう。


「そんなに楽しみ?」


「もちろんです! ぜひお兄さんに楽しみにしていると伝えてください」


「あはは。伝えておくよ。俺もあいつの新作は楽しみなんだが、面と向かって言うのは恥ずいからいい口実になるし、それに……」


 彼の視線はアクキーに注がれる。


「それに、今のあいつはなかなか描いてくれないから」


 続く彼の言葉は、小さなつぶやきのようなか細い声だった。

 九音の見立て通り、ドナ先生はイラストにあまり積極的ではないのかな。


「じゃあ、俺は伝言しに帰るわ」


「ああ、引き留めちゃってすみません。さようなら」


「じゃ」


 彼はサドルにまたがり、颯爽と去って行った。

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