第2話 演奏者の姉と神絵師の妹

~花音view~


 投げ渡されたものを私――飯山いいやま花音かのんが拾っている隙に、自転車乗りの人は立ち去ってしまった。


 頂いたものは、キャラクターが描かれたアクリルキーホルダーだった。

 いわゆるSDキャラという、ちびキャラにデフォルメされた美少女イラストだ。しかも、ものすごく可愛いい。見るからにスポーツマンな男性からこんな可愛いものが渡されるのは、ちょっと意外だった。

 惜しむらくは、これは何というキャラなのかを聞きそびれてしまったことだ。


 それからしばらくヴァイオリンを弾いてから、日が暮れる前に原付カブを走らせて自宅のマンションに戻った。


「ただいまー」


 帰宅して自室へ直行すると、パソコンの前に陣取る人影が出迎えた。


「ああ、花音おかえり」


「原稿やってるの? そういえば今日は当落発表だったっけ」


「もちろん当選よ。しかもついに壁サークル! もう緊張してきちゃう! 本腰入れて描かなきゃ」


 そう言いながらも手を休めずペンタブレットをカリカリやっている彼女、飯山いいやま九音くおんは私の双子の妹だ。

 九音はここのところずっと、夏コミの新刊同人誌制作に注力している。


 先々月、当落発表前なのにもう始めるの?と聞いたら、今度こそ早割入稿するのだと息巻いていた。現段階でもそこそこ順調な進捗らしいので、このまま無事早割に成功してほしい。


 ちなみに壁サークルというのは会場での出展場所が壁際であることを意味し、人気サークルの誉れだ。他には、待機列を屋外へ伸ばす前提の超大手サークルがシャッター前、その他大勢的な小規模サークルが島中、島中以上壁未満のサークルがお誕生日席といった具合にいろいろとある。


「ねえ九音。このキャラに心当たりない?」


「んー? どれ?」


 九音なら知ってるキャラかもしれないと思い、アクリルキーホルダーを見せてみる。


「えー、かわいい! でも見たことないわね……。これどこで手に入れたの?」


「ちょっと貰い物でね」


 私は九音に先ほどの出来事を話した。


「ふーん、その人になんてキャラか聞けなかったの?」


「もらった直後にはもう遠くに行っちゃってて」


「また会ったときに聞けばいいんじゃない? その人ってよく見かける人?」


「うーん、普段通りがかる人のことなんて見てないからなぁ……」


「ま、きっとそのうち会えるでしょ」


「会えるかなぁ」


 確かに平日にあの辺を走る人なんて、習慣的に走っていそうだけど。


「とりあえず、ツイッターに知ってる人がいないか聞いてみようかな」


「それもいいかもね」


 キーホルダーの写真を撮り『【拡散希望】このキャラをご存知の方いたら教えてください!』と書いて投稿してみる。


 まあ、私のアカウントの拡散力はアテにできないので、近いうちに自転車の人と再会できることを祈ろうかな。




~九音view~


 日曜日。当落発表から二日経った。


 今日も朝から私はパソコンの前で原稿と戦っている。

 当落前にはネームも下書きも終えていたので、今はペン入れに集中している。

 ペン入れは本当に面倒くさい。今は苦しみに耐えるときである。


 話し相手でもいれば気が紛れるのだけれど、姉の花音は朝から「今日は自転車の人に会えるかな」と言いながら、ヴァイオリンを携えて荒川の河川敷へ行ってしまった。

 花音が金曜日に投稿した謎のキャラクターの情報募集に対しては、その日から今日に至るまで何の情報も得られていない。


 花音自身ダメもとでの投稿だったのであろう。「フォロワー数六百程度のアカウントじゃ聞いても見つからないよね」といった調子で、あまり落ち込んだ様子はなく、自転車の人と直接会う方を本命にしているようだった。


「それにしても、ほんと何のキャラなのかしらね」


 このキャラの正体が気になるのは私も同じだ。全く見覚えは無いのに、どことなく惹かれるキャラデザなのだ。ポージングも、SDキャラでこの表現ができるのかと感心する要素があり勉強になる。

 現に花音の投稿に対して、キャラがかわいいという趣旨のリプライが二件ついている。

 これほどのキャラが無名とは思えない。もっとシェアされれば知っている人に辿り着けるかもしれない。


「いつもは封印してるけど、今回ばかりは抜いちゃおうかな。伝家の宝刀」


 ペン入れからの現実逃避と、そこはかとない好奇心が抑えられず、私は花音の投稿を自らのアカウントでリツイートした。


 フォロワー数八万人を誇る新進気鋭の女子高生イラストレーターがリツイートした正体不明のキャラクター情報を求める投稿は、その瞬間から一気に拡散した。




~大河view~


「帰りも送ってもらっちゃってありがとうございます。トミーさん」


「なぁに、いいってことよ」


 日曜日の昼下がり。俺はトミーさんこと吉野よしの斗夢とむの運転するSUVに揺られて、富士五湖道路を中央自動車道方面へと走っていた。自転車レースの帰り道だ。

 トミーさんはツイッターを通じて知り合った自転車仲間で、父親と同じ五十二歳なのだが気安く話せる仲であり、こうして世話になったりしている。


「年代別五位だって? 惜しかったなぁ、表彰台」


「いえいえ。順位は気にしてませんし、目標の七十分が切れたんで、これだけで御の字ですよ。運悪く中切れに巻き込まれてこれなんで、そろそろゴールドが見えてきました」


「ゴールドかー。俺にはもう叶わぬ夢だわ。お前に託した」


「何言ってるんですか。ワンチャンあるかもしれませんよ?」


「バカ言え。五十過ぎたオッサンに本気で言ってるのか?」


「半分本気ですよ。なんだかんだギリギリシルバー獲ったんでしょ」


「まあなー」


 今日走ったレースは富士ヒルクライムという大会で、富士山の麓の町富士吉田にて開催されている、全国でも最大規模のアマチュアヒルクライムレースだ。スバルラインという麓から五合目までを繋ぐ舗装路を交通規制し、標高差千二百メートル、総距離二十四キロメートルのコースを約八千人が駆け上がってタイムを競う。


 このレースでフィニッシュタイムが六十五分を切ればゴールドリングが贈られるのだが、全体の二パーセント未満しか手が届かない狭き門であり、羨望の的である。

 ちなみにシルバーは七十五分以内が対象で、全体の十パーセント程度と充分上澄みレベルである。五十代男性だと千五百人中のトップ五十に入るトップランカーだ。


「談合坂サービスエリアはスルーしていいか?」


「大丈夫です。さっきまでまったりしてましたし、このまま直帰しましょう」


「了解」


 そこで会話が途切れたので、スマホをいじる。

 完走タイムをツイートしてからツイッターを放置していたのでリプライが来ているか確認してみようと思いアプリを開くと、なかなかお目にかかれない数の通知が付いていた。


「なんだこれ……?」


「どうした?」


 明らかに挙動不審な俺を見て、運転席のトミーさんも声をかけてきた。


「や、なんかバズってるってやつ……?」


「は? 完走報告がか?」


「いえ、なんか別の古いツイートなんですけど。どうしてこんなタイミングで……」


 完走ツイートには、好タイムだったこともあって自転車仲間から祝福のリプライやいいねがいくらか付いていたが、それとは別に今まさにひっきりなしにリツイートやいいねのカウントアップを続けるツイートがあった。


 それは、昨年末の冬コミにサークル参加した際の『お品書き』を掲示した投稿だ。お品書きとは、サークルで頒布する本やグッズをひとまとめにした画像のことだ。それが今になって拡散されるのは意味不明すぎる。

 冬コミ当日の時点で十かそこらだったリツイート数は、今日になって三千を超えて今なお増え続けている。新規フォロワーも四百人は増えている。


「何がきっかけだ……?」


 未読が大量に連なる通知欄を過去へとスクロールしていくと、一件の引用ツイートに辿り着いた。


『@hanane_in_D この方作のキャラクターでは?』


 どうやら誰かが誰かにこの投稿を紹介して広まったらしい。

 リプライ先を確認してみる。


 ハナネ(@hanane_in_D)『【拡散希望】このキャラをご存知の方いたら教えてください!』


 この〈ハナネ〉というアカウントが、写真付きのツイートでキャラクターの情報を求めていた。その写真には、冬コミで頒布したアクリルキーホルダーが写っていた。このツイートも多くのリツイートやいいねが付いている。


 つまり、この事態は〈ハナネ〉氏の投稿をきっかけに始まったということなのだろう。

 この〈ハナネ〉というアカウントを覗いてみる。普段はランチの写真やアニメの感想など、日常的な話題が中心だった。雰囲気的に若い女性だろうか。フォロワー数三桁程度で、インフルエンサーほどの拡散力は無さそうである。誰が拡散させたのやら。


 投稿内容を遡っていくと、ひとつの動画に辿り着いた。それは数十秒程度のヴァイオリン演奏動画だった。顔などはフレーム外にして、楽器と手元のみを映している。

 そういえば、一昨日大洋がアクキーを通りすがりのヴァイオリン弾きに渡したと言っていた。もしかしてこの〈ハナネ〉さんがその人だろうか。


 投稿時間からしても辻褄は合う。まさか相手が女性だったとは。あいつ、はぐらかしたな。


「それにしても……」


 ヴァイオリンの演奏動画はいくつかあったが、素人目でもどれも上手に見えた。その時々の話題の曲や環境音の真似といった一発芸のノリで稀に披露しているようである。


 それから家に着くまでの間、ずっと動画を漁ってしまったのだった。

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