新侯爵の町


 コンコンコンとノックの音がした。

 「どうぞ」

 アストリットがそう答えると、カチャリとドアが開く。

 「失礼します、魔女様」

 アストリット付きの専属侍女であるイレーネ・バイルシュミットが、静々とメイドを連れて入ってきた。

 「・・・どうしました?」

 アストリットが問いかけると、イレーネがすっと一礼してから口を開く。

 「義姉様とご友人がいらっしゃいました」

 イレーネの言葉にアストリットが頷く。

 「ああ、待っておりました。・・・お通ししてください」

 「かしこまりました」


 六人の男女が連れ立って日が暮れる前に領都に辿り着く。門番たちがちらっと男女の武装を見たあと、気安い表情を改めて、厳めしい表情になった。

 「武装しているのはなぜだ?」

 「追いはぎに会わないようにですね、しております」

 一人の男が答えた。

 その答えに門番が一瞬だけむっとした表情を作ったが、一旦それを収め、出来るだけ穏やかな口調を作り口を開く。

 「・・・我がベルゲングリューン侯爵領は、侯爵様の令嬢である魔女様のお力と侯爵様のご意向によって、追いはぎによる被害を受ける事はないはずだ。ただ・・・もし、そのような輩に会うのであれば、早急に申告をしてほしい。討伐を行う。・・・申告をお願いする」

 「そうなのですか・・・。流石は魔女様のお力ですね」

 調子がよさそうな男の様子に、門番はさも忌々しいという顔つきになるが、隣りの相棒だろうもう一人の無表情な門番に小突かれて、顔を和らげた。

 「・・・魔女様は侯爵様の領地のことを案じられて、町の中での刃傷沙汰を防ごうとお考えなされており、我ら警邏隊以外の武器を使用できなくする呪いの掛かった腕輪をお作りになられた」

 無表情な相棒の門番が、片手に持った袋に手を差し入れて六個の腕輪を掴み出した。

 「町を出るときに返してもらうことになるが、この腕輪をつけてもらおう」

 門番が相棒の持つ腕輪を示す。

 「・・・つけるのを拒んだら・・・?」

 警戒する男の言葉に、門番がやれやれと言った表情になる。腕輪を持った門番の相棒が、無表情のまま腕輪を袋にしまい直す。

 「門の中に入れることはできない。・・・申し訳ないが、そこらで野宿してくれ」

 そう言うと、門番が六人の後ろに並ぶ別の者たちに目を向けた。

 「・・・どいてくれないか、後ろがつかえてるんでな」

 そう言いながら門番が槍で六人を押しのけるようにどかそうとしたが、男は慌てたように言い募った。

 「ま、待ってくれ!腕輪をつけないとは言ってない!つけるのを嫌だと言ったらと聞いてみただけだ!」

 六人のうちの門番とやり取りを始めた男よりも若い男をチラチラ見ながら必死に言い募る。

 「・・・拒めば町には入れない、それだけだ」

 その時無表情だった門番が初めて口を開いた。

 「・・・それでどうするんだ?腕輪をつけるのか?・・・初めてこの侯爵領の領都アコスタに来た者は、慣れない腕輪をつけることを嫌がる事はわかる。しかし、つけるのを拒めば、町には入れない。・・・まあ、今は町の中に入れないだけだが、そのうちに侯爵領自体に入れなくなると言われている。だからつべこべ言わないで腕輪をつけろ、今は町中でつけるだけで済む」

 六人のうち五人は顔を見合わせたが、一番若い男は進み出て、手を差し出した。

 「腕輪をくれないか。・・・つければ町の中に入れるのだろう?」

 「ああ、そうだ」

 無表情の門番が袋にしまった腕輪を取り出す。

 「町中で悪さをしないようにと魔女様がお考えになられた腕輪だ。刃傷沙汰をしなければ、何もお前たちには起こらない。そこは安心していい」

 若い男は一度受け取った腕輪をしげしげ見た。

 腕輪は布製で、蔓草の文様を刻み込んだ木片の両端に穴を開け、糸で布地に縫い留めて作られていた。文様は職人の手になる物と思われ、繊細なものだった。

 「・・・言っておくが、外してもかまわないぞ。・・・ただ町の中では外すな、我慢してつけておけ。・・・歩いている途中で外したり、武器を構えれば、そこで突っ立ったまま動けなくなる。・・・どういう理屈かは聞いてくれるな、俺にもわからないからな」

 若い男が器用に腕にその腕輪を巻き付け、余りの端を結ぶ。

 六人のうちの一人が腕輪を結んでいる若い男を見ながら尋ねた。

 「また歩けるようになるのかい?」

 腕輪を渡しながら、門番が返答する。

 「町の外に放り出せば、暫くしてから動けるようになる」

 「・・・そうか・・・」

 若い男は手首を返しながら、腕輪を触り感触を確かめている。

 「・・・つけても何ともないな」

 若い男が感想を言うと、門番が初めて表情を和らげた。

 「・・・魔女様の考案なされた腕輪だからな。腕輪をつけているだけで、武器を使おうとしただけで、身体が硬直して動かなくなる」

 「面白い仕組みだ」

 若い男が感心して頷く。

 その間に、顔を見合わせていた後の者たちも腕輪を結局受け取り、腕に巻き付け始めている。

 その姿を横目で見ながら、若い男が尋ねる。

 「この腕輪は他の町でも使われているのか?」

 「・・・いや、このベルゲングリューン侯爵領の町だけのものだ。他の領地では仕組みすらない」

 門番はそう答えた後、腕輪をつけ終わった六人に興味を失い、次に列に並んでいた商人に視線を移した。

 「・・・さあ、もういいか。腕輪をつけたんなら、自由に街中に入れるようになった。・・・領主館と侯爵軍の施設内には入れないがな」

 「・・・わかった」

 若い男が頷くと、最初に男が声をかけた門番が、大きめの声で言う。

 「アコスタの町を楽しんでくれ!」


 イレーネがリーゼとグレーテルを伴い、部屋に入ってくる。

 「リット!」

 リーゼが声をかけると、アストリットが王城ではほぼしたことの無い淑女の礼を取った。いつものアストリットはこの王城での魔女としての役割をするときは、騎士の礼しかしたことはない。

 「・・・ご機嫌麗しゅう存じます、お姉さま、それにグレーテル」

 「・・・久しぶりね、リット」

 「・・・」

 アストリットが二人を部屋の中のテーブルに誘い、背のついた椅子を示す。二人は示された椅子に腰を下ろした。

 リーゼは持っていた籠を膝の上に置く。ひょこりと籠から顔を出すものがいた。ググっと背を伸ばすようにテーブルへと脚をかけてからひょこりとテーブルに飛び乗る。

 「・・・その顔を見せたのは相当久しぶりです、エルマ」

 アストリットが目を細めて見遣ると、エルマは器用にテーブルの上を移動し、アストリットの前へと移動し、アストリットの腕に前足をそっとのせた。

 「挨拶もしてくれるとは、媚びを売るのが上手になったわね」

 『うにゃん』

 アストリットの言葉にエルマがにんまりといったふうに返答する。

 「ふふ、エルマは元々はリットの猫だものね」

 「違いますよ、もうエルマは姫様、いえ、お姉さまの猫です」

 アストリットがエルマを持ち上げ、籠に戻す。エルマは大人しく籠に入れられた。

 リーゼはエルマを入れた籠を手元に引き寄せる。

 アストリットは籠から顔を出して見つめてくる猫に言い聞かせる。

 「・・・エルマ、これからも姫様を守るのよ」

 『うにゃん』

 アストリットが返事をする猫を愛でているうちに、イレーネがメイドたちに指示を出し、お茶が用意された。お茶が用意されると同時に猫は、そのままかごの中で丸くなっていた。

 「・・・ありがとう。もう下がって良いですよ。ご苦労様でした」

 アストリットがメイドたちを労い、メイドたちが礼をしながら部屋を出て行く。

 「イレーネは残って」

 イレーネが出て行こうと礼をする前にアストリットがそれを止める。

 「・・・ですが」

 「いえ、渡したいものもあるので、ここに居て」

 イレーネの言葉に被せる様にアストリットが半ば強引に引き留める。

 「・・・かしこまりました」

 イレーネがフッと息を吐き、アストリットの斜め後ろに立った。

 「さて、今日は王城に来ていただきまして、ありがとうございます」

 実際のところ、半年ぶりぐらいにリーゼとグレーテルは王都にやってきていた。これは表向きは両親に会うためとされていたが、確かに両親に会うために王都に来たのだが、一つは侯爵領に滞在してもらうための根回しのためだった。

 リーゼの父親であるヒンデミット伯爵は、頑なにベルゲングリューン侯爵領に移ることを拒んでいたが、母親であるヒンデミット伯爵夫人はベルゲングリューン侯爵領を一度訪れてから後、移住することを望み、いつでも移住できるようにと荷造りをしているそうだ。

 「・・・リット、うちの親はもう移住を受け入れた」

 グレーテルの両親は、グレーテル自身が働きかけており、ベルナール帝国の亡命貴族である宿命と言える元アルムホルト皇族の警護を行っていた貴族の一つシュミット家は、自分の娘であるグレーテルの言葉を受け入れ、次代の皇族となるリーゼの子供を守るための行動を始めたと言える。

 グレーテルの言葉を受けて、リーゼがちらりとイレーネを見上げてからゆっくりと言った。

 「リット、あと、移住に反対しているのは、わたくしのお父様とドレスラー男爵家だけです」

 「・・・姫さ、いえ、お姉さま、ありがとうございます」

 軽く頭を下げて、リーゼに礼を言った後、アストリットが振り返った。

 「・・・イレーネの家、バイルシュミット家の方々も了承されたということね?」

 イレーネはアストリットの言葉に、やや肩を聳やかすようにして頷く。

 「はい。・・・わたくしはアストリット様の侍女ですので王城に残りますが、わたくしの家族は皆、アコスタに移り、侯爵領の仕事をすると連絡をしてきました」

 「・・・ありがとう。これで肩の荷が下りました」

 アストリットが明らかにほっとした表情で息を吐いた。

 アストリットの弱点と言えるものは、ベルナール帝国の亡命貴族で、その亡命貴族は明らかに家族と呼んでも差支えの無い存在だった。このベルナール帝国の亡命貴族の家と家との付き合いは貴族間の節度を保ちながらも、明らかに他人との慇懃なものでなく、気安いものだった。

 「・・・国王がヴァリラ連邦との戦いに浮かれているときに話を持って行って良かったわ」

 「ふふ」

 アストリットの言葉を聞いたリーゼが軽く笑い、グレーテルが肩を竦める。

 「・・・姫、いえ、お姉さまのお母様はどうされるおつもりですか?」

 リーゼがアストリットの言葉に、頬に指を当てて少しだけ考える。

 「もう無理やりにでも連れて行こうと思ってるの」

 「・・・大丈夫なのですか?」

 「リット、心配し過ぎよ」

 「・・・リット、盟主様はもう姫様に見捨てられたのよ。だから夫人だけ連れて行くの」

 イレーネが後ろで息を呑む。

 「・・・そうですか」

 アストリットがため息と共に抑揚もつかない調子で言う。

 「気にしないで。・・・リット、お父様はね、自分よりも義父様が爵位が上になったことが許せないの。お父様は、義父様がどうして爵位が上がることを承諾したのか、理解しようとしない。醜い嫉妬で目が曇っている。こんな人にお母様を任せられない。ですから連れて行くの」

 最後のところは珍しく言葉が荒れている。相当怒っているようだ。

 「・・・姫、いえ、お姉さまの思うとおりになさってください・・・」

 アストリットはリーゼのことを思い出して肩を竦めた。

 「・・・そうね、姫様はこうなったら止まらないし、ね」

 グレーテルは相変わらずリーゼの珍しい怒った様子に怯むことなく、平静状態のままカップを手に取る。

 「・・・レーテ、少しは姫、いえ、お姉さまを止めて欲しい・・・」

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