北方の国境にて
馬車は日中休むことなく駆け続け国境へとたどり着いた。だからと言って虐待をしたわけではない。鞭を入れて酷使したのとも違う。アストリットはただ、毎日走り出す前の馬たちに語りかけて首を叩くのみで、馬はそれだけで休むことなく走った。そしてたどり着いた初秋の国境では、肌寒く感じられ、何か一枚身体に巻きつけなければ、震えが来るようだった。
馬車がたどり着くと同時に、外の様子を窺っていたのか、検問所のビュルシンク王国側の建物から、驚いたことに警備兵はもちろんのこと、それ以外の人物も現れた。その明らかに警備兵とは違う凝った作りの服を身に着けたその人物は、今回の盗賊討伐のビュルシンク王国側の責任者だった。どうやら二三日前にはもう来ていたらしい。
「・・・相当期待してるのですね」
思わずアストリットが呟く。
「・・・なにか?」
ビュルシンク王国の貴族、エリアン・エルメリンス伯爵と名乗った堂々とした体躯の若い男は何かの毛皮を身体に巻きつけながら、呟きを聞きつけてアストリットに視線を止める。
「国の一大事業と言うわけですか。盗賊討伐は」
聞こえるようにアストリットが答える。
「・・・」
ビュルシンク王国の伯爵はしばし黙り込んだが、一度考えをまとめているようで、暫くして口を開く。
「我が国は、大地の北にある国です。作物は育ちにくく、獰猛な獣が多くの集落を襲撃する。国の南の狭い地帯に人々は身体を寄せ合って暮らしています。
そのわが国民の血のにじむ努力を無にする奴らがいる。到底容認できないのです」
「・・・そうですか。盗賊は国民の皆様を苦しめる輩で、排除すべき害悪と言うことですね」
「我らの存在は決して周辺の国々にも良い結果をもたらしません」
そこで、突如伯爵はアストリットの手を取った。
「共通の敵として、協力して盗賊を殲滅し、後顧の憂いを失くしたいと思います。よろしくお願いいたします」
くすりとアストリットは笑う。
「・・・わかりました。ですが、勝手に手を取るのはお止め下さい。これでもわたくしはハビエル王国の王族の婚約者。国際問題となります」
「つ、つい、うっかりいたしました・・・」
顔を赤らめて手を放す。
「国への愛情は感じました。その情熱にお答えいたしますので、盗賊が居るという場所についてもご存じですよね?」
アストリットは、淑女には程遠いニヤリとした笑いを見せた。
「・・・もちろん知っておりますが、どうなさるおつもりですか?」
警戒するように、伯爵が身構えたようだった。
「もちろん、討伐いたしますよ」
アストリットの言葉に、伯爵が唖然とする。
「・・・まさか・・・。冗談でしょう?」
「こんなところで冗談は申しません」
アストリットは真面目な表情を見せた。
「ですが、あなたは剣術を嗜んでおられるのかもしれないが、国境の森に砦を造っている百名を越える盗賊団を一人で斬ることはできますまい?」
伯爵の言葉にアストリットは軽く肩を竦めて見せた。
「・・・なぜわたくしが剣で盗賊を討伐するのです?」
「し、しかし」
アストリットは言いかけた伯爵の言葉を不躾にも遮る。
「伯爵様、わたくしは国では魔女と呼ばれております」
「た、確かに、そう聞き及んでおります」
伯爵が頷くと、アストリットは口元を隠すように笑った。
「魔女には、魔女の戦い方があります」
伯爵が幾度目かの唖然とした表情で、アストリットを見返した。
自分の護衛騎士の跨る馬に、優雅に横座りをしたアストリットが空を見上げながら、あちこちを見ている。護衛騎士の前に横座りをしながら、アストリットは大きめの壺を抱えていた。
「・・・どうなされましたか?」
伯爵がアストリットの様子に不審を覚えて尋ねる。
「風を見ております」
「はあ、左様ですか」
アストリットは再度、森の中に作られた木を切り倒して作られた柵を眺めた。案外規模のある砦を盗賊ながら作り上げたらしい。
「・・・数か所を移動しながら撒く必要がありますね・・・、森の中ですから、あまり風が強く吹かない様子ですし」
「撒くとは?」
「眠り薬ですよ。吸い込めば眠りの世界に引き込まれます」
伯爵がハッと息を呑む。
「効くのですか?」
その問いに、アストリットはちらりと護衛騎士を見上げる。そしてクスクス笑いながら答えた。
「・・・効きますよ。良く眠り込んで、丸一日起きませんでしたし」
甘い香りが漂ってくる。見張り所として建てられた鐘楼もどきの小屋から、男が鼻で宙を嗅ぎだした。
「何だ?」
やけに瞬きが多くなった気がする。瞼が重く感じられ、垂れ下がってくる。何とかこじ開けるようにしながら、周りを見渡した。そして、そこに異質なものを見た。
「なんだ・・・?」
自分の言葉がやけに間延びして聞こえる。
「・・・ど、う、し、て・・・あ、ん、な・・・、と、こ・・・、に・・・」
瞼が重くてたまらない。目が閉じて開けられない。何とか腕を動かし、指で瞼を押し上げようとする。なんとか起きていようとしたが、意識が飛んで起きて居られない。
「・・・くそ・・・」
男は意識を手放した。
アストリットは数か所の方向から壺に入った薬を撒いた。色々と撒く量を意図的に変えて、時間的に倒れる時間を計ったり、効果の及ぶ量を調べたりする。あのアカデミア・カルデイロで、色々試した実験のことを思い出して、殊の外楽しんだ。
アストリットの周りは、抜刀した専属の護衛騎士が周囲を警戒して立っていたが、用心してアストリットの前に出ようとはしていない。
『良いですか?わたくしの前には立ちはだからないようにしてくださいね。立ちはだかる人はその場に置いていきますからね』
楽しそうなアストリットの言葉に、護衛騎士たちは何度も頷いた。
「・・・もう良いでしょう・・・」
壺に蓋をしながら、アストリットが振り返る。
鎧を着ていないビュルシンク王国の斥候役の兵と共にアストリットの後ろに付いてきていた伯爵がアストリットの視線を受けて、頷く。
傍らの兵に短く命を下した。
「砦に突入せよ」
兵が命を伝えるため、走り去る。
それを見届けると、アストリットに走り寄り、礼をする。
「魔女殿、ありがとうございます。これで国の懸案の一つが消える。感謝します」
アストリットが何も言わずに微笑む。伯爵はそれを一瞬だけ眩しそうに見て、そして踵を返し、そのまま鎧に身を固めた兵士たちの元に走って行った。
「さてと、わたくしの仕事は終わりました。ここを離れて遠くから見物でも致しましょうか」
そうしてアストリットは傍らの護衛騎士たちに微笑みながら砦から離れて行った。
ビュルシンク王国の兵士たちが、砦に居る盗賊たちを文字通り一網打尽にして、刑罰を与えるために自国の王都に護送し終わったところに、ハビエル王国騎士団が国境に到着した。
肩を聳やかし、騎士団の先頭に立っていた王弟リナレスはのんびりした様子の検問所のビュルシンク王国の兵士に目を止めて、眉を顰めた。
・・・ハビエル王国の王族が来たというのに、のんびりし過ぎなのではないか?
騎士団団長の命を受けた騎士の一人が、検問所に近寄ると、ビュルシンク王国の兵士が座っていた椅子から立ち上がり、礼をする。
「ハビエル王国の騎士団のご到着でしょうか?」
「?そうだ」
検問所の兵はニコニコ笑いながらも、親し気な感じを醸し出して口を開いた。
「ご苦労様です。見分に来られたということで間違いありませんか?」
「・・・見分?」
「はい。盗賊団の討伐は終わっておりますので、それの確認するためにやってこられたのでしょう?・・・いや、優秀なご令嬢がお見えになられるなど、羨ましい限りです」
「優秀なご令嬢・・・?」
騎士の様子に、検問の兵は首を傾げた。
「おや?ご令嬢が仰るには、五日後ぐらいに騎士団が見分のために到着するので、拠点跡へ案内をして、存分に見分をさせてほしいとのことでした」
「はあ?」
「では、兵士一人に案内させますので、そのままお通り下さい」
「・・・いや、待たれよ。我らの団長に経緯を伝えるので、案内はそれからでもよいか?」
「ええ、そうですね。そのほうがよさそうですな」
「やってくれたな・・・」
団長が呟いている。
盗賊団の拠点だった砦には、誰もいない。攻撃で壊れた所も、血糊跡もない。酒盛りをした跡や、何かの料理をした痕跡、飲み水の確保のための池、排泄物を埋めたと思われる埋め戻しの跡。生活臭はあるが、今はもう誰もいなくなったための静寂が、ここには漂っていた。
「・・・なぜだ・・・」
王弟リナレスが周りを見てわなわなと震えている。
「華々しい活躍があったはずなのに!・・・王弟である俺がその名を轟かせる戦闘があったはずなのに!俺の到着を待ってから総攻撃をかけるはずだったのに!なぜ、あの女は勝手に攻撃をしたんだ!」
攻撃の主体となるはずだった騎士団の騎士たちは何も言えず、ただただ立ち尽くしていた。
「来ましたよ」
アストリットは思わず、馬車の窓から身を乗り出していた。
「ま、魔女殿、そんなに身を乗り出さんでください」
護衛騎士が慌てて止めている。
アストリットはさっさとビュルシンク王国の要望を叶え、そのままベルゲングリューン家の領地の中心となる領都に向かった。そして、そのままようやく領都の領主館にたどり着いていたところだった。
もうすぐ家族に会えると思い、アストリットは自然と笑顔になった。短い間だろうけど、家族と過ごせる。そう思うと、自然と顔が綻んできたのだった。
王都からついてきた護衛騎士は、そのアストリットの笑顔に、この魔女は未だ成人前の十六歳の女性だということに思い当たっていた。いつも無表情なのは、王城では気を張っているからに違いない。護衛たちはそう考えていた。
だが、本当は違う。アストリットはどちらかと言うと感動が薄い性質なのだ。久しぶりに義姉となった幼馴染と、その義姉を傍で守り盛り立てるもう一人の幼馴染に会えるのだと考えたからに過ぎない。まあ、護衛が勘違いしてくれれば、婚約についても今後、色々なことができることだろう。
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