王弟の身勝手な願い


 基本アストリットは毎日部屋に居て、国王からの依頼があれば動く体制をとっている。頼み事があれば国王に呼び出されるのであるが、呼び出されるまでは自由にしていて良いと言われていた。

 王城内に居れば、部屋に居なくとも良いとされている。王城にいる者には近衛騎士から知られたのか、噂によって相当恐れられていたのだろう、アストリットは王城内で腫れ物に触るような扱いを受けていた。


 その日は朝一に王弟リナレスがやってきた。

 アストリットは侍女がやってくる時間よりも早く目覚めてしまい、もう眠れそうになかったため、もう起き上がることにした。寝台から出てショールを羽織り、椅子に腰掛けると窓の外を眺めながら侍女がやって来るのを待っていた。

 突然音を立てて部屋のドアが開く。ノックの音はなかった。

 ぼんやりとした状態で座っていたアストリットは、その時は侍女がやってきたと思った。礼儀のなっていない侍女だなと思っていると、足音が近づき、突然怒鳴るように声をかけられた。

 「おい、お前に俺の討伐に突き合わせてやる」

 明らかに侍女ではないその声に驚いて、アストリットは窓から視線を傍に立つ影を見上げる。

 そこには、ノックをせずに女性の部屋に入るマナーのかけらもない王弟の姿があった。

 「・・・なぜここに?」

 アストリットが混乱して尋ねる。

 「討伐命令が下ったそうだ。俺も行くので、お前は俺の手助けをしろ」

 アストリットの眉が顰められた。

 ・・・何を言っているのでしょうか。質問の意味はそちらの方ではありませんが。

 「・・・ノックもせず女の部屋に入るとか、呆れますわね」

 「なんだと!」

 王弟がアストリットの言葉を聞いて怒声を放つ。

 「俺は王族だぞ!」

 王弟の怒鳴り声にアストリットは呆れ返る。

 「・・・だから何だというのです?王族だから、ノックもせず、女の部屋に入ると言うのですか?・・・まったくこの国の王族は相当礼儀知らずですね」

 イライラして棘のある言葉が出る。

 「う、うるさい!」

 アストリットは王弟の怯んだ声にさらにイライラが募る。

 「それに、朝から大声で騒いで王族は軽薄なのですね」

 蔑んだ視線を向けると、王弟が口をつぐむ。

 「・・・」

 アストリットの口調に反論できなくなったようで、王弟がむくれて黙り込む。

 部屋にノックの音が響いた。侍女イレーネの声だった。

 「魔女様、何かございましたか?・・・声がするようですが」

 アストリットが見上げていた視線をドアに向けて答える。

 「どうぞ」

 「・・・失礼します」

 アストリットの言葉と同時に、かちゃりとドアが開き、イレーネがアストリットに視線を合わせないように目を伏せて部屋の中に入って来る。部屋に二三歩入った所で足を止め、顔を上げて部屋の中を見回す。

 そして固まった。イレーネの背中から、朝の身繕いを手伝う仕事をする召使いたちが上下左右から顔を突き出して、これまた固まる。

 「・・・で、殿下・・・?」

 まともに声が出せないようで、イレーネがつっかえながら声を上げた。

 口を開けたまま、動きを止めた王弟を尻目に、アストリットがイレーネに目をやる。

 「・・・ノックもなしに勝手に入って来た礼儀知らずです。無視して良いので朝の身繕いをお願いします」

 アストリットの珍しい怒り顔に目を見張りながら、イレーネはつっかえながら答えた。

 「は、はい・・・かしこまりました・・・」

 ようやく動き出したイレーネの指示で、召使いたちの内二人がバタバタと部屋から出て衝立を持ってくる。

 アストリットが、固まったままの王弟を尻目に椅子から立ち上がり、建てられた衝立の奥に消える。

 「・・・魔女様、今日はこちらで・・・」

 イレーネが細々と指示を出して、アストリットの身嗜みを整え始める中、王弟は衝立の向こう側で身体を強張らせて立ち尽くしていたが、アストリットがまだ帰ろうとしない王弟の要件を済ましてしまおうと声をかける。

 「それで、討伐とか聞こえましたが、それは何んですか?」

 王弟は声をかけられて、何とか気持ちを持ち直したか、少々覇気のない声で話し始める。

 「あ、ああ・・・、ビュルシンク王国は知っているか?」

 アストリットは脳裏にこのハビエル王国の周辺の国々の位置を思い浮かべた。

 「・・・知っております」

 気を持ち直したか、少しだけ声を大きくした。

 「そのビュルシンク王国と我が国との国境に盗賊が蔓延っているらしい」

 アストリットは少しだけ考え込む。

 ビュルシンク王国はハビエル王国の北に面している。大陸の北東側の広大な領地を有していたが、大陸の北端は人が暮らすのに相当厳しく、人は住むことができていない。ビュルシンク王国はハビエル王国に近い南側に王都を置いている国だ。そして人は国境にへばりつく様に散らばり暮らしており、主要な産業は木材と皮革製品の輸出だと、思い出した。

 「・・・その盗賊を討伐したいとビュルシンク王国より申し出があったそうだ。・・・我が国の境にも入り込んでくる可能性があると考えられてな、・・・陛下が俺に経験を積ませようとされたのだろう、派遣される騎士団の副指令の一人として、従事するようにと命じられたのだ」

 なぜか誇らしげに王弟が話す。その王弟のどうだとも言いそうな態度に、ふむっとアストリットは考える。

 ・・・その盗賊団の規模がどうなのか、が問題だろう。・・・ベルゲングリューン家の領地は、国の北側に隣接するわけではないが、国境から遠いとも言えない。西側にある国境からの危険は、早急に排除すべきなことだったが、北側についてもさほど国境から距離があるわけではないため、このような盗賊の襲撃などの危険があれば、対処しておくべきかもしれない。

 身嗜みを整え終わった召使たちが潮が引くようにその場と衝立を片付け、一礼しながら部屋から出て行く。イレーネが部屋の壁際に置いてある侍女の待機時に使われる椅子に向けて下がると同時に、苦々し気な表情のアストリットの護衛騎士が入ってきた。

 アストリットがイレーネに向けて頷くと、イレーネは王弟を見てため息をつきながら、その椅子に座る。

 アストリットは、部屋のソファに腰かけたあと、王弟にも目の前に座るように促す。音もなく護衛騎士がアストリットの後ろに移動した。

 王弟はそのソファに深々と腰を下ろし、偉そうに反り返りながらアストリットに向けて言い放つ。

 「・・・そこでだ。何があるかわからん。魔女、お前も王族である俺を守るために、俺と討伐に行くんだ」

 アストリットは、首を振る。

 「・・・お断りします」

 「なぜだ!」

 怒鳴り声をあげる。

 「なぜと聞かれますか・・・。それが人に何かを頼むときの言葉ですか?」

 本当のところは家族のために討伐に行くのは問題はない。しかしそれを言うと一緒に来て守れとか言うことだろう。そのため、今回はこの王弟と離れて行動する方がよさそうだ。

 「俺は王族だ!言うことを聞け!」

 言うとおりにならないと、この王弟は大声で怒鳴る。

 この王弟はこの国に王族よりも地位のある者がいないために、その言葉を否定されることなく、言うとおりになると信じて疑わない。

 「そう言われるのなら、国王陛下から命じるようにお願いしてください。わたくしは国王の命がなければ、この王城から出ることは叶いませんので」

 アストリットの言葉に、王弟が黙りこくり、上目遣いに睨んできたが、そのまま見返していると睨み合いになって、最終的に王弟が目をそらし、ソファから立ち上がった。

 「後悔するぞ!」

 怒鳴り、そのままドアを開け、そのまま叩きつけるようにドアを閉める。足音も高く、廊下を歩き去っていった。

 遠ざかる足音を聞きながらアストリットが呟いた。

 「・・・後悔なぞ致しませんよ・・・どうなるのかわかりますし、ね」


 馬に跨った王弟リナレスが颯爽と騎士団の先頭に立ち、進んでいく。

 わあわあと沿道の王都民が、花弁を宙にまき散らして、進む王弟を誉めそやしていた。

 ただ、盗賊討伐の主役となる騎士団たちは、戦闘を進む王弟のその後ろに、げんなりとした表情で騎士たちが続いた。騎士団は当初こんな派手な演技は必要とせず、そのままひっそりと出立し、盗賊を急襲する意向だった。

 しかし国王が眉を顰めながら、何度もなされた自分の弟の提案を却下しきれなくなり、条件付きで了承したことにより、このような人気取りのパレードで出立することになってしまった。馬を駆けさせてビュルシンク王国との国境へとたどり着ければ、何とか急襲もできるだろうと、騎士団は渋々認めることになった。

 確かにキラキラした王弟リナレスが騎士団制服に身を包み、マントを翻しながら騎士団の先頭を進めば、王都民が湧きに湧くのは当然だっただろう。

 王家の求心にも一役買うのも理解できる。

 まあ、王都民が喜んでいたのだからと、国王は無理やり納得しようとしていた。

 魔女であるアストリットに自分自身を守らせようとする王弟のやり方には了承したくなかったが、結局王族は守られるべきだという意見に最後には了承を出してしまった。

 結局アストリットは嫌そうな表情をわざと作り、それを周囲に振りまきながら、騎士団の出発前にさっさとビュルシンク王国との国境に向かって出発していった。

 アストリットは、この話を承諾する条件として、魔女としての実力を隠すために、盗賊討伐を主に行うのは騎士団に任せること、アストリットは攻撃のみ行うことを国王に認めさせた。

 結局のところ、アストリットは王弟が到着する前にさっさと盗賊を討伐して、その帰りにベルゲングリューン家に滞在し、領地を巡ってみようと考えていた。

 『知らぬは、王弟ばかりと言うことでしょうかね』

 ぼそりと、王城に残る侍女であるイレーネに呟き、アストリットは馬車に乗って出かけて行ったのだが、事情を知らないイレーネは頷くこともできず、愛想笑いで答えるしかできなかった。

 イレーネは隣りにアストリットが居ないのにもかかわらず、上機嫌で馬に乗っている王弟リナレスを白けた目で見送り、そして早々に王城内に引込んだ。お義理で見送りをしたが、別に王弟を支える家の者でもない。アストリットが戻るまで、侍女として与えられた侍女用の部屋でアストリットの世話をする召使たちも含めて、のんびり過ごそうと足を速めた。

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