軍中の魔女


 やたらに金糸で飾り立てられた上着を着させられたアストリットが、専属の護衛騎士と共にひときわ大きな天幕に入っていくと、テーブルについていた者が各々顔を上げて無言で挨拶をして来た。アストリットはそれに無表情で挨拶を返す。

 アストリットは別のテーブルに用意されていた席に腰を下ろした。普通ならば、アストリットは戦の趨勢を左右する存在だが、頼りきりになるのは流石にまずいとでもいうつもりか、今回の迎撃戦では、軍隊に帯同して後方で待機することになった。

 前回、ヴァリラ連邦の敗残兵をアストリットが処理したことがどこからか漏れたらしかった。ヴァリラ連邦は旧王国の公爵家が四つ集まって出来上がった国で、四公爵家が国を統治している連邦制を取っている。その公爵家のどこかが、連邦兵士の敗走時の狼藉を棚に上げ、兵を殺されたことに頭にきて侵攻を声高に唱え、他の公爵家の巻き込み、軍隊を催したことが、今回の迎撃戦の始まりだった。軍部は最近の情勢を考え、密偵を放ち、周辺国の動きを監視していたため、迎撃態勢を取ることができた。それがなければ、今頃は王国領土内に入られて狼藉を許していただろう。


 さっと攻撃してしまえば良いのにと、今回の決定を面倒と思うアストリットだが、軍と敵対するのも得策ではないと考え、軍の上層部、特に軍務大臣と軋轢を避けるために言うことを聞けと国王に言われたためにそうすることにした。戦闘では後方で待機で良いと、国王に何度も念押しされている。ただ、アストリットが迎撃をすれば、相手は即逃げ帰ることになるはずだ。以前魔女としてアストリットが前に出た戦では、騎士団や近衛騎士団、伯爵私軍にほぼ何も行させなかった。

 最近馬ルナール帝国の動きに触発された周辺国の動きが活発化し、ドルイユ王国の例に漏れず、侵略される可能性が高まってきていると分析した軍部は、周辺国の状況把握に努めたが、同時に軍隊の士気、練度がいかなるものかがわからないことが問題視した。そこで今回のヴァリラ連邦軍迎撃戦で、圧倒的な力を持つアストリット不在時の戦の行く末を、もちろん迎撃失敗を考え、アストリットを後方に待機させるという布陣を取ることにして、確認したくなったらしい。

 ただ、合理的な思考をするアストリットは、今回のように精鋭と言われている軍が戦闘するのであれば、アストリットは、帯同することなしで良いのではないかと思っていた。

 ・・・軍隊について行って、何もしない工法にいるぐらいなら、王都で薬草について調べたほうが遥かに有意義だと思う。


 アストリットは、今後のことについて色々と画策しており、多忙だった。普段は王城でのんびり過ごしているかのように見せていたが、自分のようなベルナール帝国からの亡命貴族に内密に連絡を取り、返事をくれたものを侯爵の臣下とするなどの工作を行っていた。

 数週間前に、アストリットはビュルシンク王国との国境の盗賊討伐の帰りに、王家に黙って自分のものとなった領地をこっそり訪れ、義姉となったリーゼと、そのリーゼの護衛の任についたグレーテルと交流したのだが、そのときに領地内に色々な種の動物の使い魔を増やしていた。王城に戻る際に、その使い魔たちに命じ、領内を巡り産業のヒントとなるものを色々探させる命を出していた。

 その使い魔から送られてくる思考でアストリットが混乱することもあり、月に一度の国王からの命によって行われるあの王弟とのお茶会でも、容赦なく送られてくる映像に満足な応答もできす、王弟をまた怒らせることになった。

 ただ、雰囲気が悪くなった王弟との仲だったが、使い魔のおかげで、領内に今後の産業の元になるネタが増えていた。アストリットは、そのために余計な軍事行動などは本当はしたくなかった。今回のような後方任務などは時間の無駄だ。


 「・・・面倒なことこの上ないわね」

 そうアストリットが呟いたが、がやがやと他の者たちが騒ぎ立てているため、その言葉が男たちに届くことはなかった。

 アストリットが来てすぐに飽きたように、最初から待っている者たちのなかにも時間を持て余している者は多い。

 そうこうするうちに、天幕の入り口の幕を捲り上げて、走り込んできた煌びやかな鎧を身に着けた兵士が声を張り上げた。

 「王太子殿下の御なり!」

 その言葉に、アストリットを除いた者が全員素早く起立した。アストリットはと言うと、よっこらしょと掛け声でもしていそうな調子で、その重い腰を上げた。アストリットが立ち上がるのを見計らっていたかのように、ハビエル王国の王太子であるセリオ・ハビエルがゆっくりと入ってきた。遅いとでも言われそうなその歩みに、天幕内の軍人の幾人かが眉を顰めた。

 ・・・兵は神速を尊ぶ・・・だったかな。

 アストリットが古き時代の謂れを思い出して、この王子には危機感が薄いらしいと考えた。自分はのんびりゆっくりやってきて王太子の入室にも面倒な様子で立ち上がったのにもかかわらず、にだ。人は自分のことはいつも棚に上げるものらしい。

 ただ、いつ何時敵軍の襲撃があるかわからないと言えるために、この軍の最高司令官との立場の王太子がのんびりすることは、決して褒められたことではない。

 「・・・着席してくれ」

 王太子が上座についたのに合わせるかのように、軍務大臣エンシナル侯爵が声をかけ、集まっている者はザッと音が出そうに椅子に腰かけた。アストリットもまた、どっこいしょとでも掛け声をかけそうな調子で腰かける。ちらりとエンシナル侯爵はアストリットを肩越しに見たが、憮然とした表情を見せただけで、何も言うことはなくまた前を向いた。

 国王前との会議で、屈辱を味わったはずだが、それについて根に持つことはなかったらしい。いや、根に持っているが、意趣返しをするのはまたの機会とでもいうつもりなのだろう。

 軍務大臣が現在の状況について説明を始めた。対峙する相手国の軍の状況、それに対する自分たちの布陣。糧食の消費具合に、今後の輸送経過予想。攻撃の報告に、哨戒兵からの報告。近隣の集落の避難状況。

 アストリットは、アカデミア・カルデイロで貴族の持つべき知識として、軍事行動について学んでいた。今の軍事行動時の報告については大して面白いとは思わなかったが、その連絡が的確なのかどうかはよくわからない。内心これは、必要なことなのかと考え込みながら、軍務大臣の報告を聞いていると、何か視線を感じた。

 ちらりと王太子から視線が投げ掛けられたようだ。王太子の視線はすぐに軍務大臣に戻ったが、アストリットはその視線に気が付き、王太子を観察した。何か不満でも持っているのか、口の端が下がって、軽くへの字になっている。

 「・・・以上です」

 軍務大臣の報告が終わると同時に、王太子が話し始める。

 「・・・私にはよくわからないのだが、一つ質問をさせてもらえるだろうか」

 軍務大臣が咳払いをしてから答えた。

 「兵站については、短期決戦かどうかわからないため、通常よりも多く輸送をかけておりますが、それについてのご意見がおありなのでしょうか?」

 「いや、そう言うことではないのだが」

 王太子の視線がアストリットに流れる。

 「・・・?どういうことでしょうか?」

 軍務大臣のエルネスト侯爵は、王太子の視線に気が付いたようだ。その声音に不快という言葉が混じっているように思われた。

 「皆がどう考えているのかわからないのだが、ここに魔女殿がいるのだから、魔女殿に任せ、敵を蹴散らせばよいのではないか?」

 その王太子の言葉に、唖然となる出席者。

 ・・・わたくしが居ないときの軍の動きを見たいという話が伝わっていないとか、滑稽ですこと。

 アストリットは笑い出しそうになる自分を抑えた。

 「・・・殿下、今回の作戦では、国王陛下の意思の元に、我が国の騎士団と歩兵兵士の戦いを確認することになっております。陛下のお言葉をお忘れですか?」

 軍務大臣はやれやれというように首を振る。しかし王太子はその意味を分かっていないようだ。

 「・・・覚えている。・・・だが、魔女殿に攻撃してもらえれば、すぐに終わるのであろう?そのほうが効率が良いとは思わぬか?我が国の兵も死なずに済むしな」

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