帝国の急襲
その日、都市国家ハウトンは天気も良く、ゆらゆらと空気が揺らめいていた。
揺らめく空気の向こう側を見通そうとしても中々見透すことは難しかった。
気温は相当高く、人々は陽を避けるように、日陰を歩いたり、木陰に引込んでいたりした。さらに道を行くときには日陰を拠って歩く。
日差しは強く、人通りが少なくなった市場の露天商が、人が少なくなった通りで、まだ毎日の水準に満たない売り上げ金を回収しようとして、商品を並べて売っているのだが、町の通りに人は少なくなっていた。
ただし露店商たちはこのうだるような暑さの中、いつお客が来るかわからないために、ここから動くことはできない。暑さのために疲れて来た店主たちは、時折声を張り上げて呼び込みをしたが、誰も歩いていないため、疲れが増すように感じて呼び込みも途切れがちになってしまった。陽が傾かないと人は出てこないのではないかと、露天商たちは気をもみ始めた。
都市国家ハウトンは小山の頂上に領主の城を築いた城塞都市だ。高い城壁と広い水堀が町と外を隔て、この町は侵略の際に城壁を乗り越えることが難しく、難攻不落の都市だと言われていた。城壁と水堀のある町の外側には農地が広がり、農作物の豊かな実りは、都市国家の中では自給自足できる町とも言われている。
大陸の東海岸から西海岸へ行くためには、横断路とが三つ存在しているのだが、このハウトンの町はその横断路の一つの中継地となっていた。交通の要衝としても重要な地であるハウトンは都市国家としては多い守備兵たちに守られて安全なため、行き交う隊商の宿泊により裕福な町といわれていた。
東から西へ行く街道は、このハウトンの町を経由して西に至る大陸中央の一つ目の経路と、北から山越えをする二つ目の経路と、南の大陸の南端を海岸線と共に進む三つ目の経路となっていた。他に色々な経路は存在はするのだが、三本の経路は大道のため、人目が多く、安全性から選ぶ隊商が多い。
中でもこの中央道は、馬に負担を強いて山越えをしなければならない北道と、南の海岸線と共に長い距離を進まなくてはならない南道と比べ、負担が減るため選ばれることが多い。大陸の覇権を狙う国にとっては、この中央道は手に入れなければならない町だった。
城壁は昼間だと遮るものもなく、建物の影がある大通りの露店とは比べ物にならない陽の光に照らされ、相当暑い。さらに言えばこのハウトンという町は大陸の南に当たり、気温は比較的高いとされているために、守備兵にとっては立哨は辛い業務だった。
城壁には隠れるところもないため、暑さで着ている鎖帷子が汗に濡れ、勤務後は即錆びて立哨後の手入れをしなければならないと言うことも相まって、守備兵の間で立哨はさらに不人気な業務になっていた。しかし守備兵の城壁での立哨は、周期的に配置されるために、立哨業務から逃れることはできない。
ただ守備兵に比べると、その上官は板金鎧を身に着けているため、鎖帷子より暑くなる。蒸れて汗は滝のように流れた。夏の盛り時には汗をかきすぎて、気分が悪くなる場合もしばしば起きた。さらに言えば、汗で板金鎧はさびてしまうため、手入れに手間がかかると、上官たちにも夏の城壁立哨の監督は不評だった。
しかしながら、胸壁での立哨はこの町への襲撃を察知するのに欠かせない。守備兵たちはなんだかんだと不平を鳴らしながらも、手を抜いたことはなかった。
「・・・暑いな・・・」
思わず立哨する守備兵は漏らした。ちらりと空を仰ぐと、日差しがより強く感じられる。城主の館の屋根にとまる黒い影が、心なしかぐったりしているように感じて、黒い羽を持つ鳥は日差しを受けて暑く感じるのだろうかとふと考えた。
「まさかな、あり得ない」
自分の背丈程度の槍を持っていたが、手汗によって滑りやすくなっており、時折持つ手を変えて、手汗をサーコート風の、城主の紋章を染め抜いた上着に擦りつける。このように守備兵は上着の左右の似た場所がいつも黒くなる。きれいにしろと上官から怒鳴られることもあるが、そういう上官も手汗は防げない。腰の剣帯に吊るした手拭いで手汗や顔の汗を拭き取るために、手拭いが黒く汚れるのは毎日だった。
守備兵は槍を持っていない方の手で、顔の汗をふき取って、そのままその手を上着にこすりつけ、息を吐いた。耳の上までの深さの兜と、その下にクッションとしての頭巾をかぶっている。そのためその中は風が抜けなくなってしまい、頭も厚くなる。襟足やこめかみには汗がひっきりなしに流れ落ち、時折汗は目まで流れてしみることがある。
「・・・ん・・・?」
ふと、地平線になにか煙を見たように思った。一瞬、頭を振り、見間違いだろと、自分に言い聞かせる。
「・・・まさかな・・・」
また汗が目に入って、見間違えたか。
そう考えて再度手で顔を拭き、ちらりと手を見るために、視線を落とす。
・・・濡れてないな・・・。
それを確認し、顔を上げる。見間違いと思ったものが、目を引き付けた。
土煙が上がっていた。
守備兵の心臓がドクンとはねた。
目を凝らし、その土煙を見つめる。土煙の中に何かキラリと金属に陽の光が反射した。
陽の光が目に眩しく感じて、手を額にかざして、再度目を凝らす。
濛々と土煙が上がって居ることが確認できた。その中に、陽の光に銀色が反射する。馬に棒を持った人間が乗って、こちらにめざし疾走してきていた。その数が見る間に増える。細長い棒かと思ったものは、近付くとともに抜き身の剣と知れた。
あ、あれは・・・。
「て、敵襲ーーーーー」
立哨が大声を上げた。
「放て!」
緊迫した命が飛ぶ。
城壁に取り付いた兵が矢を受け、水堀にと落ちていく。水が撥ね、大きな音がしたが、誰もそれを確認する暇はない。城壁の狭間から身体を晒しながら下に向けて矢を射る兵や石を落とす兵たちに向け、矢が殺到し、守備兵がハリネズミになり、その場に崩れ落ちた。
ハウトンの城塞都市は、城門の落とし格子を落としていたが、そちらには兵が取り付くことはせず、丸太を抱えた兵が突進して、丸太を打ち付けている。水堀には簡易の板を渡し、兵が次々と渡って城壁に取りついている。兵が殺到し、城壁に何台も梯子がかけられた。梯子を上る兵に熱湯や熱い油が上から流されて、兵が落ちていく。
防衛をする守備兵に向けて矢が射かけられ、戦える守備兵が見る見る減っていく。城壁に躍り出た敵兵が、槍に突き刺されてその場に倒れる。しかし、そのまま城壁上に立つ敵兵が増え、城壁は早々に落ちた。
城門も何度も叩き付けられる丸太に程なくして役目を放棄する。壊れた門の隙間から兵士が城壁の中に踊りこむと、獲物を手に興奮のあまり暴れまわる。守備兵はそれに何とか対したが、勢いが違い、押し込まれ始めた。守備兵の先頭に立っていた板金鎧の上官が槍を何本も突き込まれて倒されると、浮足立った守備兵の一角が崩れ、背中を見せて逃走を図った。その後ろ姿に槍が突き込まれる。組織的に対処する守備兵の集団には、矢が射込まれ、一人ひとり倒されて行くことになってしまった。
「・・・案外、時間がかかったな」
華美な装飾の入った胸甲を着こみ、腰に長い剣を吊るした男が、ため息交じりに隣に立つ装飾がほとんどない胸甲を着た男に話しかける。
「はい、ですが想定よりも数日かかったのみで堕とせたので、この策は他の城塞都市にも応用できるのではないかと思われます」
「・・・堅苦しいな、卿は。私のはただの感想だが」
「・・・失礼いたしました」
無表情のまま、一礼する。
不機嫌そうに見返してはいたが、やがて顔を背け、怪我を治療されることもなく、後ろ手に縛られた男にと、視線を変える。
「・・・さてと、できるだけ人を殺したくないのだが、あの城主は申し入れを受け入れるだろうかな」
呟きと言われてもそうとれる音量ではあったが、副官は律義に返す。
「城主は受け入れざるを得ないと思います」
副官の言葉に対し、指揮官の男はただ、淡々と言った。
「・・・受け入れなければ、殺すだけだ。・・・賢明な判断をしてほしいものだな」
指揮官の男は、一瞬だけ通り過ぎた影に、空を振り仰いだ。
黒い翼が羽搏きながら西の方角に飛び去って行くのを見て眉を顰めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます