天使と悪魔その2


 アストリットが中から出てくると、兵たちが驚いた。

 「な、なんだ、てめえ!」

 「どこから出てきた!」

 「村のもんか!」

 腰の剣や槍を手にアストリットに詰め寄ろうとするが、詰め寄ろうとしてもある距離まで近付くと身体が硬直して、動けなくなる。

 騒ぎが大きくなり、何があったかと兵たちが殺到してくる。その兵士たちは皆、動けない兵士の身体の脇から覗き込み、口々に騒いでいる。どけとか、何してやがるとか口々に怒鳴って武器を意図せずに振り回し、殺到した他の兵を軽くではあるが傷つけあっていた。

 「・・・集まりましたか?」

 いきり立つ兵士たちが、アストリットに近づこうとして人だかりとなっている。何かおかしいと感じた詰めかけた兵士たちは、次第に静かになり、睨みつけるだけとなった。

 静かになった兵士たちを見回した後、アストリットがくすりと笑い、手を頭上に差し上げた。

 一筋の光が地上に差し込む。その光はアストリットを照らし出した。

 ふわふわと天から白い羽毛が地上に降り注ぐ。キラキラと光が白い羽毛に反射して輝く様は、兵士たちの視線を引いた。

 その光の中に立つアストリットの上に、白い影が浮かび上がった。最初はぼんやりと見えていた白い影は、やがて鮮明になっていき、光が瞬くと、アストリットの前に白い翼が現れた。光の中に現れた白い翼は人影に変わっていき、そして白い影は白い翼を背中に生やした天使の姿になった。白い布を体に巻き付け、金色の髪に均整の取れた身体、金色に輝く瞳でアストリットを見つめる。周りを取り囲む兵士は現れた奇跡に声も出せずに、その姿に見呆けていた。

 アストリットはそんな天使の姿にかまうこともなく、そのまま手を下に振り落とす。

 地面に丸い輪が幾重にも浮かび上がった。空が黒くなり、昼間なのに辺りが暗くなっていく。

 輪が浮かび上がったあと、今度は金色の線が地を這うようにして繋がり、その線がそのまま輝き始めた。

 地面から強風が吹き上がり、詰めかけた兵士たちを薙ぎ倒す。

 その間にも丸い輪はさらに何本も浮かび上がり、金色の線は繋がり続ける。

 キィーンという金属質な癇に障る音が耳に聞こえ出し、金色の線がひときわ大きく輝くと、それは魔法陣になっていた。

 いよいよ風は強くなり、轟々と音を立てて吹き付けていた。そんな中、ぴしっと何かが裂ける音が響き渡り、魔法陣上の空間が歪んだ。裂けるような音はさらに響き、空間が裂け始め、裂けた空間の向こう側が視線上に入ってくる。見まいとしても、視線はそれに引き寄せられていった。

 アストリットの前に立っていた天使は、いつの間にかアストリットの後ろに退いていた。不思議なことに強風はアストリットに吹き付けることはなく、吹き付けたとしても髪を揺らす程度になっていた。

 空間はさらに裂け、裂けた空間の向こう側に黒く見通せない深淵のような闇が存在していた。ピシピシと言う音が途切れることなく響き、大きくなる裂けめの向こうに何かが現れた。ぼんやりとした影が存在感を取り戻すと、翼の生えた犬がそこに居た。

 ガウッと吠えた犬は、アストリットの後ろにいる天使を睨みつけながら、足を踏み鳴らす。

 ”我を呼んだものはそなたか”

 言葉がアストリットの頭の中に響き渡る。

 「・・・そうだ、悪魔よ」

 アストリットが頷くと、翼の生えた犬はアストリット目掛け飛び掛かろうとしたが、見えない壁に阻まれて、ぶつかる。さも悔しそうに、低く唸り、目を天使に向け、忌々しいものを見るかのように、牙を咬み鳴らす。

 ”お前か、天使よ”

 ”・・・違う、この者の力だ・・・”

 天使の声が響き渡り、翼の生えた犬は忌々し気に吠えた。

 ”・・・この陣さえなければ、引き裂いてやれるのだがな・・・忌々しい限りだ・・・”

 「我の言葉を聞け、悪魔よ・・・そなたに供物を持ってきた・・・我の周りの空け者どもを、そなたに差し上げよう・・・我が守護するものを除き、すべて持って行け・・・」

 アストリットの言葉が木霊する。

 ”供物だと・・・良い心がけだな・・・気に入ったぞ・・・小娘・・・有難く頂戴しよう・・・感謝するぞ・・・”

 翼の生えた犬がくつくつと身体を震わせて笑い、アストリットの周りで藻掻いている兵士を眺め、舌舐めづりした。グワンと空気が弾け、藻掻いていた兵士たちが全員恐ろしい叫び声をあげる。血を噴き上げ、ぼろ布のように身体が切り刻まれて、倒れ伏す。

 ”・・・ああ、良いな・・・人の死ぬ時の叫びは・・・良かろう・・・一度だけ・・・そなたの願いをきいてやろう・・・”

 身体を震わせ、楽しそうに笑う。

 「有難い申し出を。感謝する」

 ”くっ、くっ、くっ・・・良い気持ちだ・・・”

 すうーっと、犬の影が薄くなり、地に溶け込むように消えた。

 それと同時に天使も天に登りながら消えていく。

 ”そなた・・・私の守護など・・・いらなかったであろうに・・・用心深いことだ・・・”

 「天使様、あなたにもいつか願うでしょう。その時は叶えて下さい」

 ”そうか、そうしよう・・・では、また会おう・・・”

 黒い雲の間から差していた光が細くなり、消える。魔法陣の輝きが失せ、風が止んでいった。黒い雲が薄くなり光が戻ってくる。

 アストリットが息をついた。

 「・・・うまく行ったようですね・・・」

 肩に止まったままだったアデリナが身体を伸ばし、ぐるりと周りを見渡し、それにつられてアストリットも倒れ伏した兵士を見回した。

 「国王も今回は腰が悪くなった兵などいらないと言っていたし、何とかうまく言いくるめないといけないのかしらね」

 アストリットの呟きに、肯定するかのようにアデリナが羽搏いた。


 近衛騎士団団長のブルゴス伯爵は、村の中に入っていった。多分領主の行政官が駐留する時に止まる屋敷は、村人が暮らす家とは違い規模が大きい館風の建物で、行政官が駐留時に部下を引き連れて泊まるため、村のシンボル的な建物であり、部屋数も多く、広い。

 近付くにつれて、地に伏した兵士の死体を目に止め、顔を顰めてしまった。

 魔女が馬車から消えたと報告を受けた後、多分魔女は村に向かったのだろうと思った。

 国王からは、魔女の行動を制限するなとは言われていた。しかし団長は魔女を信用できず、騎士を護衛だと言って傍につければ行動自体の監視になると考えていたのだが、護衛兼監視者としてつけた騎士は、途中で眠らされて、後について何をするつもりなのかわからなくなってしまった。

 近衛騎士を村を包囲するように展開させようとしていた時に、辺り一帯が黒い雲に覆われはじめるところを目撃した。団長はすぐさま村に向かうことにした。

 村の入り口に歩哨として立っていたと思われる武装した兵士は村を外と内を分ける塀の内側に倒れ、死亡してしていた。その顔は恐怖に引きつったままだった。

 カサリとも音がしない静寂の中、騎士の鎧の音が響き渡る。村の中心地に立つ、領主の代理が駐留時に使う館の前に魔女が立っていた。その周りには恐怖に顔を歪めたままの兵士が手に手に武器を持ちながら、折り重なって倒れ伏していた。

 魔女は倒れ伏すヴァリラ連邦兵士の真ん中に立っていた。

 「ここで何があったのですか?この一団は、あなたが?」

 倒したのかと言おうとして、団長は口籠る。

 「・・・村の女性に不埒なことをしたのですから、自業自得でしょう?」

 その微笑む顔をまじまじと見て、団長は呆然とした。国王に命じられた時は、魔女の力について半信半疑だったが、倒れ伏す兵を見て、魔女の力は本物だと感じた。怒らせないほうがよいと、辺境の領地のガエル・センベレ伯爵が報告していたが、今ようやくそれを理解した。

 国王は魔女の力を認めて、この王国に魔女を縛り付けようと親父の爵位を二つも上げたり、王弟と婚約させたりとしていたが、団長自身は、そこまでするようなことなのか、命じるだけ良いのではないかと思っていた。しかし、その力を目の当たりにして、団長は国王が魔女の力を高く買っていることを、ここでようやく理解した。

 「・・・そうそう、この館の中に、将校らしい方が横になっております。あと、女の方が着物もないまま一塊になっていますし、地下の倉庫に村の方が閉じ込められておりますので、救い出して差し上げて下さいますか。幼子もいるようですし」

 魔女が団長にそう伝えてきたため、団長は後ろに控える騎士に力なく顎をしゃくった。

 「聞こえたか?・・・女性が身につける布を探して持ってきてくれ。それに、そこの館の中を捜索し、生きている村人を保護してくれ」

 「わかりました」

 その騎士が数名連れて去ると、残りの騎士に目をやり、伝える。

 「後の者は、離れたところに、このヴァリラ連邦の愚連隊どもを埋める穴を掘っておいてくれ」

 「・・・その通りに致します」

 一瞬だけ、騎士たちの間に嫌だという表情が浮かぶ。しかし、すぐにその表情を消し、騎士礼をした後、がしゃがしゃと音を立てながら騎士たちが散っていく。

 「ご配慮、ありがとう存じます、団長様」

 魔女の言葉になぜか怒りが湧き、団長が咎める口調で言った。なぜこんなに落ち着いておられるんだ。命を奪うことに抵抗はないのか。

 「・・・命まで取らなくても良かったのではありませんか?」

 魔女は団長の言葉にコテリっと首を傾げる。

 「・・・国王陛下は、捕虜はいらないと言われておりました。なので、今回は捕らえない事にしましたのですが、何か不都合でもありましたか?」

 どうやら魔女は何も感じないらしい。何か乗り移っているのではないかと、うすら寒い思いを覚えた。その思いを何とか首を振り振り切る。

 「そうでしたね、申し訳ありませんでした」

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