天使と悪魔


 「・・・魔女殿、もうすぐです」

 アストリットの前に座る鎧姿の男性が、馬車の外を見て、そう言った。

 鎧姿の男はハビエル王国近衛騎士団団長ブルゴス伯爵。アストリットの監視兼護衛として命じられてついてきた。

 アストリットは内心来なくても良いのに・・・、とそう思ったが、アストリットには同行を拒否する権利はない。近衛騎士団団長は王命でついてきているだけだった為に、仕方なしに認めるしかなかった。

 ・・・この方が居なければ、移動の方法を試すことができたのに。

 アストリットは今回、二つ試そうと思っていたことがあった。一つは召喚、そしてもう一つは瞬間移動。

 肩の上がかさりと身じろぎした。横目で見ると、二つの目が見てきた。手を伸ばし、反射的に首のあたりを撫でつける。

 「先程から見ておりましたが、大人しいものですね」

 肩に止まったまま、何時間も身動きしなかったが、ついに我慢しきれなくなったか、身じろぎしたようだ。

 「名はございますので?」

 「・・・この子はアデリナと申します」

 「・・・そのフクロウは噂に聞く使い魔と言うものなのですか?」

 「わたくしは友人と思っておりますが、傍から見れば使い魔と言えるかもしれません」

 暗に使い魔と言う言葉を使うなとアストリットが伝える。

 「・・・フクロウがご友人ですか。・・・魔女殿は変わっておられます」

 アデリナがくるりと、団長を見た。アデリナの尖る視線を受け、団長が眉を顰める。息が細くなり、身体に力が込められ、気が張り詰めた。

 やれやれとアストリットはため息を付き、アデリナの羽毛を撫でる。

 「・・・お止めなさい、アデリナ。・・・あなたが怒ることなどないのですよ」

 アデリナが視線を外したようで、緊張が溶けた団長が息を継ぐ。

 「・・・わたくしの代わりに怒ってくれる友人なのですよ、団長様。ですから、言葉に気をつけて下さい」

 アストリットの言葉に、団長が探るような視線でアデリナを見た。

 「ああ、疑っておられますか?・・・アデリナは、わたくしの部屋の前でわたくしを傷つけようとした侍女とどこかの子息を爪で追い払ってくれたのです。

 ・・・子息は片目が見えなくなり、侍女は頬を抉られて、中が見えるようになってしまって。・・・一応警告はしていたのですが、聞き入れなかったようで」

 アストリットがゆっくりと馬車の振動に合わせて、そう告げる。

 団長の視線が、アストリットの言葉を聞いて、バッと音がするようにアデリナに向けられる。

 アデリナはもう団長に興味はないというように、窓の外を見ている。

 「侍女と子息には気の毒なことをしました」

 アストリットがそう言って笑う。

 「聞いたことがあります・・・。朝、王城が騒いだことがありましたね・・・」

 そう普段王城に詰めている団長が呟くように言った後、唐突に馬車が止まった。

 「どうした?」

 さすがに武人で、すぐに態勢を立て直し、馬車の扉を小さく開けて外に尋ねた。

 「・・・騎士が一人、近付いてきております」

 御者台に座る護衛の騎士がすぐに御者台から降りながら団長の問いに答えた。

 「そうか」

 やがて馬の蹄の音が近付き、手綱が引かれたのか、息を乱して馬が脚を止めた。苛立たし気に馬が脚を踏み鳴らし、馬具がカチャカチャと音を立てた。

 「報告せよ」

 団長の体が前に立っているために外は見えないが、どうやら斥候役の騎士が戻って来たらしく、落ち着いた声が、団長の命に応じて答えた。

 「報告のあった村を発見いたしました。ここから約一ミロのところに数十の建物が見えました」

 「中は?ヴァリラ兵は?」

 「北東の方角に小高い丘、南西に谷がありまして、我々はそのどちらへも隠れるようにして確認しましたが、少々遠く、細部はわかりません。建物は破壊されておりませんでした。兵士は村の外側に野営しているようでした。高級将校の姿は見えませんでしたが、どうやら村の中にいたからのようです。村人の姿は見当たりません。どこかに監禁されているか、誠に遺憾ですが、殺されてしまったか」

 団長は報告を聞き、暫く考えている。

 「団長様、攻撃などは考えないでもらえますか?出発前に同意した通りに配置をお願いします」

 アストリットがそう声をかける。ここで攻撃などされれば、わたくしでは対処できなくなるのですけれど。

 しかし、団長はアストリットの言葉に答えなかった。気がかりなことがある様に、まだ考えている。

 「魔女殿、私は戦闘の準備をします。一度ここでお別れします」

 そして唐突に振り返ると、団長はそう言い、扉を開け、慌ただしく馬車を降りて行った。

 アストリットは、アデリナを肩に止めらせたまま、ゆっくりと馬車から降りる。御者台に居た騎士が扉の傍に立っており、手を差し出してくれる。それに手を添えて降りることができた。

 「申し訳ございません。団長はあることに気を取られますと、エスコートなど忘れてしまうので」

 騎士がアストリットが地に降り立ってから、頭を下げ、謝ってくる。

 「・・・そのようなことは問題ではありません。・・・近衛騎士団は、同意を守るつもりはないのでしょうか。・・・命を落としても知りませんよ・・・」

 アストリットの憂い顔に騎士が目を見張る。しかしアストリットはそのような騎士を無視し、そのまま村に向け歩き出した。後ろから、騎士が板金鎧をがしゃがしゃと音をさせながらついてくる。

 アストリットはその音に足を止めて振り返った。

 「少し、静かにしていただけません?その音で気づかれてしまいます」

 「・・・はあ・・・しかし、私は騎士ですので、これが制服のようなものになります。脱ぐことはできません」

 「・・・わかりました。そういうことなら・・・」

 アストリットが軽く頷くと、騎士がガチャンと板金鎧の音をさせて、その場に崩れ落ちた。

 「寝ていなさい、そこで」

 アデリナが首を伸ばすようにしながら、横たわった騎士の姿を見ている。

 アストリットが手を伸ばし、その背中を撫でる。

 「気にいらないからと言って、攻撃してはいけませんよ、アデリナ。そのようなことをすると、あなたを害しようとしますから。・・・人は勝手ですよね」

 アデリナが伸ばした首をそのままに、アストリットが踵を返して、見え始めた建物の方へと進む。アデリナはというと、横たわった騎士から視線を外さずに、頭だけ後ろを向いて見たままでいた。


 数刻後、アストリットは村の中に立ち入っていた。そこかしこに兵士が立っていたが、兵士はアストリットの姿を視界に入れていながら、まるで見えていないように視線を外す。

 「・・・この力はなかなか面白いものですね」

 アストリットの呟きに、アデリナが羽搏きして肯定する。

 アストリットは村を見回した。村の中を歩きながら、アストリットが村の中心にたどり着いたところ、兵士が屯する場所を見つけた。どうやらこれは領主の行政官が駐留する建物らしい。行政官が駐留していたなら、今は逃げ出してとどまってはいなかっただろうと思われた。

 「・・・ここが村の人たちが押し込められた場所かしらね」

 アストリットがゲラゲラ笑っている兵士たちを避けて中に入っていく。

 入った玄関部分にどうやら将校と思われる人物が、服を乱して立っている。暗がりの中に、一塊の女の人たちが裸に剥かれた状況で身体を竦ませて震えている。

 「・・・やってくれましたわね」

 アストリットの怒りが膨れ上がる。アストリットは貴族の娘として、貴族は民草は守るものだと教えられて育った。そのため、民が酷い目にあわされていると考えた途端、怒りで目の前が暗くなった。

 「アデリナ、動いちゃ駄目よ」

 押し殺した声のアストリットに、羽搏こうとしていたアデリナが羽搏きを止める。

 「あれは、わたくしの獲物だから」

 将校の前に滑るように移動し、ガッと首の手前で首を掴むような態勢をとり、そのまま持ち上げるように手を頭の上に差し上げた。将校の体が持ち上げられた。

 「お前、この方たちに何をした」

 突然目の前に現れた貴族の娘に驚いた男だったが、力自慢の男が非力に見える娘が自分の首を掴んで持ち上げていることに驚き、さらには首が絞められて息が苦しくなっていることにも驚いて、必死に首のあたりを掻き毟った。

 「・・・な、に、も・・・なに、も・・・して、いな、い・・・」

 「嘘をつくな」

 「・・・う、うそ、じゃ、な、い・・・」

 「そのはだけた格好は何?」

 「う・・・」

 アストリットは、差し上げた手を下ろす。将校が床に転がった。咳き込みながら、喉に手をやろうとして、身体が突然硬直して動かなくなる。

 「お前だけは生かしておいてあげるわ」

 一塊になって震えていた女の人たちが将校が何をされたかとわからずに、がくがく震えながら目を白黒させる中、急に目が虚ろになり、全員が倒れこんだ。

 「代わりに着させてあげられるものがなくて、申し訳ありません」

 アストリットがその女の人たちに向けて頭を下げるが、振り向いて将校を見たときの顔は無表情で、将校は恐怖を感じたはずだが、身体が硬直しており身体をびくつかせることもできない。

 「お前はそのまま残りの者がどうなるか見ているが良い」

 アストリットがちらりと床に転がる将校を見下ろし、そして扉を開けて外に出た。

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