婚約発表とパーティ


 話は王弟であるリナレス・ハビエルと顔見世をした日に遡る。夜の帳が落ちる時間近くになってから、急遽婚約を宣言すると国王から言われ、王城に残ることになった。

 王城に高位貴族とベルゲングリューン家の家族が集められ、謁見する場合に使っている広間に居並ぶ。王城の侍女たちに丁寧に化粧され、ドレスを着させられた時間が長く、呼ばれて広間に入ったときには、家族は王城にやってきていた。家族は広間に立って心配そうにアストリットを見つめていた。

 アストリットは無表情で国王の背中を見ながら立っている。国王が何か長々と演説をしていたが、聞く気もなかったアストリットは、ぼんやりとしながら立ち尽くしていた。化粧とか長時間色々とあって、少々疲れていたのは事実だった。

 「・・・ここに魔女アストリット・ベルゲングリューン令嬢と、我が末弟リナレス・ ハビエルを娶せ、魔女アストリット・ベルゲングリューンを我がハビエル王国の王族とする」

 足音が近づいてくることに気が付いたアストリットは顔を上げた。眉を寄せた王弟リナレスが近付いてきていた。国王が振り返って、アストリットをじっと見ており、アストリットは片手をあげて、差し出す。不機嫌な表情はそのままに、礼を尽くすために差し出したアストリットの手を跪いて受けた王弟リナレスは、その手を取ったまま立ち上がる。

 エスコートのつもりなのだろうか、王弟リナレスはアストリットの差し出した手を掴み、そのまま自分側に引っ張った。力を込めて引っ張られたアストリットはよろける。

 ・・・こいつ・・・。アストリットの眉が顰められた。

 「痛い!・・・止めて!引っ張らないで!」

 わざと、声をあげれば、国王と王妃、そして王太子、高位貴族たちが騒めいた。アストリットの父は顔面蒼白になったが、怒りの形相になった母と兄の動きに気づいて身振りで止める。

 「・・・ひ、引っ張ったわけではない!ぼんやりして居たみたいだから、気が付かせるために力を入れただけだ」

 「やめよ!女性を手荒く扱ってはならん!・・・リナレス、そなたの婚約者は、魔女殿だ。百年近く現れなかった魔女だぞ!このハビエルに恩寵をもたらす存在なのだ!そのものを軽く扱うなど、もう少し考えよ」

 腐っても国王、動揺も見せずに、低い声で、弟を叱責する。王弟は力なくアストリットの手を離した。

 アストリットが薄く笑った。・・・これで貴族にはわたくしたちはお互いをよく思っていないとわかったでしょう。


 中庭には、色とりどりのドレスが華開いていた。

 婚約発表から数日が過ぎ、勝利記念パーティが開催されていた。日差しの差し込む会場の王城の中庭には、招待された貴族が思い思いに談笑をしている。

 魔女の兄であるヒルデブレヒト・ベルゲングリューンは、明らかに不機嫌な妹を見てため息をついた。近寄って声をかけたかったが、今日はリーゼ・ヒンデミット伯爵令嬢のエスコートを妹から言われて承諾しており、さらに妹に、傍から絶対離れるなと厳命されていた。そのために今楽しそうにしているリーゼの元から離れるわけにはいかない。

 アストリットの兄であるヒルデブレヒトは、主筋であるリーゼに対し、護衛対象としか認識してはおらず、リーゼの視線にも反応はしていない。ただ、もう一人傍にいるグレーテル・シュライヒ子爵令嬢は、リーゼの周囲に気を配って、近付こうとするハビエル王国の貴族令息たちには敵意を放って退け、飲み物に何か仕掛けられていないかを空のグラス注いで試飲することで確認し、軽食に関しても端をちぎり取って口に入れるなどしている様に、これは存外やると考えていた。ヒルデブレヒトの行動は度が過ぎていたと言われれば、それなのだが、リーゼがそのことを嫌がっていないどころか、歓迎しているようにも見えた。・・・これは盲点だったと、自らの迂闊さを呪うグレーテルだった。

 ・・・リットの兄様、ですか・・・。これは姫様に相応しいのかも、ね。そういえば、リットの兄様はリットと年子だし、よく一緒に遊びましたわね。それにもうすぐ侯爵ご子息となるのだし・・・、なんせ姫様が嫌がってないのが、高得点かも。顔もまあまあですしね。

 ちらりと、少し離れたところにいるリーゼの父親、ケヴィン・ヒンデミット伯爵に視線を向ける。

 ヒンデミット伯爵は嬉しそうにしている娘の姿に虚を突かれたような表情で、美麗な容貌が崩れていた。グレーテルが興味深く見ていると、やがて決心したかのように伯爵は近くにいたベルゲングリューン子爵の傍に行き、何やら話し始めた。慌てふためく子爵がやがて放心し、そしてついに頷く。

 ・・・あらあら、ひょっとすると、リットの兄様が婿入りするかもしれませんね。

 今後を想像してくすくすと笑い始めると、グレーテルのエスコートをしていた婚約者のフレーゲ男爵の次男エトヴィンが不審そうに声をかけてきた。

 「何か良いことでもあったのかい?」

 案外剣の腕も良い軍の将校でもある婚約者が尋ねてくる。王都に駐屯する騎兵隊の隊長で、非番の日にはグレーテルとよく剣の訓練をする婚約者は、グレーテルが見ている先を確認してから、含み笑いをする。

 「・・・ようやく姫様の嫁ぎ先も決まりそうだな。・・・それにしても魔女となったアストリットの兄貴か・・・、番狂わせだな」

 「・・・賭けでもしていたということ?」

 「・・・してた。皆、違うところに賭けてたな。いや、二人もヒルデブレヒトに賭けてた奴がいたな。あいつら、ぼろ儲けだわ」

 「沢山賭けた?」

 「・・・いや、五十サン程度だよ」

 一サンは王都での居酒屋での飲み水の値段だ。十サンでパン一切れ、百サンで蒸留酒一杯で、五十サンは麦酒一杯の値段になる。千サンは一サント、百サントは一サントル、そして千サントルで一サンテとなる。これ以上は一万サンテが一サンテルだが、大貴族でも一サンテルは滅多にお目にかかれない額だった。一サンは小銅貨、一サントは大銅貨、一サントルは銀貨、一サンテは金貨。一サンテルは大金貨で、これは身に着けて持ち運ぶことは稀だった。庶民は一年を百サンテで暮らせる。

 「・・・結局負けるのに、懲りないですね、皆さん」

 婚約者を含めてグレーテルは皆と言ったのだが、エトヴィンは笑った。

 「あいつらにとっては娯楽だからな、賭け事は」

 どうやら自分はあいつらとやらには入らなさそうである。

 そんな婚約者のお頭の出来に、グレーテルは楽しそうに笑った。


 アストリットは楽しそうに笑うグレーテルに視線を合わせ、ため息を隣に気が付かれないように吐いた。嬉しそうなリーゼの姿に目を細め、自分の兄が完璧に振舞って居ることに満足をしていたのだが、いかんせん、隣に立つ男が一々癇に障ってくる。どうやら自分にまったく興味がないアストリットに腹を立てているようだ。

 年頃の娘がいる貴族はどうやら王弟に取り入る機会ができたとばかりに、王弟を落とせと命じられたのだろう、婚約者と命じられたアストリットの姿を目の端に捕らえていても、見染められようとする令嬢たちに王弟は言い寄られている。腕を取られ、胸を押し付けるようにされた王弟は、鼻の下を伸ばしているが、アストリットはその王弟のだらしない姿を見なかったことにする。

 パーティの前に国王からの使いで、王弟をエスコートに送ると言われ、嫌だとも言えずに仕方なく承諾したアストリットだったが、当日馬車から降りた王弟の妙な格好のつけ方にイラっときてしまい、差し出された手を掴んで乗り込み、シートに座る。挨拶代わりに今日の装いを褒めたのだが、王弟は不機嫌さを隠そうともせず、言い出した。

 『・・・何だ、その恰好は。この俺の隣に立つには相応しくない。もっと煌びやかなものはなかったのか』

 確かに、大した催しもないだろうと思っていたアストリットなので、ドレスも気合の入った物は着ていなかった。

 『煌びやかなものとはどういうものですか?』

 『仮にも、現国王陛下の弟である俺との婚約発表後初めてのパーティなのだぞ!もっと目を引く様な物を着るのが、婚約者たるものの役目だ!』

 何やら、キラキラしたドレスを着てこいとの話のようである。急にばかばかしくなったアストリットは、言い返した。

 『そのような服は持っておりませんので、殿下が送って下さいますか?そうしたらそれを着て参りましょう』

 ドレスを婚約者のために仕立てるという男性もいると聞くが、この王子はそういうことをしてこなかった。そっちの好みなんか知らないのに、好みに合ったドレスなど着られるわけがない。

 『仕立て屋に向かって!』

 『は、はい?し、仕立て屋ですか?』

 馬車の御者席に乗り合わせている王弟の従者の当惑した声が返ってくる。

 『止めろ!行かんでいい!』

 『・・・時間もありませんし、魔女殿、このまま王城へ向かいます』

 『ドレスのことをこの殿下に言われたのです!この服では不服らしいのです!ですので仕立て屋でドレスを変えたく思います!』

 『・・・』

 馬車が止まり、馬車の扉を開けて侍従が中を覗き込み、ため息をついた。

 『殿下。・・・問題を起こさないでください。魔女殿の装いは別に悪くないではありませんか。パーティドレスを着ていただいているのに、どこが気に食わないのですか?』

 『煌びやかではない!王弟たる俺にはこのような服は相応しくないからだ!』

 『・・・殿下、そう言われるなら、なぜ魔女殿にドレスをお送りにならなかったのですか?』

 『う・・・』

 『殿下の好みも知りようがないのに、いちゃもんをつけるなど、どこまで魔女殿を軽く見ているのです?』

 『・・・』

 『・・・魔女殿、このように黙らせましたので、このまま王城に向かいます。・・・ちなみにわたくしはそのドレスは、中々良いものだと思います』

 『・・・有難う』

 ばたんと扉が閉まり、侍従が御者席に上ると、馬車が動き始めた。

 王城につくまで、中の二人はお互いに会話をすることなかった。王弟はアストリットを憎々しく睨み付けていた。アストリットはアストリットで王弟を見ることもなく無視し、流れゆく窓から外を見ていた。


 相変わらず見目麗しい女性たちに囲まれた王弟の鼻の下の伸びたさまを見て、アストリットは会話をする気にもなれず、王弟から離れる。婚約は家族と友人を人質に取られたようなものだったから仕方なしに受けたが、いつかこの国から逃げる時が来たら清々したとなるでしょうね。

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