二回目の侵攻

 アストリットは伯爵邸の伯爵の執務室に通された。突然前触れもなく訪問したにもかかわらず、伯爵ガエル・センベレの答えはすぐに会うとのことだった。相当気に入られたらしい、とアストリットは思った。

 執務室に入ると、もうすでに部屋の中央に伯爵が笑顔で立ち、歩み寄ってきた。そのまま手を取り、握りしめる。部屋にはもう一人、伯爵の侍従の頭に当たる人物が少しだけ離れたところに、こちらも笑みを見せて立っていた。

 「ベルゲングリューン子爵令嬢、久しぶりだね」

 アストリットは意外な歓待に内心戸惑いながらも、無表情な性質のせいか、戸惑う素振りさえ見せず笑顔で答えた。

 「お久しぶりです、伯爵様。前触れもなく訪れましたのに、会っていただけてうれしいです」

 「いや、令嬢ならいつでも会おうと思っている。それだけの恩恵をこの地にもたらせてくれたのだから」

 伯爵の笑顔を見ながら、アストリットはこのように喜んでいるどのように伝えようかとしばし思案した。しかし、そのアストリットの思案は杞憂に終わる。伯爵はアストリットがわざわざ来たことに何か思うところがあったのだろうと思われた。

 「それで、令嬢はなぜ、今ここに?」

 アストリットはその言葉に笑みを漏らしたが、これから伝えることは伯爵にとって笑い事ではない。不幸と言えるものだ。

 「・・・伯爵様にとっては嬉しくないことを伝えに来ました」

 「・・・嬉しくないこと?」

 伯爵はアストリットの言葉に眉を顰めた。

 「・・・単刀直入にお伝えします。明日か明後日に砦が攻撃されます」

 アストリットの言葉に伯爵がぴたりと動きを止めた。伯爵の侍従頭の表情が強張るのが見えた。アストリットが尋ねてきた理由をいろいろ考えていたのだろうが、この言葉は予想もしていなかったことだったらしい。この後、伯爵は心ここに在らずというように、アストリットの言葉に力なく言葉を繰り返すだけとなった。

 「・・・まさか」

 「いえ、本当らしいです」

 「・・・らしい?」

 「わたくし、予見をしまして」

 「予見・・・」

 「多分、前回の侵攻の残りが居て、それが攻めてくるということだと思います。その残りの数は四千とか、侵攻の時に敵将が言ってましたが、それだと思います」

 「・・・四千・・・」

 「そうです」

 「・・・」

 「・・・」

 伯爵の呆けた顔を見ながら、アストリットはちらりと侍従頭を見る。その視線に、気が付いたか、侍従頭がせわし気な様子で声をかけた。

 「旦那様、お気を確かに」

 「・・・あ?」

 呆けていた伯爵が動き出すも膝の力が抜けかけたのか、一瞬身体がぐらついたが、しっかりと足を踏ん張り立ち直る。

 「・・・では、四千の兵が砦を攻めると?」

 伯爵の表情が曇る。

 「・・・予見です。砦が攻められ、今度こそ落ちると予見しました」

 「か、確定している?」

 「・・・確定はしていません。・・・何もしないとそうなります」

 伯爵は一度大きく息を吸い込む。

 「迎え撃てということか」

 「・・・それだと犠牲は出ます、それも大勢ですね」

 アストリットの言葉に、伯爵は苦笑する。

 「・・・仕方あるまい。攻撃されるのだろう?戦って守る。そのためには犠牲は出るのは当然」

 そう言ってから、伯爵はようやく気が付いたかというようにアストリットを探るように見た。急を伝えるなら早馬を送ったほうが良い。なのになぜ、わざわざ来た?

 「ベルゲングリューン子爵令嬢はどうされるのだ?」

 その言葉にはアストリットは曖昧に微笑む。

 「・・・また動けなくしようかと」

 「・・・」

 「・・・」

 二人の視線が交錯し、やがて伯爵は苦笑した。

 「領民がまたもてはやすことになるのだが、それはよいのか?」

 「・・・面倒なことになるかもしれませんが、まあ、ちょっとだけ必要なことなのです」

 そう答えながら、アストリットは早馬で駆けているときに体力がさほどないアストリットのために、一行が一時小休止した時のことを思い出す。


 疲れのため、護衛たちに囲まれて野宿することになった。アストリットはさすがに馬に乗り詰めで、馬からよろよろしながら降り、木にもたれかかりながら休んだ。女性の騎士の一人が羊毛で作った布で体を覆ってくれ、アストリットは思わず気持ちよさにウトウトし始めた。騎士たちはアストリットを守る専属の護衛騎士で、四人の女性騎士と二人の男性騎士で構成されていた。

 四人の女性騎士たちは今回のような場合に侍女としての役割も果たす事ができる騎士だった。男の護衛騎士は外郭を守り、女性騎士はアストリットを近距離から守る。今回もそのような配置をとり、座り込んだアストリットを一人の女性騎士を侍女のようにて世話する、残りは敵対する者を見つけて対処するために散開した。

 護衛たちは眠らなかったようだが、アストリットはついウトウトと寝入ってしまっていた。


 そしてそれは唐突に始まった。

 『・・・ベルゲングリューン侯爵令嬢、そなたがそれ以上固辞するであれば、我は王命を出さねばならん』

 『どうぞ、出せばよろしいのです』

 『・・・強気だな』

 『・・・国民はわたくしを支持してくれます』

 『・・・そうかもしれん。だがあの伯爵領に再度侵略があったとき、そなたは伯爵に警告したのみで、そのまま放置した。そなたが我の要請に答え、救援してくれておれば、伯爵の領軍は傷ついたとしても、何とか盛り返すこともできたはずだ。その証拠に、伯爵領は勢い付いた隣国の三度目の侵略で壊滅してしまったではないか』

 言いがかりだわ。そう思ったが、伯爵領への侵攻が、国王が何らかの王命を出す切っ掛けになるようだった。さて・・・、もう少し見ていたら、言いがかりの元が見えないだろうか・・・。

 そう考えながら、当事者でありながらも俯瞰するように二人のやり取りを見ていることに、アストリットは興味を持つ。面白いことですわね。思わず、笑ってしまう。

 だが、その時、突然目の前のアストリットが顔をあげ、宙に浮くアストリットを見上げてニコリと微笑んだ。それに息を?む。慌てたアストリットが身を引くと、急速に光景が遠ざかっていく・・・。

 肩を揺すられていることに気が付くと、侍女役の女性護衛がアストリットを覗き込んでいた。

 『お嬢様、もう発たないと夜明け前に伯爵領に着けなくなります』

 『・・・そう?わかったわ』

 そういうことか。また伯爵領民を無傷で守る必要があるということか。


 また目の前に侵攻してきた敵兵が進軍を止めていた。戸惑っているのがその表情からわかる。

 アストリットは、隣の伯爵と二人だけで兵士たちの前に立っていた。

 「・・・こんにちは」

 アストリットは淑女の礼をする。

 敵兵がざわりとした。

 「このまま、お帰りくださいませんか?」

 アストリットの言葉に当惑していた。

 「・・・」

 「令嬢、多分帰らんと思うぞ」

 伯爵のその言葉に、敵兵が一斉に武器を構えた。

 「やれ!」

 その言葉の後、敵兵が武器を手放し一斉に崩れ落ちた。

 その光景を見た伯爵が呟いた。

 「・・・いや、帰れないの間違いか・・・」

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