伯爵領再び

アストリットは、先頭に立って手綱を捌いて伯爵領を駆け抜けた。

 後ろには子爵家の護衛が四人ついている。

 領地にある伯爵邸は、堀と岩を積み重ねてある城壁に囲まれた城様のものだった。大勢の兵を籠城させることのできるその城は、辺境の領地を守る要の一つだ。籠城できるのが伯爵の自慢らしかったが、アストリットにはその気持ちはわからない。自分のうちよりも、領民を守るほうが大事なのではと思う。

 ただ、アストリットは伯爵を守るためについ最近後にしたはずの伯爵領に舞い戻ってきている。

 こうなったのは、アストリットが家族会議を終えて、深夜に眠りに入った途端のことだった。


 『・・・・・・ト、ア・・・リッ・・・』

 誰かが呼んでいる。

 『・・・リット・・・』

 気が付くと、アストリットは風が吹く、草原に立っていた。ゆっくりと見回すとどこか見覚えのある場所だ。薄紫色の空が徐々に色が薄れ、明るい色に変わっていく。近くに山が連なっているが、その山脈はさほど険しくない。草原が続いていく先は高くなっており、そのさらに先には岩を重ねてある二つの塔がある砦が見えた。

 『・・・ここは、あのセンベレ伯爵領の砦の近くの草原ですね・・・』

 と、いうことは、とアストリットは砦から目を離し、砦の反対側を見る。たぶん、と予想したとおりに、隊列を組んだ兵士たちが進軍して来ていた。兵士たちの、険しく、緊張した面持ちは、つい最近この場所で見たものと同じものだった。

 『ああ、つまりは・・・』

 アストリットはあの時の、戦闘になりそうでなりえなかった、侵攻の時のことを見ているのかと思ったが、それにしては明るさが違う。

 『あの時は、昼前だった。昼の食事を軽くするか、普通にするかで、教師たちとわたくしたちと意見が食い違って、中々準備が進まなかったのでしたね』

 議論中に歓声が上がって、その声のほうを見た皆が怯えてしまった。

 『まあ、武器を構えてこっちへ向かってくる兵士を見たら、この王国の貴族の子弟ごときでは太刀打ちできないことは分かっていたでしょうしね。・・・いえ、そんな事ではなく、これは予見ですね。多分、国境に残された後軍が帰るという選択をせず、侵攻を退けた伯爵領軍の緊張が弛緩すると読んで、領地を切り取れるとでも考えたのでしょう』

 突進してきた侵略軍が砦に取り付き、瞬く間に壁を乗り越え、内部で戦闘が始まる。殺し殺されるところを見ていると、途端に場面が切り替わり、ガエル・センベレ伯爵が砦の救援に駆け付けるが、激しい戦闘が砦の外で起こり、乱戦の中で伯爵の姿が飲み込まれ、侵略軍の勝鬨が轟く、伯爵が重傷を負って、捕らえられるところが見える・・・。

 『・・・この戦を止めなさい・・・、・・・これから長く皆が争う戦が始まる・・・、・・・人が多く死ぬ・・・、・・・止めなさい・・・』

 声はぼそぼそと聞こえてくる。

 『・・・わたくしは貴族です。貴族の在り様は、民を守ることです。戦があるのであれば、戦うのが役目。なぜ止めるのです?』

 アストリットはそう口を開いたが、声は変わらずに続ける。

 『・・・人の争いが広まれば・・・、・・・罪なき人々が苦しむ・・・、・・・止めるのです・・・』

 聞く耳を持とうとしない声に、アストリットはため息をついた。

 光景は、都が火を放たれ、焼け落ちてしまうものや、建物もなく、朽ち果てた瓦礫の中の壁にもたれかかり虚ろな目をしてぼんやりしている人々、飢餓に苛まれ、起き上がる力もなく倒れ伏したまま次第に光を失っていく瞳を、アストリットは垣間見た。

 『・・・止めるのです・・・』

 アストリットは目の前の光景に少々気分が悪くなってきていた。アストリットが止めても戦は起こるのかもしれないと思う。ハビエル王国が大戦に巻き込まれようが巻き込まれまいが、今の時代大陸中で小競り合いは起こっている。それが国同士の戦に発展しないとは限らない。だが、この侵略を止めなければ、ハビエル王国はドルイユ王国に戦を仕掛け、徴兵された男たちが多く死ぬのではないかと、根拠もなく、そう理解していた。

 『・・・わかりました。これは予見なのでしょう?まだ戦は始まったわけではありませんよね?わたくしが行って、戦を止めて参ります』

 アストリットがそう答えたところで、アストリットは目覚めた。

 ため息をつきながら体を起こす。目を瞬かせながら、周りを見回した。王都のベルゲングリューン子爵邸にある自分の部屋だ。

 寝台から起き上がり、窓に近寄る。この子爵邸も窓に透明なガラスを入れていた。今代になってからのガラスは透明になったが、それまでは緑色や青色だった。王都ではやりの透明な窓ガラスは入れようにも中々入れられないが、アストリットの父親は何かの伝手で透明ガラスを入れたのだろう。案外能力のある父親だと、アストリットは密かに感心していた。

 まだ外は真っ暗だ。

 アストリットはしばし暗闇を見つめてから、肩をすくめると出かける準備のためにナイトテーブルに置かれた鈴を鳴らした。


 

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