領主の絶望的な希望
ソテロの砦から急使が来たことを、食堂前の廊下で領主は泡を食って走ってきた侍従に聞いた。領主である伯爵ガエル・センベレは食事を終えて執務に赴こうとしていたところだった。
『領主様!』
ガエルが声をかける前に、あろうことか侍従のハコブ・トルエバが叫んだ。
朝っぱらからなんだと、ガエルは思わず舌打ちをしそうになる。貴族にあるまじき行為に、顔をしかめ、何とか思い止まった。
『ハコブ!騒々しい!』
ガエルは舌打ちの代わりに、顔をしかめながら侍従を叱責する。これで直らないなら、暇を与えなければならないな、とそう考える。年若いハコブは軽率なところが多々ある。遠縁の家の者だが、家の位が高くなく、軽率に育ってしまった。教育が為されていないと、あちらの家に詰問しなければならないなと、少々げんなりした。あの家の嫁は暇を与えて返したら、騒ぎ立てることだろう。
ガエルの叱責に、ハコブは立ち止まり、顔を蒼褪めさせながら頭を下げた。
『も、申し訳あり、ません』
だが、ガエルが声をかける前に、ハコブは顔をあげた。
『ですが、き、緊急の用件で、ございます』
その様子にガエルが何かあったのだと悟る。片方の眉をあげて、あらためてハコブを見た。
『朝っぱらからなんだ?まさか、侵略でもあったのか?』
自分でもそうなったら笑えないなと思いながら、場を和らげようと冗談のつもりで言ってみる。
その言葉に、ハコブが一度言葉に詰まった。
『?』
訝しげなガエルの表情を見たのだろう、ハコブの喉が動く。ゆっくりとまるで自分を落ち着かせようとするかのように口を開いた。ただ、落ち着けてはいないのか、うまく言葉を言い出せない。
『・・・さ、さきほど、ソ、ソテロ砦のオラシオ・テハダさ、様より、きゅ、急使が参りまして・・・』
一瞬聞き違いかと思った。耳を疑う。
『な、何だと!』
『り、領地に、り、隣国から、しん、しん、侵略、略されて・・・と』
目を見開く。信じられない思のまま、ハコブから離れて廊下の壁まで後ずさった。ふと、ハコブは暇を出して家に帰そう、うん、それがいい。唐突にそう思った。
何とか気持ちを切り替え、ハコブに命じて執務官のフリアン・ランヘルを呼んで来させ、館の玄関の広間で共に報告を聞くことにした。玄関では、伝令使が片膝をついて頭を垂れていた。
『・・・言え。報告せよ』
信じられなかった。まさかと思った。辺境を国王から預かる伯爵家の跡取りとして生まれ、いつかはと考えてきたが、自分の時に侵略されるとは、なぜだと思った。思わず、言葉がとげとげしくなった。傍らのフリアンが眉を顰めて見ていることに気が付かなかった。
砦の守将オラシオ・テハダは上位騎士で、領内でも5指の中に入る男だった。多分、侵攻を食い止めてくれていると思った。いや、思いたかった。
オラシオの部下の伝令使が頭をあげる。
『報告します!隣国の兵が国境を越え、攻め入ってきました!その数、ざっと三千、砦の守将オラシオ・テハダ様は迎撃のために向かわれました!』
隣国ドルイユ王国は好戦的ではない国のはずだが。
そう考えたガエルだったが、いやいやと思い直す。野心のない国王などいないな。
『・・・三千か。ドルイユの後詰めは?』
萎えそうになる気持ちを奮い立たせ、尋ねる。
『確認できておりません。ですが、まず居ないはずはないと思われます』
伝令使の返答に、ガエルは一瞬イラっとする。確認してから来い。そう思ったが、急使だ、侵略を伝えるために来たのだと、無理矢理に怒りを静める。
『・・・そうか。我々はすぐに救援に出るつもりだ。砦に使いを出す。そなたは少し休んでいくと良い』
そう伝えたが、伝令使は首を垂れて、答えた。
『・・・申し訳ありません。私はすぐ砦に戻ります』
『・・・そうか』
伝令使は一度頭をあげた後、深く首を下げたまま、下がっていった。玄関の扉が閉まる。
ガエルはしばし放心したまま閉まった扉を見つめていた。
『・・・領主様』
隣でフリアンが躊躇いがちに声をかけてくる。それに、ようやく放心から覚める。
『ああ、救援に出なくてはな。オラシオ・テハダは死なすには惜しい男だ』
しかしフリアンは微かに首を振った。
『三千ではテハダは生きていないでしょう。ソテロの砦には三百しか兵はおりません』
『・・・そうか。・・・そうかもしれん。だが、救援に行かんという選択はない』
重い気持ちのまま、ガエルは鎧に身を固め、侵略軍と同じ手勢を集め、出発した。何もないことを願っていたが、それも無理だろうともわかっていた。ただ、願わないことはできなかった。
伯爵領の動員数は一万だが、農民兵が主で、即応軍は騎兵二千、歩兵一千だった。その即応軍を率いて、砦への道を急ぐ。
もどかしい思いのまま、道を急ぐガエル達だったが、先にふと人影にあることに気が付く。どうやら砦の守兵らしい。落ちたか、砦が。最悪を、ガエルは想像する。
いや待て。守兵ならなぜ、こんなところにいる?こんなところを、馬を急がせもせず、こちらへ向かってくることに、違和感を覚える。
人影はこちらに気が付いていたはずだが、相変わらず馬を急がせもせず、そのままこちらへ向かってきていた。
『・・・止まれ』
そう下知すると、後ろが順繰りに止まっていく。停止に対し、部下たちは訝しんで騒ぎ出した。
馬に跨ったままのガエルは、視線が安定したため、今まで分からなかった人影が、二つあることに気が付いた。余計に訳が分からない。
『・・・止まれ』
顔を見分けられるほど近付いたところで、ガエルは呼びかけた。
砦の守兵の男で、見覚えがある。確か・・・。名を思い出そうとしたとき、後ろにいた者が守兵の隣に馬を進めて並ぶ。この男は先ほどの伝令使で館まで来た男だった。
『そなた、確か・・・』
ガエルが声をあげると、馬上で器用に頭を下げた男が答える。
『はい・・・、マノリト・リオス、オラシオ・テハダの部下です・・・』
自分の名を言うときは淀みないのに、なぜか、心はここに在らずとでも言うかのようだ。ちらりと、隣に目をやる。やはり、館で早急に戻りたいとか言って扉から出て行った奴だ。
『・・・領主様、先ほどは申し訳ございません・・・。改めてニコラオ・サバテルと申します。リオスと同じオラシオ・テハダの部下です』
ニコラオも名乗りながらも訝しむような表情をしている。
『テハダの元に行くのではなかったのか?』
その言葉に伝令使だったニコラオは、訝しむ表情のまま答える。
『・・・そのつもりだったのですが、戻る途中でこのリオスと行き会いまして・・・』
ニコラオはマノリトをちらりと見て答える。
『・・・何があった?』
ガエルの言葉に、マノリトが軽く息を吐いて答えた。
『戦は終わりました。一応は勝利致しました』
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