第3話 神の村


手も足も動かない。


全身に弱く痺れるような感覚がある。さらにのっぺりとした重石が身体全部をくまなく上から押さえつけてくるかのようだ。

重い。


目は開くようだが、何か気配がするので起きていると気づかれないよう薄っすらとだけ開き様子をうかがう。


柱のようなものが…いや、あれは天井の梁か。

上を向かされ寝かせられているらしい。

火のゆらぐような淡い明るさだ。

燈籠か、いや、ランプでもあるのか。

もう夜なのか、地下なのかどちらかわからないが、光の届かないところは暗い。


香りが立ち込めている。

なにか焚き付けているのか。


コオンと音がして、思わず目をかっぴらいてしまった。


「あら、目が覚めました?」


穏やかな女の声がした。

首も動かないので声のする方に目をギョロつかせる。

着物の袖の端が見える。

刺繍が施されている上品な生地に見える。


「随分早いお目覚めですね、普通ならば5日は昏睡すると思いますが…」


目の向ける方の人影がゆらりと動いて、視界に入る。

見下されている。女の横髪がくたりと下がる。女が呼吸をすると唇からもわもわと煙が出る。

香りのするのは女のキセルの煙だった。

くゆる煙の間に見える顔は美しく、妖艶なあやかしのようにも見えた。


女と目が合う。

年頃は二十代半ばといったところか。

暗いながらにもわかる。赤い布地にいろいろな色彩の刺繍が施されていて異国人の服かと見間違う。


永世は、チリリと胸の奥に刺さるような感覚があった。


女が、視界からゆっくりと消える。


留めたくて永世は声をかけようとする。

が、声の出し方はどうだったか。

永世は、「ぐ」やら「が」やら無用な唸り声のあと、やっと喉から絞りだすように言葉をだす。


「しゃべ…って…も?」


自分の第一声が思ったよりガラついた声だったので、内心情けなくて笑った。


「あら、声も出ますか、素晴らしい」


「こ…こは…?」

とにかく情報が欲しい。


「ここは神の治める村ですね。神の護る里、神護里かみごおりといいます」

「か…みご…おり…!?」



山の下の宿で聞いた、恐ろしいと言われた鬼だバケモノだかの名前がついた村だった。



すう、とキセルの吸う音がして、また女が煙を吐く。

永世の目には煙だけが見えている。


「あなた。神が悔しがってましたよ、強すぎて追っ払えなかったって」

女はククと笑う。


(追っ払うつもりだったにしては酷くねえ?

痛いんだけど。)


山中で対峙した澱んだ緑の塊を思い出す。

あれが、ここでは神?

ここはバケモノの統治する村?


女が囁く。



「お坊さん。この村、壊してくださる?」



細く白い指先が目の前に現れ、永世はまた気を失った。




------



いい加減にしてくれねえかな。本当。



うさんくさ男もとい、陵島冴継りょうじまさえつぐに小間使いのようにされていた永世少年は、陵島が取り寄せたお茶を出す準備をしていた。

手揉みで丁寧に炒られた茶葉だ。


この男についてきて数日。

どうもこの陵島、まあとんだ良いところの出自だと分かった。

お茶とともに出す菓子なども、異国の甘味など食べたことないものばかりである。

まあ、「お前もお食べ」と貰えるのは良いのだが…。


永世のいた山村の廃寺から、こちらに来るまでも良い旅館だったし、でかい陵島邸でも3食菓子付き昼寝付きで、毎日風呂まで入れる高待遇を受け続けた。

永世は少しイライラとしていた。

馬車馬どころか飼い猫にでもなったようだ。


しかしお陰で、痩せ細った永世少年は健康な一般少年の体つきになっていた。


ここは内務省内にある陵島冴継りょうじまさえつぐの執務室である。

西洋の建築方式を使用しており、海外の調度品も多くある。


先刻、初めて内務省の門をくぐった。

国の中枢に来て、さすがに肝を冷やす思いだった。

僧侶のような格好ではないが、仏門の者と知られやしないか焦った。

しかし、今ここにいる永世は、陵島家の書生という立場であり、の人間ということになっている。


「冴継様、私はいつ馬となりますか?」


永世少年は、お茶を差し出しながら聞いた。


「ありがと。もうまもなくさ。」

「まもなく…?」

「ああ、来るよ〜怖いのが。」

と、クスクス笑いながらお茶を飲んでいる。


永世は眉を寄せる。

人が来るなんて聞いてない。




扉を叩く音がしたので、陵島は軽く返事をする。


「お呼びしましたでしょうか。」


入ってきたのは二人。

神主装束のいかつい男と、冷たい印象の巫女装束の女だった。






------




明るい。

次に目を開けたときは、身体が幾分か軽くなっていて、永世はどこまで動くのかと上半身を起こしてみた。

布団に寝かせられていたようだ。

ぐるりと見ると、窓が一つある4畳半ほどのごく普通の部屋である。

別に拘束されてるわけでもない。

永世の錫杖も笠も壁に寄りかかっていた。

持っていたものは全部あるようだ。


右肩をあげてみたり下げてみたりしたが、痛みがあるものの折れてるわけではなさそうだ。

立ち上がろうとした時、ズズとふすまの開ける音がした。

音の方を見やると、齢5つほどの小さな少女がこちらを見つめていた。


「わるいひと、おきてた」


少女は眉を寄せて永世を見ている。


「おじさんわるいひとじゃないよ、すごく優しいから。本当、ぜんぜん怖くないよ」

永世は左の手のひらだけ上げて、ヘラリと笑ってみせた。


少女は、怪しむようにじいと見つめるが、ぷいっと走っていった。


に追っ払われる予定の男は、ここでは悪い人ってわけか)


子どもに嫌われたくはなかったが、理由もあるだろう。


改めて立ち上がってみたら、頭がぐらりとして倒れた。

貧血か。

確かに、どのくらい意識がなかったのか眠っていたのか分からないが、腹も減っている。

しばらく布団の上に座り込んでいると、複数人の足音がした。


「本当だ、起きてやがる!巫女様、縛っときます?」

「いいえ、大丈夫です。僧侶の方を縛ることはなりませんよ、弥助」


入ってきたのは、弥助と呼ばれた男と、夜に見た女と、その足元にくっついている先程の少女だった。

起きていることは少女が伝えたんだろう。


「おめえ、この村に説法でもしに来たんか?」

弥助が口を開く。

「ここには仏はねえ。神護里様の村だ。信仰してるもんが違うから説法もいらん。帰ってくれ!」

そう言うと、弥助は壁に立て掛けてある錫杖を雑に取り上げ、永世の前にずいっと出した。


永世は営業スマイルのまま受け取る。


弥助の後ろにいた、キセルの女が前に出て、弥助の肩に手を置く。

「弥助、お水とお食事、持ってきてあげて」

「でも…巫女様…」

「大丈夫。このお坊さんは大丈夫よ」

静かにそう言うと、弥助は女に一礼して出ていった。

そして女は、足元にいる少女にも優しく言う。

「いろは、この人は心配ないのよ。神護里様が連れてきた方でしょう?」

「…わかった」

いろはと呼ばれた少女はぎゅうと服を掴んでいる。


「貴女は、巫女様だったんですか?」

「神の加護を受けている者を巫女とよんでいるに過ぎません。ここでは」


改めて明るいところで見ると妖艶な感じはなく、可愛らしい人だと永世は思った。


「神…とは、かみごおりの加護?」

「加護と呪い。双方はあまり変わらぬものなんですよ」

そう言うと、女は少女の頭を撫でる。


「わたしも、みこよ!」

足元の少女がでんっと前に出てきた。

お腹がぽっこりとするほど、自慢気に胸をはる様子が可愛くて、つい笑ってしまった。

「そうなんですか!なんとかわいらしい巫女様!」

永世はわざとらしく言ったようだったが、小さい巫女様は気を良くしてドヤ顔で鼻息を荒くしたので、拍手してあげた。


キセルの女は、ククっと笑う。


(神かバケモノかあやかしなのかわからねえが、加護する人間までいるとは。つうか、この女が言う、とは…?)


永世は女の顔を見る。


「村を見せてもらうことは可能ですか?」

「…お食事がすんでからにしてくださいませ。2日寝込んでいる間、何も取らずにおりましたし…」

「2日。」

「早いお目覚めですよ。神護里かみごおりよどみに入ると昏睡から目覚めぬものもおります」

よどみですか…。」


瞳の動きで人は嘘を言っているのか分かるものだ。

見逃すまいと女の深い黒い瞳を見つめたまま、言う。

「貴女方の言う神護里かみごおり、他の村の言う噛子澱かみごおりとは…同じモノなのでしょうか?」


女がじっと見つめ返す。



しばらくして弥助が何やら運んできたので、永世も女も、目をそらした。



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