第2話 僧侶の男 に


歩みを進めるたび、コロコロと足元の小石が転がっていく。

杖のようにつく錫杖が、歩むたびにシャンシャンと音が鳴る。

山の静けさにたいそう響く。




もう2時間ほどになるまいか。


さすがに強靭な男でも、休みたい。




平らな場所はないので、とりあえず木の洞にに足をかけ、突き出た太い枝に腰掛けることにした。


(さあて、どうしたものか。山の上の主にあう前だが…きっついなあ)


汗をぐいと拭き、改めて村の方を見おろす。

ポツポツと家が見えている。

だいぶん上まで登ったようだが、先がまだありそうだ。


一つ溜息をついた。

小さな家のあいだを行き来する、胡麻粒のような人の動く様を眺めて、ああそういえばと、宿の夫婦にもらったご飯をあける。ほろっとほどけるような握り飯に梅干しが入っていた。

漬物もよく浸かっていて、うまい。

やはり、あの宿の奥方の飯の腕はいい。

漬物一つでこんだけ味わい深いものが作れるとは。

別れたのはたった数時間前だというのに、懐かしい。


…くそ。

帰って寝たい。


実のところ永世は、この山に足を踏み入れたときから、違和感が付きまとい、それはもう背にうずうずと気持ちが悪いものが薄ら這うような感じなのだ。

何者かの気配なのか。

例の噛子澱とやらか。

いつ飛び出してくるやらと身構えつつの山登り。

神経を尖らせ続け疲労もかなりのものだった。


手に付いた塩を舐めとり、自分の手が土臭いことにようやく気付く。


(きったねえ手。洗いてえなあ。)


飲み水も限られているし、そのままにしておくほかない。



永世は遠くをながめる。

気持ちのよい風が、汗を乾かしていくのがわかる。







-------




ときは明治になるやらなんやら騒がしい時代。

宗教界隈はめちゃめちゃだった。


八百万やおよろずを祀る神道と、ほとけを信仰する仏教は等しく浸透していたが、神道を日本の国教とすべく、明治政府は神仏分離令しんぶつぶんりれいを発令し、仏教をなきものにしようとした。

いわゆる廃仏毀釈はいぶつきしゃくの考えを持つ者に、仏教徒は虐げられた。

石を投げられるだけではなく、とおく薩摩の方なんかは、盗まれ焼かれ、仏教壊滅というところまでいったのだと、九州の叔父伝手に聞いた。

仏教は、新時代への生贄のように、見せしめかのように淘汰とうたされていってしまった。

寺も壊され売られ、焼却されていった。



永世は有名な寺の跡継ぎだった。


その日は修行をサボって一日街で遊んでいて、知らなかった。

山の上の寺に帰ったら、ごうごうと燃えていたことに。

火が寺院を包み周囲の木々にも燃え広がって山火事になっていた。

手遅れだと誰もがわかった。


何が起きているか教えてくれたのは火を放った本人だった。

血走った目で、口から泡を飛ばしながら笑って叫んでいた。


「寺はいらん、仏もいらん、お前も消えろ!仏教はなくなった!!」


屋根が崩れ、人が焼けるニオイがただよってきたとき、初めて人を殴った。


熱い。

痛い。

臭い。


憎い。



読経もそんなに好きではなかった。修行も適当にやってた。

しかし、ここまでされることがあっていいのだろうか。

少年だった永世は、殴る手を止められなくなっていた。

ただ涙で前が見えなくなって、なにか叫び続ける男にあたってるのかあたってないのか、拳を向け続けた。



父、良世は多くの弟子に尊敬されていた。

人の心を救おうと相談にも乗っていたし、寺子屋もして子どもたちに賢さと優しさを身につけさせたいと学問を教えていた。

それなのに、ここまでされなければならないのか。

時代の流れというには惨すぎる。


永世少年はまさに今反抗期だった。

だが、反抗期のうちに親が焼け死んだ。

反抗をする相手も、する意味もなくなった。

「反抗」とはいったい何にむけていた反抗だったのか。

ただ自分の立場に不安を感じ「それは嫌だよ不安だよ」と大きい声で言っているようなものだった。

たかがその程度だったのだ。

優しい顔しか浮かばないなんて、自分でも都合がいい脳みそだ。

叱ってほしかったと今さら馬鹿みたいな願いが頭をよぎった。


父の声がリフレインする。

「おまえの心は、怒れば鬼が現れ、優しさは神にも仏にも似る。心を持っていかれてはダメだよ。頭で考えること。賢さはおまえの力の抑えとなるよ。」



永世はハッと手を止める。

人の恨みや憎しみは鬼を呼ぶ。

その力が強いのが永世だった。


この心をどうしたら良いかわからず頭を抱えてうずくまる。

父ならどう心を落ち着けるか教えてくれたのに。

後悔も情けなさも一気に押し寄せ、むせび泣いた。

あの素晴らしい父に、子どもじみた反抗なんてするんじゃなかった。


いや、事実まだ子どもだった。

これからどうやって生きていけばいいのか。




数年の折。

永世少年は、隣町の寺にかくまってもらっていた。

火付け人を気絶するほど殴って暴れたため、顔が知れ渡ることとなり、元の街にはいれなくなった。

よく一緒に遊びに行った店の子も陰から恐れるように永世を見ていた。


隣町の寺も寺で、ひどく荒らされていた。

当然のように飯などなく、永世少年はやせ細っていた。


森の奥に流れる滝のへりに座り、破けた着物を洗濯しているところに、都会で流行っているという品の良いスーツを着た背の高い男がやってきた。

うさん臭さの塊のような男だったが、どうにも強い力があるように見えた。


できたばかりの内務省ないむしょうからの人間だった。


「いまだ廃仏毀釈はいぶつきしゃくの残っている地域もあり、僧侶は危険です。私たちが守って差し上げましょうか。それも、あなたが仏教を再興させるまで。」

「言っていることはわかりますが、なぜ内務省に行かねばならないのですか。」

「内務省のうちの部署は、もちろん人間を取り締まるのですがね。人間以外を取り締まる班も存在するんですよ。世間様には内密ですが」


まあありそうな話だ。

実際、永世には人には見えないものも見えている。


「永世さんには是非ともこの私のところに所属していただきたい。

あなたの力は我が部署で唯一無二の能力となります。ことに、我々は神道の巫女神主が多く在籍しております。同僚として神道の者を一人つけ、ともに行動した際は永世さんを廃仏毀釈の一派からお守りできますよ。」

「私はまだ子どもです。」

「そうです。だから子どもを守るという建前で、あなたには守られる代わりに鬼や悪神あやかしを祓う・・・ああめんどうだ。とにかく馬車馬ばしゃうまのようにバリバリ働いてもらいたいのですよ!」

男はにんまりと笑う。

こき使う気だったのを、言葉で隠すのをやめたようだ。

本音を包み隠すのを面倒くさがるなんて。

逆に面白くなって、永世はうなずいた。


バリバリ働きさえすれば、仏教の再興の為に子ども時代を守ってもらえる。

こちらにとっても都合のいい話じゃないか。


まあ待ってくれと、うさんくさ男を川べりの岩に座らせ、滝に打たれ心身を清める。

何かあるときは必ずすること、と父が言っていた。

永世には何の荷物もない。心身だけが持ち物だ。


うさんくさ男とともに、その日のうちに内務省に向かっていった。



それが十数年ほど前の話だ。






-------




木の幹のすぐ目の前で蜘蛛が糸を上へ登っている。

そよそよと風が吹いてきて糸が右へ左へ揺れている。

しっかりと落ちないように糸を掴む姿に、なんだか今の自分を重ねてしまって、永世は可笑しくなった。


「蜘蛛よ、お前は見たことがあるかい?噛子澱とやらを。」





突然

地鳴りがした。



永世は木の幹をしっかりと掴む。

ガラガラと大きい石が落ちていく。

木々もおうおうと揺れている。


体勢を立て直し、木から降り錫杖を掴む。

目は山の上へと向けられる。

カンカンと甲高い音がした。


「来たか」


ドンと衝撃が来たと思ったら右肩の方からすっ飛ばされた。

さっき登ったばかりのところを転がるが、とっさに左腕で岩につかまった。

足は出っ張った木の根に引っ掛け、ずり落ちないように体を斜面に接した。


右肩を瞬時に察知する。


(よし動く。折れてねえ。

錫杖を持つ手を狙われたか。

こちとら両手両腕鍛えとるわ。)


斜面上を見上げる。



大きい澱んだ緑色の塊が、落ちるような速さで這って降りてきていた。


(最悪。もうこらぁ、いかんだろ。)



瞬間、暗闇になっていた。







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