第6話 寝取られた側の気持ち

 突撃からのザマァで、スカっと?


 そんな物はない。


 どんなに正攻法で相手を追い詰め、それなりの慰謝料請求をしたとしても。

 例え、自分自身の手で、妻と間男を殺したとしても、田所さんの気持ちが晴れる事はないのです。


 僕たちは田所さんの自宅に、二人を残して、近場の居酒屋に行きました。


 少しでも、田所さんの気持ちが晴れればと。


「まぁまぁ、今夜は飲みましょうよ。僕、いくらでも付き合いますよ」

 カウンターに3人並び、田所さんを挟む形で腰掛けて。


「私も」

 リナは自分の顔ほどもあるジョッキを持ち上て、俯く田所さんの顔を覗き込みました。


「じゃあ、乾杯」


「酒なんて、久しぶりに飲みます」

 田所さんはそう言って、顔をしかめながらキンキンの生ビールを喉に流し込みました。


「ぷはー、美味い」

 三分の一ほど減ったジョッキは、まるで戦利品であるかのように眺めながら、こう言いました。


「妻が妊娠したと同時に、酒も、煙草もやめたんですよ。全然苦じゃなかったです。産まれて来る子供のためなら、禁断症状も睡眠不足も……全然……平気で……頑張れました」


 この時、田所さんは、初めて涙を見せました。

 片手で両目をぐっと抑えて、声を押し殺して涙を流してました。


 脳内には、間男が自分の妻の前で美味そうに酒を飲む姿が、痛いほど焼き付いていた事でしょう。


 僕は、彼の背中をさすりながら、うなづく事しかできませんでした。


「何がいけなかったんでしょうか? うっ……」


「奥さんに暴力振るいました?」

 リナが淡々と質問します。


「いいえ。僕が殴られる事はあっても、僕が彼女に手を上げる事は、一度もありませんでした」


「浮気しました」


「いいえ、一度もありません。妻の事が大好きでしたから」


「家事は手伝ってました?」


「苦手ですけど、休みの日はできるだけ、洗濯や掃除をして、買い出しにも一緒に行きました」


「夫婦の営みは?」


「妻が求めてくれば、疲れていても応じていました」


「じゃあ、田所さんは何も悪くないですよ。いけない所なんてありません」


「うっ……うっ」

 田所さんはしゃくりあげながら、泣いていました。


 しばし、落ち着くのを待って――。


「奥さんとの出会い、とか、聞いていいですか?」

 リナが訊ねると、田所さんは涙を拭って、快く首を縦に振りました。


「マッチングアプリです」


「今どきじゃないですか」

 僕が合いの手を入れます。


「そうなんですかね? 最初は完全にヤリモクだったんですけど、思いのほかかわいい子が来たなと思って。一目惚れでした」


「じゃあ、その日に、やったんですか?」


 デリカシーのない質問だよなと思いながらも、こういう方向の方が話が進みやすいと思ったんですよね。

 酒も入ってたんで、その辺は許してください。


「ええ、もちろんやりました。それで終わりだろうな、僕なんか、って思ってたんですけど、彼女の方も満更でもなかったみたいで、別れてすぐ連絡があったんですよ。今度いつ会える? って」


「やりますねー」

 こういうテンションじゃないと、田所さんは今にも泣き出しそうなんです。


「はは、そうですかね」


「なかなか初見で、そこまで行かないですよ」


「神田さんだったら、マッチングアプリなんて使わなくても入れ食いでしょ」


「いやいや、そんな事ないですよ。僕も数年前までは非リア充してましたよー。寝取られ経験もありますしね」


「そうなんですか?」


「そうですよ。結婚してたわけじゃないですけど。同棲中の彼女でしたけどね。なので田所さんの気持ち、わかりますよ。僕、一年ぐらい引きこもりましたからね」


「本当に?」


「本当です。けど、僕の場合は彼女が同業だったってのもあって、別れてからも交流があったし、なんだかんだ、彼女の結婚まで見届けましたよ。彼女は間男と結婚しました」


「マジっすか。平気だったんですか?」


「そこまで行くと、もう、どうでもよかったですね、はははー。幸せになってくれって思いました。あわよくば寝取り返そうかなとも思いましたけどね。僕は彼女に未練たらたらだったんで。香水って曲、あるじゃないですか、あれ、僕の歌だなって思って、聴くたびに泣いてました」


「ああ! 流行りましたよね。僕も今後あの歌聴いたら、泣くかもしれません」


「時が過ぎると、なぜか幸せだった時の事ばっかり思い出しちゃうんですよ」


「そんなもんですか?」


「そんなもんですよ。人に話す時はできるだけ、彼女を悪く言わないように、いい子だったんだねって言ってもらえるように話してきたつもりですけど」


「なかなかそうはいかないでしょ」


 リナは少し眠そうになった目を僕に向けました。


「そうですね。どうしても彼女の悪口になっちゃって、そのうち彼女の話をするのはやめました。一度は好きになった人の悪口を他人から聞くのはイヤなもんですよ」


「わかります。多分、僕も、今お二人が妻の悪口を言わないのが、すごく……有難いです」


 泣かないなんてやっぱり無理で、彼は、話の節々で何度も涙を流しました。


 酔えば酔うほど、その泣き声は大きな物になっていきました。


 リナは、泣いた方がいいんだと言いました。

 堪えれば堪えるほど、傷は癒えない。

 彼が救われる方法は、幸せな未来。つまり新しい恋しかないのだと。

 それまで、泣いて泣いて、心の痛みを胡麻化していくしかないのだと。


「慰謝料もらったら、僕、神田さんの結婚相談所の会員になりますよ」


 やっと、田所さんからそんな軽口が出たのは、夜も更けた11時頃でした。


「ぜひぜひー、お待ちしてますよ。絶対に幸せになりましょうね」


 僕は、なぜか田所さんと抱き合い、じんわりと下瞼が熱くなるのを感じていました。



 了



 こんな感じで、第一章最終話とさせていただきます。

 お気付きでしょうか?

 僕が施した渾身のイメチェンは、何の役にも立ちませんでした(笑)


 次回はですね、高校教師×元教え子です。


 これも、かなり胸糞な話なので、是非お楽しみに!

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