第3話 僕と妻の話
リナと過ごしたのは、およそ1時間ほどでした。
LINEの連絡先を交換して、僕は仕事に戻り、リナは調査のためこの後、一週間~十日ほど福岡に滞在するのだと言いました。
決定的な証拠を掴めば、そのまま現場に突撃、という流れだそう。
本来なら、カメラマンの役割は、突撃時の撮影のみだそうなんですが、僕は依頼人との面談にも同行する事を許可してもらいました。
僕の目的は小説のネタ集めなので。
当人の顔を見ながら、直接お話を聞く機会は貴重です。
リナも快諾してくれました。
日取りは追って連絡するという流れになり、その場はお開きとなります。
リナと別れて先ず僕がした事。
それは、LINEにロックをかけた事です。
そして通知センターからの通知をオフにしました。
絶対に妻にバレたくなかったんです。
不要なトラブルを避けるためですね。
僕はリアルでは、争いごとが本当に苦手なんですよ。
特に妻との!
その日の仕事を、一通り済ませて家に帰ると、玄関に見慣れない、いや、見た事ある女性物の靴がありました。
「おかえり~」
上機嫌な声で玄関に出迎えたのは、母です。
実家は、僕の自宅から車でおよそ10分ほどの距離なので、母はこうしてたまに家にやってきます。
「ただいま」
「もつ煮込み作ったから持って来たの。おいしくできたのよ」
「あー、ありがとう」
「もつ煮込み食べたいって言ってたでしょ」
「言ったっけ?」
「言ったよ」
母の背後で、妻はそっぽを向いて、耳の後ろをポリポリしてます。
不機嫌な時のサインですね。
母と妻は仲が悪いわけではないんですが、妻は僕の母がちょっと苦手みたいで、あまり来てほしくないんですけどね(仲悪いのか?)。
来るなとも言えないですし、たまにの事なので、妻にはちょっと我慢してもらうしかありません。
服を着替えるために、寝室に入ると、妻が入ってきて
「お義母さんいつまでいるのかな?」。
着替えを手伝うなんて古風な妻ではありません。
クローゼットに肩を預けて、僕の着替えを見ているだけです。
「いつ来たの?」
「1時間ぐらい前」
「もうすぐ帰るんじゃない?」
「今日の晩御飯、ビーフシチューよ。私、お昼から牛筋煮込んで準備したんだけど?」
「ありがとう。美味しそうだね」
「もつ煮込み、どうするの?」
「どっちも食べるよ。どっちか明日食べてもよくない?」
「はぁ?」
と言って、寝室を出て行きました。
妻は在宅で仕事をしているので、仕事部屋があります。
そこに入って行きましたね。
めんどくさいなって気持ちと、昼間やましい事はないにしろ、仕事以外で他の女性とお茶を飲んだという後ろめたさから、僕は自然と妻を遠ざけてしまいます。
普段なら、追いかけて機嫌を取る所なんですが、僕は妻の元へは行かず、ダイニングに行きました。
母が上機嫌で、もつ煮込みに火を通し、テーブルに運びます。
正直言うと、僕は毎晩晩酌するので、もつ煮込みの方が有難かった。
ビーフシチューも好きですよ。
特に妻が作ったビーフシチューは最高です!
〆でいただく事にして。
「うん! 美味い!」
「そう、よかった」
母はその言葉を聞いて安心したのか、椅子に置いていたバッグを取りました。
「帰る?」
「うん。そろそろお父さんも帰って来るから」
「そう、じゃあ、気を付けてね」
「あなたも仕事頑張りなさい」
「はいはい、じゃあね」
と言う事で、争いの種は帰って行きました。
妻が母を嫌うのには理由があります。
僕たちは結婚する時、子供を持たない約束をしたんです。
僕は、子供が欲しかったんですが、妻は欲しくないそうで、産まなければならないなら、結婚はできないと言われました。
僕は、子供が欲しい以上に、彼女と結婚したかったので、その条件を呑み、両家の両親にもそのように報告したんですね。
もちろん、僕の両親も承諾しました。
母は「いろんな夫婦がいるからね。今どきよね」と言っていました。
にも関わらず、僕たちの顔を見れば「早く孫を見せなさい」と言ってくるんですよ。
何度もうちはできないよ、と言ってあるにも関わらず、です。
忘れるのか、口癖なのか、気が変わったのかは不明。
なので、妻が母にあまり会いたがらないのも仕方なし、なんです。
今日もきっと、そういう話が出たんでしょう。
妻は上手くスルーできないだけなんです。
母が帰ったのを見計らったかのように、妻が出てきました。
「帰った?」
帰ったってわかったから出てきたんだろう! って思ったけど、口には出しません。
「うん。ごめんね」
「ううん。ナツ君が謝る事じゃないけどね」
「お母さんの代わりに謝っとく」
「ふふ」
そう言ってキッチンに入り、ビーフシチューを温めます。
その時――。
LINEのアイコンに、赤いバッチが表示されたのです。
そっと、ロックを解除すると、リナからでした。
『明日、15時にクライアントとアポ取れました』
場所は博多駅近く。
ハイクラスホテルのティーラウンジ。
明日はちょうど在宅の予定だった僕は、『行きます』と返信を打ち込んだ。
「奈々、明日、午後からアポ入ったー」
少し、声が上ずった。
「そう。わかった」
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