エピローグ:遥かなる空の下で
エピローグ:遥かなる空の下で
「――――とりあえず三人とも、いろいろ大変だったね」
翌日のことだった。
あの激闘から一夜明けたこの日の放課後、戒斗と遥、そして琴音の三人は秋葉原のメイド喫茶『カフェ・にゃるみや』を訪れ、例のバックヤードの私室でマリアと顔を合わせていた。
「マジでひどい目に遭ったぜ、二度とごめんだ」
と、いつものような軽口を叩くのは対面に座る戒斗だ。その横には同じような丸椅子を引っ張ってきた遥がちょこんと座っていて、更にその隣では琴音もやっぱり丸椅子に腰掛けている。
「あはは、でも事後処理も大変だったんだよ? 今回は特に派手にやらかしてくれたからねぇ」
「不可抗力だっての。まさか対戦車ミサイルまで持ち出すとは思わなかったがな……」
「遥ちゃんに聞いたけれど、カイトってばミサイル撃ち落としたんだって?」
「あの時はああするしかなかったんだ。二度とやりたかねえがな」
「いやあー……僕も大概だからアレなんだけどさ、人間業じゃなくない?」
「びっくり人間の世界代表みたいなお前に言われてもな……」
そんな風に二人が冗談っぽい会話をしている中、横から遥が「あの……」と口を挟んでくる。
「ところでマリアさん、兄様の……八雲の行方は?」
彼女の質問に、小さく眉をひそめたマリアは「駄目だったよ」と答える。
「一応探ろうとはしてみたんだが、流石は八雲だね。痕跡ひとつ見つけられやしなかった。完全に行方不明、お手上げだね」
「そうですか……」
「ミディエイターに繋がるような手がかりも一切なし。現状では手詰まりに近いね」
言って、マリアは傍らのカップに淹れたコーヒーを一口啜る。
「ま、そう悲観することはないよ。現に琴音ちゃんに迫っていた脅威は退けられたわけだし、あのマティアスを仕留められただけでも大金星だ」
「そう言ってもらえると気が楽だぜ、あのサイボーグ野郎にゃとことん骨が折れたからな」
「それに八雲の言うことが本当なら、しばらくの間はミディエイターも琴音ちゃんに手出しはしないと見ていい。あくまで一時的にだし、油断は禁物だけれど……ひとまず、肩の荷は下りたってところかな」
薄い笑顔でそう言いながら、マリアはまたカップに口をつける。
「――――で、ここからが本題なんだけれど」
そうしてカップを手元のソーサーに戻すと、マリアは改まった調子でそう言った。
「カイトに遥ちゃんも、今後はどうする気だい?」
「どうする、というと……?」
「琴音ちゃんの護衛の件だよ。本人にバレちゃった以上、色々と再検討しなきゃならないだろう? このまま学園に潜入し続けるのか、別の方法で彼女を守り続けるか……あるいは手を引くか。どうしたいのか、訊いておきたくてね」
マリアに言われて、戒斗と遥は顔を見合わせる。
その後で戒斗はまた彼女の方に向き直ると、
「……俺は、続けたいとは思ってる」
と、そう彼女に答えた。
「あくまで琴音が良ければ、の話だがな。それに……普通の学生ってのが、存外楽しくなってきちまったのもある」
「私も……戒斗と同じ答えです。琴音さんに許して頂けるのなら、今まで通りに……学園ではただのクラスメイトとして、一緒に過ごしたいです」
「……だそうだが、どうする琴音ちゃん?」
訊かれた琴音は「えっと……」と少し思案して。
「私はその、全然構いませんよ? もちろん二人のことはすっごい驚きましたし、何度も死んじゃうかと思いましたけれど……でも、お兄ちゃんはお兄ちゃんだし、遥ちゃんは遥ちゃんだから。それに二人は私のことを必死で守ってくれた。出来ることなら……ずっと、ずうっと一緒に居たいよ」
そう、二人の顔をチラッと見ながら。真っすぐな目で答えた。
するとマリアは「じゃあ決まりだ」と微かに笑い。
「とりあえず現状維持。二人は引き続き学生って形で潜入しつつ、琴音ちゃんを守ること。ミディエイターや八雲についての諸々は僕から手を回して調べておくから、とにかく二人は彼女を守ってくれ」
と、二人に告げるのだった。
「了解だ、つまり今まで通りってことだな」
「……そういうことですね」
「ただし、だカイト。仕事の方はちゃあんとやってもらうから、そのつもりでいて欲しいな」
「仕事って、スイーパーのか?」
「当たり前じゃないか、ただでさえ君をご指名の仕事は山ほど来てるんだ。ミディエイターの件はあくまで善意のボランティア。仕事は仕事でちゃんとやって貰わないと、僕だって困るんだから」
「マジかよ……」
「心配しなくても、その時は僕なり別の信頼できる誰かを手配して、ちゃあんと琴音ちゃんの身の安全はキープするって」
「アフターフォローも完璧ってか。ご親切すぎて泣けてくるぜ」
言いながら肩を落とす戒斗と、それに苦笑いする遥と琴音。
そんな彼を眺めながら、スッと琴音は立ち上がると。
「とにかく――――改めてよろしくね、二人ともっ!」
ニッコリと、彼女らしい満面の笑顔を戒斗と遥に向けるのだった。
店の外に出ると、いつの間にか雨が降り出していた。
夕方の空を分厚い雲が覆い隠して、街はどこか薄暗く影を落としている。
昼でもなければ夜でもない、そんな
そんな雨模様の街を、戒斗と遥は……雑居ビルの外階段、メイド喫茶に続くL字型の外階段の踊り場に二人並び立って、ぼうっと見つめていた。
琴音が店のメイドさんと話し込んでいるのを尻目に、二人で先に出てきたのだ。
戒斗も遥も、ああいう騒がしいところはどうにも苦手だった。メイドさんたちは皆いい
「……雨は、いいですね」
壁にもたれかかる戒斗に、隣で同じように背中を預けた遥が呟く。
「貴方は好きですか、こういう雨の日は」
「好きか嫌いか、でいうと……そうだな、別に嫌いじゃないな」
「私は……雨の日が好きです。少し冷えた空気の色も、雨粒の音も……心地よくて、なんだか落ち着きますから」
「言われてみりゃ、分かる気もする。……今は、雨の日も悪くないと思えるよ」
「今はというと、昔は違ったんですか?」
見上げる遥と視線を交わしながら、戒斗は「まあな」と頷き返す。
「子供の頃から、嫌なことがあった日は大抵が雨だったからな。あんまりいい思い出がなかったから、昔は苦手だった」
でも――――。
「――――でも今、こうして眺めてると……不思議と、嫌な気持ちはしないんだ」
雨に濡れた都会の街並みを見つめながら、遠い目をして戒斗は呟いた。
「なんでだろうな。君の言うように、雨の音が妙に心地よく聞こえて仕方ない。それに……今思うと、あの夜もこんな雨が降ってたな」
「あの夜……?」
「遥と出くわした、あの夜のことさ」
思い返せば、あの時もこんな細やかな雨の降る夜だった。
薄暗い路地裏で、傷つき倒れていた遥と出会ったあの夜。戒斗の全てを塗り替えた、あの運命の夜も――こんな雨の降る、夜だったのを覚えている。
「ああ……確かに、そうだったかもしれませんね」
「なあ遥、ひとつ訊いてもいいか?」
「構いません、なんでも訊いてください」
「あの時……確か言ってたよな? やっと見つけた、って」
――――やっと……見つけた――――っ。
それはあの時、一瞬だけ意識を取り戻した遥が戒斗に言った言葉。縋るように手を伸ばした彼女が呟いていた、意味深な台詞。
それをふと思い出し、戒斗は何気なく問うていた。
「……そんなこと、言いましたっけ?」
しかし遥はきょとん、と不思議そうな顔で首を傾げてしまう。
「なんだよ、覚えてないのか?」
「すみません、あの時のことはあまり……」
「ま、そうだろうとは思ってたけどな」
あんな満身創痍で倒れていたのだ。あの言葉だってほとんど無意識に出てきた、意味のない台詞だったとしてもおかしくない。
だから戒斗はそう言って肩を揺らしたのだが、しかし遥は少し考え込むと。
「……もしかしたら」
と、いつもの抑揚の少ない声でポツリと呟く。
「運命、だったのかもしれませんね」
「なんだって?」
「こことは別の、遠いどこかで別れた貴方と、もう一度巡り会えた。ずっと昔から繋がっていた
私ってば、いったい何を口走っているんでしょうか……。
少し照れくさそうに、ふふっと薄い無表情の上で微笑む遥。
そんな彼女に戒斗はフッと笑いかけると、
「――いいんじゃないか?」
と、遠くの街並みを眺めながら言う。
「おとぎ話でもなんでも、そう思ったのならそう思えばいい。ただ……運命だった、ってのはその通りかもな」
「そう、でしょうか」
「あの夜を切っ掛けに、俺の何もかもが変わった気がする。琴音のことだってそうだ。遥と出会ってなけりゃ……きっと一生、知ることはなかったんだろうよ。そういう意味では……運命ってのは、きっとこういうことなんだろうな」
「……かも、しれませんね」
「ここまで来たら一蓮托生だ。ミディエイターのことも、遥の兄貴のことも。とことんまで付き合うぜ……最後まで」
「――――そう言って頂けると、少しだけ心強いです」
降りしきるしめやかな雨が、眠りを知らない街を静かに濡らす。
摩天楼ひしめく街の穢れを洗い流すように、雨はまだ降り続いていた。
そんな雨音に、ぽつんぽつんと滴る静かな音色に……戒斗と遥は、もうしばらくの間そこで耳を傾けていた。
やがて、店のドアがガチャリと開く。
いってらっしゃいませー、なんて賑やかな声に見送られて、それに負けないぐらいにはしゃぐ琴音が……きっと、あのドアの向こう側から出てきてくれるはずだ。
戒斗の幼馴染、遥のクラスメイト。二人にとっての守るべき対象。
こんな穏やかな時間は、きっと束の間の平穏に過ぎないのだろう。次なる戦いの気配が静かに忍び寄っていると……それに気付かない二人ではない。
でも、それでも今だけは。
今この時だけは、穏やかな
ドアの向こうから、琴音が現れる。
「お兄ちゃん、遥ちゃんっ! おまたせーっ!!」
大きく手を振りながら、駆け寄ってくる琴音。
戒斗と遥は一度互いに顔を見合わせて、フッと小さく笑い合うと……とてとてと小走りで近づいてくる彼女を、二人で出迎える。
「んじゃあ琴音も来たことだし、帰ろうぜ遥」
「ええ、帰りましょうか」
これは、ほんの始まりに過ぎない。
長く果てしない戦いの、これは単なる序章。戦いはまだ、物語はまだ……始まったばかりだった。
この先にどんな困難が、強敵が待ち構えているかは分からない。しかし、それでも戦い抜けると……戒斗も遥も、信じていた。その隣に彼が……彼女が居てくれるのなら、きっと――――。
(Chapter-01『舞い戻る執行者、交錯する運命‐Guardian Angel‐』完)
黒の執行者‐BLACK EXECUTER‐ 黒陽 光 @kokuyou_hikaru
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