第十一章:銀色の兄妹/02
遥の実の兄にして、宗賀衆を滅ぼした裏切り者――長月八雲。
彼女が追っていたその八雲こそが、今三人の目の前に居る青年だった。
「サイボーグ野郎の次は遥の兄貴かよ、泣けてくるぜ……!」
苦い顔で言いながら、戒斗はバッとP226を構える。
だがその直後、遥が「……戒斗」と、添えた指で戒斗のピストルを構えた右手を降ろさせた。
「手出し無用に願います。これは私の戦い、兄様とは……私が」
チラリと横目に見上げる遥の、ルビーのように真っ赤な瞳。
そこにあるのは強い意志。手を出すな、八雲とは自分一人で剣を交える……と、彼女の瞳は言葉よりも強く戒斗に訴えかけてきている。
「……分かったよ」
だから戒斗はピストルを収めて、
「だが無理はするな。ヤバそうだったら手は出す」
と言って、最後に彼女の頭にポンッと少しだけ手を乗せてから……琴音を連れてゆっくりと後ずさっていく。
「……お心遣い、感謝します」
遥も薄い無表情の上でフッと小さく笑うと、その細い右手でスッと背中の忍者刀に触れる。
カチャリと鞘から抜き、静かに逆手で握り締めた忍者刀。
十二式隠密暗刀・陽炎弐式――――。
油断なく構えたその刃を煌めかせながら、遥は目の前の兄と睨み合う。
「そうだ、それでいい」
すると八雲もフッと微かに口角を吊り上げて。
「我らの間に、無粋な
静かに、そっと……腰を低く落とし、斜めに構えた。
左手は腰の鞘を握り、右手は刀の柄に沿わせながら、斜めに構える八雲。
(野郎、抜刀術の使い手か……!)
その構えを見た瞬間、戒斗はすぐに悟っていた。
あれは――居合、抜刀術の構えだ。
刀を鞘に納めたまま、神速の抜刀で以て相手を叩き斬る剣術。奴は……八雲は、その抜刀術の使い手のようだ。
その証拠に、刀を抜いていないというのに一切の隙が無い。
ひとたび射程圏内に踏み込めば、逆にやられてしまうのではないか……と、対峙している側へ無意識にそう思わせるほど、八雲には一分の隙も無かった。
「…………ッ」
その証拠に、遥も踏み出せぬまま立ち尽くしている。
八雲と睨み合ったまま、一向に動こうとしない。
いや……動けないのだ。
それほどまでに隙の無い相手、それほどまでの剣の達人……どうやらそれが、当代最強とまで言われた忍、長月八雲という男のようだった。
だが、いつまでも睨み合ったままではいられない。
「どうした、我が妹よ。来るがよい」
「ッ――――!!」
意を決し、遥はダンっと飛び出した。
身を低くして大きく踏み込み、流星のような勢いで八雲の懐目指して飛び込んでいく。
(速い……!)
目では追いきれないほどの、とんでもない速さでの踏み込みだ。
飛び込んでいく遥の素早さを見て、戒斗は改めて驚嘆する。
「フッ――」
だが、それを前にして八雲が浮かべるのは小さな笑み。
真っすぐに飛び込んでくる遥を真っ正面から見据えながら、静かに間合いを測り……キッと目を尖らせた瞬間。
「
その瞬間――――パッ、と八雲の手元で閃光が瞬いた。
次に響くのは、ギィィン……と金属同士が激しくこすれ合う甲高い音。
見ると……いつの間にか八雲が抜いていた刀が、遥の忍者刀と正面から激突していた。
――――見えなかった。
二人の戦いを琴音と一緒に見ていた戒斗は、八雲がいつ刀を抜いたのか……全く分からなかった。
少しもまばたきせずに見ていたのに、八雲がいつ刀を抜いたのか、いつ遥がそれを防いだのか……全く、見えなかったのだ。
まさに、神速――――。
長月八雲の抜刀術、それは目視できないほどの速度で放たれた一瞬の閃き。まさに神速と喩えるに相応しいほどの……彼は恐るべき剣の使い手のようだ。
「くっ……!!」
「フッ、やはり防いだか……我が妹ながら、見事」
忍者刀と日本刀、二つの刃をぶつけ合い鍔迫り合いをしながら、苦い顔の遥に八雲がそう語りかける。
だが、そんな鍔迫り合いを見ていて、戒斗はおかしな点に気付いた。
――――八雲の刀は、遥の忍者刀と正面から鍔迫り合いをしているのだ。
彼女の忍者刀『十二式隠密暗刀・陽炎弐式』は高周波ブレード。超音波振動であらゆる物体を斬り裂く、無敵の刃だったはずだ。
例え分厚い鋼鉄だろうと、薄紙のように斬り裂く剣。
それが……どういうわけだか、八雲の日本刀の刀身を真っ二つにはせず、正面から鍔迫り合いを演じているではないか。
それに、聞こえるのはギィィン……という甲高い音。金属同士が激しくこすれ合うような音が、ずっと二人の刃の間から聞こえてくるのだ。
その二つの事実を結び付けた先に、見えてくる答えは……。
「まさか……野郎の刀も高周波ブレードか!?」
――――八雲の刀もまた、遥と同じ高周波ブレードだということだ。
戒斗の驚いた声を聞いた八雲はフッと笑い、タンっと後ろに飛んで遥との間合いを大きく取ると。
「ほう? もう気付いたか。例の二つ名は伊達ではないらしいな」
と言って、右手の日本刀をこれ見よがしに戒斗たちに見せつける。
「そなたの申す通り、我が愛刀……『
白銀の長髪をふわりと風に靡かせながら、八雲はどこか嬉しそうに言う。
――――
やはり戒斗の見立て通り、あの刀も同じ高周波ブレードで間違いないようだ。
恐らくは、元から八雲が使っていたもの。遥の陽炎弐式と同じく、宗賀衆で造られたものだろう。
ただ違う点は、真っすぐな刀身の忍者刀じゃなく……緩く弧を描いた、もっと長い刀身の日本刀ということ。
その名が示すように、どちらかといえば太刀に分類される長さの刃渡りだ。これぐらいの方が、きっと長身の八雲には丁度いいのだろう。
そんな刀をカチャン、と鞘に納めた八雲がまた斜めに構える。
「さあ来るがよい、そなたの剣を見せてみろ……我が妹、遥よ」
「言われずとも……!!」
タンっと地を蹴って、遥がまた飛び込んでいく。
だが今度はただ飛び込むだけじゃない。右手で忍者刀を構えながら……空いた左手をひゅんっと閃かせる。
閃いた左手が投げるのは、五枚の十字手裏剣。
それに対して八雲が取れる行動は、避けるか斬り払うか。避ければ構えは解け、斬り払えば居合を受けることはなくなる。どちらを選んだとしても、遥が優位に立つ……!
「――――笑止」
しかし八雲はフッと笑うと、抜き放った刀で手裏剣を斬り払った。
キィィン……っと、一太刀で纏めて払われた五枚の手裏剣が彼方に飛んでいく。
だが、これで隙は出来た。この間に懐に飛び込みさえすれば……勝てる!
「はぁぁぁっ!!」
ザンっと、遥が逆手持ちの刃で斬り上げる。
だが対する八雲は笑ったまま、クッと右手を捻って刃を返し。
「詰めが甘いぞ――――我が妹よ」
そのまま、とんでもない速度で刀を振り下ろした。
振り上げた格好から刃を返し、斜めに振り下ろす袈裟懸けの斬撃。
ありえないほどの速さで放たれたその一閃は、今まさに遥が振り上げた忍者刀、その刀身の横っ腹に直撃し……彼女の手から弾き飛ばした。
「くっ!?」
衝撃で大きく右手が外側に投げ出される。受け流し切れなかった手のひらから忍者刀が滑り落ち、彼方に飛んでいく。
ひゅんっと回転しながら飛んでいった忍者刀が、遠くの地面に突き刺さる。
だが――――遥は、諦めなかった。
「この……ぉぉっ!!」
続く八雲の三の太刀を、バッと後方にバック宙で飛んで回避。そのまま遥は両手のワイヤーショットを空中で発射すると、八雲の日本刀……その刀身を細長いワイヤーで絡め取った。
「む……」
「はっ!」
着地した遥がバッと両手を大の字に開くと、それに刀が引っ張られる。
八雲は刀を取り落とすことはしなかったが、しかし彼女のワイヤーに引っ張られて思うように動かせない。
「やるな遥よ、思えば糸を使った絡め手は……そなたが一番だった。里で右に出る者が居ないほどに」
「聞かせてください、兄様……!」
そうして八雲の刀をワイヤーで拘束したまま、遥が呼びかける。
「何故……裏切るような真似をしたのです!? 宗賀衆を裏切り、里の皆を殺し尽くし……そうまでして、兄様は何がしたいのですかっ!? 皆いい人ばかりだった……なのに、皆をその手にかけて、ミディエイターに寝返って! 教えてください兄様……どうして、どうしてっ!!」
今まで聞いたこともないほどに張りつめた大声の、悲痛な遥の叫び声。
普段の彼女からは想像もできないぐらいに、大きな声で……感情を剥き出しにした、訴えかけるような叫び。
しかし八雲は妹のそんな悲痛な声を耳にしても、浮かべた笑みを崩さぬまま。
「なに、簡単なことだ」
と、涼しい顔で言う。
「世界を平和にするため、人間から争いを永久に追放するため……と言ったら、そなたは信じるか?」
「嘘をつかないでくださいっ!」
「そんなことは不可能だと、そう言いたいようだな。だが――可能なのだよ、ミディエイターならばな」
「だからって……だからって、里の皆を殺していい理由にはならないっ!!」
「なるさ、必要な犠牲だったのだから」
「ッ……! そんな勝手な理屈でっ!!」
「だが、事実なのだ。さあ遥、我が妹よ。お主もこちらへ来い。いずれ
だから――――ゆくぞ遥よ、ミディエイターの元へ」
そう言って、八雲は左手をそっと差し伸べる。
…………彼女が、その手を取ってしまうんじゃないか。
ただ見ていることしか出来ない戒斗の胸にふとよぎるのは、そんな一抹の不安。
兄の言葉に従って、その言葉が真実だと信じて……彼女が行ってしまうのではないか、と。何故だかそんな不安が、戒斗の胸中によぎっていた。
だが、遥は――――。
「…………ふざ、けるなぁぁぁっ!!」
その手を、迷わず払いのけた。
叫び声をあげながら、バッとワイヤーを解き。両手でバッと無数のクナイを投げつける。
八雲に殺到する、十数本のクナイ。
拘束を解かれた彼がそれを斬り払う隙に、遥はバシュンっと射出した右手のワイヤーで忍者刀を手繰り寄せ。それを逆手に構え直せば、ダンっと凄まじいスピードで八雲の懐に飛び込んでいく。
飛び込む遥と、迎え撃つ八雲。
忍者刀と日本刀、陽炎弐式と雪風。
二つの刃が目にもとまらぬ速さで幾度も斬り結び、二人の間に無数の火花を散らす。
「そんな……そんな理屈で、里の皆をっ! 許さない……絶対に許しはしない! 貴方は私だけじゃなく、宗賀衆そのものを……忍の在り方そのものを、貴方は侮辱した!」
「侮辱などしてはいない。正しい力の使い方を示しただけだ」
「戯言をっ! 兄様……いいや、長月八雲っ! 貴方は私が止める……必ず、絶対に!」
声を荒げながら、兄と刃を交わす遥。
そんな彼女と斬り結ぶ中、八雲はスッと目を細めて。
「……遥よ、そなたは少し変わったな」
と、あくまで平静な声で呟く。
「今のそなたの剣は、昔とは少し違う……氷のように冷たく無感情だったお前の刃に、今は……烈火の如く熱き心が宿っているように思えてならん。お前らしくもない……。
……そうか、そういうことだったのか。あの男が変えたのだな……そなたを」
言いながら、剣を交えながら、八雲はチラリと遠くの戒斗を見る。
「ならば――――今のそなたに、何を言っても無駄ということか」
続けて呟くと、八雲はバッと大きく飛び退いて間合いを取る。
「来るがよい、ここからは本気で立ち合おう」
ザッと構え直した遥に向かって言い、八雲は再び刀を鞘に納めて。腰を低く斜めに構えると……抜刀術の構えを取った。
「八雲……貴方の罪は、妹の私が裁きます……!!」
遥もまた腰を低く落として、静かに……刃を構えた。
「――――輪廻の輪より外れし我が身に、背負うは月影……」
次の交差で、きっと全てが決まる。
「魑魅魍魎、蔓延る常世の闇を祓うは我、上弦の月を背負いし我が刃……」
言われずとも、理解している。ならばこの一閃に、己の全てを賭けるのみ……!
「宗賀衆上忍、雪華! ――長月八雲! その悪逆非道の行い、許す道理もなし! 私の刃で、貴方の罪を祓い砕いてみせましょう……!!」
「よかろう……来い、我が妹よ!」
「覚悟――――ッ!!」
瞬時に踏み込んだ遥と、八雲が交差したのは一瞬。
キィンッ……と鳴り響いて、微かな火花が散る。
交差した二人が、静止したまま背中を向け合う。
遥は斬り抜けた格好で、八雲は抜刀した右手を振り上げて残心し。そのまま……しんと静寂が支配すること、数秒。
「くっ……………!」
小さく喘ぎながら、遥が――がっくりと膝を折った。
「遥っ!」
「遥ちゃんっ!!」
ハッとした戒斗と琴音が、倒れた彼女の傍に慌てて駆け寄っていく。
「大丈夫か、おい、しっかりしろっ!」
戒斗が抱え起こしてみると……しかし、彼女はどこにも傷を負っていない。
一体、どういうことだ――――?
倒れたということは、間違いなく彼女は八雲に斬られたはず。それなのにかすり傷ひとつ負っていないというのは、一体……?
「安心するがいい、峰打ちだ」
カチンと刀を鞘に納めながら、八雲が背中越しに言う。
「てめえ……!」
そんな彼に向かって、戒斗は振り向きざまにP226を向ける。
しかし八雲は刀を抜くことなく「やめておけ」と言い。
「今のお主らでは、私には勝てん」
「ほざけよ!」
「ならば、試してみるか――――?」
振り向いた八雲が、戒斗を鋭く睨み付ける。
鋭く尖った瞳、遥と同じルビーの瞳は……しかしその色とは裏腹に、氷のような冷たさを秘めていて。その瞳の奥底にある底知れなさを見れば、戒斗はトリガーを引けぬまま「くっ……!」と歯噛みすることしかできない。
ここで戦っても、勝ち目はない。
悔しいが事実だった。戒斗が間違いなく自分より強いと認める遥が、こうして負けた相手だ――今の自分が、それも琴音と遥を庇いながら戦ったところで、八雲に勝てる確率は万に一つもないだろう。
仮に一人きりで戦えば、違ったかもしれない。
だが……現実として今この状況、八雲と戦ったところで……勝ち目などありはしない。
それを見て八雲は「それでよい」と頷き。
「…………変わったな、遥」
と、戒斗の腕の中でうめく遥に呟く。
「届かなかった、のですか……私の、剣は……」
「――――いいや、届いたさ」
呟いて、八雲は右の頬をそっと撫でる。
戒斗たちには見えない方、彼の右頬には――薄くだが、一条の刀傷が走っていた。
微かに滴る赤い血をそっと指先で拭って、八雲は静かに目を伏せる。
「今日のところはお開きにしよう。マティアス殿がやられた旨、我が
それに、と八雲は付け加えて。
「遥、そしてお主……
フッと小さく笑い、八雲は言う。
「故に、その娘はそなたらに預けておく。だが……あくまで一時的に、だ。いずれ近いうちに必ず、折鶴琴音は頂いていく」
「……させるかよ、俺たちが」
「その意気やよし。ならば次に会うときを楽しみにしておこうぞ」
キッと睨み付ける戒斗に八雲は言って、その後で一言。
「…………遥を、頼む」
最後にボソリと小さく呟くと、八雲はそのまま姿を消した。
景色に溶け合うように、八雲の長身痩躯の身体が消えていく。
ジジッ……と小さな稲妻をスパークさせながら、どういうわけだか八雲の姿は溶けてなくなってしまった。まるで幽霊のように、最初から……誰もいなかったかのように。
「消えた……!?」
その光景に驚く戒斗に、腕の中で遥が小さく呟く。
「……光学、迷彩です」
「っていうと、透明になるっていうアレか……?」
「試作段階でしたが、宗賀衆で造られていたものです。恐らく……持ち出したのでしょう、プロトタイプを」
「おいおい、マジかよ……いよいよSFじみてきたな……」
「ですが……これでハッキリしました。兄様……八雲とミディエイターは、確実に私の敵となる存在ということが」
遥は言いながら、よろめきつつも立ち上がる。
そんな彼女を支えてやりながら、戒斗は「チョイと違うな」と言い。
「遥の、じゃない。俺たちの敵……だろ?」
と、微かに表情を緩ませて彼女に言った。
「……しかし、これ以上巻き込むわけには」
「今更水くさいこと言うなよ、ここまで来たら一蓮托生だ」
それに――と戒斗は言いながら、チラリと琴音を見る。
「琴音が狙われてるってことが、今のアイツの口ぶりで改めて分かった。それに……やっぱり君を一人で放ってはおけない。だから……見過ごせねえよ、俺だって」
「……では、戒斗」
「おうよ。こっから先もよろしく頼むぜ、遥?」
これはきっと、ほんの始まりに過ぎないのだろう。長く果てしないミディエイターとの戦い、その序章でしかないに違いない。
そんな始まりの予感を肌で感じながら――――戒斗と遥、そして琴音の三人は、ひとまずの脅威を退けたのだった。
(第十一章『銀色の兄妹』了)
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