第五章:クロッシング・トライアングル/09

「それじゃあ二人とも、また明日ねーっ!!」

「はい、また明日です」

「じゃあな」

 その後もショッピングモールで目いっぱい楽しんで、夕暮れ時。琴音のマンションの前で戒斗と遥は彼女と別れたところだった。

 帰り道の安全も考えて、さりげなく彼女を自宅まで送り届けていた。琴音がマンションのエントランスの向こうに消えていくのを見送ったら、これで万事完了だ。

「……では、私たちも帰りましょうか」

「おう」

 琴音を見送ってから、二人も帰路に就く。

 薄暗い薄暮はくぼの空の下、街灯に照らされた細道を横並びになって歩く二人。

 そうやって並んで歩きながら、遥は何気なしに口を開く。

「……今日は、楽しかったですね」

 声は、いつもと変わらぬ抑揚の少ない声。感情の起伏が読み取りづらい、そんないつもの遥の声音だ。

 でもその中に、どこか嬉しそうな色が混ざっている。何故だか分からないが、不思議と戒斗にはそんな風に聞こえていた。

「途中で水を差されなきゃ、言うことなかったけどな」

「あの時、結局どうされたんです?」

「たまたま知り合いのスイーパーだったからな、雇い主に伝言を頼んで手を引かせたよ」

「知り合いでしたか……世間は狭いですね」

「俺たちの界隈は特に、な。先方には琴音に関わらないように伝えておいた。後はどう動くかだが……却って向こうが派手なアクションを取る可能性もある。一応、気には留めておいてくれ」

「はい。とはいえ、ミディエイターがこのまま引き下がるとは思えませんが……」

 少しシリアスな声で呟く遥に「だろうな」と戒斗は相槌を打ちつつ、

「ところで、結局ミディエイターってのはどういう連中なんだ?」

 そう今更な疑問を、彼女に投げかけた。

 しかし遥は「……私にも、詳しいことは」と首を横に振る。

「ただ、ミディエイターが何らかの理由で琴音さんを欲していること、そして……とても大それた企てをしていることは事実です」

「大それた企て、ねえ……」

「その詳細については、私にも分かりません。しかし兄様を問いただせば、あるいは……」

 ――――兄様。

 それは遥が追っているという彼女の兄、長月八雲のこと。かつて『極夜きょくや』の忍名で恐れられた当代最強の忍にして、彼女の故郷だった宗賀衆を滅ぼした謀反人……。

 こうして何気ない日常を過ごしていると忘れがちだったが、彼女の一番の目的はその八雲を追いかけることなのだ。琴音を守ることは、その過程で知ったこと。彼女の根底にある目的は……八雲を見つけ出し、里を裏切った真意を確かめることにあるのだ。

「君の兄貴……か」

 それを思い出したからか、戒斗は何気なくポツリと呟いていた。

「……辛くは、ないのか?」

「どうして、そんなことを?」

「君も知っての通り、俺にも姉ちゃんと弟が居る……いや、居たからな。だから少しぐらい分かる気はするんだ。兄貴が裏切り者で、それを追わなきゃいけない君の辛さ……みたいなのは」

 ま、俺が分かった風な口を利くようなことじゃないんだが――――。

「ただ、もしも姉ちゃんがそうだったらと考えたら……辛いな、と思った」

 夕闇の道を歩きながら呟いたのは、紛れもない戒斗の本心だった。

 それを聞いた遥は、ほんの少しだけ驚いた顔をして。でもすぐに普段の薄い無表情に戻ると、僅かに目を伏せて。

「……辛くない、と言えば嘘になります」

 と、隣を歩く彼にポツリと呟く。

「ですが、私は兄様の真意を知りたい。何を思って里を裏切り、ミディエイターに寝返ったのか……私はその理由を知りたいんです。後のことを考えるのは……それを確かめてからでも、遅くはありません」

 薄い無表情で、抑揚の少ない感情希薄な声。

 でもそんな薄氷のようなベールの向こう側に、確かな意志を戒斗は垣間見たような気がした。小柄で華奢な身体には見合わないほどの、芯の強さのようなものを。

 だから戒斗はそっと目を細めると、一言。

「……強いんだな、君は」

 と、嘘偽りのない本音の言葉を呟いていた。

「俺ならきっと、耐えられない」

 続く言葉も、心の底から滲み出てきた彼の本音で。その言葉に遥はこれといって言葉を返さず、少しの間を置いた後で……やっと、ポツリと紡ぎ出す。

「何にしても、今は今の私たちに出来ることをするのが先決です。必ず守り切りましょう、琴音さんを――――」

「ああ……そうだな。今はそれが最優先だ」

 そう、今はそうするしかないのだ。

 八雲が裏切った理由も、ミディエイターという組織の全貌も分からない今、二人にできることはただひとつ。目の前の彼女を、折鶴琴音を守り通すことだけ――――。

 今はただ、出来ることを全力でやるしかないのだ。その果てに見えてくるものが、真実がきっとあるはずだと信じて。

 …………でも、今だけは。

「楽しかったですね……今日は、本当に」

 今だけは、楽しかった時間の余韻に浸っていたいと……彼の隣を歩きながら、何故だか遥はそう感じていた。

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