第五章:クロッシング・トライアングル/03

「それじゃあお兄ちゃんに遥ちゃん、日曜日にねー」

「はい、楽しみにしています」

「気をつけて帰れよ、お前は昔っからおっちょこちょいだったからな」

「ひどーい! っていうかおっちょこちょいなのはお兄ちゃんの方じゃんっ!」

「そうだったか?」

「んもーっ! ……とにかく! 二人ともまた日曜日にねっ! ばいばーいっ!!」

 で、放課後のこと。茜色の夕陽に照らされる校門で、戒斗と遥はちょうど琴音と別れたところだった。

 二人は帰路へ、琴音は別の友達と誘い合わせたのかまた街の方へ。それぞれ背を向けて別方向に歩き出していく。

 そのまま戒斗たちはこっそり琴音の後を追う……かと思いきや、本当に彼女と別れて家路に就いていた。

「一旦俺の家に行って着替えてからだ。制服のまま運転ってのも流石に……な?」

「分かりました。……しかし、良かったのでしょうか」

「なにがだ?」

「琴音さんのことです。私たちが付いていなくて……大丈夫でしょうか」

 帰り道を二人並んで歩きながら、どこか不安げな様子で遥が呟く。

 それに戒斗は「心配すんなって」と言って、

「今日は俺らの代わりにマリアが付いてくれることになってる。なんてったってアイツは引退したといえ、元は伝説のスイーパーだった女だ……考えようによっちゃあ、俺たちよりも安心かも知れねえぜ?」

「まあ……そうですね」

 ――――今日だけは、琴音の護衛をマリアに代わって貰っている。

 今日は戒斗たちがちょっと用事があって、その代わりに彼女がこっそり琴音を守る手筈になっていたのだ。今頃はもうマリアは何食わぬ顔で琴音の後を追っているに違いない。

 遥が不安がるのも尤もだが、しかし戒斗が言ったように……マリアはかつて最強と名高い伝説のスイーパーだった女だ。今はもう一線を退いているといえ、その実力は衰えていない。冗談でもなんでもなく、護衛役としてはこれ以上なく安心できる相手なのだ。

 だから戒斗は琴音のことを一切気にせず、今はただ家路を急いでいた。

「――――ここだ、上がってくれ」

「あ、はい。お邪魔します」

 そうして歩くこと数十分。戒斗は自宅マンションの305号室に遥を招き入れる。

 閉めた玄関ドアをガチャンと施錠して、彼女をリビングルームの方へといざなっていく。戒斗は「着替えてくる、適当にくつろいでてくれ」と言って、一旦奥の部屋へと入っていった。

「ふむ……」

 そうして独り残された遥は、何気なくリビングルームを見渡してみる。

 ……なんというか、質素な部屋だなというのが第一印象だった。

 別に殺風景だとか生活感がないだとか、そういうわけじゃない。ソファやテーブルなんかの調度品はちゃんと一通り揃っているし、テレビ台には映画のDVDが何枚か、ケースの蓋が開いた状態で無造作に放置されている。

 そう、殺風景というわけじゃないのだ。

 だが……なんというか、質素だなという感想を遥は抱いていた。

 生活感は確かにあるのに、でも何かが違う。ここは彼の居場所じゃない……というのだろうか。ただの勘違いかも知れないが、何気なくこの部屋を見渡していた遥にはそう思えていた。

「待たせたな」

 といった頃に、ガラリと戸を開けた戒斗がリビングルームに戻ってくる。今までの制服姿とは打って変わって、トレードマークの黒いロングコートを羽織ったいつもの私服スタイルだ。

「――――で、これは君に」

 すると戒斗は、傍らに持っていたものをスッと遥に差し出してくる。

「……これは?」

「昼休みに約束したろ? 遥に貸すって」

 それは何冊かの文庫本だった。遥がさっきの昼休みに貸してくれと言っていたシリーズの一巻から、三冊ほどのセットだ。

 遥はそれを「ありがとうございます」と言って受け取り、とりあえず肩に担いでいたスクールバッグの中に押し込む。

「覚えていてくれるなんて、律儀なんですね」

「別に、当たり前のことだろ?」

「その当たり前が、意外に難しいんです。……でも、少し驚きました。貸して頂きたいとは言いましたけれど、こんなにすぐだなんて」

「おいおい……俺を何だと思ってるんだ」

「正直、最初は冷たい人なのかなとも思いました。勘違いだって、すぐに気付けましたが。……意外に暖かい人なんですね、戒斗は」

 クスッと悪戯っぽく笑う遥から、戒斗は少しだけ照れくさそうにしながら小さく顔を逸らす。

 そんな彼にまた小さく笑いかけて、遥はふと思いついたことを彼に問うてみた。

「……そういえば、戒斗って今おいくつなんですか?」

「いくつって、なんの話だ?」

「歳の話です。答えたくなければ、構いませんけど」

「……歳なら、確か22だったはずだ。俺の記憶が確かならな」

 戒斗が言うと、遥は少しだけ驚いたように目を丸くして。それからまた無表情の上にほんのちょっぴりの笑顔を浮かべると。

「なら、ひとつだけ私の方がお姉さんなんですね」

 と、彼に小さく笑いかける。

「マジかよ、年上だったのか?」

「はい、私は23ですから」

「驚いたな……琴音と同年代ぐらいだとばっかり」

「それは私もです。てっきり私より年上だとばかり思っていたので……」

 心底驚いたような顔の戒斗に言って、その後で遥は「だったら――――」と口を開いて。

「これからは、お姉さんに何でも頼ってくださいね?」

 と、悪戯っぽい笑顔で言ってみる。

 遥からしてみれば、ほんの冗談のつもりだった。

 でも、戒斗は――――今の言葉を聞いた彼は、目を丸くして驚いていて。手に持っていた車のキーを思わず落としてしまうほど、大袈裟なぐらいに驚いていた。

「あ、あの……嫌でしたか?」

 そんな彼の反応にびっくりして、遥は恐る恐る問うてみる。

 すると戒斗はハッと我に返って「いや……」と首を横に振り。

「……驚いたんだ、そんなこと……誰にも言われたこと、なかったから」

 と、落としたキーを拾い上げながら呟く。

「俺を頼ってくる奴は居たよ、大勢な。でも……誰かに頼っていいなんて言われたこと、これが初めてなんだ。姉ちゃんやマリア以外にそんなこと、言われたことなくて……だから、すまん。ちょっと動揺しちまった」

「そうでしたか……」

「でも遥、なんでそんなことを俺に?」

 訊いてくる戒斗に「特に、これといって理由はありません」と遥は返して。

「強いて言うなら、今の私が貴方に頼り切りですから。ミディエイターのこと、琴音さんのこと……だからでしょうか。少しぐらいお姉さんらしく、貴方に頼られたいって思ったんです」

 と、ありのままの気持ちを言葉にした。

「……俺が好きでやってることだ、気にするな」

「でしたら、私も好きでやらせてください。私のこと……お姉さんのこと、本当に頼ってくださっていいんですよ?」

 ふふっと氷のような無表情の上で小さく微笑む遥に、戒斗は何かを言おうとしたが……しかし上手く言葉にならなくて。台詞を紡げない口が何度か空を切った後で、ただ短く一言。

「……それも、良いかもな」

 と、小さく肩を揺らしていた。彼にしては珍しいほどに、綻んだ表情で。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る