第五章:クロッシング・トライアングル/02

 それから昼休みが訪れると、戒斗たちは例によって琴音に連れられて屋上にやって来ていた。

 琴音はベンチに腰掛けていつも通りに自前の弁当箱を開き、その隣にちょこんと座った遥はまたメロンパンの包みを開いていて。そんな二人を眺めながら、戒斗はフェンスにもたれ掛かって菓子パンを食べている。

「遥ちゃんってさ、ホントにメロンパン好きだよね」

「……そう、でしょうか?」

「いっつも食べてるからねー。お兄ちゃんもそう思うでしょ?」

「言われてみれば、確かにな。遥は大体メロンパン食べてる気がする」

「ふむ……私としては別に意識しているわけではないのですが」

「無意識なら、余計に好きってことじゃない?」

「かもな」

「……なるほど?」

 はむはむとメロンパンを頬張る遥を眺めつつ、そう話している最中。琴音は「あ、そうだ!」と急に言い出すと、今度は戒斗の方に話を振ってきた。

「ねえお兄ちゃん、さっき読んでた本って一巻目だよね?」

「ん? そうだが……なんだよ急に」

「いやー、やっぱり貸して欲しくってさ。次の授業って確か歴史じゃん? 私なんか歴史の授業って退屈でさ、真面目に聞いてると眠たくなっちゃうんだー。だから暇潰しに丁度いいかなって」

「おいおい……まあ良いけどよ。ホラ」

「ありがとー」

 言われた戒斗は呆れつつも、懐から取り出した文庫本を手渡してやる。

 受け取った琴音は箸を一度置くと、何故か今すぐその本を開いて――――すると、どういうことだろうか。パラパラと本を高速で捲り始めたではないか。

 斜め読みなんてスピードじゃない、それこそパラパラ漫画でも見るような速度でサッと初めから終わりまで捲れば、琴音はすぐに「ん、ありがとお兄ちゃん」と言って本を突き返してくる。

「ありがと……って、もういいのかよ?」

「うん、もうだいじょーぶ。貸してくれてありがとね」

「待てよ、まるで意味が分からんぞ」

 そんな琴音の理解に苦しむ行動に戒斗が戸惑っていると、

「…………完全記憶能力、ですね」

 ポツリと、その隣で遥が呟いた。

「っていうと、見ただけで何でも記憶するっていう……アレか?」

「んだねー。中身を覚えるっていうより、見たものをそのまま画像で頭に入れちゃうっていうのかなー。だから本の内容はまだ理解してないよ? 単にページの光景を覚えただけ。後で授業中に思い出しながら読むから、感想はその後でね?」

「……マジかよ」

 琴音はさも当然のように言ったが、しかし戒斗は驚きのあまり絶句していた。

 ――――完全記憶能力。

 別の言い方をすれば瞬間記憶、またはフォトグラフィックメモリーという言い方もある。要は琴音が言ったように、見たものをそのまま画像として頭に記憶してしまう……という、一種の特殊能力だ。

 ただし中身を理解するのではなく、あくまで見た景色をそのまま記憶に残すだけ。

 パソコンで例えるなら、普通の人が内容を分かった上でテキストデータで保存するのに対し、琴音の場合は目で見たままを画像データとして無条件に保存し続けているといった具合か。

 だから琴音はあくまで本のページを覚えただけで、まだ内容をちゃんと読んで理解したわけではない。

 ……何にしても、凄い能力だ。

 琴音の頭が良いのは幼い頃から知っていたし、何よりマリアが調べた経歴で十分に分かっていたつもりだったが……しかし、これほどまでだったとは。ミディエイターが彼女の優れた頭脳を目当てで狙っているというのも、あながち間違いじゃないかもとすら思えてしまう。

「まー、便利なことばっかりじゃないけどね。忘れたいことでも忘れられないし、その辺りは不便かも」

 あははっ、と笑いながら言う琴音に、戒斗は「おいおい……」となんとも言えない顔で返すことしか出来ない。

 しかし琴音はそんな彼の反応も気にせずに「あっ、そうだ!」とまた何かを閃いたのか、話題を全く別の方向に切り替えていく。

「ねーねー、二人とも今日の放課後って暇かな? また一緒に遊びに行きたいとこあるんだけどっ」

 ニコニコと無邪気に笑いながら、もちろん行けるよね? と言わんばかりの勢いで訊いてくる琴音。

 だが、対する二人の反応といえば――――。

「えっと、私は……その、申し訳ありません。今日は少し用事がありまして」

「右に同じく、だ。すまんが今日は俺も野暮用があってな、付き合えそうにない」

 と、琴音にとっては予想外なもので。だから琴音は「えーっ!?」と驚いた顔をする。

「そんなー! ざんねん……琴音ちゃん超ショックかも」

「悪いな、こればっかりはどうしてもな。代わりに……そうだな、週末に出掛けるってのはどうだ?」

「私は構いませんが、琴音さんは……ご予定、どうですか?」

「んー、日曜日なら大丈夫かな。お兄ちゃんと遥ちゃんがいいなら、それでもいいよー?」

「日曜か……俺も大丈夫だな」

「なら決まりだねっ!」

 といった具合に、日曜日は今日の埋め合わせ……とは少し違うが、とにかく三人でお出かけということになった。

 最初こそ残念そうに、少し表情を曇らせていた琴音だったが、しかし今はもうさっきまでの無邪気な笑顔を取り戻している。単純な性格に思えるかもしれないが、この切り替えの早さも彼女の良いところだ。

 そう、昔からずっと変わらない彼女の――――。

 琴音は何も変わってなどいない、幼かったあの頃からずっと。

 それが、少しだけ……ほんの少しだけ、戒斗は嬉しく思えていた。変わってしまった自分だから、きっと余計に……。

「ん、お兄ちゃんどうかした? 難しい顔しちゃって」

「……いや、なんでもない。それより日曜はどこに連れて行く気だ?」

「そうだねー、折角休みの日に出掛けるんだし、色んなとこ回ってみたいかも。具体的にはその時になってのお楽しみね?」

「ふふっ……はい、楽しみにしておきます」

「じゃあ遥ちゃんも、お兄ちゃんもっ! 日曜日は目いっぱい楽しもうねーっ!」

 おーっ、なんて風に盛り上がった琴音が一人で手を挙げた頃、鳴り響いたチャイムの音色が……昼休みの終わりが近いことを三人に伝えていた。

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