第四章:日常の中に潜むもの/02
琴音を無事に家まで送り届けた後、戒斗と遥はマリアの店――秋葉原の『カフェ・にゃるみや』を訪れていた。
「お帰りなさいませご主人様っ、お嬢様ーっ♪」
カランコロン、とベルの鳴る戸を潜れば、いつもお決まりの台詞でメイドさんたちが歓迎してくれる。
戒斗はすっかり慣れたもので「またマリアに用があってな」と気軽に挨拶を返し。遥も「お邪魔します」と、特に驚いた様子もなくメイドさんたちに小さく会釈をする。
……マリアの知り合いだったのなら、驚かなくても当然か。
きっと彼女も前に何度かこの店を訪れたことがあるのだろう。だからメイドさんたちの反応も「あっ、遥ちゃんじゃないですかーっ! お久しぶりですぅ!」といった感じだった。
「店長ならいつも通り奥に居ますよー。ささ、どうぞどうぞー♪」
メイドさんに言われた通り、戒斗は遥と一緒にバックヤードへ。そこの一番奥にあるドアが彼女の私室だ。
一応コンコン、とノックしてから部屋に入る。すると中に居たマリアはくるりと椅子を回しながら振り向いて。
「やあ、二人ともお疲れさまだったね」
と、いつも通りの飄々とした態度で二人を出迎えた。
「今日のお邪魔虫は二匹だったぜ。さっき電話で伝えたと思うが」
「ん、ソイツらの後始末ならちゃんと手配しておいたよ」
「……それで、マリアさん。私たちに用というのは……?」
戒斗とマリアが会話する傍ら、遥がいつも通りの薄い無表情、いつも通りの抑揚の少ない、感情の機微の分かりにくい声で問う。
すると問われたマリアはん、と小さく相槌を打ち。
「ちょうど一週間だ。いい機会だから、彼女についておさらいしておこうと思ってね」
「っていうと、琴音のことか? 今更聞くまでもないと思うが」
「君と離れている間、彼女にも色々あったんだよ。カイトに色々あったようにね」
「……それは、まあそうだろうが」
「ちょうど彼女の経歴についての調査と整理が終わったところなんだ。ま、とりあえず座ってゆっくり聞いておくれよ。コーヒーでも飲みながら……ね」
「だから俺は紅茶派だっての」
「……でしたら、私は緑茶を頂けると」
「全く、君らは注文の多い……まあいい、ちょっと待ってておくれよ」
やれやれと肩を竦めて、一度席を立ったマリアがそれぞれお茶を淹れて出してくれる。
戒斗には例によってアールグレイの紅茶をストレートで、遥には大きな湯呑みで温かい緑茶を。マリアも自分の分はやっぱりブラックコーヒーだ。
「さて、じゃあおさらいを始めようか」
それぞれに口慰みのカップと湯呑みが行き渡ったところで、座り直したマリアはそう言うと――護衛対象の彼女、折鶴琴音についての話を始めた。
「折鶴琴音ちゃん、知っての通り私立神代学園に通ってる17歳の女の子だ。身長は163センチ、スリーサイズは……」
「やめろマリア、それ以上はプライバシーの侵害だ」
至極真っ当な戒斗の突っ込みに、マリアは「おっと失礼」とわざとらしく答える。
「それで――彼女、子供の頃にイギリスに海外留学したみたいだね。名門ウェスト・ノースロップ大学に飛び級で入学、成績トップで卒業し……今は大学の研究室に籍を置いてるみたいだ。こっちには短期留学って形で帰国しているそうだよ」
「ウェスト・ノースロップ大学っていうと……マリア、確かお前も」
「そうそう、僕も大昔にあそこを飛び級で出ているからね。言ってしまえば彼女は僕の後輩なのさ」
ふふんと何故だか自慢げに鼻を鳴らしながら言って、マリアは言葉を続けていく。
「ま、経歴を見ての通りの天才少女ってわけさ、彼女は。既に何本も論文を発表してるみたいだ。なんで日本に戻ってわざわざ学園に通ってるかは知らないが……故郷恋しさ、って奴じゃないかな?」
「……だろうな。アイツの性格を考えたら納得だ」
「ちなみに実家は名古屋にあるみたいだけど、今はこっちで一人暮らしだ。確かカイトとは幼馴染だったっけ?」
問われた戒斗はそうだな、と頷いて肯定し。
「例の事件が起こって……俺たちがマリアに引き取られるまで、家が隣同士だったんだ。その縁でよく一緒に遊んでた」
「……ああ、そうだったね」
マリアは僅かに目を細めながらコクリと頷くと、湯気の立ったカップに口を付けて。
「じゃあ、話を続けようか」
と、敢えてそれ以上は踏み込まずに話を戻した。
「家族は母親のみ、父親は既に亡くなっているみたいだ。
「そうだったのか……」
「おや、カイトは知らなかったのかい?」
「アイツの親父さんと会ったのなんて二回ぐらい、しかも子供の頃だ。ほとんど覚えちゃいないよ」
戒斗が言うと「それもそうか」とマリアは短く返し。その後でコホンと咳払いをすると。
「――――以上、今分かっていることについてはこれぐらいだね」
と言って、ひとまず話を締めくくった。
「肝心のミディエイターに狙われてる理由については、分からずじまいってことか」
「そう言わないでくれよカイト、こんな簡単な調査で分かるようなら僕も、何より遥ちゃんは苦労してない」
肩を揺らすマリアに「ま、そうだよな」と戒斗は頷き。
「……普通に考えれば、天才らしいアイツの頭が狙いってとこだろうが」
「その可能性は……否定し切れません。ですが、もう少し深い
「カイト、遥ちゃんの言う通りだよ。あまりにもベタで安直すぎだ」
「悪かったな、ベタで安直な発想で」
言って、戒斗は飲みかけの紅茶をぐいっと飲み干すと席を立つ。
「もう帰るのかい?」
「話はこれで終わりだろ? それとも、まだ何か俺たちに用があるのか?」
「いや、これで話はおしまいだ。電話でも良かったんだけれど、折角なら君たちの顔を見たかったからね。それにしても……」
言って、マリアはじっと戒斗を――席を立った彼を眺めて、何故かくくくっとおかしそうに笑いだす。
それを変に思った戒斗が「なんだよ、何がおかしいんだ?」と問うてみると。
「くくっ、いや……びっくりするほど制服が似合ってなくて、それが面白くってね」
「おい!」
「いや、だって……くくくっ……! でも、それに引き換え遥ちゃんは可愛いねえ」
戒斗を見上げて笑いながら、今度は遥の方を見て言うマリア。
――――神代学園には、制服の可愛らしさ目当てに入学を希望する女子も多い。
それだけに、女子用のブレザー制服はそれはそれは目を引くデザインなのだ。
白のブラウスにクリーム色のジャケット、下は白とグレーのチェック柄が眩しいプリーツスカート。首元の赤いリボンがいいアクセントになっている。
そこに遥の場合は、首に忍者装束の時のような白い薄手のマフラーを巻き、脚に黒いニーハイを履いているといった感じ。
……そんな神代学園の制服が、びっくりするほど遥によく似合っているのだ。
湯呑みを両手で持ちながら、ちょこんと丸椅子に腰かけた遥。小柄でスレンダーな身体でそんな制服を着こなせば、それは可愛らしくて当たり前なのだ。
146センチの小柄な身体にほっそりとした手足、肌は白磁よりも透き通っていて、揺れる白銀の髪はセミショート。ぱっちりとした魅惑の真っ赤なルビーの瞳には、しかし強い意志を感じさせる色がキラリと輝いている。
そんな彼女と、この神代学園のブレザー制服は……見事なまでにマッチしていた。それこそ制服のモデルとして、学園のパンフレットに今すぐ写真が載ってもおかしくないほどに。
「いやあ、しかし本当に可愛いねえ」
「そ、そうでしょうか……」
マリアにべた褒めされながら、どこか気恥ずかしそうにきゅーっと縮こまる遥。白いマフラーの下、頬に僅かな朱色を差したその顔は、相変わらずの薄い無表情だったが……でも、不思議と恥じらっているようにも見える。
「それに引き換え、カイト……君って奴はびっくりするぐらい似合ってないね」
「やかましいわ!」
実際、似合っていない自覚はある。
ちなみに男子もブレザースタイル、色合いも女子と似たようなものだ。違いは下がズボンかスカートかといったぐらい。自分がこういう制服の類が驚くほど似合わないことぐらい、言われずとも戒斗だって分かっているつもりだ。
そんな壊滅的に似合っていない戒斗をひとしきり弄り倒し、笑い転げた後で。小さく息をついたマリアは遥の方を見ると。
「しかし、学園に潜り込んでの護衛とは考えたものだね」
と、今更なことを口にした。
――――琴音を守るために、学生として潜入する。
それは何も戒斗やマリアが言い出したことではなく、以前から遥が自分でやっていることだった。
あくまで戒斗はそれに便乗しただけのこと。アイデア自体は彼女のもので、どうやら一ヶ月以上前から神代学園に潜り込んでいたらしい。
「……一番危険なのは、学園に居るときだと判断しました。ですから一番近くで、一番守りやすいように……と、あの学園へ」
「ふぅん、忍者の君らしい判断だ。合理的でいいと思うよ」
こくんと頷く遥にマリアはそう言って、自分もコーヒーの残りを飲み干すと席を立ち。
「ま、とにかく今日の話は以上だ。護衛の方は引き続きよろしく頼んだよ」
と言って、この場の締めくくりに入った。
「分かってる、皆まで言われずともな」
「……今できることを、精いっぱいやるだけですから」
――――今できることを、精いっぱいに。
そう、遥の言う通りだ。ミディエイターとかいう組織の正体も分からず、敵が琴音を狙う目的も分からない現状……力を尽くして彼女を守り抜くこと。それが今の戒斗に、マリアに……そして遥にできる唯一のことなのだから。
そんな決意を新たに、三人は今一度強く頷き合うのだった。
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