第一章:サイレント・ミラージュ/05

 クラブの外に出ると、いつの間にか雨が降り出していた。

 天気予報だと今日いっぱいは曇る程度で、雨は降らないはず。とはいえ予報はあくまで予報、外れてしまうのも仕方のないことだ。

 そう思いながら、少しだけ億劫おっくうにも感じつつ……戒斗は雨の降る中、傘も差さずに歩き出した。

 クラブのあった雑居ビルに背を向けて、戒斗は元来た道を戻っていく。しとしとと細やかに降り注ぐ雨粒に、ロングコートの肩を濡らしながら。戒斗は雨の降る夜の細道を歩いていく。

 そうして雨に打たれながら歩いて、大通りに停めた車のところまで戻ってきた時――――戒斗はふと奇妙な音を聞きつけていた。

(今のは――――)

 キィンッ……という、金属同士がぶつかり合うような音がどこからか聞こえてくる。

 街を行き交う人々の殆どは気付いていないか、聞こえていたとしても気にも留めないだろう。だが戒斗はそんな些細な音に、何故だか奇妙なまでの違和感を感じていた。

 この音は――――刃物がぶつかり合う音だ。

 しかもナイフみたいな短い刃物じゃない。もっと長い……それこそ剣や刀の類が鍔迫り合いをした時によく似た、甲高い金属音。

 その音が耳に飛び込んできた瞬間、戒斗は触れていたカマロのドアノブから自然と手を離していた。

 そのまま踵を返し、音のした方へと……まるで何かに導かれるかのように足を伸ばす。

 何度も何度も、同じような金属音が聞こえてくる。これは間違いなく剣戟の音だ。こんな雨の夜に、何者かが斬り合っている。

 大通りから横丁に逸れて、音の聞こえる方に歩きながら、戒斗は自然と懐からP226を抜いていた。明らかに尋常でない立ち合いの気配……行く先で出会うのは、間違いなく同種の人間だ。用心するに越したことはないだろう。

 そうして歩いていれば、数えて五回ほどで例の金属音は途切れた。

 最後に聞こえてきた方に向かって、戒斗は歩いていく。横丁から更に脇道に逸れて、ビルとビルの合間にある路地裏の方を覗き込む。

「何がなんだかよく分からんが、確かめなきゃならないのは間違いない、か……」

 独り言を呟きつつ、戒斗はその薄暗い路地裏に足を踏み入れた。

 油断なくP226を構えながら、警戒しつつ奥へと進んでいく。

 すると、そこで彼が見たものは――――雨に濡れた地面に横たわる、傷付いた少女の姿で。

「おいおい、マジかよ……」

 そんな彼女の姿を、地面に伏せっていた銀髪の少女を一目見た瞬間、戒斗は確信していた。

「このは……忍者、なのか?」

 ――――倒れているその少女が、紛れもない忍者の少女であると。

 短く切り揃えた、綺麗な銀色の髪を雨に濡らしながら。瞼を重く閉ざした少女が細い身体に纏っているのは……忍者装束に他ならない。

 一見すると、少し変わった和服みたいにも見える黒い装束。首に白いマフラーを巻いたそれは、しかし籠手こて脛当すねあてといった金属の鎧が各所に縫い付けられている。どう見ても戦闘用の装束だ。

 でもそれ以上に、彼がこの少女を忍者だと直感した理由がある。

 それは――――彼女が背中に背負った刀だ。

 小さな背中に背負っているのは、真っ直ぐな刀身の日本刀。その形もあつらえも、明らかに忍者刀のそれに間違いない。

 だから、戒斗は確信を持って言える。この銀髪の少女は――――忍者なのだと。

「何がなんだってんだ、このは一体……」

 戒斗は構えていたP226を懐のホルスターにしまいながら、横たわる少女に近づいてみる。

 少女のすぐ傍にしゃがみ込んで、とりあえず首元に指を当ててみると……とくん、とくんと鼓動が伝わってくる。雨音に混じって微かにだが呼吸も聞こえてくるし、とりあえずは生きているようだ。

「にしても、随分とやられたみたいだな……」

 が、少女はかなり傷付いていた。

 こうして近くで観察して分かったことだが、少女は身体のあちこちに浅い傷跡を……鋭利な刃物が掠ったような傷を付けられている。横たわる地面には……赤い血の色が、ほんの少しだが雨溜まりに混ざっているぐらいだ。

 どうやら忍者装束は防弾か防刃繊維で出来ているらしく、見たところ緊急を要するような大怪我は負っていない。

 ……が、傷だらけなことには変わりない。微かな呼吸がどこか苦しそうに荒くなっている辺り、かなり衰弱していると思われる。

「一体何がどうなってやがんだ、コイツは。ヘビーな状況なのには間違いないが」

 戒斗が一番理解出来ないのが、この奇怪な状況だった。

 雨の降る街中で、明らかな剣戟の音を聞きつけてやって来てみれば、銀髪の忍者少女が傷だらけになって路地裏に倒れていた――――。

 改めて整理してみても、本当に意味の分からない状況すぎる。

 これはどうしたことだろうか。ひょっとすると、妙なことに首を突っ込んでしまったかもしれない。

「…………う、あ」

 そうして戒斗が困り果てて、戸惑っていると……すると少女は意識を取り戻したらしく、閉じていた瞼を重たそうにゆっくりと開いた。

 声にならない、苦しそうな声を上げながら、目を開けた彼女はすぐ傍に居た戒斗の顔を見上げてくる。

 何気なく視線を向けた戒斗は、少女と目を合わせた瞬間。

「っ――――」

 ――――――綺麗だな、と思っていた。

 少女のぱっちりとした瞳は、ルビーのように煌めく真っ赤な瞳。潤んでいるのは降りしきる雨のせいか、それとも痛々しい傷のせいか。どうしてかは分からない。だが……少なくとも戒斗は、そんな彼女の瞳にどういうわけだか心を奪われてしまっていた。

 一目見た瞬間、美しいと思ってしまったのだ。

「………………っ、と」

 そんな少女の瞳に、戒斗が釘付けになっていると。すると少女は彼の方に手を伸ばしながら……震える唇で、何かを紡ぎ出そうとしている。

「どうした、何があった!?」

 ハッとした戒斗が呼びかけると、すると彼女はフッと儚げな微笑を浮かべて。

「やっと……見つけた……――――っ」

 それだけを呟くと、またがっくりと倒れてしまう。

「おおっと!?」

 倒れ込んでくる少女の身体を、戒斗は反射的に受け止める。

 が、少女はそれきり何も言うことはなく。傷だらけの身体を彼の腕に預けたまま……静かに肩を揺らすだけ。

「お、おい! しっかりしろっ!!」

 肩を揺すって戒斗が呼びかけてみるものの、応答は返ってこない。ただ雨に濡れた銀色の髪が、はらりと重力に従って垂れ下がるだけで……彼女は何も言わず、ピクリとも動かなかった。

 どうやら、再び意識を失ってしまったらしい。

「何だってんだよ、一体……」

 これは一体、何がなにやら。

 どうしたものかと、戒斗は一度そっと雨模様の夜空を見上げてみて。それからまた、自分の腕の中で眠る少女に視線を落とす。

「君は……探していたのか、この俺を?」

 その問いかけに、答えが返ってくることはない。傷付き倒れていた少女は、彼の腕の中でただ眠り続けていた。

 ――――――それは、雨の降りしきる夜の出来事だった。

 偶然に偶然が重なり合い、まるで見えない運命の糸に導かれたかのように。戒斗はこの銀色の少女との運命的な出会いを果たしていた。

 夜の街を包むしめやかな雨が、ロングコートに包まれた彼の肩を……そして彼女の綺麗な銀髪をそっと濡らす。まるでこれから始まる壮絶な戦いを、その運命を二人に予感させるかのように……そっと静かに、雨は降り続いていた――――。





(第一章『サイレント・ミラージュ』了)

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