第一章:サイレント・ミラージュ/03

 自宅マンションの305号室を出た戒斗が向かったのは外の駐車場……ではなく、少し離れた場所にある貸しガレージだった。

 徒歩で行ける程度の距離にあるレンタルガレージ、そこのシャッターをガラガラと開けると、ドデカい図体の古いアメ車が姿を見せる。

 シボレー・カマロSS。

 1969年製、オレンジに黒のツートンカラーが眩しい、古き良きアメリカ製のマッスルカーだ。日本にまた住み着くようになってから、戒斗が何かと便利に使っている……まあ、愛車と言っても差し支えないだろう。

 そんなカマロのドアを開けて、サッと運転席に滑り込む。当然アメ車だから左ハンドルだ。

 鍵穴にキーを差して捻り、エンジン始動。V8エンジンのドロドロとした古くさい重低音を聴きながら、暖まるまでの暖機運転の時間をしばし待つ。

 そうして待つこと十数分。良い具合にエンジンが暖まったところで、戒斗はギアを入れて車を発進させた。

 バラバラバラ……とやかましい排気音を立てながら、ギアを上手く繋いでカマロを走らせる。そうしてしばらく車を走らせて向かった先は、東京都内――秋葉原の街だ。

 東京都千代田区・秋葉原。かつては日本屈指のマニアックな電気街、今はアニメ文化を筆頭にしたサブカルチャーの聖地として名を馳せている、ある意味で魔境のような街だ。天高くそびえる摩天楼ひしめく東京の街中でも、この一帯だけは独特の異様な雰囲気を漂わせている。

 そんな秋葉原の街の片隅に、目的地のマリアの店があった。

 蔵前橋通りと昌平橋しょうへいばし通りの交差する近くにある雑居ビルの二階、L字型に折れた外階段を昇った先にあるメイド喫茶『カフェ・にゃるみや』――――。

 妙な話に聞こえるかもしれないが、そこがマリアの指定してきた会合の場所。彼女の経営する店だった。

「お帰りなさいませーっ、ご主人様ーっ♪」

 近くのコインパーキングにカマロを停め、外階段を昇って入り口のドアを一歩潜ると……戒斗を出迎えるのは、甲高い歓迎の声。あまりに聞き慣れたお決まりの台詞だ。

 ロングコートを翻して入店してきた彼を出迎えたのは、ミニスカートの可憐なメイド服を着こなした店のメイドさんたち。不本意ながらしょっちゅう足を運んでいるからか、全員が戒斗にとっても顔なじみのメイドさんばかりだ。

「あっ、戒斗さんっ! なんだかお久しぶりですねーっ。最近あんまり来てくれませんでしたけれど、お忙しかったんですかー?」

「……ま、そんなところだ。ところでマリアは居るよな?」

「はーい♪ 店長ならいつも通り奥に居ますから、どうぞどうぞー♪」

 ニッコリ笑って出迎えてくれたメイドさんに導かれる……までもなく、戒斗は勝手知ったる顔で店のバックヤードに入っていく。

 店の奥、従業員専用エリア。そこにある幾つかの扉の内ひとつ、一番奥にあるドアをコンコンとノックする。

 そうすれば奥から聞こえてくるのは「ん、開いてるよ」という、やっぱり少女の声にしか聞こえないクールな返事。それが聞こえてくると、戒斗はガチャっとドアを開けて中に入っていった。

「待ってたよカイト、相変わらず時間通りだね」

 ドアの向こうに広がっていたのは、簡素な個室。何故だか個人病院の診察室を連想させるような、そんな手狭な部屋の中……デスクのパソコンと睨めっこしつつ、成宮マリアが気さくな挨拶で戒斗を出迎える。

「時間厳守、俺にそう教えたのはお前だろ?」

「ふふっ、そうだったね。――――とりあえず掛けなよ、アールグレイで良かったね?」

「頼む、ストレートでな」

「はいはい、分かったよ」

 促されて丸椅子に座る戒斗の傍ら、大仰なゲーミングチェアから立ち上がったマリアが紅茶を淹れ始める。

 ――――成宮なるみやマリア。

 先に何度も述べた通り、戒斗にとって戦いの師匠であり、ここまで育ててくれた親代わりでもある女。そしてスイーパーとしての彼の雇い主、フィクサーも務めている女だ。

 背丈は159センチと戒斗よりもずっと低く、体型もスレンダー。透き通った綺麗な金髪はサッと襟足を雑に一本結びにしていて、切れ長の瞳はルビーのように煌めく赤色。そして何故か年中羽織っているよれよれの白衣がトレードマークな……まあ、彼女は言ってしまえば変人の類だ。

 見た目は戒斗よりも年下の、それこそ十代後半の少女みたいに見える彼女だが……これでも彼よりずっと年上だ。実年齢は一体全体いくつなのか、怖くて聞いたことはないが……つまり化け物レベルで老けない女、というわけだ。

「はい、お待たせカイト。注文通りのアールグレイ、ストレートで良かったね?」

「頂くよ。――――うん、相変わらずマリアの淹れる紅茶は美味いな」

「ありがとう。そう言ってくれるのは君だけだけれどね」

 コトンとマリアが置いてくれたティーカップを手に取り、淹れてくれたアールグレイの紅茶を愉しむ戒斗。

 そんな彼の対面で、座り直したマリアは自分の分の――こちらはコーヒーカップに口を付けている。そのまま何気なく煙草を咥えようとしたから、戒斗は「俺の前ではやめてくれ」と言って制止する。

「ああ、そういえば煙草の臭いが苦手だったね、君は――――」

 言われたマリアは、咥えかけていた煙草を素直に箱に戻すと……もう一度カップに口を付けてから、改めて彼の方に向き直った。

「――――仕事だ、カイト」

「知ってるよ、相手は?」

「警視庁公安部、いつものお得意様だ。内容は簡単なゴミ掃除」

「だろうな、詳しく聞かせろ」

「オーライ。相手は十人から二〇人、単なるチンピラの群れだよ」

「……そんな雑魚を相手にスイーパーを雇うのか? 言っちゃあ悪いが、俺は高いぜ」

 不思議そうに首を傾げる戒斗に「いいから、話は最後まで聞くんだ」とマリアは諭しつつ、話を続ける。

「問題はこの連中、どこからか拳銃を仕入れてるってことだ。オマケにそこそこ人も撃ち慣れてる。最近あった銃撃事件、君も覚えているだろう?」

「ははーん……読めてきたぜマリア。公安としちゃあとっととゴミ掃除をしたいところだが、相手は中々に厄介で一筋縄じゃあいきそうにない。身内から殉職者を出したくない事情もあって、だったら外注しちまえば良いってことだな」

「その通り、まさに街の掃除人スイーパーの出番ってわけだ。相変わらず君は察しが早いね、流石は僕の自慢の息子だ」

「息子言うな。第一、俺とあんたとは血の繋がりはないだろうが」

「大事なのは血縁じゃない、意志を受け継ぐことが重要なんだ。そういう意味では、僕の技術を、意志を受け継いだ君たちは……僕の子供、と言っても良いんじゃないかな?」

「ったく、マリアには敵わないな……」

「ふふっ、カイトが僕に勝とうなんて百万年早いのさ」

 やれやれと降参した風に肩を竦める戒斗に、悪戯っぽく笑いかけるマリア。

 その後でマリアはこほんと咳払いをして、逸れた話を元の方向に軌道修正する。

「ま、言ってしまえば野暮仕事だ。合衆国ステイツから帰ってきてすぐだし、疲れも溜まっているだろう。嫌だって言うなら先方には僕の方から断っておくけれど、どうするカイト?」

「やるさ、お前の顔を潰すのは俺としても不本意だ」

「君ならそう言ってくれると思ってたよ」

「で、段取りは?」

「可及的速やかな解決を、というのが先方の望みだ。出来れば今夜にでも片付けて欲しい」

「了解だ。一応訊いておくが、交戦規定は?」

「見的必殺、サーチ・アンド・デストロイだ。現場には標的以外は居ない。動くもの全てを問答無用で片付けてくれれば、それでいい」

「分かった。じゃあ今夜にでも取り掛かるしよう」

「一応、僕も遠隔で支援に入るつもりだ」

「ゴミ掃除ぐらい、お前の手を借りるまでもないだろうがな」

「心配は心配なんだよ、その辺りの心情は察してくれ」

「へいへい……」

「それじゃあカイト、ばっちり頼んだよ?」

 呆れっぽく肩を揺らす戒斗に、マリアはふふんと笑いかけるのだった。

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