第一章:サイレント・ミラージュ/02

 ピリリ、と甲高い音が鳴る。

 眠っていた戒斗を揺り起こしたのは、無粋にも程がある着信音だった。

「誰だよ、人が気持ちよく寝てるってのに……」

 重たい瞼を開けて、気怠そうにベッド脇のスマートフォンに手を伸ばすと、戒斗は相手も見ずに応答ボタンを押す。こんな間の悪いタイミングで電話を掛けてくる相手なんて、戒斗には一人しか思い当たらなかった。

『やあカイト、グッドモーニングだね?』

「……っぱりお前かよ、マリア」

『酷い言い草じゃないか、ちゃんとモーニングコールしてあげたってのに。もうお昼だけど』

「頼んだ覚えはない。というか時差ボケって言葉知ってるか?」

『都合の悪いことは聞こえないように出来ているのさ、僕の耳はね』

「ったく……」

 あはは、と笑うのは、少女のようにも聞こえる落ち着いた声。電話の相手はやっぱり戒斗の思った通りの女だった。

 ――――成宮なるみやマリア。

 戒斗の雇い主で、師匠で、そして育ての親……そんでもって毎度毎度なんでか間の悪いヤツ。それが電話を寄こしてきた彼女の名だった。

「……で? こんな朝っぱらから何の用だってんだよ」

『もうお昼だけどね。用件は二つある。ひとつはこの間のFBIの件についての事後報告、もうひとつは新しい仕事だよ。どっちから聞きたい?』

「…………寝起きだ、気楽な事後報告からにしてくれ」

 気怠げな戒斗の声にオーケィ、とマリアは頷いて、まずは事後報告から始めてくれた。

『この間の件だけれど、君も知っての通り無事に証人は法廷で証言したよ。彼女の証言が決め手になって、例のマフィア組織のボスは実刑判決。そのまま芋づる式に組織も壊滅できたってさ。さっきマックスから連絡があったんだ』

「あの野郎……この借りは高くつくぜって伝えといてくれ」

『そう言ってやらないでよ、マックスもソフィアも丁度別の大きなヤマで手が離せなかったんだ。他のFBIの腕利きも全員出払っていたから、君を呼ぶのが一番手っ取り早かったんだってさ』

「……まあいい。で、あの女の子はその後どうなったって?」

『事件が解決したといえ、天涯孤独だからね。とりあえずはマックスが知り合いの孤児院を紹介してくれたって。後のことは……ま、どうにかなるんじゃないかな?』

「そうか。だったら俺もアメリカくんだりまで行った甲斐があるってもんだ」

 マリアの話を聞く限り、どうやら何もかも円満に解決したらしい。

 それが何よりだ、とスマートフォン片手に戒斗は思う。願わくば、あの女の子にはこれからの人生を幸せに生きて欲しいものだ……と、何故だか祈らずにはいられなかった。

「……で、新しい仕事ってのは?」

 思いながら、戒斗は次の話題へと切り替える。

『事前のブリーフィングとかもあるからね、詳しいことは店で話すよ。そうだな……夕方頃にでも来てくれるかな?』

「お前のメイド喫茶にか? 勘弁してくれよ……苦手なんだ、ああいう騒がしいところは」

『打ち合わせには丁度良いんだよ。コーヒーの一杯ぐらい奢ってあげるから』

「あいにくと、俺は紅茶派でね。アールグレイをストレート、これで勘弁してやる」

『オーライ、じゃあ夕方に店まで来てくれ。待ってるよカイト』

「へいへい……」

 面倒そうに戒斗は呟くと、通話の切れたスマートフォンをベッドの片隅に放り投げる。

 小さく伸びをして、起き上がって。シャワーで寝汗を流したり、遅めの朝食……というか昼食を摂って。それでも約束の時間まではまだ長いから、適当に過ごして時間を潰す。

 そうして時間を潰して……午後三時を過ぎたぐらいに、ようやく戒斗は身支度に取り掛かった。

 上はグレーのカッターシャツ、下は履き古したリーバイスのジーンズ。その上から黒いロングコートを羽織る。これが普段のトレードマークだ。

 それから手に取るのは、テーブルの上に置きっぱなしにしてあった黒いピストル。長いこと愛用しているそれを戒斗はごく自然に手に取った。

 ――――SIGシグ・P226。

 名機とうたわれるオートマチックピストル、中でも彼のものは海軍仕様のMkマーク.25というモデルだ。

 海に浸かることを前提にした防錆処理は勿論のこと、強力な+P+弾……火薬を増して威力を上げた強装弾も撃てるよう強化されている。金属製の古くさいピストルだが、凄まじく頑丈でいつだって確実に撃てる、まさにプロ仕様の一挺だ。

 戒斗はそんなP226を軽く点検した後、懐のホルスターに収める。愛用の折り畳みナイフもジーンズのポケットに入れれば、これで出掛ける準備は完了だ。

「さて、と……」

 最後に一度、洗面所の鏡を見て身だしなみを確認しておく。

 ――――戦部いくさべ戒斗かいと

 背丈は175センチの長身痩躯、髪は黒くてセミショート、何故だか跳ねっぽくボサボサ気味なのが直らない。切れ長の瞳はアメジスト、稼業は……まあ見ての通りの危険なお仕事だ。

 そんな彼の危ない稼業の名は――――傭兵スイーパー

 読んで字のごとく、他者からの依頼を請けて力を行使する、闇の拳銃稼業のことだ。別の呼び方をするのなら、クリーナーなんて洒落た呼び名もあるかもしれない。どちらも街の掃除人に掛けた、どこの誰が言い出したかも分からない奇妙な職業名だ。

 そんなスイーパーは基本的にフリーランスの存在で、相手を問わずに仕事を請け負う。依頼人の多くは国内外の政府機関や警察組織であることが多い。それこそ……先日の戒斗の依頼人、アメリカのFBIのように。

 ただしそれだけじゃなく、一個人が相手なこともよくある。裏通りの仕事だけに、時には法を犯すこともある……というかしょっちゅうなのだが、その辺りは持ちつ持たれつ。上手い具合にお目こぼしして貰っている。

 スイーパーの中には誰にも頼らず、完全な一匹狼で仕事をする者も多く居る。だが戒斗の場合はちょっと違っているのだ。

 というのも『フィクサー』という、要は仲介役、取り次ぎ屋がバックについている。

 そのフィクサーが、さっき電話で話していた成宮マリアだ。彼女は戒斗の師匠で親代わりであると同時に、仕事を斡旋する取りまとめ役でもあるのだ。

 フィクサーは自分では現場に出ずに、子飼いのスイーパーやそれ以外のフリーランサーに仕事を回し、仲介料として幾らかの報酬をせしめている。この間のFBIの一件だって、支払われた報酬の何割かは彼女の取り分として持っていかれたのだ。

 そんなフィクサーに飼われているスイーパーにも、更に一人だけで仕事をする者、複数人でチームを組んで取り掛かる連中など、人によって千差万別なのだが……戒斗は前者だ。少なくとも日本に居る間、誰かと固定でチームを組んだ覚えはない。

 ――――とにかく、それが彼の……戦部戒斗の生業なのだった。

「そろそろ時間か、行くとしよう」

 身だしなみを確認した後、戒斗はテーブルの上に放ってあった古い車のキーを取って玄関に歩いていく。

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