第一章:サイレント・ミラージュ/01

 第一章:サイレント・ミラージュ



 アメリカ西海岸、ロサンゼルス郊外。荒野のド真ん中を突っ切る、大都会に通じる田舎道を一台の黒いセダンが走っていた。

 運転席にはいかついスキンヘッドの大男、後部座席にはフレームレスの眼鏡を掛けた金髪のキャリアウーマン風の女性が一人。その隣には少女が座っていた。

 少女は、どこか怯えた様子だった。

 それは別に、乗り合わせているのが人さらいだからってわけじゃない。むしろ彼らはその逆。少女を守るために張り付いているFBIの捜査官たちだった。

 ――――彼女は、ある事件の重要な証人だった。

 とあるマフィアに襲われた一家の、唯一の生き残りで目撃者。その事件についての裁判で証言し、マフィア組織を壊滅に追い込むための切り札が……彼女なのだ。

 しかし、法廷で証言されることを恐れたマフィアが彼女の生命いのちを狙っている。

 そんな彼女を守るために、このFBI捜査官たちはシアトルから遠く離れたロサンゼルスまで、果てしなく長い距離を護送し続けていたのだ。

 ――――助手席に乗り合わせた、一人の奇妙な日本人と一緒に。

「やっとここまで来たか……もうすぐロスに着く、あと少しの辛抱だぞ」

 運転手の大男が、バックミラー越しに後部座席の少女に語り掛ける。

 すると少女の横の女性も「大丈夫、私たちがついてるわ」と、少女の背中を撫でながら言う。少女はコクリと頷きはしたが、不安げな面持ちはそのままだった。

「……そう上手く、コトが運べばいいんだがな」

 そんな中で、助手席の日本人がポツリと呟く。

 呟いた彼の年頃はそこまででもない、青年と言うのが丁度良いぐらいの雰囲気だった。

 セミショート丈に切り揃えた黒髪は跳ねっぽいボサボサ気味で、何故か黒いロングコートなんて羽織っている。目元は細身なスポーツサングラスで隠しているから分からないが……その奥に、猛禽類のような鋭い眼光を秘めているのは明らかだ。

「ここまで来ればもう安心だ、追っ手も一度だって襲ってこなかったしな」

 低く落ち着いた声で呟いた青年に向かって、運転手の大男がははは、と笑いながら言う。長旅のゴールが近づいてきているからか、どこか調子の良い声だ。

 そんな彼に「だからこそ、不安なんだ」と青年はまた低い声で呟き返す。

「仮にその万が一が起きたとして、そのために俺たちFBIと……傭兵スイーパーのお前さんが付いてるんだろ?」

「ま、報酬分の仕事はするさ。……待てデカブツ、前をよく見ろ」

「……おいおい、マジかよ」

 青年に言われて、前に注意を向け直した大男が……今までのお気楽な調子と打って変わって、シリアスな声でひとりごちる。

 端的に言えば――――道が塞がれていたのだ。

 四人の乗り合わせた黒いセダン、その行く先が数台のRV車で塞がれている。

 大男は咄嗟に急ブレーキを掛けて、元来た方向に引き返そうとしたが。

「待って! 後ろも塞がれていますっ!」

 しかしバックギアに入れる寸前、後部座席の女性がハッと叫んでいた。

 ミラー越しに後方を見てみれば、彼女の言った通り……セダンの背後も、前方と同じようにRV車で進路が塞がれてしまっていた。

 やがてRV車から男たちが――ピストルで武装した連中が降りてきて、四人の乗るセダンを取り囲む。

 どうやら、危惧していたマフィアの襲撃に遭ってしまったようだ。連中の狙いは間違いなく……リアシートで震える、少女の生命いのち

「逃げ場はないってか、畜生……!」

「どうやら万が一ってのが起きちまったらしいな」

 焦った顔の大男に対し、青年は尚も涼しい顔のままで皮肉っぽく口にする。

 そんな青年に向かって大男が「いいから仕事だ! その為にお前が居るんだろ!?」と叫ぶ。

「分かっている。それよりその子を頼む。防弾なんだろ、この車?」

「任せて良いんだな!?」

「今お前が言ったばかりだ。――――こういう時のために、俺が居るんだってな」

 ニヤリとして青年は言うと、掛けていたサングラスをサッと外す。

 サングラスの下から出てきたのは、鋭く尖った切れ長の双眸。アメジストの瞳でチラリと後ろの少女を一瞥すると、青年はセダンから降りていく。

 ドアを開けて車を降りると、降り注ぐのは焼けつくような西海岸の日差し。刃物のように肌を刺す、ジリジリとした熱気は……クーラーの効いた車内とは大違いだ。

「てめえ、見たところFBIじゃねえな」

「退きやがれ、用があんのはそこのお嬢ちゃんだ」

 ロングコートの裾を翻し、降りてきた青年に向かって周りの男たちが凄む。これ見よがしにピストルを突き付けて、その銃口で脅すように。

 しかし青年はフッと涼しい顔で笑うだけで、ほんの少しも恐怖した素振りを見せない。

 それが逆に不気味に見えたのか、男たちは「退けって言ってんだよ!」と叫び、ピストルを発砲する。

 チュインッ、と甲高い音が木霊して、青年の足元の地面が僅かに抉れ飛ぶ。

「今のは警告だ、次はドタマにブチ込んでやる」

 ピストルを向け直しながら、男は言うが――しかしそれでも、青年は笑っていた。

「ざっと八人……いや、九人ってところか」

 ブツブツと独り言を呟きながら、青年は開けっ放しだった助手席のドアを後ろ手でバンッと閉めて。すると次の瞬間、彼の右手が閃いたかと思えば――――乾いた音が、灼けた荒野に鳴り響いていた。

 それは、紛うことなき銃声だ。

 だが、撃たれたのは彼じゃない。その目の前に居た男……さっき威嚇射撃をした男の眉間に、風穴が空いていた。

「ぐ、あ――――」

 直径9ミリの風穴を穿たれた眉間に、真っ赤な血の花を咲かせた男がバタンと倒れる。

 そうすれば、次に訪れるのはしんとした静寂。他の連中は何が起こったか分からないといった顔で、ただ茫然と倒れた男と……そして青年を見つめていた。

「悪く思うなよ、こっちも仕事なんでね」

 やはり涼しい顔でそう言った青年の、いつの間にか真っ直ぐ伸びていた右手には……ピストルが握られていた。

 SIGシグ・P226。

 銃口から仄かに白煙を靡かせる、妖しく黒光りしたピストル。それを彼が持っているということは、つまり男を撃ったのはこの青年ということで――――。

「やっ、野郎やりやがったな!?」

「構うこたあねえ、ハチの巣にしちまえっ!!」

 それを理解した瞬間、ハッと我に返った男たちは途端にピストルを撃ちまくり始めた。

「よっとっと……」

 四方八方から襲い掛かってくる、銃弾の雨あられ。

 しかし青年は臆することなく、タンタンっとステップを踏むみたく身軽な動きで銃撃を回避。片手でP226を構えると、逆に次から次へと男たちを撃ち倒していく。

「そんなもん人に向けたら、危ないだろ?」

 銃口でなぞるように、一人また一人と撃ち抜いていく。

 青年は一発たりとて外すことなく、その全てを彼らの胸か腹か、あるいは頭に叩き込んでいく。一人につき二発から三発、9ミリ弾を撃ち込んで確実に葬ってやる。

 ――――五秒。

 僅か五秒で、彼は全ての敵を殲滅していた。撃たれながらも掠り傷ひとつ負わずに、見事なまでに返り討ちにしてしまったのだ。

「相手が悪かった、そう思うことだな」

 あれだけ居た連中は、その全員が今はもう物言わぬしかばねに変わり果てている。

 血溜まりの中に沈むそんな連中を一瞥しながら、青年はP226を懐に収め。背にしていたセダンの窓をコンコンっと叩いてやる。

「ほらよ、一丁上がりだ」

「お、おお……流石だな、噂に聞いてた通りだ。『黒の執行者Black Executer』の異名は伊達じゃないってか」

「その名前で呼ぶのはやめろ、あまり気に入ってないんだ。……それより、後ろのお嬢さんは無事か?」

「見ての通りだ、元気にしてるよ」

 大男がクッと親指で示した先、後部座席には……相変わらず不安そうな顔をしていたが、しかし例の少女はちゃんと無事に座っている。

 それを見た青年は「なら良かった」と言うと、車のボディに背中を預けてもたれ掛かる。

「これで、後は送り届けて帰るだけか……」

 マフィアの連中も、まさかこの規模の襲撃を一瞬で退けられるとは思っていまい。もう一度襲ってくる可能性は低そうだ。

 なら後はロサンゼルスに入って、裁判所に少女を送り届けるだけ。それで彼の仕事はおしまいだ。

「日本、か……」

 空を見上げながら、青年がふと思うのは故郷のこと。

 離れてからほんの少ししか経っていないというのに、なんだか妙に恋しくなってしまう。やはり故郷というものは離れがたいものなのだろうか。いずれにせよ、仕事が終われば嫌でも帰ることになる。

 灼けた荒野の大地を踏みしめて、真っ青なカリフォルニアの空を見上げながら青年は――――戦部いくさべ戒斗かいとは独り、遠く海を隔てた故郷に思いを馳せていた。

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