第九話 未だ定まらず、その心は
「…………」
「……ふぅん?」
「へぇ……」
こわい。
俺は今、凍りつきそうな空気と彼女たちの刺すような殺気に囲まれ震えていた。
食事中はあんなに朗らかだったのに、ミリアと勇者のことを話しだしたら一気にこんな空気になってしまった。
まるで寒冷地みたいな空気だ。冷たい空気が肌を刺し、動くことすら致命になる。
雪山に住み着く魔獣でも出てきそうな雰囲気だ。
さらには浮気の現場を見たと言った瞬間なんて氷点下にまで瞬間冷凍されたかと思った。
周りの客なんて見てみろ、Aランク冒険者たちの殺気にあてられて静まり返ってやがる。
「アベル」
「あっ、はい」
Sランクの俺はどうか?
そんな女たちの中心なんだ、ガクブルだよ。
「それって、本当……? 本当にミリアが……勇者とキス……していたの」
「あぁ……本当だ」
「ッ、そう、か……」
エルミーは力なく呟いて、俯いた。
きっと、よく知る恋人の破局を残念がってくれているんだろう。
こうやって残念に思ってくれるのは、嬉しいかもしれない。
「あの……」
「エル、ミー?」
と思っていると、いきなり彼女の短い金髪がブワッと逆立った。
「あのッ、クソ女!!! 王都に行ってぶった斬ってやる!!!」
「え、エルミー!?」
耳を襲う、雷のようなエルミーの怒声。
一房だけ伸ばされた後ろ髪は感情により迸る魔力によって激しく揺れている。
彼女はこめかみに青筋を浮かべながら、テーブルに握り拳を叩きつけた。
びき、ビシッ……と、テーブルにヒビが広がる。
そんなことはお構いなしに、エルミーはその心中を吐き出した。
「アベルが……アベルがどんな想いで支えてたか知らないの!? どんな想いで、一途に……! どれだけ死にかけながら、助けてたと思ってるんだよ!」
――ここまで怒るとは、思っていなかった。
「お姉ちゃんも、これは許せないなぁ……あっくんの気持ち、知らないならじっ……くり教えてから、お仕置きしてあげる」
「そうだね、姉さん。知ってたら……それはもう、殺すじゃすまないよね」
「フレイ!? マリア!?」
エルミーに引き続いて、双子姉妹も恐ろしい笑みを浮かべていた。
俺はというと、三人の予想外の反応に動揺している。
なんでそんなに怒る!?
友達カップルの破局の理由が浮気なら、悪い方に怒るだろうけど……。
「アベルはなんでそんな落ち着いてるんだよ! ミリアと小さい頃から婚約してて……旅に出る前、『
「それは、そうだけど」
エルミーが発したその言葉に、俺は言葉がつかえた。
「そうよ。婚約関係でも浮気になるのに、よりにもよって特別な誓いを……!」
「あれは、一生涯で「誓いを結んだ相手としか結ばれない」っていう誓いなんだよ? 許されることじゃないよ」
フレイが言ったように、俺とミリアは旅に出る前にとある特別な誓いを交わした。
それはマリアが言ったまま、「互いにその相手としか結ばれない」という『
それは死ぬまでその相手だけを大事にするという、一夫一妻を神に誓うことだ。
結ばれる相手を一人だけとすることで、死すら二人を分かてないという意味を持つ。
「なのに……本当、なの?」
「あぁ……キスどころか、たぶんそういうことまで……」
「嘘……!」
「ミリアちゃん……」
エルミーは目を見開き、フレイとマリアは驚愕する。
神に誓いを立てることから、結魂の誓いは教会が取り仕切る。主にシルディエル最大の勢力を誇る、蒼天教がだ。
蒼天教信者の双子姉妹は、その意味をよくわかっているようで顔を青くして信じられないと震えていた。
「ッ、やっぱり、ボクはミリアを許せない! 勇者パーティーだろうが相手にしてやるから!」
「あの、待ってくれ。ミリアを……殺そうだなんて、そんなことは思ってないから」
「なんで! ……もしかして、まだミリアのことが好きなの? 浮気なんてされたのに……?」
憤怒で真っ赤に染まっていたエルミーの顔が、途端に悲しそうに歪み、歯を噛みしめた。
「あっくん?」「アベル君……?」
「いやそれ、は……ないよ」
その質問に、俺はどんな顔で返しただろうか。
でも、ミリアを殺そうとか、傷つけようとかは思っていないはずだ。
未だに整理しきれていない考えを俺自身、確かめるようにゆっくりと言葉にしていく。
「これまでミリアのことしか考えてなかったから……それが急に無くなって、どうすればいいのかまだわからないんだ」
俺のよく知る彼女は、魔法とロマンが大好きな……自分から冒険者の世界に飛び込むような溌剌な女の子だった。
だから、おそらく変わってしまったであろう、今のミリアにどう接すればいいのかわからない。
「アベル……」
この三年間、俺はミリアのことだけを考えて生きてきた。
その前だってそうだ。
彼女が好きだったから、両親を説得して家同士の納得の上で婚約した。
ミリアが魔法学校に入学したから、冒険者として王都に出た。
旅に出て別れたから、結魂の誓いを交わして、Sランクになるまで強くなった。
あの子がいたから――俺はここにいる。
自分を作っていたすべてが消えて、迷わない人間はいない。
歩いていた道が一瞬で消えて、すぐに前へ踏み出せるわけがない。
俺は大事なものを失って……まだ失ったままなんだ。
「考えるのをやめて、ミリアに復讐するのも違くって……でも、何事もなかったかのように手を繋ぐこともできなかった」
「アベル……」
「あんなに助けてくれたのに、こんな情けないことになって、ごめん」
三年前、俺がまだ弱かった頃。
ジョブが《剣士》だった俺を、無理矢理パーティーに入れてまで鍛えてくれた。
それがあったから俺は旅に出ることができて、ここまで強くなって、ミリアを助けることができていた。
今の俺が居るのはこの三人のおかげなんだ。
俺の人生ではミリアに次ぐ恩人たちだ。
「――アベル!」
突然、頭を下げていた俺に向かってエルミーが言葉を投げかけた。
「あのさっ! よかったら――しばらく、ボク達と一緒に行動しない?」
「――え?」
そうして、なぜかそんなことを提案してきた。
「こんなアベルを放っておけないっていうかさ……これは、そう! 師匠命令だから!」
「エルミー……」
彼女の気遣いに嬉しくなる。
だが、それには少し問題がある。
「いやでも、勇者パーティーがどうするかわからないしな……」
できるなら今は勇者パーティーの面々とは顔を合わせたくない。
ミリアに会ってどうするかわからないし、絶対に面倒くさいことになる。
だから渋面を作っていたんだが……
「アベル……?」
「……っ」
捨てられた子犬みたいな顔で見つめてくるエルミーに心が揺らぐ。いやむしろ捨てられた犬は俺なんだけど……?
それに恩人の師匠命令だ。できることなら叶えたい。
「……まあ、少しなら、うん」
「っ!」
エルミーがパァァっと輝くような笑顔を浮かべる。
「わかった! 明日から、またパーティー組もっ!」
「フレイとマリアがいいなら」
「うふふ、楽しくなりそうね!」
「もちろん! アベル君ならいつでも歓迎だよ!」
双子姉妹も快く許してくれる。
昔はミリアがいないときによく組んでたっけな。
初めてあったときも依頼の真っ最中だったし。
懐かしい感覚に昔を思い出してしまうが――俺は頭を振って、席を立った。
「じゃあ、俺はそろそろ休ませてもらうよ。ちょっともう限界だ」
「えっ? じゃあ……ぼ、ボクが送っていこうか?」
「ははは、女性じゃあるまいし。むしろ俺が送らないとだろ」
「いやそのっ、アベル逃げるかもしれないし!」
「逃げないよ」
「うふふ、おやすみなさ〜い」
「また明日、アベル君!」
「朝は、ここに来てね! 来なかったら起こしに行くよ!」
ちょっと最後あたりは様子がおかしかったけどなんなんだろう。
俺はそんな疑問を思い浮かべながら、宿に向かって歩いたのだった。
「あ、アベルの部屋は二階の奥だよ!」
「あっ、はい」
そうだった。金が無いから宿も飯代も代わりに払ってもらったんだった。
連行されたからだけど、ちょっと申し訳ない……。
__________________
次回、えっちな描写注意
詳しくは近況ノートに転載しました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます