第二話 深い絶望の底
なにも感じさせない、自分でもぞっとする虚無を孕んだ声が出て、ミリアが黙った。
もう、ここにいたくない。
地面を蹴った。
教会の外に出た瞬間、左腰の剣に手をかける。
「――『ブレスレイト』、《
翠緑色の曲剣『穿風剣ブレスレイト』は風を操る魔剣だ。
魔力を流されたブレスレイトは風を起こし、俺は跳んだ。
足裏に集中した風が足場となり、ふわりと体を宙に浮かび上がらせる。風は宙を滑るように体を運び、加速しながら俺を空へ運んだ。
なにか聞こえた気がしたけど、そのときには教会から遠く離れていた。
「フッ 、フッ――」
屋根を走りながらぐるぐると頭の中で思考が回る。
――ずっと支えていたつもりだった。
弱かったあの頃からずっとずっと強くなって、たくさん支援してきた。
必要なものがあれば冒険者ギルドや国を介して率先して送った。
ミリアへの個別の贈り物も欠かすことはなかった。
最初の頃は手紙をやり取りしていた。
返事が来なくなったのは忙しいんだろうと納得した。
だけど短いメッセージと花だけは毎月必ず送り続けていた。
でも……手紙がなくなったのは、浮気していたから?
「はあっ、ハァッ……!」
思い浮かぶのは先程の光景、ミリアと勇者の赤く火照った顔。
勇者パーティーとして旅立つ前は、ずっと二人一緒に過ごしていた。ミリアと人生を歩んでいるつもりだったのに。
「うあぁあああ!!!!!」
叫びながら走る。
どうにかなってしまいそうだった。
周りも見ずに、叫んで、屋根を蹴って、風を蹴って、城壁を飛び越えて、王都の外に出た。
ただひたすらに走る。
夜の闇に包まれた真っ暗な平野を、街道を外れて走り続ける。
人はいない。山と、木と、そして、魔獣が見えた。
腰の魔剣を二本、引き抜いた。
「くそ……くそっ、クソぉぉぉ!!!」
「ギャ……ッ!?」
ゴブリンが数匹群れているところに、猛スピードで接近し、強襲する。
左手に持つ穿風剣『ブレスレイト』でゴブリンの首を刎ねる。
「うぁぁあ!!!」
一瞬で五回繰り返して、的はいなくなった。
次は近くにいたオークに襲いかかる。
右腰から引き抜いた赤と金の色が重なり合う炎の魔剣、業炎剣『ヒードライズ』を振りかぶると、近くにいたオークの腹を斬り裂き、傷口から燃やし尽くした。
繰り返す。
「ぁあああああ――――ッッッ!!!!」
走った。
剣を振るった。
この感情を外に出したかったから。
岩を貫いた。
走った。
魔獣を斬った。
木を燃やした。
川を凍らせた。
剣を振るった。
――心は晴れなかった。
・・・・・
空が、白み始めた頃。
立てば体高八メートルにとなり、人の胴体ほどもある手を振るえばまとめて数人を引き千切る。
この山林に君臨する魔獣のヌシ、Aランク魔獣『タイタングリズリー』は今、血塗れの姿を晒している。
ソイツと相対して、俺は剣を揺らしていた。
「グゥ……グゥ……ォ!」
傷だらけで血を流し、息も絶え絶えな巨大熊が決死の殴打を繰り出す。
その振り下ろしを正面から踏み込んで躱し、体重を乗せて、手に持つ魔剣を体の中心へと突き刺した。
刀身は薄く反りがあり、片刃。ただし切っ先のみが両刃鍛造となった変わった作りの剣だ。ある島国ではカタナと呼ばれるらしいその魔剣が、分厚い毛皮を通り越し、しっかりと心臓を貫いた。
「グゴォォ……ガっ!」
数回の痙攣のあと、巨体は力なくゆっくりと後ろに倒れ、大きな音と地響きを起こして息絶えた。
「ハァッ、はっ、はぁ……!」
夜通し動き続けた俺は、タイタングリズリーに刺さった剣もそのままに仕留めたヤツの上に座り込んだ。
他の魔剣は手元にない。
ブレスレイトは近くの木に深々とめり込んだままだし、ヒードライズはその辺に転がってる。たぶん周りも燃えてる。
青い魔剣は岩に突き刺さっている。
警戒もクソもないけど、必要ないからいいよな。
もうこの山に、魔獣はいないんだから。
「疲れた……でも、ちょっと落ち着いてきた、かな」
目の前が真っ暗になって、心と感情がぐちゃぐちゃになっていた。
がむしゃらに体を動かして、言葉にだしてやっと、心が安定してきた気がする。
現実を理解してきた。
「浮気、されたんだよな……」
言葉に出して、ようやく実感が湧いてきた。
「うゥ……あああ……っ」
頭を抱えて、声が口からどんどん漏れ出てくる。
大人にもなって、涙が出てくるなんて情けない……。
昔もそうだった。ミリアに追い越されて、努力しても追いつけなかった。
二人でやってたときも、ミリアが旅に出た時も、力になれないことが悔しくてよく泣いた。
泣くしかできないのが、悔しい。
結局俺は、三年前から何も変わっていなかったんだ。
「どこがいけなかったんだろうなぁ……」
金も、物も送った。
強くなってからは遠くで頑張ったし、近くに行って助けもした。
「何が悪かったんだよ、会いに行けばよかったのか……?」
顔を見たら離れられなくなりそうだったから会いに行かなかった。離れて活動した方が効率的だったから。
それに、次に会うときは魔王を倒した後だと。結ばれる時だと約束したんだから。
会えるときに会いに行っていれば、また違ったのかもしれない。
「助けが足りなかったのか……? これでも精一杯……頑張ったんだよ――」
でも選択は変わらない。今は変わらない。
ただ裏切られて、捨てられて。
遠くから、一方的に馬鹿にされていた。
みじめだった。
「あんなこと、言うこともないだろ……ッ! あれか? 贈り物が駄目だったのか……」
ある高価な、貴重な花を毎月贈り続けていた。
『イクシスの花』という、魔力で咲き続ける特殊な花だ。別名は「枯れない生花」。
「永遠の愛」の花言葉を持つ花だった。
「やっぱりあれがキモかったのかなぁ……? しょうがないじゃないか、ずっと一緒にいたんだから! ……離れたミリアへの贈り物なんて知らねぇよ……!」
イクシスの花を毎月贈るのは知り合いの女には微妙な顔をされていた。
俺だって何度も花束は贈れないくらい、SランクやAランクパーティーに依頼しなきゃいけないほど貴重なものだ。
青と黄色の花弁は美しく、切ってもそれが損なわれることはない。
魔力の豊富な秘境でしか育たず、数が少ないし、採れる者が少ない。
それを依頼ついでに見つけては採取して、贈っていた。それだけでも一財産築けたくらいだと思う。
「俺より夜の相性がよかったって……!? 俺とは全然積極的じゃなかったくせに……ぃ」
言葉が制御できなくって、汚い恨みつらみも口から流れ出た。
ずっと幼馴染としてそばにいた分、エッチな事に踏み出すのも遅くって。
初めては失敗したし、それから頑張っていこうってときに離れたんだ。
先輩冒険者に「冒険者なら一度くらいは娼館に行くもんだ」って誘われたことはあったけど、断ってた。
一人にしか想いも経験もなかったんだ、初めてが下手でなにが悪い!
「ちくしょう……! クソぉ……!!!」
熊の魔獣に刺した黒い魔剣――クロノベールを抜き、思いっきり振った。
今の八つ当たりで山の動物たちは全て逃げ去った。
それだけに留まらず、殺したタイタングリズリーの死骸を何度も何度も斬りつけた。
最低の行為なのに、手が止まらない。
制御できない感情に、振り回された。
やがて、涙も出なくなり。
俺は体を投げ出して、空を見ていた。
泣いて、暴れて、絞り出して。
それでようやく、その考えが浮かんでいた。
「もう、元から眼中になかったのかな」
村にいる頃から相思相愛だと思っていた。
互いの親も将来そうなることに乗り気だったから、結婚の約束を交わしたはずだ。
ミリアに魔法の才能があるとわかって、王都の魔法学園に入学することになったときも、冒険者としてついて行った。
ミリアは寮だったから一緒に暮らすことはなかったけど、休みにはパーティーを組んで冒険者をしていた。
そんな生活でずっと一緒にいて……その結末がこれだ。
思えばあの頃から、ミリアは冷めていたのかな。
単位を取りきったミリアは一年くらい本格的に冒険者として活動して……俺はすぐに追い抜かれて。
彼女はAランクなのに、俺はCランクに燻っていたしな。
腕をだらんと下げて、空を見上げる。
考えるのは、諦めだけだった。
「これからどうしようかな……もう、どーでもいいや」
魔王が討伐されたあとは、ミリアと一緒になることしか考えていなかった。全部そのために行動して、それを熱意にして頑張れていたとも言える。
なのに、その熱はぱったりと途絶えてしまった。
冷めてはいない、ような気がする。
熱い心は覚えている。どこに行ったのか、わからないんだ。
どうすればいいのか検討もつかなかった。
「浮気されてたんだよなぁ。……ならもう、強くある意味もないのかな?」
ふと、周りに刺さっている魔剣を見渡した。
どれも入手するのにかなりの無茶をしたものだ。だがミリアと一緒になれなかったのなら、意味はない。
意味はなかった、だけど。
「そうだな……こいつらを手に入れるのを手伝ってくれた人たちにも、かなり世話になった……その結果がこれか、情けないなぁ」
手に入れる過程で本当に多くの人に迷惑をかけた。無茶を言った。
ほかにもいろんな人に助けてもらったのに、こんな結果だ。世話になった人たちに顔向けができない。
この剣たちも、意味のない自分が持っているよりは元の人たちのところに戻ったほうがいいかもしれない。
ついでに、こんな情けない結果に終わったことも謝罪したい。
「――返そう」
ふと出た言葉だ。
何もなくなった俺にとっては丁度いいかもしれない。
強さを手放して、改めてお礼と、こんなことになった謝罪をして、そのあとは……まあ、なるようになるか。
「他にやることないし……そうだな。これから魔剣、全部返しに行こう」
そうと決まったら、動き出そう。そしてそうと決まったら、空元気でもいいから元気をだそう。
心の空虚さは埋められない。
だからそれから目を逸らして、動くための動機とエネルギーが欲しかった。
俺はそう決めて、涙の跡も拭かずに意識を手放した。
空は、まだ暗い。
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