6
「天飼!」
チエロは小さくなっている天飼に駆け寄る。天飼は生きていた。両腕で頭を覆って震えている。先の爆風に焦がされたのか、作業着のあちこちが黒ずんでいた。
場には他にもう一人の人間がいたようである。少し離れたところに別の男が倒れている。頭から夥しい量の血。首にかけているタオルはザクロみたいに真赤に泡立っていた。崩落する瓦礫が直撃したらしい。向こうはもう生きてはいないだろう。
天飼が工場で夜勤を行っていることは知っていたが、まさかそれがこの工場だったとは。想定外の事態だが、今はとにかく天飼が生きているだけでもラッキーだ。
チエロは怯える天飼をその背に隠して、立ちはだかる悪魔に向き直る。
周囲は死屍累々。悪魔は傷を負ってはいるが健在。工場内は煙と血の臭いが充満していた。
まさに地獄のような状況。しかしチエロは、絶望的な状況に反して、己の身体の内側に爆発的な魔力が発生しているのを感じていた。
(これは……)
チエロは悪魔に射殺すような視線を投げる。
(これは、そう……私の天使としての本能が刺激されてるんだ)
天使とは、悪魔を狩り人間を守るために作られる戦士である。今まさに強大な悪魔が弱者たる人間を喰らおうとしている状況で、チエロの本能が本懐を果たすために、これ以上なく躍動しているのだ。
周囲の轟音がどこか遠くに聞こえる。飛び散る火花がやけにスローに見える。
チエロは短剣を仕舞うと、両手に白い魔法陣を展開した。腕を交差させて左右の魔法陣に突っ込み、中の武装を握りしめる。
引き抜く。チエロの両手には、真っ白な銃身が握られていた。
「
悪魔が身をくねらせて突進してくる。
「喰らえッ!!!」
チエロは右手の銃をぶっ放した。大顎を開けて突撃してきた悪魔の顔面に銃弾の雨が降る。天使の魔力が込められた弾は着弾と同時に爆発し、悪魔の肉体を抉り飛ばしてゆく。
悪魔はそれでも突進の勢いを緩めず、大顎を開けてチエロに突っ込んでくる。チエロの胴体に噛みついた悪魔はそのまま工場の壁に激突した。
「ぐは」
猛烈な質量に叩きつけられ、チエロは堪らず息を漏らす。悪魔の牙はギリギリと音を立ててチエロの身体を真っ二つに切断しようと力んでいた。
このままだと上半身と下半身が永久にお別れしてしまう。
「——————ッ!」
チエロは銃を握った右腕を臭気漂う悪魔の口内に突っ込み、強引に引鉄を弾いた。
超至近距離で炸裂する閃光。鼓膜が破れそうな爆発音。腕がもげそうな振動。
口内で数十発の弾が炸裂し、悪魔は金切声の咆哮を上げてのたうつ。牙から解放されたチエロは吐き出されて地面に放り出された。受け身を取って、空いた弾倉に魔力を込め直す。
(こ、これは……確かに、とんでもない量の魔力を持ってかれる……)
流石は天界の最新兵器である。半端な覚悟では使いこなせない。
しかし、ここで気張らずにどこで本気を出すというのだ。チエロは外面だけは威勢よく悪魔に見得を切る。
「はっ、三十年前にはこんな武器はなかったからビビっただろ! この老いぼれ!」
悪魔は銃の威力を警戒し、上体を仰け反らせてチエロから距離をとった。近接戦をする代わりに、黒光りする巨大な尾を振り上げて攻撃してくる。
チエロはうずくまっている天飼を小脇に抱えて跳躍した。今しがた二人がいた場所に巨木のような尾が叩きつけられ、地面に深い亀裂が入る。あれに巻き込まれたら終わりだ。
空中に躍り出つつ、チエロは片手で引鉄を弾いた。自動小銃が白い火を噴く。弾丸が悪魔の尾を捉えた。鱗状の尾に無数の傷が走る。耳を裂くような金属音が響いた。
悪魔は俊敏に後退してチエロから距離を取ると、人間体の上半身の腕で尾をさする。妙に人間臭い動きだ。
次いで悪魔は何を思ったのか、天を仰ぎ始めた。両腕を大きく広げたその姿は、醜悪ながらもどこか神々しい。
チエロがそう思ったのも束の間、
『強大な魔力反応だ! 何かしてくるぞ!』
「……えぇ、見りゃ分かるわ」
悪魔が広げた腕の間に、黒い太陽とでも呼べそうな、どす黒い光を放つ球体が生成される。紫光を放つそれは大気を震わせ、周囲に光線をまき散らし始めた。光線は壁を裂き、地面を裂き、鉄版を裂く。
『銃を警戒して、遠距離攻撃で全てを破壊する気か』
「もうめちゃくちゃね」
チエロは両腕の銃に魔力を込め直す。やはり大量の魔力が吸われたが、今のチエロにとっては些事だ。
荒ぶる光線の弾幕の中、チエロは駆けだした。眼前に迫る光線を天使の反射神経で躱しながら突撃する。光線が羽に当たっても、腕に当たっても、顔面に当たっても、怯むことはなかった。
「射程圏内に、入ったぜ!」
悪魔まで十五メートルほどの距離まで近づき、チエロは二丁の銃を構えた。悪魔は光線の威力をさらに高めて応戦するが、もう遅い。
「くたばれ、大年増ァ!」
小銃が火を噴く。無数の弾丸が悪魔を貫いた。悪魔は盛大な悲鳴を上げる。
チエロは全弾打ち尽くす気概で、ひたすらに悪魔を狙い続けた。魔力の爆炎が周囲一帯に充満し、白い光が視界を覆う。
「オラオラオラオラぁ————ッ!!!」
弾丸の雨は容赦なく敵を砕き続け————
そして、チエロの魔力が尽きたところで、止まった。
「はぁ……はぁ……」
チエロは二丁の銃を取り落とし、膝から崩れ落ちる。精魂尽き果て、一片の魔力も残っていなかった。
眼前は白煙で何も見えない。悪魔の健在が心配だったが、やがて煙が晴れるとそこには、バラバラになった悪魔の肉片が転がっていた。射撃の途中からは悪魔の悲鳴も絶えていたので、当然の結果だろう。
天界からの通信が繋がれる。
『チエロ。応答しろ。生きてるか?』
「生きてるわよ。悪魔もぶっ殺した。そっちから見えない?」
パスカルからの通信はノイズがかって聞き取りづらいものだった。
『とんでもない魔力掃射だったようだな。辺り一帯に魔力が広がって通信に影響が出ている。映像は乱れて見えないが……かろうじて声は届いているな。良かった』
「まったく、とんでもない相手だったわ。そしてそれ以上にとんでもない武器だった」
チエロは震える腕で二丁の銃を拾い上げ、白い魔法陣の中にしまい込んだ。足元には悪魔の肉片も転がっていたので、ついでに拾ってみる。悪魔の顔面の上半分が千切れて落ちていた。女の顔のような造形である。
悪魔という存在は人間の負の感情により生まれる。色欲の悪魔がこのような形状をとっているのは、人間が恐れをなす美貌の集合知がこの見た目になるということを表していた。
悪魔の顔は苦悶に歪んでいる点を無視すれば、なかなかに美人だ。
『結界を解けばこの工場は何らかの事故として処理されるだろうが……生存者を救助できるか?』
「おっと、そうだったわね」
チエロは背後を確認する。壁際に、未だにうずくまって震えている天飼の姿があった。とりあえず生きてはいるようだ。良かった。
チエロはつかつかと天飼の元へ近づく。
「起きて。悪魔は責任を持って処理した。もう危険はないわ」
天飼はしばらくの間震えていたが、周囲に危険がないことを確認すると恐る恐る顔を上げた。
悪魔が沈黙したことを確認し、一瞬安堵したようなその顔はしかし、
「———ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃッ」
すぐさま恐怖に変わる。
「ちょっと何。私の顔になんか付いてるかしら?」
「も、もう止めてくれッ。もう止めてくれぇぇぇぇぇッ」
天飼は恐慌していた。悪魔が暴れてたときよりも、かえって激しく取り乱しているようである。チエロは首を傾げた。
「落ち着いて。悪魔はもう倒したから————」
天飼を宥めようとするチエロ。しかし天飼が次に発した言葉は、今度は逆にチエロを混乱させるものだった。
「お前っ。お前、あのときの悪魔だろう! もう止めてくれ! もう俺から何も奪わないでくれぇぇぇっ!」
「……天飼? あのときのって?」
天飼が怯えていたのは、チエロが片手にぶら下げていた悪魔の顔面である。
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