3

「東京にも、こんな田舎っぽいところがあったのね」

 結界を張りつつ、チエロが言う。

『多くの非東京民が思い描くようないわゆる東京は、実は全体ではない。郊外にはこういう自然も多いのだよ』

 パスカルに命じられてチエロが訪れた場所は、天飼の部屋から数十分(天使の脚力で)歩いたところにある、のどかな野原だった。そこら一面が畑であり、緑の香りと土の匂いが充満していた。

「さて……」

 チエロは丘陵の向こうを見やった。

 そこにはのどかな自然には似つかわしくない、蠢く巨大な影———

 チエロが大剣を構えると、向こうも天使の存在に気が付いたようである。影はのっそりとその身の上体を持ち上げ、チエロの方を向いた。

 異形の悪魔。今回の敵はもはや人型ですらなかった。

 半径が一メートルはあろうかという巨大な球体の身体が、数珠のように十個ほど連なっている。球体からは節のある脚が何本も生えていた。芋虫のような見た目である。

 極めつけにはその球体の胴体の空いているスペースには、びっしりと唇のような器官が備えられていた。ある口は牙を剥き出し、またある口は唾液を垂らし、愉快な造形だった。

『言うまでもないが、クラスは“暴食”だ。気をつけて戦え』

「すっごい見た目だな! クソ悪魔が!」

 チエロは刀身の輝く大剣をジャキンと構えた。

「けど、生臭い半魚人よりはマシ!」

 チエロが猛進する。巨大な芋虫悪魔は動きが鈍く、何の抵抗もできずにチエロの刃の餌食となった。あのとき剣を振るえなかった鬱憤も込めた、力任せの大剣の一撃が叩き込まれる。球体の胴体の一つはあっけなく切断された。『ドッ、スン!』と大地が揺れ、草木が舞う。

『! 気をつけろ! チエロ!』

「えっ何、うわっ!」

 芋虫の悪魔は胴体の切断面から体液を噴出して抵抗してきた。毒々しい紫色の洪水をチエロは頭から被る。

「くそっ」

 チエロは跳躍して悪魔から距離をとり、ブルブルと頭と翼を震わせて液体を払った。身体に特に異常は無いが、気分の良いものではない。

「これ、大丈夫なやつ?」

『単なる物理的な攻撃か、魔術的な攻撃かはまだ判断できない。不調があればすぐに報告しろ』

「了解。つまり相手をぶっ飛ばせば良いってことに、変わりはないのね!」

『今はそういうことだ』

 魔術による攻撃であれば、術者たる悪魔を殺せばその効果は終了する。チエロは大剣を構えなおして芋虫悪魔に迫った。

 悪魔は全身の口から体液やら糸やらを吐き出して攻撃してくるが、チエロは大剣を片手で振り回してそれらをすべて弾き返す。

「死ねッ、虫ケラがぁぁぁっ!」

 大剣が一八〇度に薙ぎ払われ、芋虫悪魔の胴体の一つがまた切断される。チエロは攻め手を緩めず、ブンブンと大剣を振り回して悪魔を完全に解体してしまった。

『対象の沈黙を確認。ご苦労だった』

 チエロは転がった球体の残骸の剣身を叩き潰して回る。悪魔の肉片は黒い霧となって霧散し、チエロの身体を濡らしていた液体も急速に乾いていった。

 チエロは大剣を魔法陣にしまい込むと、己が四肢や翼を確認する。特段変わったところは見られなかった。

『どうだチエロ、身体に異常はないか?』

「特には———」

 チエロが言いかけたところで、

 ぐぅ~。

「………………」

『………………』

 チエロの腹が鳴った。

「……“暴食”の悪魔、ね」

 悪魔が用いる攻撃方法には、大きく分けて二種類がある。一つが魔術、もう一つが呪いである。

 魔術とは科学や物理法則に反した攻撃方法の総称であり、火を起こしたり、雷撃を起こしたり、風を起こしたりなど、様々な効果の魔術がある。天使が魔法陣を通じて異空間に物質を転送するのも、魔術の効果である。

 そして呪いとは、対象の肉体や精神に影響を与える攻撃方法である。対象の行動を制限する、欲を増加させる、やる気を奪うなどの呪いがあった。

『空腹感か。討伐後も残っているということは、暴食の悪魔の呪いだな』

 そして魔術と呪いの最大の違いは、効果の持続時間にあった。

 魔術は悪魔の魔力を使い放たれるため、悪魔が討伐されれば終了する。炎を起こす魔術であれば、その魔術を用いた悪魔が消滅すれば炎も消えるといったように。

 それに対して呪いは、悪魔の死後も残り続けるのだ。ひとたび悪魔に呪われてしまえば、たとえ悪魔が死んだとしても、呪われた者は解呪しない限りずっとそのままである。

「なんとか解呪できないわけ? ずっと腹鳴らしてるわけにもいかないわ」

 チエロは腹部を押さえて言う。

『できないこともない。その呪いに対応した祝福を教会で与れば、呪いは消える。暴食の呪いは比較的簡単な呪いだからな』

「んーじゃあ、もっかい教会に行かなきゃいけないわけ」

 チエロの問いに、パスカルは意外な返答をした。

『いや、別に教会へ行かなくても、もっと簡単な解呪方法があるぞ』

「?」

『食事をすること。“暴食”とまではいかなくても、普通に食事をすれば暴食の呪いは解ける。かかるコスト的にも、これで解呪した方が楽だ』

「はぁ……?」

 普段は厳格なパスカルがらしくもないことを言っているように思えて、チエロは訝しんだ。

 天使は魔力で生きる生命であるので地上では食事が必要ないのだが、かといって食事ができないわけでもない。口があるのだから。

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