Banana and Bambina
1
シャワーの水音が、絶えず響いてくる。
「……また、ここに来ることになったわね」
チエロは天飼の部屋に戻ってきていた。定位置であった壁際に寄りかかっている。壁の外からは、未だ止まない雨音が聞こえてきた。
チエロがこの部屋を出て行ったのは一週間前のことである。連日の野宿を繰り返し、夜になれば悪魔を狩る。そんな日々が続いていて、チエロは憔悴していた。
そんな中、狩猟終わりのチエロのもとに天飼がやってきた。天飼は自分からチエロの家での要因を作ったのにも関わらず、チエロを心配して戻って来いと言う。
その浅はかさ、横暴さ、自分の意思が無くパスカルの言いなりになっている弱さが無性に腹立たしくなって———
チエロは本気で、天飼を殺そうと思ったのだ。
しかしその衝動的な殺意は、パスカルによって阻まれた。
結果……天飼は苦しんで倒れ込んでしまい、それを介抱しながらこの部屋まで何とか帰ってきたといったところである。
とりあえず身体が危険なレベルまで冷えていたので、天飼を浴室にぶち込み、今に至る。
「あいつ、なんであんな感じになっちゃったのかしら」
濡れたローブと前髪と翼から雨水を滴らせ、チエロは言う。
『思うに、明確に命の危険を感じた恐怖からのパニックだろう。過呼吸と不整脈は典型的な症状だし、剣先を目の前に突き出されたショックもある。先端恐怖症などであればそれもダメージになるはずだ……』
部屋に姿の無い、パスカルの声がチエロの脳内に届く。彼は天界からこちらに通信してくる形で会話をしていた。
『今回は本当に危なかった。天使の人間殺しは大罪なんだ。しっかり反省しろ』
「……ごめんなさい」
頭の冷えた今考えてみれば、本当に恐ろしいことをやろうとしていたと思う。
人間を殺した天使は、地獄に堕ちる。つまり永劫に堕天してしまうのだ。今のチエロは事故による堕天であるからまだ挽回のチャンスがあるが、人殺しをやってしまうと天界には戻れなくなる。
そして、地上にもいられなくなる。パスカルがチエロの身体を静止させていなければ、今頃チエロは地獄行きだったというわけだ。
チエロは腕を組む。何かを触っていないと、先ほど振りかぶった短剣の柄を握る感触が呼び起こされそうで怖かった。
『……ハンモックは使わないのか?』
パスカルが問いかけてくる。チエロは壁に寄りかかったままである。
「……部屋を見てたんだけど、この部屋、こんなに片付いていたかしら」
チエロは天飼の部屋を見回す。パーテーションやハンモックはチエロが出て行った日のままである。それらをそのままにしたまま、部屋全体が綺麗に掃除されている印象を受ける。床に散らかったものは片付けられているし、埃も無い。それどころが、部屋全体がうっすらと良い香りに包まれていた。来がけの廊下にはコンビニ弁当の容器と酒の缶がギチギチに詰まったゴミ袋があったので、天飼が部屋の掃除をしたということが分かる。
「パスカルがあの男に掃除させたわけ?」
『いや、俺が言う前に、あの男の方から言ってきたんだ。天使が暮らすには部屋をどういう風にすれば良いかとな。色々とアドバイスさせてもらった』
部屋の隅にはアロマディフューザーが置いてあった。女気の無い天飼が思いつくものとは思えない。間違いなくパスカルの入れ知恵だろう。
『あの男はいつチエロが帰ってきても良いように部屋を整えておきたいと言っていた』
「……きもいなぁ~」
そんなに重んじられると鳥肌が立ってしまう。あの無精髭の面にそんな心があったなんて。
『……それはそれとしてだな、チエロ。次の出撃までに、教会に寄ってほしい』
パスカルは切り替えて仕事の話をする。
天使や天界の者にとり、教会とは単なる宗教施設ではない。人間の信仰が集まる教会という場は神秘が濃く、天界関係者が地上とのパスを繋ぐのに適した場であった。
「教会? 何か届くのかしら」
パスを繋げられるがゆえに、教会には天界から物資を転送することができた。無論、教会を利用している人間に無断で使用しているため夜中にひっそりと行う必要がある。しかしそのデメリットを差し引いても便利であるため、教会を通じた物資の転送は地上で任務にあたる天使への定番の支援だった。
『地上生活が長引くという理由で、特例的にいろいろと見繕うことができた。武器などを送ろうと考えている』
「そう、ありがと。取りに行くわ」
武器。つまりより早く悪魔を殲滅できれば、より早く天界に戻れるという想定なのだろう。
まったく、天部は天使のことを分かっていない。欲しいのはそういうものではないのだ。
「翼用のオイルとか送れない? もう毛質が終わってるんだけど」
『物資のリストにないものは送れない。天界に戻ってからケアしろ』
「ちぇー」
チエロは飛ぶことができないので翼のコンディションなどは関係無いのではないだろうか。パスカルは言いかけ、止めた。
女天使にとって翼は髪と同じだと聞く。
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