4
「天使のお姉ちゃんはなんでここにいるの?」
男児は鉄棒から離れる気配が無い。
「家出よ」
「家出~? 家族と喧嘩でもしたの?」
「そう」
「天使なのに?」
「天使でも喧嘩はするもんよ」
チエロは虚空に浮かぶ魔法陣に弓をしまう。
「そっかーじゃあ、早く家族と仲直りしないとだね」
「………………」
どうしてできたての人間というものは、こんなに素直なのだろう。天使なんかより、人間の子供の方がよっぽど純心である。
仲直りなんてしてたまるか。
そもそも仲良くなった覚えもない。天飼がチエロを強引に辱めたからこんな境遇に陥っているのである。そこにさらに加えてあの夜を想起させるような光景を見せつけられ、チエロが天飼に抱く嫌悪感は地獄よりも深く、コキュートスよりも冷たかった。
「家族からなんかされたの? それとも、天使の姉ちゃんからなんかしちゃったの?」
「教えないわよ。プライバシーよ」
こんな精通もしてなさそうなガキに教えたところで、分かる話でもあるまい。
「でもどっちが悪いとしても、とりあえずお互いにごめんなさいってすればなんとかなるって先生がいつも言ってる」
「適当な教員だなそいつは……」
男児は真っ直ぐな目で訴えてくる。本心からチエロを心配しているのだろう。小学生に綺麗事を言う能などないはずだ。
「少年はお父さんと仲良いか?」
「悪い!」
「最高だな」
チエロは前髪を手で鋤く。
「少年もお父さんと喧嘩することとかあるだろ」
「いっぱいある」
「そんなもんだよなぁ。それ、大人も同じなんだよ」
「ふーん、そっかぁ……」
「世知辛ぃだろ」
チエロは頬杖を突いたままこの先のことを考える。羽先に停まった蝶は羽を払って追い返す。
正直なところ、天飼に文句を言うことに大した意味は無さそうである。これまでの彼の行動から考えるに、彼はチエロとパスカルにはひたすら平身低頭。何でも言うことを聞いてきた。首には呪いの鎖が巻かれているのだし、天飼の方からチエロの意に反することを行うということは無いだろう。
しかしそれは、チエロが天飼の行動を我慢しなければならないということでもある。彼の行動はこれ以上遮ることができないのだから。
天飼は悪意を持っていない。つまり、全ての行動に悪気が無いのだ。しかし彼の行動の多くはチエロの気に障るものであった。
「どうすっかなぁ~……」
チエロが考えを巡らせていると、
「あの、すみません」
「何?」
ふと気が付けば、男児の背後に、蛍光色のベストを着たご婦人が立っていた。婦人の方手は男児を守るように前面に回されており、その所作からも分かるように、目には警戒の色が滲んでいた。もう片手には交通安全の旗があった。
そして腕章には『あいさつ運動実施中』の文字。
「朝から教育に悪い恰好は控えていただけると……通学路で子供の目もありますので」
「………………」
チエロは無言で睨み返す。
「あ! あいさつのおばちゃん! この人天使なんだって!」
「はぁ……?」
婦人の視線がより不信感あるものへと変わる。
「……いや、少年、これはただのコスプレだよ」
「え?」
「天使なんてこの世にいるわけないでしょ。ガキを喜ばせるための方便だって」
「だってさっき弓———」
「おーーーっとぉ!」
やはり魔法は使うべきじゃなかった。
「弓……?」
婦人が眉をひそめる。
「手品よ手品! そういう手品! っていうか、さっさと学校行きなさい!」
チエロは婦人に手を繋がれた男児を勢いだけで追い払った。男児は勿体無さそうな顔をしていたが、婦人が足早に男児を連れて行く。かなりの距離がとれたところでチエロは人払いの結界を張った。
この国では武器の所持は違法と聞く。弓を持った不審者がいると通報されたらどうしよう。ただでさえ帰る場所が無いのに、公園などの居場所まで奪われてはたまらない。
夜が来るまで大人しくしておこう。
少年の前で好き放題やったが、パスカルからの連絡は無い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます