4

 灰一色のステンドグラス。当然だが教会内には人ひとりいない。

『チエロ、祭壇の前へ』

 パスカルに言われチエロが木製の祭壇前に立つ。

『■■■■・■■■■・■■』

 パスカルの呪文が終わると、祭壇の天板が光り輝く。暗い教会内を一瞬光が埋め尽くし、天飼は思わず目を閉じる。

 発光が収まるとそこには、

[ソラレボ錠 0.005mg 20錠]

薬が入っているであろう紙箱と、水で満たされたペットボトルが一本、出現していた。

「えらい市販薬っぽいな」

『天界薬事部が総力を上げて製薬した新型錠剤だ。飲めチエロ』

 チエロは前に出ると箱から薬を乱暴に取り出し、用量通りに服用した。

「…………………っはぁ」

 水も飲み干し、一息つく。

『よし、これで一先ず最悪の事態は避けられた。よくやった二人とも』

「ふぅ、これで天界に戻れるのね」

 少し心持が軽くなったようであるチエロがボトルをメキメキと潰しながら言う。天飼は事が収まったことに安堵しつつ、これから自分に下されるであろう、文字通りの天罰のことを思った。

『いや、まだ天界には戻れないぞ』

「え」

 しかしパスカルの応答は、二人の期待とは異なるものだった。

「ちょっと! どうして!」

『待て待て。お前はまだ受胎の危険性を除いただけだ。それは性交による副次的なリスクを排しただけであって、問題なのは性交をしたことそれ自体だ。不純な天使を、神は受け入れて下さらない』

「そん、な……」

 またしても膝から崩れ落ちるチエロ。狭量な神もいたものである。

 天使の頭上には、車両通行止めのマークが赤赤と灯っていた。

『だが、完全に手の打ちようが無いわけでもない。案ならあるぞ、チエロ』

 パスカルが幼子に言い聞かせるように語りだす。

『お前の本来の任務を言ってみろ』

「……悪魔狩りよ」

『もっと詳細かつ具体的に』

「この男に寄ってくる悪魔を狩ること……」

「え、俺?」

『そうだ』

 急に話題に上げられ、天飼は混乱する。それに構わずパスカルは続ける。

『その町にはそれなりの数の悪魔が潜伏している。悪魔というのは人間の負の感情に引き寄せられる。つまり心根が暗い奴の周りには悪魔が寄ってきやすいのさ。天飼の周辺にいれば、何もしなくても湧いてくる悪魔を狩ることができる』

 パスカルが天飼にも教えるように説明する。

『悪魔を多数狩って人間界の秩序維持に貢献すれば、猥褻の罪も雪げるだろう。天界に戻れる』

「でもそれって、この男のそばに居ろってことでしょ!? 嫌よ! こんな強姦魔と一緒になんて!」

 チエロは当然の抵抗を示す。羽が数本、舞った。

『そこは天部が何とかするさ。その男にはいくつか呪いを付加させてもらおう。天使に触れられなくなる、天使を視認できなくなる、悪魔を呼び寄せる体臭にする……呪いは好きなのを選べ』

「チンコを切断する呪いとか無いわけ?」

『それでは呪いではなく実刑だ。いいか? この際だから念を押しておくが、天飼に危害を加えるなよ。人間を手にかけるとまた天界が遠のくからな』

 パスカルに言い含められチエロは不満げだった。そしてその場を眺めている天飼といえば、己に降りかかるであろうあれこれを理解しつつも、腕を組んだまま黙っていた。

『……男。お前、いやに落ち着いているな。取り乱したりしないのか』

 パスカルも奇妙に思ったのか、天飼に不信の念を向ける。パスカルは人間界での出来事に事務的に対処しているようだったが、それでも天飼への評価は慎重に行っているようだった。ひたすら平身低頭の天飼に、何か裏があるのではないかと疑っているのだ。

 天飼は居住まいもそのままに、宙のどこでもない点を見上げる。

「いや、俺はお前たちに口出しできる立場じゃないだろう。そのチエロとかいう天使の言う通り、俺は最低な犯罪者だ。煮るなり焼くなり好きにしてくれ」

「じゃあ本当に焼き焦がしてやろうか!」

『天界に帰れなくなるぞ。天界地上法第二一条、人間に危害を加えた天使は地獄に堕ちる』

 言われ、チエロはぐぬぬと拳を握りしめる。しかし、天界の方針に抵抗できるはずもなかった。


 用事が済み、教会を後にする二人。植込みに囲まれた敷地内の一画には、両手を広げた聖母像が、白々しく佇んでいた。

(聖母サマだって処女懐胎だったのにさ……)

 チエロが、天使が憐れなら泣いてみせろと思っても、都会の夜に埋もれた聖母像に奇跡は起こらなかった。

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