第11話 通じ合う [side:エリュミーヌ]

 ティナの首に鈍く光るナイフが触れて、嫌だと叫ぶ声も形にならず、彼女が命を散らしていくのを見た。違う、これは夢だ。夢から、醒めないと……。


 重たい瞼を何とか開くが、視界はぼやけたまま。自分の置かれた状況を理解しようにも、思考がうまくまとまらない。

 見える景色は知らない場所で、木でできた建物のようだった。ベッドと呼ぶには心もとない、ボロきれを箱に被せただけの場所に寝かされたエリュミーヌは、薬で朦朧とする意識の中で必死に情報を集めていた。


 見知らぬ男に攫われ、ここがどこかも分からない。手足は縛られているようで、身動きが取れなかった。

 扉の向こうから怒鳴り声が聞こえてきて、断片的に理解できた単語が頭を巡る。


 売買、女、上物、貴族、豚、奴隷、慰みもの。まとまらない思考の中でも、それらが最悪だということは分かる。このままでは自分は売られてしまうのだ。


(エドガー……さま)


 はっきりしない頭の中で、思い浮かぶのはエドガーのことばかり。遠くから見ていた時、助けてくれた時、一緒に馬に乗った時、花を見た時。エドガーの顔と、声とが浮かんでは消えて、城に戻りたいと身体が動く。


 もぞもぞと身体を動かしてみても縄は弛まなかった。ティナは無事だろうか。最後に見たティナの倒れ伏す姿がちらついて、涙がこぼれてくる。

 エドガーに秘密で花束を作りたいなどと言ったから、こんなことになってしまって、ティナまで巻き込んで、怖くて痛い思いをさせて。ぽろぽろと涙をこぼすエリュミーヌの背後、勢いよく扉が開いた。


「検品しなきゃなァ、処女かどうか確かめてからじゃねぇと……生娘はたけぇから……キヒッ……フヒヒッ」


 男の手がエリュミーヌの脚に触れ、全身を嫌悪感が駆け巡る。触れられたくない。気持ちが悪い。叫びながら抵抗すると、強烈な痛みが腹部を襲った。


「げほっ……おぇ……」

「じっとしてろ、クソアマが!」

「いや……いやぁ……! さわららいれっ……えどがーさまらなきゃいや、えどがーさまぁ……ッ!」

「エリュミーヌ!」


 ドカン!と大きな音が響き渡り、ずっと聞きたかった声が飛び込んでくる。エリュミーヌに覆いかぶさっていた男は勢いよく弾き飛ばされ、壁に全身を打ち付けて悶絶した。


「無事か、エリュミーヌ!」

「えどがーさま……」


 呂律の回らぬ口で、愛しい人の名前を呼ぶ。自由になった腕で抱きつこうとするけれど、身体に力が入らなかった。視界が歪み、吐き気が込み上げてくる。


「姫、これを。飲めますか」


 エドガーが、薄桃色のガラスでできた小さな小瓶をエリュミーヌの口元に当てがった。飲もうとするけれど、うまく口を動かせない。エドガーは小瓶の中身を口に含み、一呼吸の後エリュミーヌに口付けた。とろりとした液体がエドガーの口から注がれ、こくりと飲み込むと見る間に吐き気が治まっていく。


「騎士が有事の際に使用を許可される高品質の回復薬です。ご気分は」

「だ、だいぶ、意識がはっきりしてきました……」

「ああ、よかった」


 ぎゅう、と。大きな身体で抱きしめられる。腕に残った縄の跡に唇を落とされ、熱を持った鋭い瞳で射抜かれた。


「あの男、切り捨ててやりたかった……けれど、色々と情報を得ねばと……くそ、貴女の美しい肌に、忌々しい」

「エ、エドガー様」

「先ほどは、薬を飲ませるためとはいえ無礼を、失礼しました。けれど、わた……いや、俺は、貴女を失いたくない。……お慕いしております、エリュミーヌ様」

「私も、私もお慕いしております! お願い、エリュミーヌと、お呼びになって?」

「それでは貴女も、エドガーと」


 二人はもう一度、強く抱きしめあった。

 誘拐犯の男を運び出した騎士たちは、もう小屋には近付かなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る