第6話 触れ合い [side:エドガー]

 力加減を間違えたら壊してしまいそうなくらい小さく、細い手だ。エドガーはエリュミーヌを己の愛馬と近付けるようゆっくりとエスコートしながら、そう思った。

 侍女とのやりとりを見るに、自分を呼んだのは侍女の独断であったらしい。エリュミーヌ本人が自分を頼ったわけではなかったのは残念だが、待っているのがエドガーだと気付いた瞬間の驚きと喜びとがない混ぜになった表情が見られたのは嬉しかった。

 繋がれた手から伝わる緊張は、自分に対するものかそれとも馬か。後者と思うことにして、エドガーは愛馬に手を伸ばす。


「ジュードは、私が戦に出ていた頃からの相棒です。少し離れたところから、目を見てみてください」

「…………大きくて、愛らしい目をしていますね」

「怖くはない?」

「はい、大丈夫です」

「では、触れてみますか」

「怒りませんか?」

「可愛らしい姫に撫でられて喜ばない男はいませんよ」

「まぁ……」


 陶器のような白い頬に、自分の発言で朱が差す。そのことに奇妙な悦びを覚えながら、エリュミーヌを愛馬の方へと導いた。馬でなくとも、誰だって彼女に撫でられて悪い気はしないだろう。己の短なゴワついた黒髪は、彼女の手を傷付けはしないだろうか。


「ヒヒン」

「ふふ、あったかい」


 あらぬ方向へ思考が向かっていたのを諌めるように愛馬が鳴いた。我に返りエリュミーヌを見る。優しい手付きで愛馬に触れる彼女は、表情こそ少し強張こわばっているものの、恐怖心はほとんどないように思えた。

 繋がれたままの手からも、先ほどより力が抜けている。


「あの時は、時間が止まったみたいに感じられて……こちらに向かってくるお馬さんとは目も合わなかったのです……」

「我を忘れた馬は、自分がどちらに向かって走っているのかも分からなくなるんです。だから目の前に人間がいても止まれない」

「はい……逃げなければならないと分かってはいたのですが、身体が動かなくて」

「訓練された兵でも咄嗟に動くのは難しい。それに貴女は王女です、貴女を護るための我々ですから」

「……はい、あの時は本当にありがとうございました」


 花のような微笑みが、エドガーに向けられる。思わず顔が緩みそうになるのを律し、努めて無表情を装った。王からも感謝の手紙を賜ったのだと告げれば、「父は私に甘すぎるのです」と恥ずかしがる。ころころと変わる表情は、いつまででも見ていたいと思うものだった。


 しばらくジュードを撫でて馬に慣れたところで、エドガーは馬に乗ってみるかと提案した。エリュミーヌは少しの逡巡しゅんじゅんの後、意を決したようにこくりと頷いた。


 膝を折って伏せたままの愛馬に、エリュミーヌを乗せてやる。声を掛けて触れた腰は細く、緊張を悟られぬよう慎重に支えた。気を失ったエリュミーヌを部屋まで運んだ時、こんなにも軽くて大丈夫なのだろうかと心配になったが、手も脚も、腰までも細い。

 ジュードの首をぽんと叩くと、エリュミーヌを揺らさぬようゆっくりと立ち上がっていく。完全に立ち上がるのを待ってから、エドガーも愛馬に跨った。


「えっ?!」


 エリュミーヌを両脚の間に納め、手綱を握る。


「私を背もたれと思って力を抜いて」

「ひゃい! い、いえ、あの、すみません今、落ち着きます……!」

「では落ち着いたら少し散歩でも」

「はい……す、少しお待ちになってくださいませ……」


 ガチガチのエリュミーヌが、深呼吸を繰り返した。背後からでは顔は見えないが、編み込まれた髪から覗く小さな耳は真っ赤に染まっていた。

 ふうと一際ひときわ大きく息をはいてから、エドガーの胸元にエリュミーヌの頭が寄りかかってきた。


 トク、トク、トク。


 常より早い心臓の音は、エリュミーヌのものかエドガーのものか、分からなかった。

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