第4話 揺らぐ建前 [side:エドガー]

 エドガーの元に第三王女付きの侍女から面会依頼が届いたのは、彼女を助けてから数日経った頃だった。

 何か粗相があったのだとしたら侍女からの呼び出しでは済まないだろう。礼を言われるとか、そういう類のものかと判断し、面会に応じる旨の返事をした。


 腕の中で気絶したエリュミーヌは、目立った傷もなく健康だったと聞いた。部屋に運んだ翌日に、何事もなかったという報告と共に、王から直筆の感謝状が届いたのだ。

 第三王女ともなると、打算抜きで可愛がれるのかもしれない。王族しか使えない、厚くて僅かに煌めく紙にしっかりと刻まれた感謝の言葉が、娘への愛の大きさを物語っているようだった。


「団長、お客さんが来てますよ。応接室に通しておきました」

「ああ、もうそんな時間か……すまない」


 普段、エドガーに面会を申し込む者などいない。そのせいでいつも通り雑務をこなしてしまって、気付けば約束の時間になっていた。

 気温の上がってきた五月、汗ばむ陽気に脱いでいた上着を身に付け、席を立つ。騎士団に所属する証、白を基調とした軍服はエドガーの存在感を更に増した。


「お待たせして申し訳ない。エドガー・グレンヴィルだ」


 応接室の扉を開けると、一人掛けのソファからメイド服の女性が立ち上がってエドガーの方を見た。丁寧な所作で、流れるように頭を下げる。


「少し早めに来ましたので、今がお約束の時間ちょうどです。お会いしてくださってありがとうございます。エリュミーヌ様の侍女をしております、ティナ・チャムリーと申します」

「それで、どのような用件だろうか」

「実は、エリュミーヌ様のことでご相談があるのです。あまり公にはしたくない内容ですので、内密に」

「……もちろん。口外しないと誓約書を結んでも構わない」

「いえ、信用しております」


 そうしてエドガーはエリュミーヌが馬を恐れるという話を聞いた。兵士であっても、暴れ馬に追い回されたり、落馬した後に馬に対して恐怖心を抱く者もいる。

 鍛えられた兵でさえ、そうなってしまうのだ。王女であれば尚更だろう。言われるまでその可能性を考えなかった自分に腹が立った。


「馬に恐怖を覚えるようになった兵には、温厚な馬や小柄な馬との触れ合いから徐々に慣らしていくことをするが……それを、彼女にも?」

「えぇ、ご協力いただけないかと思いまして」

「もちろん協力しよう。見た目が柔和な兵と……馬は……」

「あ、いえ、そこはエドガー様に」

「俺?」


 予想外の発言に、思わず素が出てしまう。エリュミーヌの恐怖心を取り除くのに、自分のような図体の大きい強面の男など逆効果ではないかと考えたところで、彼女の視線を思い出す。

 自分以外の人間が、彼女を支え、励ます光景も、見たくないと思った。

 侍女に請われたのだと言えば、他の者たちへの言い訳にもなる。


「ぜひ、エドガー様にお願いしたいのです。あの日、守っていただけたことで貴方のことを信頼なさっておいでですから」


 もちろん、ティナはもっと前からエリュミーヌがエドガーを見ていたことを知っている。けれど、それをバカ正直に話すような人間ではなかった。

 話さずとも、エドガーには筒抜けだったのだが。


「分かった、引き受けよう」

「ありがとうございます!」


 視線の意味に気付いた時、エリュミーヌからは極力距離を取ろうと思ったのではなかったか。

 自分などに惑わされぬよう、もっと身分の釣り合う相手に出逢えるようにするのが臣下としての務めではないのか。


 それでも、あの日のエリュミーヌを思い出すと心がざわめいてしまう。あの瞳を向けられるのは自分だけなのだと、建前が揺らいでいく。


 消し去るはずの想いが、彼女に逢えば色付いてしまうと、分かって、いるのに。

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