第3話 反省と、恐怖 [side:エリュミーヌ]

 大丈夫ですと答えはしたものの、エリュミーヌは動けなかった。馬が自分に向かって勢いよく駆けてくる光景が脳裏から離れず、震えが止まらない。

 そんなエリュミーヌを、エドガーはひょいと抱え上げた。


「?!」

「無礼をお許しください。部屋までお運びします」


 馬から守ってもらった瞬間は、ほとんど目を瞑っていて、何が起きたのか分からなかった。だから、抱きしめられていたという事実も実感が湧かなかった。

 しかし、今は違う。エリュミーヌの肩は、腕は、脚は、エドガーの温もりを感じていて、なによりエリュミーヌの視線のすぐ近くに、エドガーの顔があった。

 エリュミーヌは小柄で、エドガーの顔を見るには首が痛くなるほど見上げなくてはならないくらいなのに。今は目の前に、エリュミーヌの吐いた息がエドガーの髪を揺らすくらい近くに、ある。

 全身の血液が沸騰したのではないかと思うくらいに熱い。

 ずっとずっと、遠くから眺めていた相手。双眼鏡越しでは分からなかった瞳の深い青も、濃いまつ毛も、高い鼻も、小さな傷も、全てが肉眼で確認できて。


 限界だった。かかえられているということも、顔が近いということも、何もかも刺激が強すぎて。エリュミーヌは顔を真っ赤に染め上げ、意識を失ったのだった。


§


 エリュミーヌが目を覚ますと、そこは見慣れた場所だった。天蓋付きのベッド、自分が毎日眠る場所。どうして自分はここにいるのだったか。

 気を失う前のことを思い出したエリュミーヌは、「ひゃああああぁぁぁ……!」と情けない叫び声を上げて布団の中に潜っていった。


「お目覚めになられましたか」

「ティナぁぁぁ……!」


 エリュミーヌ付きの侍女の中でも特に仲の良いティナが、叫び声を聞いて部屋に入ってくる。布団から顔だけを出してべそべそとするエリュミーヌの前に、膝を突いてしゃがんだ。


「騎士団長様、お優しい顔をしてエリュミーヌ様を抱えておいででしたよ。お医者様も手配してくださって、特に問題はないだろうとのことでした」

「わ、私、エドガー様の前で……あんな……ううう」

「まるでガラス細工を扱っているみたいに丁寧にベッドへ寝かせてくださって、騎士団長様でしたらエリュミーヌ様をお任せしてもいいなと思いました!」

「恥ずかしすぎますわぁぁぁ……!」


 再び布団の中に戻っていきそうなエリュミーヌをずるずると引っ張り出し、身なりを整えて夕食の席へと連れていくティナなのであった。


§


 馬が恐いと気付いたのは、ティナと共に庭園を歩いている最中のことだった。

 庭園と一口に言っても広大で、その日は薔薇だけを楽しめるよう整備された区画を訪れようとしていた。厩舎きゅうしゃから馬のいななきが聞こえた瞬間、エリュミーヌの足はその場に釘付けになり、震えが止まらなくなった。

 あの日の光景が目の前に見えるようで。


「エリュミーヌ様?! 大丈夫ですよ、厩舎からは距離があります。声が微かに聞こえただけで、蹄の音も聞こえません」


 ティナに手を握られ、安心させるような優しい声色でそう言ってもらってなお、エリュミーヌの真っ青になった顔色は戻らなかった。呼吸が荒くなり、自分の意志とは無関係に涙がぼろぼろと溢れてくる。

 その日は全ての予定をキャンセルし、自室に戻ることとなった。


 馬は、城の至る所にいる。移動手段としてだけでなく、荷物を引かせることもあり、厩舎の近くに行かなければ大丈夫ということにはならなかった。今のままでは、城内を歩くことさえままならなくなってしまう。


 どうしたらいいのかと慌てるエリュミーヌに、何かを思い付いたらしいティナが微笑んだ。


「ご安心ください、エリュミーヌ様。私、とっておきの案を思い付きました!」


 とてもいい、笑顔だった。

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