第2話 名付けぬまま、秘める [side:エドガー]

 第三王女のことは、ほとんど知らないに等しかった。

 公の場に出てくるのは第一王子と第一王女ばかりで、その二人が公務に出ている時には第二王子たちが代わりを務める。

 第三王女が姿を見せるのは、建国記念式典や王の生誕祭など、国を上げた行事の時だけだった。

 騎士団長であるエドガーは、そういった行事の際には大抵城内の警備に当たっており、王族の面々の顔を間近で見ることもない。

 近衛兵たちの会話の中に時折、可憐な見た目の割にお転婆なお姫様、という話が混じるのを耳にする程度だった。


 ある時、修練場で模擬戦を行なっている最中のこと。

 実戦と同じ感覚で剣を振るわねば意味がないと考えるエドガーは、相手の呼吸を感じ取るように神経を研ぎ澄ませていった。そして”誰かに見られている”、と思った。

 反射的に周囲に視線を巡らしたが、兵士たちは皆それぞれ鍛錬に勤しんでおり、エドガーの方へ視線を向けている者はいない。

 では、どこから?


 いくら感覚が研ぎ澄まされているとはいえ、それは瞬間的なことであり、本気で向かってくる相手をいなしながら“こちらを見ているかもしれない誰か“を探し当てることはできなかった。

 王子たちが剣の稽古をしに修練場を訪れていたタイミングだったこともあり、二人を狙った何者かの視線かとも考えた。だが、それにしては殺気を感じず、狙撃や襲撃の類もなかった。王子たちは無事に稽古を終え、城に戻ったのだった。

 だが、警戒するに越したことはない。一日の終わりに行うミーティングでその旨を全員に周知し、王子たちの身辺警護を手厚いものとした。


 その日から、誰かに見られている感覚は修練場での鍛錬の度に感じられるようになった。王子は修練場に来ておらず、自分の心配は杞憂だったのだと安心する。

 しかし同時に謎が深まった。エドガーには思い当たる節が全くなかったからだ。

 知らぬ間に何か粗相をしたのかもしれない。騎士団長としてふさわしくない行いをしたのかもしれない。以前にも増して自分を律し、職務に励んだが、気配は一向になくならなかった。


 誰に監視されているのかも分からず、落ち着かぬ日々を過ごしていたエドガーだったが、第二王子が第三王女を連れて修練場に来た瞬間、全てを理解した。

 あぁ、あの視線の持ち主は、この少女だったのだと。


 修練場の中ほどと、入り口、それなりの距離があるはずだが、今までに比べれば距離なんてないも同然だった。自分を見る視線。そこに込められた感情さえ、理解した。

 理解はしたが、相手は第三王女である。元平民で、成り上がりの騎士である自分とはあまりにも棲む世界が違う。情愛ではなく、ただの憧れで終わらせるべきだ。エドガーはすぐにそう判断した。


 ヒヒーン!


 馬のいななきが響き渡った瞬間、身体が動いていた。自分より、もっとエリュミーヌに近い人間がいたにも拘わらず、エドガーは走った。他の誰でもなく、自分が彼女を護るのだと、思った。


 エリュミーヌに向かって走る最中さなか、自分の部下が駆ける馬の手綱を掴むのが見えた。馬の扱いに慣れた男だ。馬がエリュミーヌを直接害することはないだろうが、ひづめに飛ばされた砂利が傷を付けぬとも限らない。

 エドガーは己の身体を馬とエリュミーヌの間に滑り込ませ、両の手で彼女を包み込んだ。自分の大きな身体は、こうしてエリュミーヌを護るためにあるのだと思った。


「姫、ご無事ですか」


 今まで、ずっと交わらなかった視線が、合う。


「だ、大丈夫、です」


 絞り出された声と、伏せられた顔。無骨な自分とは似ても似つかぬ、小さくて、柔らかな身体。絶対に傷つけてはならない存在。

 今、胸に宿った感情には名前を付けず、秘めたままでいなくてはならない。

 そう、思った。

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