第5話 橋の上で、本音
朝早い大通りに、いつもの賑やかさは無かった。ほとんど人通りも無ければ、露店が開かれている場所も無い。
少し前を歩く父親は、家を出てから一言も声を発していない。
それに合わせたわけでないけれど、俺も何も言わなかった。
お互いにどんなことを話せばいいのか、探っているようだった。
民家がだんだんと少なくなる。草木が目立つようになり、近くでは川が流れている音も聞こえる。小さな橋が架かっていて、それを渡る。
その途中で、父親が足を止めた。俺もそれに合わせて立ち止まると、父親は橋の欄干に手を掛けた。
ここで休憩かと思ったが、ここにくるまで大して歩いてもいない。
父親がこちらを振り向く。いつもの厳しい目は影を潜めていた。
「試験受けるの、嫌だろう?」
その言葉に、俺はドキリとした。
なぜ今さらそんなことを言うのかと疑問に思った。
はい、そうです。というのが本音だが、正直には応えづらくて、正しい答えを出そうとして、あぁとか、うーんとか、唸るだけになってしまう。
そうしていると、父親は体の向きを変え、欄干の上に両肘を乗せた。水の流れていく先を見つめている。
「俺も、仕事行きたくないな」
「え⁉」
父親がそういうことを言うのが初めてで、俺はどう答えていいか分からなかった。
呆然と立ち尽くしている俺の方は見ずに、父親はぽつりと言った。
「朝から晩まで働く。そんなの、本当に大変だよな」
父親の仕事事情を、俺はほとんど知らない。どんな仕事をしているかさえあやふやだ。
立派に仕事をしているという勝手な想像で終わらせていた。それが父親というものだと。そしてそれが出来ない自分は、父よりも劣っていると蔑んでいた。
呆然と聞いている俺に向かって、父親は続ける。
「仕事をしている人間は誰もが抱える悩みなんだと思う。辛くて苦しいのに、それでも続けるのは、生きていく為だ。ただそれだけだ」
父親がこちらを向いた。答える義務があると思い、答えた。
「生きていく為に仕事が必要なのは、分かってるよ」
こちらを見る目が険しいモノになる。
「いや、お前にはまだ分かっていない」
「どうして?」
「働いたことがないからさ」
そう言って、父親は笑った。けれど嫌味には見えなかった。
俺を馬鹿にしているのではない。
でもそこにどんな意味が含まれているのか、俺には分からなかった。
「やったことがないのに、大変だとか、辛いとか言うのは、良くない。自分の目で見たり、感じたことがないと、そこに説得力は出てこないぞ」
事実を突きつけられ、俺は何も言えなかった。
「一度でいい。働くことがどんなことか、経験して来い」
一つ息を吐いた父親に、俺は「うん」と答えることしか出来なかった。
「まぁ、まずは試験を受ける所からだ。何なら試験を受けるのも大変だぞ。上から目線で
こっちを値踏みしてくるからな、あいつら」
父親は何かを思い出そうとするように、空を見上げた。
過去に自分が経験してきたことを振り返って懐かしむのも束の間、父親はこちらを見た。
「試験が終わったら、また考えればいいさ。どんな試験内容だったか、帰ったら教えてくれ」
そう言い終わって、父親は再び川の方に視線を向けた。俺もそれに倣って、父親の近くで川を見た。
川はゆったりと流れている。それほど深くなく、魚が下流に流れていくのが見えた。
少しの間、2人で同じ方向を向いていた。遠くに山が見える。どんな名前なのかは知らなかった。自分が知っていることは、きっと、ほとんどない。
この街でダラダラと過ごしてきた自分が、目の前の問題すら、きちんと見えていなかった。
「やりたいことがあるのか?」
不意に欠けられた質問に、正直に答えるべきか迷った。けれど何となく言っても良いような気がした。
「食べて寝るだけでお金が欲しいっす」
ここまで来てなにを言っているのかと自分でも思ったが、父親は少し口元を緩めてから言った。
「なら、首都に行けば見つかるかもしれないな。もし見つかったら、やってみろ」
意外な返事に、俺は父親の方を見た。父親と視線が合う。
「出来ることに挑戦してダメなら、次の道に進むんだ。目の前に広がるたくさんの可能性を、一つ一つ潰していけ。そうして最後に残った道が、お前の進むべき道になる。」
可能性を潰す、という言葉にドキリとしたが、そういう考え方もあるんだなと思った。
やりたいことや、気になっていることは、きっと頭の中にたくさんある。
俺の中にも、もちろんある。
昼寝をしたいとか、上手い飯を食べたいとか、面白い遊びがしたいとか。
それをやれと言っているのだろうが、父親が言っているのは、そのままの意味ではないことは明白だ。
生活をしていくことに繋げるのだ。生きていく為に必要なことの選択肢に入れられるかどうかの話を、父親はしている。
寝て、食べて、遊んで稼げる仕事があるのだろうか。そんな夢みたいな仕事があるのだろうか。
父親は、そんなもの存在していないと感じている。そして、それは俺も同じ考えだった。
そんな楽な仕事は無いんだぞ、ということを俺に知ってもらうための言葉だった。
身をもってそれを思い知り、働くしかないということを気付かせようとしているのだ。
今、自分の進む道は『首都に行き、詰所採用試験を受ける』これしかない。
つまり自分で自分の道を見つけなければ、地獄のような労働生活を受け入れるしかない。
それが嫌なら、自分が進むべき道ではなく、自分が進みたい道で生活が出来るようにならなくてはいけないのだ。
「俺の進む道……」
今ここで考えても、答えは出なかった。答えを出すには、あまりにも知識が無さ過ぎた。
父親が大きく伸びをした。一息つくと、「そろそろ行かないと」と言った。
しかし、父親は歩き出さない。それを疑問に思っていると、父親は言った。
「付いていくのはここまでだ。あとは自分で行くんだ。この道をまっすぐ行けば、右側にヌト車のある場所に着く。」
親指を後ろに指したので、そちらを見る。橋を渡った先は、木々が立ち並ぶ小道になっていた。
「ヌト舎に着いたら、首都行きの乗車券を買うこと。それを買うだけの金は、渡してあるからな」
俺は頷いたが、それが上手く出来ていたか分からなかった。
家を出るときから一人で行く覚悟は出来ていたはずだった。けれど実際にそうなると、急に心細さが出てくる。
「分かった。……行ってくる」
何とか足を踏み出す。どことなく力が入らず、さっきよりもカバンが重く感じた。
父親の横を通り過ぎる。顔は見れなかった。ここからは自分一人なのだと理解した。
橋を渡り終える直前になって、橋と地面の間に見えない境界線があるような気がして、不安になる。
後ろから「ラク」と呼ぶ声が聞こえた。いつもの父親の声を受けて、背中が温かくなっていく。
振り向くと、父親は右手を胸の前に置き、拳を握りしめていた。
「どんな道でも、一生懸命やるんだぞ」
その言葉に、俺は頷いた。前に進む勇気を貰えた気がした。
一歩、また一歩と歩みを進める。道はくねりながら続いていた。一本道だから迷うことは無かった。
左右には背の高い木が雑多に並んでいて、風が吹く度に葉っぱがくるくると飛んでいく。
途中から上り坂になり、歩く足に力が入る。しばらく歩くと汗も出てくる。それでも進んでいくと、やっと平坦な道になった。
ふぅと吐息を漏らす。肩に掛けたカバンが少し食い込んで痛かった。
後ろを見た。自分が暮らしていた街が小さく見える。人がまばらに散っていて、あの街も一日が始まるようだ。
父親の姿は見えなかった。視線を下げて橋を見ようとしたが、木に隠れてしまっていた。
まだそこにいるのかもしれない。そんな想像が頭をよぎった。
風が吹いた。少しだけ獣臭さを感じる風だ。
肩のベルトの位置を直す。今進むべき道に、歩みを進めて行く。
ニートは続くよ、どこまでも! 月峰 赤 @tukimine
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