第3話 20日間のスケジュールが決まりました。

 サイフを握りしめ、部屋を出る。母親に外出する旨を伝えてから家を出て、街の中央部へと駆け出す。次第に道が広くなり、往来する人も多くなってくる。街の大通りは、首都ほどではないにしろ、賑やかな様相を見せていた。

 通りの脇には暖簾を建てた露店が立ち並び、歩いてくる人たちに威勢よく声を掛けている。

 その中を、俺はするすると走り抜けていく。


 この街には書店が2つある。その内1軒はこの通りにあるが、そこは目当ての所じゃない。


 そんな中、肉を焼くいい香りが漂ってくる。思わずそちらを見ると、串肉を焼いている笑顔のおっちゃんと目が合った。


「ラク!あわててどこに行くんだ?」


 おっちゃんは、俺が常連の串肉露店の店主だ。名前は知らないから、いつもおっちゃんと呼んでいる。

 足を止めて、おっちゃんの方に近づく。


「書店に行くんだ。ちょいと買いたいものがあってね」

「ほぉーそうかい。けど今日は来るのが遅かったなぁ。追加の肉はまだ焼いてる途中だよ」


 手元の串をくるりとひっくり返すと、まだ赤みの残る肉が姿を現す。


「じゃあまた後で来るよ。二本分でお願い!」

 指で2を作るとおっちゃんは元気よく「あいよ」と言って、再び肉を焼き始めた。


 別れを告げて、目的の書店へと急ぐ。

 町の中心から離れると、それだけ人の数も減っていく。


 脇道に逸れて、さらに進んでいく。通りに出ると、そこは人もまばらな静かな通りだった。その道を、書店目指して進んでいく。


 やがてただの民家に辿り着いた。書店に見えないその場所は、暖簾も立っておらず、知らない人が見れば、そうだとは気づかないだろう。


 民家と違うのは扉が開け放たれているという一点だけであり、中には大量の本が所狭しと並んでいる。見る人によっては奇妙な本好きの家に見えることだろう。


 書店に入ると、本を読みながら奥に座っていた老人が、ちらりとこちらを見た。

 何か言いかけたが、客が俺だと分かると、開きかけた口がギュッと閉じられた。

 また来たか、と言わんばかりに溜息を付き、カウンターに肘を乗せた。

 あまり歓迎されていなかったが、仕方がないと思った。


 毎回本は買わず、立ち読みをして帰る客なんて、うっとうしいに違いない。


 だが、今日の俺は違うぜ、じいさん。


 いつもは、じいさんの近くに並ぶ娯楽雑誌の棚に向かう俺だったが、今回はじいさんから少し影になっている場所に移動する。そこには地域活性化のための雑誌が並んでいて、地元の名産品から、遥か遠くにある異国の寝台列車なるものの雑誌まで幅広く取り扱っている。


 品揃えは大通りの書店と比べて、こちらの方が群を抜いている。なぜそうなっているのかは分からないが、特に気にしたことは無い。

 ここにいれば大抵の暇つぶしになる。

 もちろん、じいさんの冷たい視線に耐えられればの話だが…。


 棚の雑誌を物色していると、視線を感じた。その方向を見ると、じいさんが怪しむような眼でこちらを見ていた。

 悪びれも無くこちらの顔を凝視されると、並の精神なら、さっさと本を置いて立ち去ってしまうだろう。

 ここが繁盛しないのは、書店だと気が付かない見た目と、店主のこの対応があるからに違いないと確信している。


 追い出すような視線を浴びながら棚を物色していると、やがて目当ての本が見つかった。

『首都グルメ旅』を手に取り、中をパラパラとめくる。


 特集ページは最近流行りの茶屋らしい。カラフルな菓子が、ショッキングピングの器に盛られているのを見て、流石は首都だなと思った。

 店主の視線を受けながら、パラパラと読み進めると、露店情報のページに辿り着く。大きな通りを上空から見た俯瞰図に置き換えており、路面に立ち並ぶお店の位置と建物、売り出しの食べ物を分かり易く紹介している。


 これだ!と思い、本を手にして店の奥へと向かう。


 棚の影にいるじいさんは、俺が本を買おうとしているのに気付いて、驚いたようだった。

 俺は目当ての本をじいさんに手渡す。


「じいさん、俺は本を買うぜ」

「当り前じゃ。今までさんざん立ち読みした分も払っていけ」

 そう言って皺くちゃの手をこちらに差し出してくる。まさかと思ってサイフを出すのを躊躇していたが、この本の金額だけで良いらしかった。

 俺は本の代金を支払うと、じいさんはフンと鼻を鳴らした。そうして俺が買った本が並ぶ棚の方へと姿を消していった。


 俺は本屋を出て、大きく伸びをした。

 本を買うのは久しぶりで、手に持った感触が何となく嬉しい。


 そうして元来た道を戻り、串肉屋へと向かう。先程よりも客が集まっており、おっちゃんが忙しなく肉を焼く姿があった。客に焼きたての串肉を笑顔で渡しながら、次の注文を受けている。

 俺はその最後尾に並び、順番が来るまで雑誌を見て過ごした。順番になって、おっちゃんが俺に気が付くと、ニカっと笑ってきた。忙しくても、おっちゃんはいつも笑顔で、客を出迎えていた。

 サイフから串二本分の金を取り出す。

 おっちゃんはそれを受け取ると、焼き上がった串肉を一本手に取る。それに店自慢のタレを丁寧に塗りこむと、紙に包んでくれた。それを二つ分、用意してくれる。

「忙しいとこ悪いね」

 自分と母親の分を受け取る。

「なぁに、忙しいことは大歓迎さ。また来てくれよ」

 気付けば自分の後ろにも人が並んでいた。邪魔しちゃ悪いなと思い、俺は串肉と雑誌を手に、家へと急いだ。


 母親にお土産を渡してから、俺は部屋へと戻った。

 早速雑誌を開くと、首都の大通りに広がる露店の数々が紹介されていた。

 それらを一つ一つ眺めていく。気になった所はどんどん印をつけていく。

 途端に腹が減り、包みを開いて串肉を取り出す。それを齧りながら、将来首都を練り歩く自分の姿に、思いを馳せた。


 その夜、父親が帰ってくるのが分かり、机の上に置いていた「詰所採用試験概要」を手に取り、急いで雑誌を敷き布団の下に隠す。グルメ雑誌を見られて、怪しまれるわけにはいかなかった。

 こちらに歩いてくる気配があり、布団の上で試験概要を読むふりをした。

 尻に雑誌を踏みつける感覚がある。


 襖が開き、顔を上げる。父親が立っており、手には平べったい袋を持っている。

「おかーり」

 冷静さを保ちつつ、いつもの様に声を掛けると、父親は、おう、と短く返した。

「読んでたのか」

 そう言う父親の顔が、少し和らいだ気がした。目線は俺が持つ「詰所採用試験概要」に止まっている。

「まぁね。少しでも頭に入れておいた方がいいかなと思って」

 俺の殊勝な態度に、父親は満足そうに頷いた。


 父親が部屋に入ってくると、手に持っていた袋を俺に差し出した。俺は「詰所試験概要書」を脇に置き、それを手に取る。袋には、街一番の書店の名前が印字されている。俺が行かなかった書店だ。


 そこで嫌な予感が体に走った。

 今朝、と言っても昼だが、居間で父親を見つけたときと同じ感覚があった。

 恐る恐る袋を開け、中を取り出す。


 表紙には城のような絵が描かれており、そこに入る為の城門がでかでかとある。その脇には兵士の格好をした人物が二人立っていて、こちらを笑顔で見つめている。

 上の部分には「詰所採用試験対策 10日で最短マスター」と書かれている。


「明日から、昼間の間にやっておくこと。毎日確認するから、サボるなよ」


 そう言って、父親は「詰所採用試験概要」を手に取った。

「試験は20日後だから、今からでも十分やれるだろう。今回のお前は、やる気があるみたいだからな」

 しわくちゃのそれは父親の手によって引き延ばされるが、すぐ元に戻ってしまう。


「こんなに皺になる位読んでいるとは、感心感心」


 ただ踏みつけただけなんです、とはもちろん言えず、はははと苦笑いをするしかない。


 父親はそれを元の場所に戻し、部屋を出ていった。


「とんでもないことになってしまった…」


 試験までの楽しい時間が、崩れ去っていく。

 尻の下に敷いている雑誌が、どんどん押しつぶされていく。


 最悪な20日間が、今始まったのだった……。

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