第十五回書き出し祭り『停止世界の魔物たち』

【あらすじ】

『彼女にはいくつも問題がある。九歳になるまで面倒を見て、取り返しが付かないと気付いてしまった。私は弱い人間だ。私は、正常な判断が出来ない』

『そこには弥上の血を引く者しか行けない。だからお前しかいない。生かすも殺すも関わらないも、すべてお前に任せよう』

『ただ、一つだけ言わせてほしい』


 ――『停止世界は、美しいのだと』


 停止世界。それは、時間が止まっている間にのみ発生する、連続性を持った空白期間の事を指す。

 そこでは、通常人の目には観測されない"時の狭間に生きる魔物"が独自の生態系を築いているのだそうだ。


 主人公・弥上時悠は、今は亡き父が書き残した手紙によって複雑な選択を迫られるようになっていく。

 停止世界を譲り渡された。

 時悠は二種の世界を行き来する。


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【本文】

 幼い頃、空飛ぶ鯨を目の当たりにしたことがある。

 実家があるのは静岡県。富士山の前を横切るように、青空を泳ぐ五頭ほどの群れを見た時、俺は恐怖を覚えていた。


 夢を怖がるみたいなものだ。所詮は子供の空想なのに、当時の俺にはそれがとんでもない魔物に思えて――。


 それ以降。

 父は、よそよそしくなった。



 ××××× 停止世界の魔物たち ×××××



 現在。父の葬儀を無事に見届けることが出来た俺は、法事だからと数年ぶりに対面した親戚の子どもとにこやかに手を振って別れる。

 あれくらいの歳の頃には父と溝が出来ていたのか、とそんなことを思い出した。


「時悠くんはほんと、面倒見良くて助かるわ。安心して子ども任せられちゃった」

「……まあ、精神年齢が近いんじゃないすかね。親父とは違って」

「そぉ? でも、まだ大学生だもんねえ。若いわあ、羨ましい」


 上京して、多少垢抜けたところがあるからか、久々に再会した叔母の好奇な眼差しを受けながら俺は遠慮がちに答える。


「これから大変ね」

「そう、ですね……。頑張ります」


 晴れた七月の半ばの週。

 父は心臓病の類いから、四十二歳という若さで永眠した。



「これ。お父さんから」


 母と二人きりで実家に帰ると、早々、母は箪笥の中をまさぐりながら俺に手渡してくれたものがある。

 手のひら大で薄い長方形をした桐箱と、表面に父の名がある茶封筒だ。

 見た目よりも重みのある桐箱に加え、茶封筒の裏面には父の筆でこんな言葉が残されている。


『この手紙は息子である弥上みかみ時悠ときはる個人へ向けたものである。父子の大切な会話となるため、時悠のみが読むものとする。関係者にはどうかご配慮して頂きたい』


 首を傾げる。どう言う意味だ。

 父の意図が、読めないでいる。


 どこか警戒してしまうのは、やはり父とのわだかまりを残した上でのこんな手紙になるからだろうか。


「多分ね、あの人は自分の死期を悟っていたんだと思う」


 腕を組んだ母が茶封筒を一点に見つめながら、感懐に耽るようにしてそんな言葉を口にした。

 しかし、あまり納得のいかない俺は疑問の言語化に苦戦する。


「……これは、俺にだけ?」

「ううん、ハルだけじゃないよ。私宛のもあった」


 ハルとは、俺の親しい人だけがする呼び方だ。

 もっとも、我が家では母にしか呼ばれたことはない。


「……自殺じゃなかったんだろ?」

「うん。疾患だったから」

「本当に変な親父だな……」


 突然死という扱いだったはずだ。あまり書斎から外に出る人でもなかったし、生活習慣の良し悪しなんて俺の知るところではないが……。

 わざわざこんな物まで用意して、いったい何を考えていたんだ?


 封筒にすぐ目を通すのはどこか緊張して身体が強張る。場繋ぎじゃないが、心を落ち着かす時間を取るために同じく手渡されていた桐箱の方へ目を向けた。

 軽めに少しだけ振ってみると、カチャカチャという金属製品の音がする。


「それはあの人がずっとハルに譲りたがってた。わざわざ私宛の手紙にも、これを渡せって指示してたんだからね」


 すっと眉根を顰めて疑いに掛かる。なんで俺に。

 どうしてなんだ。

 ……父の思考が、分からない。


 言いたいことも疑問もあるが、それをぶつける相手がいなくて、悶々と一人消化しながら目の前の箱に向き直る。

 片手で桐箱をしっかりと持ち、蓋を開けて中を確認した。


 模られたクッション材に包まれて、表蓋に鯨の意匠がある懐中時計がそこには収められていた。

 貴重品なのは一目で分かる。


 アンティーク調の、古びた時計だ。


 手に取る。使い古されているのか、接触部のメッキが剥がれたチェーンがじゃらりと垂れる。

 握れば手に馴染む感触から、数少ない思い出のなかで父がこうやって携帯していたことはなかったかと想いを馳せた。


 かぱ、と表蓋を開ける。

 時計盤を保護するガラスは左下がややひび割れていて、針は動いていないようだ。


「これは……」


 壊れ物、なのだろうか。

 不安になって母を仰ぎ見る。

 懐中時計はおろか、腕時計の心得すらないような俺は針の動かし方も分からない。


「ツマミ(リューズ)が押し上がっているね」


 母の言うツマミとやらは、チェーンと本体を繋ぐ金具の部分に存在した。確かに指先でしかいじれないほど繊細なパーツが二ミリほど浮き出していて、これを押し込めば動くようになるそうだ。

 カチリとツマミの部分を押し込み、右回しにギコギコと巻いていく。


「力加減に気を付けてね」


 手巻き式、と呼ぶそうで。

 巻き方のコツも教わりながら、母に見守られてぜんまいを巻き上げる。


 ツマミを持った指の腹を、ゆっくりと離す。

 そして、盤面の方へ目を下ろすと、ちょうど一秒目のカチリ。とした、時計が息を吹き返す瞬間を俺は目の当たりにすることが出来た。

 俺はほっとして母へと振り向く。



 ―――――母が、凍り付いている。



「……は?」


 動かない。呼吸をしない。何をしたって反応がない。

 それは生物としてあり得ないほどの"停止"と呼べる状態であり、それは精巧なマネキンのようで、あるいは剥製か彫像のようで。

 毛穴の一つ一つが見える。皮膚の質感が不気味に映る。目を合わせない母の顔が、母に見えなくなってくる。


 ふらつくように距離を取る。理解の範疇を超えている。

 俺は手元の懐中時計を、震えるように見下ろした。

 カチカチと進む秒針に対して、次に実家の壁掛け時計を見れば誰だって気付くことがある。


「これは、時間が止まっている……?」


 何も動かない。物音がしない。ここでは俺しか動いていない?

 スマホを手に取る、起動しない。カーテンを開ける、風がない。まるでこの場所に取り残されたような、そんな気持ちになってくる。

 息が、上がる。冷や汗が出る。心臓が妙な早鐘を打つ。

 不安に駆り立てられる思いだ。

 視野が、狭くなるのを感じる。


「吐き気が……」


 これは、時計が動き出した矢先のこと。因果関係には気付けているが、だからと言ってこの壊れかけの懐中時計をいじくり回すだけの知識と勇気が俺にはない。

 強引に破壊すれば戻れる可能性もあるが、同時に取り残される危険もあるわけで、俺は軽率に動けずにいる。

 一歩間違えば"終わる"かもしれない。


 ――だから、縋り付くように、父の手紙へと手を伸ばした。


 求める内容はいくつもあるが、ひとまず、この懐中時計か時間停止状態に関して言及がなければ俺は詰む。

 祈りながらも、読み出した。


『停止世界をお前に譲る』


 書き出しはそんな文言だった。


『本来は口頭で伝えるべきものを万が一のために書き残す。つまりこの手紙が読まれているということは、私の度胸が無かったが故に招いてしまった最悪のケースだ』


 父とはコミュニケーションを取った回数が非常に少ない。

 当然そんな話をすることもなければ、上京して疎遠になった身では機会すら父に無かっただろう。


『私の箪笥の一番下に、桐箱に納めた懐中時計が存在する。表蓋に鯨の意匠があるものだ。それは、お前が持っていなければならない』


 確かに俺の手に渡った。そしてそれが原因で、恐らく今こんな目に遭っている。

 父は、何を考えている。なぜ、こんな物を持つ。

 ……怪訝な表情で読み進めていく。


『その懐中時計は針が動いている間、こちらの時間を停止させる効果を持つ。そして同時に、通常の時間が進行する限り動くことはない停止世界を、甦らせる力がある』


 それはさながらスイッチのようなもので、二本の時間軸は並行して進むことがない。どちらか一方が進行する限り、どちらか一方は留まるのだと。


 つまり俺は、停止世界と呼ぶ時間軸に意図せず切り替えてしまったことになる。


『その世界は幻想に満ちている。謎があまりにも多い。時の狭間に生きる魔物が、そこらじゅうを跋扈する。私はそれらの研究をした。書斎に資料を残しておく』


 だからなんだとは正直思う。俺には関係のない話だ。

 これが譲られた理由はどうあれ、俺は帰る方法が知りたい。行き来が出来るならそれでもいいが、何度も来たいとは思わない。


 ……俺はさっきから魔物と聞いて、嫌な予感がずっとしている。

 父と俺との間に溝が出来た理由が、全てここにある気がする。


『本当はこの時計を譲り、お前には研究を継いで欲しかった。停止世界というこの世の神秘を、解明するために手を取り合いたかった』


 なにか、この文に違和感を覚えた。

 文章上の語気と言うものが、がらりと雰囲気を変えた気がした。

 俺は困惑しながらも、息を呑んで読み進める。


『だが、話はそうもいかない。私は、この素晴らしき停止世界を私欲で利用してしまった』


 妙な焦燥を感じている。

 私欲で利用とは何のことだ?

 父はいったい何をした。俺に、何をして欲しいんだ。


『私は事実を隠蔽するために、あり得ない罪を犯したのだ』


 まるで、触れてはいけないような、あるいは知ってはいけないような、そんな禁忌が待ち受けている。

 そんな予感を、覚えてしまう。


『そこには私の娘がいる。それはお前の妹だ』


 ―――――息が、止まるかと思った。

 父は、何を言っている……?


『私の娘の名は時雨しぐれ。

        彼女は、変異しつつある』


 そして、変異とは何のことだ。



(第二話へ続く)

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