第9話秀吉と家康

天正十二(1584)年初夏

「直江山城守兼続、新発田のことは頼むぞ。しかし、くれぐれも無理はするな」

(天正十一年から山城守の官途を名乗っていた兼続だが、筆者が忘れていた模様)

新発田討伐を託され、景勝に送られて春日山城を出陣する兼続。

与板城には精鋭一千余が出陣の支度をして兼続の到着を待っている。

「急げ」

十数騎の騎馬武者の先頭を行く兼続。

すると少し先の道の端に、どこかで見たことがあるような騎馬武者がいる。

誰かな、与力にいたかな。

馬の速度は落とせない。どんどん近づく。近づくにつれ、顔面が蒼白になる兼続。


「直江景船じゃ」

やっぱり。

「信玄公は女武者を使われたと聞いておるが、わらわは葉武者ではない。軍師じゃ。ゆえに心配無用じゃ」

意味が分かりません。あっけにとられる兼続。

ふと周りを見回すと、みな下馬してひざまずいている。

「越後には板額御前のような美貌の女武者が源平の昔からおったのじゃ」

まんざらでもなさそうなお船、得意気に知識をひけらかす。

「与板衆の忠誠心は、わらわに向けられている」お船の言葉を思い出す兼続。

はいはい、どうせ、それがしは婿養子ですよ。はいはい、すみませんね。

出陣の出鼻をくじかれ完全にいじけた兼続である。


与板城に到着する。自分の城なのに勝手がわからないので、お船の後を付いていく。

ずんずん入っていくお船。

城主の居室に入ったお船、侍女たちが面白がって二人の鎧を外す。

「大儀」どこまで続くのですか、この小芝居。

くるりと向き直る、お船。

「そなた、最終的討伐の決意と御実城様に言うたそうじゃが、本当か」

「はい、そのつもりでございます」

「本当のことを言え」

うむむ、ばれておるのか。

「御実城様が何度攻めても落とせなんだ城を、そなたの手勢だけで落とすことはできまい。第一、新発田周辺を調略せず、本庄など揚北衆も招集せずに勝てまい。そなたの本心を言え。勝てないのはよい。しかし余りに無様なことをすると、そなたの勢威に関わってくるし与板衆の統制にも支障が出るぞ」

なんと心配して下さっていたのか。仕方ない、本心を言うか。

「実はこたびの出兵は形ばかりのものです。本当の狙いは土木工事です」

流石のお船も目を丸くする。

「土木工事!付け城でも建てるのか」

「城ではございませぬ。信濃川の支流に水路を開削するのです」

「なんと。新発田攻めのために川を造るのか」

「昨年の敗北は湿地帯に足を取られたことが要因でした。その対策でございます」

「しかし、気の長い話じゃな」

「ふふふっ、新潟一帯は湿地帯、百姓どもも苦労しております。そこで水路を造り排水に心を砕いている様を見せれば百姓どもの心を獲ることができるでしょう。民草の信頼を得ることこそ、新発田攻めの第一歩でございます」

「おお、そなたは御実城様の討伐の下準備をするつもりじゃったのか」

「はい、御実城様の討伐を成功させるためには、わざと負ける必要もあるやも知れませぬ」

「ううむ。そなたのこと生まれて初めて見直したぞ。あっぱれじゃ」

「いや、すべて上手く行けばの話です。そのためには、いろいろな手を打たねばなりますまい」

「たとえば新発田の後ろ盾になっておる蘆名の家中の調略じゃな」

「御意」


 信濃川の開削工事を始めると、募集もしてないのに付近の農民が大勢手伝いに来たとの報告が来る。

「わらわも見てみたい」

兼続とお船が様子を見に行くと信濃川は黒山の人だかり。みな嬉々として工事を手伝っている。

「秀吉公は銭を撒いて土木工事をさせるそうじゃが、民の願いに沿えば何もせずとも手伝ってくれるのじゃな」

兼続が呟く。

「案外、そなたの天分は内政にあるようじゃな」

お船が言う。

「御館の乱の傷跡が国中に残っております。一日も早く戦乱を鎮めて思い通りの国づくりをしてみとうございます」

水路を開削し道路を造成し流通を活発にする。農民に商品作物の栽培方法を教える。

書物を集め学校を作り子弟を集めて教える。兼続の胸に希望が膨らむ。

「早くそんな日が来るといいのう」


与板城に戻った兼続、与板衆の副将である志駄義秀と相談して、物頭たちを集める。

「そなたたちには交代で新発田領内への威力偵察を命じる。よいか、敵が攻撃してくれば退くのじゃ。戦ってはならぬぞ。敵をして奔命に疲れせしめるのじゃ」

「そなたたちは信濃川・阿賀野川を下ってくる蘆名の舟を拿捕せよ。できなければ沈めてもよい。兵站線を断つのじゃ。しかし敵が攻撃してきたら逃げてこい。先は長い。命を粗末にしてはならぬ。敵に鬱陶しいと思わせれば作戦成功じゃ。中止命令が出るまで、交代で一日も休まず攻撃せよ。間道を通る補給部隊も見逃してはならぬ。攻撃せよ」

調略もせねばならぬ。

「三七」

「あい」

「そなたの配下を使って、新潟津の商人どもを切り崩せ。内応を促すのじゃ。いつまでも新発田の思い通りにはさせぬ。そなたらも日の明るいうちに身の振り方を考えておけと脅かすのじゃ」

傍で聞いていたお船。

「辛辣じゃのう。とても謙信公の薫陶を受けた者とは思えぬな」

苦笑してごまかす。

はかりごと多き方が勝つと申します」

最近、石田や秀吉公と会うことが多いので感化されたのかな。


「本庄、色部など、揚北の諸将から使者が到着しております」

 こたびは召集されなかったので慌てておるようじゃな。本庄の奴、せっかく任務を与えたのに、どうも庄内のことが気になって新発田どころではないようじゃ。


天正十一(1583)年三月、庄内の領主・大宝寺義氏が最上氏に使嗾された家臣前森蔵人に自害を強要された。大宝寺の家督を継いだ弟・義興の後ろ盾となり、最上と対立を深めている本庄繁長である。


 それにしても揚北の諸将は、みな巨大な戦力を持っておるが忠義の心に欠けておる。こたびは甘い顔を見せぬぞ。さすれば御実城様が親征してきたとき争って集まって来るじゃろう。それがしは嫌われ役をやる。どんなに嫌われても構わぬ。

 どうやら兼続ひとまわり大きな男になったようである。


 与板城で兼続とお船が情勢分析している。

「やはり新発田を討つためには蘆名からの補給を断たねばならぬのではないか」

「はい。蘆名家中の手を入れようと考えております」

「蘆名の当主盛隆は二階堂家からの養子ということじゃが、若いのになかなか遣りてのようじゃな。伊達輝宗の娘婿でもあるから伊達を後ろ盾にしておる。強敵じゃ」

「しかし蘆名家を二階堂と伊達に乗っ取られたと考える家臣もいるのではございませぬか。そこに付けこむ余地があるやもしれませぬ」

「ふむふむ。なるほどな」


「新潟津より出た船に五十公野信宗らしき男が乗っておったようです」

波里(三七)が報告する。

「五十公野信宗は新発田重家の義弟、新発田軍の副将。行先は越中富山でしょうな」

「何用じゃろう」

「いよいよ佐々成政、挙兵するのではありませぬか。佐々と連携してわれらを討つ、その相談以外に用事はございますまい」

「しかし佐々は秀吉公に降伏して恭順の意を示しておると聞いておるぞ。それに前田の息子を養子に貰い受ける話も進んでおると聞いておるが」

「長久手の勝利を徳川は誇大に宣伝しているようですな。北条の援軍を待って上方に進攻するなぞと。それに佐々の奴、煽られておるのでは」

「佐々の恭順は偽りなのか」

「少なくとも秀吉公は佐々は裏切ると、それがしに言うておりました」

「秀吉公は佐々を許したが心底では憎んでおるのじゃろう。その心のうちが佐々にも見えておるのじゃろう」

あいかわらず鋭いお船。秀吉公が佐々を追い込んでおるのかもしれぬのう。

「さっそく春日山城に使者を立てます」

「ところで、そろそろ新発田攻め致さぬのか」

「今のままで十分でござる」

「わが軍が会敵するたびに逃げておるので新発田は連戦連勝じゃ。この分では春日山城に攻め込む日も近いと豪語しておるようじゃ。揚北衆のなかにも新発田に与力するものが現れるやも知れぬぞ」

「心根の怪しき者を、この際あぶりだすのも一興かと」

「そなたは人の心が分かっておらぬ。人は弱きもの。心をもてあそぶような術策をしてはならぬ」

「われらは連戦連敗のように見えますが、新発田領内に進攻させているのは実は新発田領内の兵要地誌を作成するためでございます。これもすべて御実城様の親征のためでございます」

「そなたは、やはり万事隙無き男じゃ。あっぱれじゃ」


半月後、春日山城より急使が来る。

「佐々成政、加賀に進攻。前田軍苦戦。上杉に救援要請」

「佐々は、われらのことを舐めておるな。挟み撃ちにされることは火を見るより明らかなのに」

「それを防ぐため新発田としめし合わせたのでしょう。われらも春日山に戻らねばなりますまい」

「えー。わらわは出陣せずじまいか。せっかく鎧もあつらえたのに。直江景船じゃ、やりたかったのに」

珍しく落ち込んでいるようじゃな。

「まあ、よい。わらわも越中に出陣する」

なんとも立ち直りの早いお方じゃ。ちょっと感心する兼続。


 春日山城に戻る。景勝は越中出陣の準備を完了していた。

「新発田にさんざんに打ち破られたと聞いたが無事であったか」

「やはり、御実城様あっての上杉軍、毘沙門天の旗がなければ勝てませぬ」

「ははっ。そなたの魂胆は知っておるぞ。そなたとわしは一心同体じゃ」

これほど主君に信頼されている家来は日本国中で、それがしひとりじゃろう。受けた御恩を万分の一でもお返しできるように、これからも励まねばならぬ。


天正十二(1584)年九月

前田利家の領国の能登と加賀を分断するため、佐々成政は加賀・朝日山城を急襲した後、能登・末森城の攻略を企図する。しかし末森城城主奥村永福が粘り強く抗戦、利家直率の援軍が間に合ったこともあり、前田軍がからくも守り切った。


「佐々には、これまで何度も煮え湯を飲まされてきた。今度はその借りを返さねばならぬ。佐々の背後を衝くぞ」

 景勝が率いる上杉軍八千、国境の宮崎城を奪還した後、大挙して越中に進攻、佐々の本城である富山城に迫った。


「佐々は何を考えておるのじゃろう。東西から挟撃されても、まだやる気なのじゃろうか」

兼続が、信濃方面と新発田の抑えのため、春日山城の留守番として残ったため、越中に出陣できなかったお船、佐々に八つ当たりする。

「徳川・北条が上方に進攻してくるのを待っておるのでございましょう」

八つ当たりの矛先を避けるため丁寧に注意深く受け答えする兼続。


「しかし徳川が圧倒的な兵力を誇る秀吉公と対等に戦えておるのは、内線作戦をとっておるからじゃろう。どう考えても、そんな危険を冒すとも思えぬが」

「このままでは戦は膠着状態になります。一日たてば一日たつほど、秀吉公の力は強大になっております。徳川も、なにか一手、手を打たねば、このまま圧倒されてしまいます」

「そうじゃな、しかし兵が足りまい。北条からの援軍頼みか。北条は何をしておるのか」

「この七月まで野州沼尻で佐竹・宇都宮連合軍と対陣しておりました。和議がなったようでございます」

「一時的なものじゃろ」

「それは勿論。北条は関東制覇に邁進しております」

北条には“関東を制覇せよ”という家訓でもあるのじゃろうか。徳川に、あっさり甲斐・信濃を譲っておる。

「佐竹なども、しぶとく戦っておるが圧倒されるのも時間の問題じゃろう」

「佐竹は武田と同じく新羅三郎義光公以来の東国の名門。会津の蘆名とも同盟しております。北条も簡単にはいきますまい」

「秀吉の命令があるやも知れぬな。佐竹を助けよと」

そうじゃ、北条攻めがあるやも知れぬ。決め手がないのは秀吉公も同じじゃ。徳川を屈服させるため、徳川の同盟者を一人ずつ潰していくしかあるまい。越山(関東出兵)の用意もせねばなるまい。しかし、ここでも新発田が障害となっておる。あやつのせいで揚北の者どもを動員できぬ。とはいえ関東出兵は楽しみじゃな。関東に行けば謙信公のお考えが分かるかもしれぬ。


 春日山城に景勝が凱旋してくる。

「佐々の奴らは出撃して来ぬ。前田も国境を固めて越中には入って来ぬ。それゆえ、われらも引き揚げじゃ。佐々を滅ぼせなんだは残念じゃが、富山城まで攻め込んでやったわ。同陣していた秀吉の使者にも上杉の武勇を見せつけることができたわ。溜飲が下がった思いじゃ」

「折角の好機、前田利家殿はなぜ越中に進攻してこないのでしょうか」

「同陣した秀吉の使者の言によれば、隣国の領主丹羽長秀が尾勢の戦線から帰還してくるので、その援軍を待つつもりということじゃ」

「同じ旧織田家中でも佐々は武辺者と思われておるようでございます」

「うむ。買い被りかも知れぬがのう」

「丹羽殿が帰還されるということは、小牧の戦は終息に向かっておるのでしょうか」

「うむ。どうなんじゃろ」

「さっそく石田に問い合わせてみましょう」


旬日を経ずに石田の書状が届く。

石田はほんに打てば響く男じゃ。早い。一読して景勝に報告する。

「秀吉公は織田信雄と和睦するお考えのようでございます」

「結局そうなるじゃろうな。まさか主筋を滅ぼすわけにはいくまい。秀吉を盟主と仰いでいる者どもも従うまい。秀吉の天下は、そこまで固まっておらぬ。秀吉は、信雄が秀吉の天下を認めればそれでよいのじゃろう」

「信雄は領地の尾張と伊勢の大半を秀吉に抑えられ継戦能力を失いつつあります。秀吉の講和の申し出に飛びつくと思います。しかし徳川が納得しますか」

「はらわたは煮えくり返えるじゃろうが納得せざるを得ぬじゃろう。大義名分もなく単独では戦えまい。信雄がいればこそ、秀吉との和睦の道もある。家康は、それほど先の見えない男ではない」

景勝が黙った、考え込んでいるようだ。


「石田が書いております。天下静謐の名案が浮かんだと」

「なんじゃ」

「秀吉公は関白になるそうでございます」

「関白?平清盛のようになるのか。将軍ではないのか」

「秀吉公が望めば将軍になることも不可能ではないでしょうが、朝廷の官位を利用するためには、関白の方が手っ取り早いと言うて来ております」

あまりのことに黙り込む景勝。

「氏素性のしれぬ秀吉が関白か」

確かに名家意識の強い御実城様には衝撃的な話じゃな。

しかし考えて見れば確かに便利じゃ。朝廷の官位を使えば主筋の信雄の上位にたつこともできる。信雄も従いやすい穏当な方式じゃ。秀吉公の幕僚には石田を初め知恵者が揃っておるようじゃ。


「石田は新発田のことも任せてくれと言うて来ております」

「まさか、われらの代りに新発田を成敗してくれるというのか」

「いや和睦する考えのようでございます」

「それは困るのう」

「徳川を臣従させるため背後の北条を討つ戦略のためじゃと書いてあります。北条攻めの際上杉の軍勢が少ないのは困るので、新発田を許す考えのようです」

「上杉を使う気満々のようじゃな。しかし、そんなに簡単に事が運ぶとも思えぬが。運ばれても困るし」

「それがしも同感でございます。新発田とわれらは不倶戴天の関係。何でも利用したい秀吉公の思い通りにはなりますまい」

しかし利用できるものは何でも利用する気じゃ。朝廷の官位も新発田も。恐ろしいお方じゃ。賤ヶ岳の戦いの後、佐久間盛政を自分の家臣に取り立てようとしたくらいの秀吉公から見れば、われらの度量は小さいのかな。


 病を得て屋敷に引き籠っている狩野秀治より会いたいとの使いが来る。

お加減はよいのじゃろうか。心配していた兼続、さっそく会いに行く。

「そなたが与板城に詰めておる間、上条様のところに上方からの使者が何度も来ておるようじゃ。表向きは証人に出されたお子との手紙・音物のやりとりということじゃが、どうも怪しいのではないかのう」

ほほう、さっそく秀吉公の手が入っておるわ。敵も味方も、おかまいなしじゃ。上条様にうまいこと言って調略するつもりなのじゃろう。

狩野殿は流石じゃ、よく見ておるのう。

「そなた毛利のこと、どう思う」

病のせいか狩野の話は、とりとめないように思える。

「西国一の大大名かと。秀吉公は毛利と上杉を東西の抑えとして、うまく使っていくつもりのようです」

「毛利は大国じゃし、勇将・名将・軍師も雲の如くおる。時至れば天下も狙える家じゃ。しかし当主輝元のお人柄か、家中の統制が取れてない、というか、常に反対の考えを持つものがおり、その筋も動いておる」

何の話をしておるのじゃろう。

「たとえば本能寺の直後、秀吉公が引き揚げる際も、吉川元春は追撃を主張しておる。それを抑えたのが小早川隆景じゃ。吉川は主戦派、小早川は講和派、常に併存しておる。あらゆる情勢の変化に対応できるように両方の筋を進めておる。これからは上杉も毛利と同心することがあるやも知れぬが豹変されることがあるやも知れぬ。気をつけることじゃ」

狩野殿の生涯をかけた毛利研究の結論なのかな。


「無理を言って来てもらったのは他でもない。これからのお家の体制のことじゃ。そなた一人の単独執政にするように御実城様に進言した。わしが死ねば、そうなる。その腹積もりをしておいてもらいたいのじゃ」

なんと

「それがしは若輩。狩野殿の助けがあったればこそ、なんとかやってこれたのでございます」

「よいよい。そなたが謙虚な男であることはわかっておる。そなたは御実城様の寵愛を一身に集める腹心。上杉家中随一の実力を有している直江家の当主。単独執政するに何の不足もない。それに、この頃ひとまわり人間が大きくなったと聞いておる」

それがしを監視する細作でもつけておるのじゃろうか。

「お船殿から文を頂いておる。そなたのことを褒めておったぞ」

なんと。

「そなたの識見・力量には何の不足もない。しかし、そなたを妬む者、憎む者も多くいる。上に立つ者の宿命じゃが、その者どもの気持にも斟酌してやってほしいのじゃ」

おおっ「ご忠告、胸に沁みました」

「わしは尼子家が滅んだあと、牢人しておったのじゃが、謙信公に見いだされてお仕えすることとなった。謙信公の度量の大きさは計り知れないものがある。牢人・領地を失って逃げてきた者・人質として連れてこられたお方、謙信公はみなを大切にされた」

そうじゃな。上杉家には他国の者が多い。山浦国清様・河田長親殿、みな他国の生れじゃ。

「越後の国は日本一の大国じゃ。しかし他国の者を快く受けいれる度量があって、初めてその広さが活きてくる。わしの話が分かるか」

なんとなく「はい」

「そなたは利発な男じゃ。これからも色々なことを学んでいくじゃろう。これはいわずもがなの話じゃったな」


 石田から戦況報告が届く。本当にマメな男じゃ。寸分揺るぎのない男じゃ。

信頼できる。兼続と三成、やはり精密な仕事が得意な官僚気質が共通する。

さっそく景勝に報告する。

「秀吉公と織田信雄、伊勢桑名で会見。和議がなったようでございます。なんでも秀吉公は、信雄に土下座して詫びたそうでございます」

「勝ったほうが土下座して詫びるのか。秀吉は、ほんに芝居がかっておるのう」

「和睦の条件には信雄が人質を出すこと、伊賀・伊勢半国の割譲などが含まれており、実質信雄の降伏のようなものでございます。その場での土下座なぞ秀吉公は何とも思いますまい」

「丹羽や前田なども喜んでおるじゃろう。さすがに主筋を臣下が討つわけにはいくまい」

「丹羽が和睦交渉を取り持ったようでございます」

「なるほど丹羽の引き揚げはそのためか。ところで徳川はどうするつもりじゃろう」

「一応、次男の於義丸が人質として出されることになったようでございます」

「長男信康は粛清されておるな。嫡男の次男を出したというわけか。徳川も思い切ったことをするのう」

実は上杉景勝も次男であり、長男が夭折したため嫡男となった人間なので同じ境遇と解釈したようだ。

「あるいは母親の身分が低い、あるいは愛されてない子なのかもしれません」

子どものいない二人、子を持つ父親の機微には疎い。

「実の子を愛さない父親はあるまい」

よくわからない。


「秀吉公は、いきなり大納言になったようでございます。関白になるつもりのようで」

「まったく世も末じゃのう」

身分のないことを逆手に取っておるのじゃ。秀吉公は自分の欠点を長所に変えておる。日本の歴史上、はじめて現れた英雄じゃな。

「公家どもは日記に悪口を書いて憂さをはらすのが関の山でしょう。むしろ実利を得られると喜んでおるやもしれませぬ」


「次はどうなる」

「徳川の同盟者を一人ずつ潰していくかと。まずは雑賀衆、次は四国攻めが計画されておるようでございます」

「ふむ、秀吉の動きは分かったが、家康はどうするつもりじゃろう」

「北条との連携を強めて、秀吉公との交渉に備えるのではないかと」

「徳川にとって自分をどれだけ高く売れるか正念場じゃな」

「徳川は重厚なお方。その挙動に軽躁なところはございません。桶狭間で今川義元が討たれた後も、なかなか岡崎城に撤退しなかったと聞き及んでおります。秀吉公も臣従させるのには苦労するのではありますまいか」

「しかし人質を出したのじゃろう」

「いざとなっては殺されても構わぬ覚悟かと」

「恐ろしい奴じゃな」

「徳川は、はかりしれぬ所のあるお方のようでございます」

「秀吉とは違った恐ろしさじゃな」

「なんでも信玄公を尊敬しておるとか」

「ふむふむ、徳川の人となり、じっくり調べさせねばならぬのう」

「はっ。すでに細作を徳川領内に入れております」

にっこり笑う景勝。

「ところで本庄繫長が、そなたに会いたいと来ておるぞ」

あやつ、庄内の沃野に目がくらんで蘆名工作もしないで、とっちめてやろう。


頭から湯気を出しながら、本庄の待つ家老部屋に行く。

「奥方様は相変わらず美しいのう」

「ほほっ。本庄殿は戦ばかりではなく口もお上手じゃ」

本庄とお船が和んでいる。なぜか、さらに怒りが増してしまう兼続。

「本庄因幡守繁長殿」

そなたは、いったい今まで何をしておったのじゃ。兼続が説教を始めようとするが

兼続の内心を知らない風の本庄、屈託のない顔と声で

「御家老、大変なことが起きました。蘆名の当主が暗殺されたのじゃ」

なんと。

「蘆名盛隆が死んだのか。いくつじゃったのか」

「享年二四歳じゃ。なんでも、男色のもつれで寵臣に殺されたという話じゃ。御実城様も気をつけねばなるまい」

兼続とお船、最後の言葉は聞かなかったように話を進める。

「それでは蘆名の政策は変わるのでしょうか。新発田への援助はどうなるのじゃろうか」お船が質問する。

「いや伊達輝宗が遺児・亀王丸の後見をするようじゃ。新発田は伊達・蘆名が越後に打ち込んだ楔となっておる。そうそう援助を辞めるとは思えませぬ」

「なんじゃ。つまらんのう。しかしこれで伊達輝宗、奥州の支配者じゃな。佐竹も大変じゃ」

「いや伊達の内情もいろいろあるようじゃ。伊達輝宗は蘆名の亀王丸の後見になると同時に、伊達の家督を長男の政宗に譲っておる。が、なんでも、輝宗の奥方・義姫は次男の竺丸を擁立したかったようじゃ。義姫は兄・最上義光の意を受けて動いておるとのことじゃ。これからひと波乱も、ふた波乱もあるようじゃ」

「伊達の新しい当主は何歳じゃ」

兼続が訊く。

「十八歳でござる」

ふむ、それでは大変じゃ。

「なんでも幼少時に疱瘡に罹って片目を失明したそうじゃ。それで母親にうとまれてしまったが、父親の輝宗は伊達の全盛期を現出した九代政宗の名をつけるくらい買っておるとのことじゃ。なかなかできる男のようでござるよ」

ふむ、ふむ。

「そうじゃ、家督相続を祝う使者を出して反応を見てみようか」

越後の冬は長い、雪が積もれば他にすることもない。


 しばらくして伊達から返事が届く。ふむふむ近いうちにおめにかかりたいじゃと。

伊達政宗は、父輝宗と違う考えを持っておるようじゃ。政宗は蘆名の者とえらく揉めていると聞いておる。若年ゆえ侮られておるのじゃろう。

 差出人は片倉小十郎というお方か。


 実城御殿・家老部屋でいろいろ考えていると、そこにお船が来る。

「越中の細作からの情報じゃが、佐々の動静が不明のようじゃ。」

「雪に降りこめられて動けないだけではないのですか」

「いや、どうも徳川に会いに行ったようじゃ」

「まさか雪山を越えて。そんなことできるはずがありません」

「いや謙信公も雪を踏み固めて越山されたことがある。佐々は、前田とわれらに挟み撃ちにされて絶体絶命。その上徳川と信雄が和睦した今、孤立無援じゃ。来春になれば秀吉公が大軍を以て攻めてくることは火を見るより明らかじゃ。なんとかして家康を翻意させたいのじゃろう」

「真田にでも聞いてみますか。あいつの情報は精度があります」

「それがよかろう」


しばらくして真田より書状が届く。

「佐々は浜松城に家康を訪ね翻意を促したが、家康は取り合わなかった模様。思い余った佐々は信雄も訪ねたが、こちらも相手にしなかったとのこと」

景勝に報告する。

「佐々の決死の努力も水の泡か。しかし徳川も罪作りじゃ。徳川が長久手の勝利を誇大に宣伝したから、それに煽られて佐々は秀吉に敵対したのじゃろうに」

「佐々は秀吉公を憎んでいるので冷静な判断ができなかったのでしょうな」

好きとか嫌いとか、女子供でもあるまいし、そんなことで自分の主家を滅ぼすことは出来ぬ。狩野殿が隠居されれば上杉の命運はそれがしの判断にかかっておる。常に冷静・沈着でなければならぬ。佐々を見て自分を戒める兼続。


「狩野が正式に隠居を願い出た。いよいよ具合が悪いようじゃ。以前、狩野にも進言されたが、わしは上杉家の命運をそなた一人に任せるつもりじゃ。このような変転極まりなき時代に、だらだら合議を重ねる余裕はない。一瞬の判断の遅れが命取りになるやも知れぬ」

な、なんと。

「もうすぐ新しい年じゃ。来年からは、そなたが上杉のかじ取りをするのじゃ。頼むぞ」

御実城様の御厚恩にお応えせねばならぬ。

御実城様は謙信公の様に武人として自分の生を全うしたいのじゃろう。

御実城様に無用の心配をかけたり些事に煩わさせるようなことをしてはならない。

お船が聞くと褒められそうなことを考える兼続。


 天正十三(1585)年正月

 一面銀世界の春日山城下を眺めながら考えにふける兼続。すでに新春早々の年賀の式において、以後の上杉家の内政外交、兼続が総攬することが布告されている。

早急に与板衆の中から、それがしの手足となって働く有能な者を抜擢せねばならぬ。やはりお船殿に頼むか。なんといっても与板衆はお船殿の家来じゃ。あれでなかなか細かく人物を見ておる。きっと優れた者を推挙してくれるじゃろう。そういえば武田旧臣で算盤の立つ者がおったのう。

 それに上田衆の泉沢久秀など、外様の藤田信吉なども、これからは枢機に参画させねばなるまい。後、それがしの弟も依怙贔屓と言われないように上手く登用していかねばならぬな。


 直江兼続(永禄三年生まれ・1560年)には二人の弟がいる。大国(小国)実頼(永禄五年生まれ)と樋口秀兼(永禄十一年?生れ)。次男は源頼政・弟を祖とし刈羽郡天神山城を本拠とする小国氏の養子に送り込まれ、三男が樋口家を継ぐことになる。


 それがしの責任も重大じゃ。これからは重大な決断をせねばなるまい。何があっても驚かぬ胆力が必要じゃ。謙信公は毘沙門堂で何を考えておられたのじゃろう。

 ひとりでいろいろ考えているとお船が登場する。


「与六殿大変じゃ」

いつもは落ち着き払っているお船が慌てふためいている。

「なんですかな。上方で事変でも起こったのですか」

お船殿の配下の情報も、それがしに来るように情報網も一元化せねばなるまい。

「最近、吐き気がして気分が悪いので侍医に見て貰ったら、なんとわらわは身ごもっておったぞ。喜べ、そなたもこれで父親じゃ」

なんと、うれしいことじゃ。


 いや待て、それがしに身に覚えはないが。お船殿とそれがしはお互いに忙しく、最近二人で寝所を共にしたこともない。まさか間男、どこぞの男と浮気して、みごもり、それを、それがしの子じゃと押しつける気か。いかに、それがしが婿養子とはいえ、あまりといえばあまりじゃ。許せん、それがしの面目も立たぬ。この場でお船を斬り殺し、それがしも切腹するしかない。瞬時に決心した兼続。静かに刀の鯉口を切り、お船の方に向きなおる。


「去年の秋ぐらいに御実城様と御台所様に呼ばれて、四人で晩御飯食べたことがあったじゃろう。御実城様が越中から凱旋した時じゃ。御実城様に勧められて、そなたも相当酔っ払っておったが、たぶん、その日じゃ」


うん、そういえばそんなこともあったぞ。御実城様に勧められて、酔いつぶれてしまったことが。なぜか、お船殿と相撲をとっている夢を見て後で不思議に思ったことがあった。そうか、その日か。よかった、早とちりしなくて。でも本当じゃろうか。しかし聞けぬ、疑うておるのか、わらわは実家に帰らせていただくというか、お前が出て行けと追い出されるじゃろう。口は禍の元、御実城様の無口は正しい。


 何食わぬ顔で鯉口を収めた兼続。にっこり笑い

「お手柄です。それがしも直江の家に入った責任が果たせて、うれしゅうございます」


それがしが父親になるのか。しかし、酔ったあげくに事に及ぶとは不覚じゃ。御実城様より先に作ったことも、まずかったかも知れぬ。御台所様と仲睦まじいのに、お子ができる兆候はないようじゃ。春日山城って、昔から綺麗な女より綺麗な男の多い所じゃからな。性癖が歪むのも無理はないか。


「こたび、わらわも考えたのじゃが、われらはもっと真面目に子作りをせねばならぬぞ。御実城様にお子はない。ゆえに人質を出す時は上条殿に頼まねばならないような破目になる。われらの子がおれば証人に出すこともできよう」

人質に出すために子を作るわけではないにしても確かにその通りじゃ。

子作りもお家のためじゃ。

「御実城様、御家のためにがんばりましょう」

「うむ」

やっぱり、この夫婦は変わっている。


お船の妊娠を聞いた景勝・菊姫は大喜び。何度も見に来たり、お船のお腹を撫でたりする。

「上杉の跡取りができた」珍しく景勝も冗談を言う。

御実城様にも早くおこができればよいのに。

しかし、これでお船のじゃじゃ馬ぶりにも歯止めがかかるじゃろう。

心の中でほくそ笑む兼続。でも高齢初産、大丈夫かしら、と心配したりする。

ひとっ走り善光寺まで馬を飛ばし安産のお守りを貰ってこようかな。

「うんうん、気持ちが悪い」

なぜか、つきっきりで身の回りの世話をする兼続。

「すまぬ。兼吉、肩を揉んでおくれ」

「へい」

「水」

「へい」

侍女たちの出る幕もないくらい、かいがいしくお世話する兼吉でした。


天正十三(1585)年


三月

 十日 羽柴秀吉、内大臣に叙任される

二一日 秀吉軍、和泉国の根来衆・千石堀城を攻撃

二三日 秀吉軍、紀州へ進攻

二七日 太田城攻撃開始


四月

    大坂城天守閣完成

 十日 高野山降伏

十六日 丹羽長秀(51歳)亡くなる

二二日 太田城降伏


六月

    四国攻め開始。秀長軍、四国上陸


七月

    真田昌幸、上杉家に人質を送る

十五日 上杉景勝、真田昌幸に起請文を送り北信二郡加増などを約束する

二五日 秀長の和睦勧告に従い長宗我部元親が降伏する


八月

    家康、駿府城の普請を始める

    秀吉軍、越中進攻

二六日 佐々成政、降伏する


閏八月 家康、真田討伐を決定

 二日 第一次上田合戦始まる

二八日 德川軍、撤退


十月

    長宗我部元親上洛し、秀吉に臣従

    秀吉、九州の島津・大友に停戦命令

 八日 伊達輝宗横死

二八日 德川・北条の重臣同士が起請文を取り交わし同盟を強化する


十一月

十三日 石川数正出奔、秀吉に寝返る。

二九日 天正大地震、北陸・近畿で大きな被害が出る


十二月

 十日 羽柴秀勝(信長四男)病死


 上杉家がお船の妊娠で大騒ぎしている間も、秀吉の天下統一は着々と進む。

石田より戦況報告が来る。

三月、秀吉公、内大臣になる。秀吉軍、紀伊に進攻。根来衆・雑賀衆の火力に苦しんで数千の戦死者が出たが、ほぼ紀伊を制圧。毛利水軍も作戦参加。長宗我部の援軍を阻止した。引き続き、四国攻めを開始する。総指揮は秀吉公の弟・羽柴秀長様。秀次様も参加される。他に、宇喜多・毛利なども動員される手筈。

なんと、さっそく景勝に報告する。

「数千の犠牲が出たということは鉄砲隊が待ちかまえているところを強攻したのじゃろうか。秀吉は城攻めが得意じゃと聞いておるが焦っておるのじゃろうか」

「はっ。三木の干殺し、鳥取の喝泣しと兵糧攻めが得意のようでございますが、こたびは敵の戦意を一気に挫くために強攻したようでございます」

「紀伊は信長も攻略に失敗した熟練の鉄砲傭兵の国じゃ。犠牲はやむ負えないことじゃったのかのう」

 御実城様は戦そのものを見ておるが秀吉公の戦はすべて政略に基づいたものじゃ。謙信公は戦そのものを神聖視され政略を好まれなかった。はっきり言って出たとこ勝負のようなところがあった。臨機応変に対応していく力量は戦国随一だったかも知れぬが、それは所詮戦術段階の話じゃ。

 秀吉公の戦には政略、全て政治が組み込まれている。緒戦で犠牲を顧みず火線を突破させ城を落とし城兵を皆殺しにする。犠牲も多く人倫に反しておるように見えるが、鉄砲の威力を頼みとする根来・雑賀衆は動揺し戦意を失う。反って以後の戦いがすらすら進むというものじゃ。德川が人質だしたというても臣従したわけではない。

德川に見せつけるためにも短期で制圧せねばならぬのじゃ。


「それにしても長宗我部はかわいそうじゃ。勝ち目はあるまい」

「はっ。本能寺で命拾いしたという点では、われらと同じ境遇。それがしも同情しております。長宗我部は四国を安堵してくれれば犬馬の労も厭わないと必死で懇願しておるようでございます」

「やっと四国統一を果たしたばかりなのに、突然土佐以外は召し上げると言われたら戦わざるを得まい。四国統一の戦いで多くの家臣が亡くなっておろう。戦わねば家中の者も納得できまい。しかし最新装備の大軍を相手に勝てぬ戦をせねばならぬとはのう」

秀吉公は、毛利を四国攻めに動員することで完全に配下に組み込みたいのじゃ。秀吉公は、長宗我部に戦意も戦力もなく外交でかたをつけることができることも分かっておるが、毛利を別動隊として使うことで、完全に掌握したいのじゃ。九州でも関東でも四国と同じことが起こるのかな。主従、心の中で長宗我部を応援する。


春日山城直江屋敷。

「ううん、産まれる」

大変じゃ。安産のこと「菜根譚」かなんかに書いてなかったか。

「御家老様、別室でお待ちください」

「おおお、そうじゃな。みな頼むぞ」

ちょっと、大げさな兼続。

一日千秋の思いで待つ。

「産まれました。姫様でございます」

おお、姫か。

「それで奥(お船)の様子はどうじゃ」

「お疲れの様子ですが、大事ありませぬ」

「そうか」

歩きながら、ずんずん、お船の部屋に入っていく兼続。

「お手柄でした」

「うむ」

「それがしが責任を持ってりっぱな婿養子を探します」

「うむ」

かなり気が早い直江夫婦である。

「産後の肥立ちが悪いとか言うこともありますので、充分に養生してください」


父親になった兼続に書状が届く。

一通目の石田の書状は四国攻めの進捗状況を知らせている。

羽柴秀長の本隊は阿波、宇喜多は讃岐、小早川など毛利一門は伊予に上陸。破竹の勢いで四国を制圧中とのこと。

もう一通は真田からで、ついに徳川と戦端を開く形勢になったので後詰を頼みたいとのこと。ふむ、これは御実城様に相談せねばならぬ。


実城御殿に赴き景勝に報告する。

「おお姫が産まれたそうじゃのう。さっそく職人どもに命じて玩具を造らせておる。楽しみにしておれ。御台(菊姫)もお見舞いに行く用意をしておるところじゃ」

景勝も気が早い。まだ産まれたばかりですよ。

「ところで真田より後詰の要請が来ております。北条からの催促に徳川も重い腰を上げたようで、真田へ上野沼田城を北条に引き渡すよう使者が来ておるようでございます」

「秀吉に対抗するため、徳川も北条との同盟がいっそう大事になったのじゃろう」

「真田は沼田を渡す気がありませぬから戦になるのは火を見るよりも明らかでございます。ただ秀吉公のお考えを知る必要があるかと思われます」

「ふむ。というと」

「秀吉公が徳川を臣従させようとしておる時に、われらが真田の後詰をして戦をすることは秀吉公の御心に沿うことなのかどうか、確かめる必要があります」

「うむ、そうじゃな。任せる」

さっきまでの上機嫌はどこへやら、つまらなそうに景勝が答える。

 御実城様は秀吉公の顔色をうかがいながら、まつりごとをするのが嫌なのじゃな。昔は謙信公の時代はよかった。独立独歩の大名じゃったから。なんでも好きにできた。今はそうではない。新発田攻めさえ自分の自由には出来ぬ。

 さっそく石田に問い合わせる。石田の返事が折り返し届く。そこには真田を助けてやってくれという秀吉の言葉が書かれていた。徳川を臣従させるために真田を救援するということか。

 石田の手紙には、ついに秀吉公が関白になること。四国攻めが終われば越中の佐々成政討伐に秀吉が親征する予定ということも書かれていた。

いろいろ忙しくなるのう。真田を助けることになるのか。徳川・北条と戦うのじゃから真田も大変じゃが真田を見殺しにすれば、われらも鼎の軽重を問われることになる。あやつのことじゃから、綿密な作戦を建てておるのじゃろうな。直接会って聞いてみよう。さっそく真田に会見を設定するよう使者をたてることにする。


真田の使者が来る。早いのう。

「わが主人真田安房守(昌幸)、証人(人質)として次子信繁(幸村)を伴い、春日山城に伺候する所存です。お許しがあれば明日にでも参ります」

善は急げじゃ。真田、早く来い。

翌々日、真田昌幸が信繁を伴い春日山城に到着する。さっそく景勝に目通りを許される。応接をするのは、もちろん兼続である。

「そなたのことじゃ。徳川を迎え撃つ準備は出来ておろうが、こたびの戦は難しいものになるぞ。秀吉公は徳川を臣従させるおつもりじゃ。徳川を滅ぼす気はない。そなたが徳川と戦っておる最中に突然和睦が成立することもあり得る。二階に上がって梯子を外されるような目に遭うかも知れぬぞ。それでもやる気か」

真田に念を押す。

「われらは、すでに何度も北条を撃退しておりまする。徳川を撃退することも、さほど難しきこととは思うておりませぬ。ただ長期戦になった時、直江殿がご心配されたような事態が起こりえることを勘案して後詰のお願いに参上した次第でございます」

 ははあー。真田は、われらの後詰にすることで、秀吉公に突然徳川と和睦するようなことをしないように、してもらいたいのじゃな。戦力より上杉の政治力を使いたいわけか。それがしと石田の関係を知っておるのじゃろうか。真田の諜報機関のことじゃ、それくらい、とっくに調べ上げて来ておるか。


初めて景勝が口を開く。

「窮鳥懐にいらば漁師もこれを殺さずという。真田の願いを聞かねば、われらは徳川を恐れて後詰せなんだと世の嘲りを受けよう。謙信公は、助けを求めてきた信濃・関東の領主たちのために武田・北条と戦い続けておられた。後を継いだわしが真田を助けることができねば謙信公以来の上杉の弓矢に傷がつく。上杉は真田を助ける」

真田昌幸、緊張していたのか蒼白い顔がみるみる紅くなり、ほっとした様子。

よかったな真田。御実城様は日々謙信公に近づくことを目標としておられるのじゃ。

「細かいことは直江山城守と詰めよ」


「御実城様の御言葉通り、われらは真田を助ける。しかし実は近々秀吉公が越中の佐々を討伐するために親征することとなっておる。その時は、われらも呼応して越中に進攻する手筈となっておる。われらの軍勢が手薄になった時に徳川が攻撃を開始するやも知れぬ。それでも、かまわぬか?援軍が間に合わぬことがあるやもしれぬぞ」

にっこり笑う真田昌幸。それがしの話、ちゃんと聞いておるんじゃろうか。

「懇切丁寧なお心配り、痛み入る。直江殿は、しばらく会わぬ間に軍略が進みましたな。それがしの軍師に貰い受けたいぐらいじゃ。なれど戦のことは、この真田安房守にお任せあれ。わしは政戦両略の天才じゃから、心配無用之助でござる」

あっ言った。それがしが、この手のダジャレ死ぬほど嫌いなこと知らないんじゃね。

「ここに控えしは、わしの次男・真田源二郎信繁でござる。上杉の家臣の端にでもお加え下さり、如何様にでもお使いくだされ」

真田にはあまり似てないようじゃな。母親似か。

「人質は無用。来るべき戦は真田家の存亡のかかった有無の一戦となる。そなたも父上を助けて戦うのじゃ」

ちょっと感激したような真田、目を丸くして兼続を見る。


「実は上田城がまだ完成しておりませぬ。城の縄張りをやりなおしたので」

「戦う相手が変わったからじゃろう。北向きから南向きに変えねばならぬのじゃろう」

兼続が突っ込む、真田は苦笑い。

「いろいろお話したいことがございますが今日のところは、これで失礼いたします」

真田親子を玄関まで送る。

「そういえば家康は背中に腫物ができて苦しんでおるようじゃ」

「ふむ。それは足利尊氏公が亡くなる原因となったよう(背中にできる悪性の腫物)というものか」

「なんでも知っておるのう。残念じゃが家康はしぶといようじゃ。快方に向かっておるとの報告が来ておる。しかし最近の徳川の動きが止まったように見えたのは、この病のせいのようじゃな」

真田の諜報は日本一かも知れぬな。

「直江殿、すべてをお任せする。長いつき合いじゃが今日ほど“三日あわざれば

刮目してみよ”という言葉を思うたことはない」

にっこり笑う真田。褒め殺しか、その手には乗らんぞ。


戻ってきた兼続に景勝が訊く。

「大言壮語しておったが大丈夫か。上田城は出来ておらぬし、徳川ばかりか北条も攻めてくるのじゃろう」

「もともと北条の依頼から始まった事案ですから、北条も必ず大軍をもって上野沼田城を同時攻撃することになりましょう」

「ますます心配じゃ」

「上田城築城には海津城の須田殿などに合力するよう命じましょう。しかし、あの男は信玄公の薫陶を受けた者、まず任せて大丈夫かと思います。ただ真田にも申しましたが秀吉公の真意は徳川を臣従させるところにありますから、状況次第では真田の行動が和睦の障害に変わるかもしれませぬ。とはいえ真田に、ほどほどに戦うような余裕はありませぬから、政略的・戦略的なことは、われらが注意してやらねばなりますまい」

「そうじゃな、秀吉の都合によって今日は是認されていたことが、明日は否認されることがあり得る。長宗我部がそうじゃろ」

「はい。もともと長宗我部の阿波攻撃は信長の是認慫慂しておったもの。信長としては三好の力を削ぐために長宗我部に三好の本国を攻撃させたかったのでございます」

「それがじゃ。三好の力が落ちると今度は三好を先鋒に長宗我部を攻撃しようとしたのじゃろう。遠交近攻は戦国の習いとはいえ、余りにもあざとすぎるわ。長宗我部は遂に降伏したようじゃな」

「はい。残念ながら、石田より詳細な報告が届いております。土佐一国安堵ということになるようでございます」

「長宗我部は土佐の小さな領主から粒粒辛苦の末、ついに四国を統一したのにひと月も立たない間に土佐一国以外を没収すると言われ攻撃され降伏する羽目になった。さぞかし口惜しきことじゃろうのう。なにより四国統一の戦いで戦死した家臣どもに顔向けできまい」

御実城様は長宗我部に深く同情されておられるが、切り取り放題の戦国の世が、まさに終わらんとすることを対する哀惜の念があるのじゃろうな。

「長宗我部には地の利が無かったのかな。それとも天の時か」

景勝、よほど残念なようだ。


「ところで石田殿の報告によれば、秀吉公は藤原の猶子になり関白に任官したそうでございます」

「藤原秀吉、関白。世も末じゃ、何でもありか」


うすうす聞かされていた景勝だが、本当に実現すると上杉家も藤原氏なので大変驚き失望している。

「四国が片付いたので、引き続き越中の討伐に移るとのことです。われらも準備せねばなりませぬ」

「秀吉に会うた際は真田のこと、きちんと話をつけねばならぬのう」

「真田を見殺しにするようなことになれば上杉の面目がたちません」

「そうじゃ、そのとおりじゃ」


天正十三年八月、春日山城下に八千の軍勢が集結する。

「佐々は秀吉に降伏する使者を出しておるのじゃろう」

「秀吉公は、撥ねつけたようでございます」

「前田やわれらを動かしたいだけなのじゃろうか」

「先手の総大将は織田信雄と聞いております」

「どう考えても戦にはならんじゃろう。佐々は信雄に弓引けまい」

「われらや徳川・北条などに対する威迫かと思われます」

「やれやれ猿芝居に付き合わされる上、脅しつけられるとは何の因果じゃろう。しかし行かずばなるまい。それと真田救援のための準備も出来ておるのか」

「速やかに移動できるように糧秣など集積させております」

「うむ」


越中に入った上杉軍、しかし案の定、十万と号する雲霞のごとき大軍に包囲された佐々成政は信雄の降伏勧告を受諾。頭を丸めて秀吉に謝罪。秀吉は佐々に越中新川郡の領有を許す。

「ばかばかしい。越中の他の郡は、すべて前田のものになったのじゃろう。無駄骨の上、越中を失った」

 先々代の為景公の時から越中と関係が深かったのにすべて失ったわけじゃ。われらにとっては越後国内の揚北より越中の方が親近感があるというか自分の領地という意識があるから、御実城様が気落ちされるのも無理ないな。

 そこに石田からの使者。秀吉公が景勝公にお会いしたいとのこと。

越中国切りに納得していない上、信濃における徳川との国境画定も流動的な段階で会談に応じると、不利な決定をそのまま承諾させられることを警戒して、いったんは断った上杉景勝だったが、顔を見るだけじゃと再度要請されたのでしぶしぶ会見することとなった。


「おおぅ直江殿、ひさしいのう。元気じゃったか。こたびは上杉殿にも骨折り頂き、まことに大儀じゃった」

「関白殿下(秀吉)」なんか芝居じみておるが。

「こたびは、わざわざ玉体をお運び頂きまことに恐悦至極。言葉もありませぬ」

「なんのなんの、上杉はわれらにとって無二の家じゃ。いろいろ相談したいこともあるのじゃ」

 越中との国境に近い越後・落水(勝山)城で景勝・兼続主従は秀吉・三成と会見している。秀吉公はいつも通り饒舌じゃが御実城様の人物を測っておるのじゃろう。ごまかしの効く相手でもなし、ありのままの御実城様を理解していただくしかない。ありのままの景勝は兼続以外の者とはほとんど喋らない。自然、会話は秀吉と兼続の間で交わされることになる。

「佐々をこたびもお許しになられたのですか」

「そなたたちにも迷惑かけたが堪えてやってくれ。あの男はわしを嫌っておるが武辺者じゃし戦闘指揮官としてもなかなかの能力がある。わしはそれが惜しい。それに天下統一のため、わしは降る者は許す方針じゃ」

「徳川もお許しになる方針と伺っておりますが、どのようなお考えなのでしょうか」

秀吉公の考えは読めておるが、御実城様にも秀吉公の考えを知ってもらわねばならぬ。本人に言ってもらうのが手っ取り早いわ。

「三河守殿(徳川家康)は律儀なお方じゃ。桶狭間の戦のあと総見院様(織田信長)と結んだ同盟を二十年間守られた。こたびの信雄様(信長次男)への合力も、この同盟の延長線上のことじゃ。反覆常無き戦国の世にあって、これは誰にでもできることではない。その間、三方ヶ原の戦いで総見院様に対する忠誠の証を立てておられる」

ううむ、どういう意味じゃろう。

「総見院様は三河守殿に対して、信玄公の大軍に対して邀撃の必要なし、浜松城に籠城せよと命じられておったのではありませぬか。出撃は家康の」

いや調子を合わせる必要がある

「家康公の独断と聞いておりましたが」

「無理もないが、そなたは総見院様のことが分かっておらぬ。もし徳川殿が命令通り浜松城に籠城し戦局に何ら寄与することなく、武田の大軍が尾張に進攻するようなことがあったら、総見院様は必ず家康殿を成敗しておったじゃろう。もっとも総見院様も武田に滅ぼされておったかもしれぬが」

うむむ。興が乗ったか秀吉、さらに話を続ける。

「考えてもみよ。信玄公の軍勢は二万七千、徳川殿は八千、織田の援軍が三千、野戦しても勝ち目はあるまい。兵の数だけではない、信玄公は大軍を手足のように進退させる陣法を完成しておった。後に援軍じゃった佐久間信盛殿にお話を聞く機会があったが、佐久間殿は森閑とした軍勢が陣形を変えてみるみる迫ってくるのを目の当たりにして体の震えが止まらなかったと言うておった」

「徳川殿は勝ち目のない戦と分かっておっても信玄公に挑んだ。承知の通り惨敗じゃったから褒賞するわけにもいかんかったろうが、総見院様は徳川殿の行動を高く評価しておった。律儀ものじゃと」

ふむふむ。兼続ばかりか景勝、三成まで、秀吉の話に引き込まれている。


「関白殿下、そのお話おかしくありませんか。総見院様は浜松城に籠城せよと命令されていたのでしょう。籠城して軍勢を温存してこそ、初めて武田を牽制することができるのではありませぬか。それなのに総見院様は出撃して惨敗した徳川殿を高く評価していたとは納得いたしかねますなあ」

石田が反論する。相変わらずの主従じゃ。御実城様も石田の物言いに驚いているのではないかと、ちらと見るが景勝は置物のように表情を変えない。

「佐吉、そなたには総見院様の側近は務まらんぞ。そなたは、この関白の側近として人に命令する立場となっておる。しかし命令される者どもの心のうちを忖度せねばならぬ。わかるか、もっと人の心を読む力をつけねばならぬぞ」

にこにこしながら秀吉が話を続ける。秀吉公はあらゆる機会をとらえて石田を教育しようとしておられる。それだけ期待しておられるのじゃろう。

「総見院様の物言いには常に裏がある。姉川の戦の前、遠征して来た徳川殿に後陣に控えておられよと申されたが、本心は先手になってもらいたいというものじゃった。徳川殿は総見院様の御心のうちを忖度され先陣を志願し朝倉を打ち破られた。三方ヶ原の時も同じじゃ。出陣は無謀じゃから表立っては命令は下せぬが、本心では徳川殿に何とかしてほしいと総見院様は思っておられたのじゃ」

「そうじゃろうか」石田が食い下がる。

「その時の総見院様の立場に立って考えて見よ。姉川で敗れたとはいえ浅井・朝倉は健在で織田軍の主力は北近江に釘付けじゃ。さらに秋山信友の別動隊によって美濃岩村城が落とされた。秋山は岐阜を窺う態勢じゃったから総見院様は岐阜を動けぬ。その上将軍も三好・松永としめし合せて、総見院様討伐の軍を挙げる準備をしておった。本願寺も武田とつながっておったし、まさに絶体絶命じゃ」

秀吉、話を続ける。

「一方、徳川殿は遠江の要・二俣城を落とされておった。誰が見ても武田の次の攻撃目標は浜松城じゃ。浜松城籠城は自然の流れじゃ。現に佐久間殿など織田の援将は籠城を主張されておった。にもかかわらず徳川殿は出陣された。そして命を取られかねぬ程の惨敗を喫した」

「そのどこを評価されたのじゃろう」石田は納得しない。

「その心根じゃ。もし信玄公が病死されておらなんだら、武田軍は尾張に進攻し岐阜城も包囲されておったじゃろう。さすれば織田天下政権は瓦解しておった。みな、そう見ておった。ゆえに目端の効く松永なども将軍に同心したのじゃ。にもかかわらず徳川殿は出陣し何とかしようと万が一の僥倖にかけられたのじゃ。男の値打ちは絶体絶命の時の行動にある。結果は残念なものじゃったが結果だけを見ていてはならぬ。総見院様は、ご自分の心の中を忖度され、あえて出陣された徳川殿の心根を高く評価されておった。律儀ものじゃ、信用できる男じゃと」

「そうじゃろうか」石田はまだ納得しない。

「お前もしつこいのう。浜松城籠城を主張した佐久間殿は、後に織田家を追放された。直接の原因は石山本願寺を接収する時手違いで堂宇を燃やしてしまったことじゃが、総見院様が書かれた十九条の折檻状の中には、三方ヶ原で戦わず兵を温存して逃走したことも入っておる。総見院様は、我が身を護ることに汲々として最善を尽くさなかったと見ておったのじゃ」

ふむむ、信長は何でもよく覚えていて何十年も経って、それを持ち出して重臣を粛清したと聞いておったが、こういう事情じゃったのか。

「徳川殿がなぜ出陣したと思う。若気の至りじゃったとか、座しておれば遠江の国人どもが武田に一気に雪崩を打つからなどと言われておるが、徳川殿の心底には、桶狭間で今川を打ち破り、我が身を人質から解放してくれた総見院様に対する感謝があったのじゃ。恩を与えれば、それを忘れずかならずそれに報いようとする。徳川殿はそういう男じゃ。ゆえにわしも徳川殿を、わが幕下に迎え政権の柱石として遇したいと思っておる」

徳川家康は立派な人のようじゃな。しかしどうやって迎えるのじゃろう。


「ちょっと喋りすぎて喉が渇いた。野点じゃが茶でも飲まぬか、上杉殿。佐吉は直江殿にいろいろ教えてもらえ。直江殿は、お前と同い年じゃが存亡の危機を乗り越えて上杉家をここまで保ってきた男じゃ。上杉殿参ろう」

秀吉公は御実城様とさしで話をしたのじゃな。ちょっと心配じゃが、それもよかろう。秀吉公は用意周到で器量宏大なお方、うまくやってくれるじゃろう。


「石田殿。興味深く聞かせていただいた」

「そなたはどう思う。関白殿下は一身にして家を興されたお方、ゆえに譜代の家臣がおらぬ。面を冒して諫言する老臣がおらぬのじゃ。ゆえに側近であるそれがしには諫言する義務があるのじゃ」

あれ、諫言しておったのか。

「関白殿下は地下じげの出身。それで関白になられたのじゃから天地開闢以来の英雄じゃが発想が庶民じゃ。徳川は小なりとはいえ領主の子じゃ。生まれながらに家を背負っておる者が感謝などそんな温いことで必敗の戦に出陣などするものか」

石田には不満があるようじゃ。

「関白殿下は人たらしじゃ、などと言われて本人もそうであると思い込んでおるが、人の好いところがある。もちろん総見院様仕込みの酷薄な駆け引きもできるがのう。関白殿下は、総見院様が徳川を同盟者と遇されておったから、自分もそうせねばならぬと思い込んでおるだけじゃ。関白殿下は、ここまで総見院様の遺業の後を辿ってきたが四国を制し関白になって、もはや総見院様を手本にすることができなくなり、自分を見失っておられる」

石田の真意が読めない。なにか秀吉公は、とてつもないことを考えており、石田はそれに反対しておるのじゃろうか。


石田はかなり不満が溜まっている様子。

「百万歩譲って徳川が信義に篤い立派な男じゃとしても、天下人から和睦を申し出る必要はない。まつろわぬならば討ち果たせば済むことじゃ。関白殿下は間違っておる」

「徳川は北条とも堅い同盟を結んでおる。関白殿下は長期戦を嫌っておられるのじゃろう」

「北条も討てばよい。上杉を先鋒にして」

おいおい。

「関白殿下は、あっと驚くような和睦案を考えており、そなたはそれに反対しておるのじゃろう」

「それがしだけではない。御舎弟様(秀長)も蜂須賀殿もみな反対じゃ。しかし、これ以上は話せぬ」

話せぬことを言いかけるな。後が気になるではないか。

「ところで、そなたお子が生まれたそうじゃな。重畳じゃ」

「かたじけない」

「実は関白殿下が総見院様から頂いた養子の秀勝様(信長四男)が死の床についておる。どうも関白殿下の天下政権は一代で終りそうじゃ」

「お子がおらぬというても、これから生まれるかも知れぬぞ」

「いや関白殿下には子種がない」

石田、そんなことそれがしに言ってよいのか。最高機密ではないのか。

「ならば養子をとればよい」

どうも話が陰々滅々の方向に進んでおる。

「ところで関白殿下は、わがあるじに何をお話しされておるのじゃろう」

「上洛してもらいたいと頼んでおるのじゃろう。そなたも早く上洛せよ。大坂城の天守閣も出来あがった。三国無双の巨城じゃ。見物に来い。それに、それがしの国造りも見て貰いたい。関白殿下は、大坂城下に市場を作り、日本中の物産を集めるつもりじゃ。米の余った国はここで売ることができるし、不作の国はここで買うことができる。飢饉の地域に対する手当もやりやすくなるはずじゃ」

なんと。

「それに全国的な検地や刀狩りも考えておる。それに、いやいや、これも話せぬ」

石田は本当に面白いのう。正直者なのに、いくつも秘密があるようじゃ。おいおい教えてくれそうじゃが。


「われらの軍勢は、これから信濃海津城に進出して真田の後詰をするつもりじゃが、関白殿下の御心のうちはどうなのじゃろう」

「徹底的に打ちのめせ。それがしが許す」

石田、そなたに許してもらっても始まらんぞ。

「ただ、あくまで局地戦に留めておいてもらいたい。上杉殿とそなたは出陣せぬ方がよろしかろう。それに、われらも真田を助ける工作をしておる。あっと驚く手じゃ」

今度は不気味に笑う石田。

「なにやら秘密が多いようじゃ。楽しみにするか」

石田はちょっと正直すぎる。しかし日本国を根本から変革するような大きな構想を持っておるようじゃ。乱世を終息させ天下万民に安穏な暮しを約束するのは、この男かも知れぬ。やはり越後一国を保つことに汲々としておる、それがしとは視野の広さが違う。心の中で感心していると、秀吉と景勝が戻ってくる。

「直江殿、そなた明年に上洛してもらうことになったぞ」

秀吉が言う。

「天下万民のため、上杉殿に一肌脱いでいただくことになった。ありがたいことじゃ」

御実城様、関白殿下に説き伏せられたようですね。何をお話しされたのじゃろう?


 春日山城に戻った景勝と兼続。軍を解かず、そのまま海津城に転進させる手筈となっている。

「細作からの報告によれば徳川は浜松城に軍勢を集結中とのことです」

「意外に遅かったのう」

「おそらく北条との共同作戦のためでございましょう。北条は、いつでも腹が立つほど出陣が遅うございます」

「そうじゃな」

「で、どうなる」

「上野・沼田城には北条氏邦・氏房の率いる一万余、上田城には大久保忠世・鳥居元忠・平岩親吉らの率いる一万余が攻めてくると思われます」

「家康自身は出てこないのじゃな」

「局地戦にしたいというのは徳川も同じ考えのようでございます」

「真田を侮っておるのじゃろう」

「とはいえ派遣されてくる大久保などは家康の信頼の厚いものばかり、選りすぐりの精鋭と思われます」

「心配になって来たな」

「それがしも密かに海津城まで進出、様子を見たいと思うております」

「うむ、隠密にな」


「ところで上条宜順様の様子は」

「不貞腐れておるようじゃ。病と称して屋敷にこもり出仕して来ぬ」

昨年、屋代秀正謀反の責任を取らされ解任された山浦(村上)国清に代わって海津城代に任命されていた上条宜順だったが、今年三月徳川や真田への内通を疑われていた須田信正を独断で粛清したことを咎められ、六月海津城代を解任されている。

 春日山が真田を服属させる交渉をしている最中に、出先が真田に内通していることを理由に須田信正を粛清しているわけで、越権も甚だしいと解任されてしまった。本人は兼続の讒言によるものだと思っているらしい。

「頭が冷えるまで抛っておくしかないじゃろう」

北信四郡も管轄する海津城代になるということは家中最大の権力者になるということじゃが。器量と地位が釣り合っておらぬのか、みなおかしくなる。

「須田満親は大丈夫か」

次の海津城代になったのは越中との国境に配置されていた老練な須田満親となった。

「もともと高井郡出身で殺された須田信正と同じ一族ですし、うまく収めてくれると考えております」


軍勢六千余を率いて海津城まで進出すると須田満親とともに真田昌幸が待っていた。

「こたびはご足労をおかけする。かたじけない」

「そなたにとって名を挙げる大事な機会じゃ。われらが前面に出ては、そなたの計略に齟齬をきたすじゃろう。われらはそなたの指示に従う。思う存分戦われよ」

「何もかも御見通しじゃな。直江殿は人の心を見通す鏡をもっておるようじゃ」

真田お前は最近褒め殺し専門じゃな。

「まずは海津城で様子を見ていただきたい。援軍が必要になれば早馬でお願いいたすことにいたします」

うむ、お手並み拝見じゃ。


天正十三(1585)年閏八月

徳川勢、上田に到着。戦闘が始まった。真田からの自慢交じりの報告を読む兼続。

「ふむふむ、完成途上の上田城に相手を挑発しておびき寄せ、一気に殲滅さらに追撃。敵の退路に当たる道の川を堰き止めておいて敵が敗走してきた頃を見計らって堰を切る。本当に嫌な奴じゃな」

感心する兼続。上野沼田城方面でも、北条を撃退した報告が届く。

「また徳川は井伊・大須賀などの援軍を準備中」

われらも出るか。真田と連絡を取り合い上杉軍も上田城に入る。これで、そうそう徳川も手を出せまい。このまま粘るのじゃ。海津城で兵站の采配をする。


海津城に真田昌幸が信繁(幸村)を伴ってやってくる。

「こたびの助力、感謝の言葉もありませぬ。証人として次子信繁(幸村)を連れてまいった」

「まだ戦は続いておるのじゃろう。そなた留守にして大丈夫か」

「上杉の軍勢が城に入って下さったので、徳川も手を拱いて色々嫌がらせするしか他に手がないようじゃ」

「それにしても見事じゃったのう。そなたは、まこと信玄公の軍略を受け継ぐものじゃな」

「それは褒め過ぎじゃ。わしの得意なのは小部隊戦闘じゃ」

「徳川の先鋒の鼻先に、そなた自身が出撃して挑発したそうじゃな。最初から考えておったのか」

「“故に善く敵を動かす者”でござる」

「孫子か。兵勢篇じゃな」

「流石ですな。今回の勝利の前提は、敵を上田城の二の丸までおびき寄せるところにござった。ゆえに最初は上杉の援軍を断り徳川に侮らせ、次にわしが軽兵を率い敵を嘲弄し冷静さを失わさせたのでござる。そういう工夫がないと相手は歴戦の粒揃いの武将じゃ。そうそう注文に乗ってくれませぬ」

なるほど、真田に大軍を預けて指揮させてやりたいのう。

「これから粘り合いになるが大丈夫か。そなた食糧など困っておらぬか。北条は、かなりしつこく攻撃しておるようではないか」

「北条は北条でござる。いつもの如く烏合の衆じゃ」

本庄もそうじゃが真田も、北条を軽く見ておるな。これは世代的なものじゃろうか。

兼続の思考が脇道にそれていると、突然真田は真顔になり

「ところで敵中に潜入させたわが手の者が不可思議な噂を聞きこんでまいりました。徳川の重臣石川数正が、秀吉公に内通しておるというのじゃ」

ははぁ、石田もいろいろやっておるようじゃ。

「なんでも長久手の戦いで、池田などが三河・岡崎城に進攻しようとしたのは、石川が内応を約しておったからじゃというのじゃ。そなた、この話どう考える」

真面目になると急にぞんざいな口調になる真田。

「これは関白殿下の調略の一環じゃ。側近の石田殿は、徳川との戦いに我らも助勢すると言うておられた。大方おおかたこれのことじゃろう」

「そんなことできるのかのう。わしは、あまりに荒唐無稽な話じゃと思うて隠された意図があるのかと思うておった」

「いや石川を調略する方針はあるようじゃ。関白殿下より直接聞いておる」

「なんと石川数正といえば、上杉でいえば御家老のようなものじゃろう。そなたも調略されておるのか」

されまくっておるぞ。

「関白殿下は会うたものすべてをとりこにする魅力を持つお方じゃ。それに側近の石田殿も天下第一の切れ者じゃ。期待しないで待っておれ」

「なんか厭じゃな。一年に何度も主家を変えたわしが言うのも、あれじゃが、石川殿には徳川を裏切ってほしくないなぁ」

本当にお前が言うなじゃが。

「裏切る気がなくても真偽取り混ぜた噂を撒き散らされ、裏切らざるを得ない状況に追い込まれていくのじゃ。そんなこと、そなた百も承知じゃろう。諜報戦の恐ろしさはそこじゃ」

「しかし長久手の戦いの内応など、よくできた話じゃ。誰でもおかしいと思うておった池田などの行動の説明がつく。関白殿下は恐ろしいのう」

あるいは石川を内応させる話を作るために、池田などを死地に送り込んだのじゃろうか。兼続の心のなかにも、もくもくと暗雲が垂れ込める。


「御家老様、本庄殿が帰国を願い出ております」

ふむ、兵どもも郷里を想うておることじゃろう。秋も深まっておる。雪もすぐに降るじゃろう。徳川も小諸城まで撤退しておるし上田城の援護は信濃衆だけでも充分じゃろう。

「許す。他の者どもも逐次帰国せしめよ」

そういえばお松は元気かな。それがしも春日山に帰りたい。娘の顔を思い出す兼続。

そこに本庄が血相を変えて乱入して来た。

「御家老、一大事じゃ」

「何があったのじゃ」

「詳細は不明じゃが伊達輝宗が討たれたようじゃ」

「なんと。何があったのじゃ」

「わしも詳しいことは分からぬ。早馬の一報を受けただけじゃ。しかし、これで奥羽の勢力図は塗り替えられます。急ぎ戻って情報を収集し事態の推移に備えたいのじゃ」

「よし。そういえば伊達政宗が一度会いたいと文をくれたことがあったのう。それがしが米沢に出向いてもよい。段取りをつけてくれぬか」

「伊達家中も上へ下への大騒ぎじゃから、すぐにと言うわけにも参らぬかもしれぬが努力いたします」

「頼むぞ」

「合点」

これは好機かも知れぬ。伊達政宗は新発田の後ろ盾になっておる蘆名を攻めておる。協同作戦の余地がある。やはり、それがし自身が出向かねばならぬな。

「それがしも春日山に帰還する。海津城は須田殿にお任せする。本庄、待て」

本庄と一緒に春日山に戻る。

「真田の息子は、二人ともなかなかできるようじゃ。戦闘指揮にも優れており勇気もなかなかあるようじゃ。家中の者どもも感心しておりました」

「そうか、そう言えば真田信繁(幸村)、証人として海津城に残しておるが春日山に来てもらった方がよいかのう」

「そうですな。御家老もきっと気に入ると思いまする。それに比べ、わしの息子どもは不甲斐ないものばかりじゃ」

「そなたほどの勇将にすぐなれるものか。そなたの心配は分かっておる。(御館の乱で景虎派に与して廃嫡された)顕長殿のことじゃろ。時節を待つのじゃ。決して悪いようにはせぬよ」

「こたびの出陣、ご家老のそのお言葉で報われたような気がいたします。ところで最上攻めのこともご相談致しとうござる」

「うむ、それがしが米沢に行くことが決まったら、その折に詳しく相談いたそう。そなたも計画を練っておれ」

庄内平野をむざむざ最上に渡すわけにはいかぬわ。しかし、本庄は切り取り放題の戦国の世に生きておるつもりなのかな。奥羽自体がそうなのじゃろうか。世の中は動いておるのに。それにしても越後は広い、広すぎる。先を急ぐ本庄勢を見送りながらいろいろ考える兼続。


 春日山に戻りさっそく景勝に報告する。

「ご苦労じゃった」

「はっ。おっつけ真田より詳細な報告が届くと思いますが、真田の討ちとりし徳川勢は千三百余。やはり真田は信玄公の軍略を受け継いだものでございました」

「そなたの指示に基づいて坂戸城のものどもに沼田城の後詰の用意をさせておったが、この分では必要ないようじゃ」

「しかし今度ばかりは北条もしつこいようでございます。今、しばらくは注意が必要かと思われます」

「真田は北条との戦闘状態が続いておるゆえ、徳川に対してもやりすぎることがあるやもしれぬのう。関白殿下の御心に沿わぬ行動をするやもしれぬ」

「おっしゃる通りでございます。われらが配慮してやるべきでございましょう」

さすが御実城様よく見ておられる。

「ところで伊達輝宗が討たれた由、急遽本庄を帰国させ情報を収集させておりますがいずれ弔問の使節を出すことになりましょう。その際、それがし自ら米沢に赴き、伊達の考えを探りたいと思うております」

「うむ、われらにとっては好機やも知れぬな。任せる。しかし大雪で難儀する季節に行くことになるやもしれぬのう」

「雪が積もれば他にすることもありませぬ。われらは関東・奥羽の諸大名の取次ぎを関白殿下に内々に認められております。伊達との交渉がうまくいけば、われらの声望も高まり再び関東管領に認められる日が来るやもしれませぬ」

「うむ、関東管領は謙信公が大切に考えておられたお役目じゃった。そなたは、わしより考えが深いようじゃ。これからも、すべて任せる」


「さる十一月十三日、石川伯耆守数正、一族郎党を連れて岡崎城を出奔した模様」

細作の報告が来る。な、なんと。

「徳川の領内は、どうなっておる」

「翌十四日、酒井忠次を初め徳川の諸将が続々と岡崎城に入城。家康も十六日に岡崎城に入ったとのことです」

無理もないが相当慌てておるようじゃ。

「なお石川は、岡崎城に預けられていた信濃松本城城主小笠原貞慶の嫡男も連れ去ったとのことです」

小笠原は関白殿下に寝返った木曽を討ち、われらの城をとり、徳川与党として八面六臂の活躍をしていたのに、こやつも寝返ることになるのか。石田は石川数正と綿密な

打ち合わせをしておったようじゃな。

木曽に続いて小笠原が寝返り、徳川に残ったのは諏訪・佐久・伊那の三郡だけじゃ。信濃では、われらが圧倒的に有利になったようじゃ。

「小諸城の様子はどうじゃ」

「大久保忠世にも帰国命令が出ておるようで、城内の徳川勢も撤退の準備をしております」

これでは真田を攻めるどころではないな。

見事じゃ、石田。本当にやりおった。しかしこの後味の悪さは何じゃろう。

我らにとって重畳至極なことなのに。

御実城様に聞いて頂こう。


「ふむ、石川数正は譜代の重臣。確か家康が駿府で人質のとき近侍として仕えておったもの。何年前になるかのう」

「ざっと三十五年前のことでございます」

「石川は人質として辛く哀しい日々を耐えてきた家康の側近。いちばん近くにおって励まし支え合ってきたものじゃ。おそらく二人にしか分からぬ強い絆で結ばれておったのじゃろう。その主従が最後には、このような形で引き裂かれるとは。そなたが後味悪いと思うのも無理ないぞ。わしも同感じゃ」

「石川数正は清洲同盟を結んだ立役者。それで家康が信長についたので今川氏真に殺されそうになった人質の信康と築山殿を、単身乗り込んで取り戻してきた程、外交に長けた男のようでございます。こたびも関白殿下との外交交渉を担当しておったようじゃが、それが命取りになったようでございますな」

「他の徳川の家臣団にしてみれば勝ち戦なのに、なぜ臣従しなければならないのかと思うじゃろうな。石川の外交に対する風当たりが強かったのじゃろう。それで孤立していったのじゃろう。憐れじゃ」

「外交を担当する者は、家中の輿論と逆のことを主張しなければならない時がありまする。本人が最善の策と思うて主張したことが、家中の反発を買い居場所を無くすことがあるのでしょうな」

「うむ、そうじゃ。石川は家康を見限ったわけではないじゃろう。家康も憎んでおったわけではあるまい。さまざまな原因が絡まって二人は引き裂かれたのじゃ」

「この分では上条宜順様の出奔も近いかも知れませぬな」

「うむ、関白殿下の調略は物凄い力があることが今回証明された。覚悟と対策が必要じゃ」

 謙信公は調略がお嫌いじゃった。謙信公の生前、なぜもっと調略しないのかと、もどかしく感じたこともあったが、今となればそのお気持ちが分かるような気がする。今回の調略、後味の悪さも格別じゃ。そこまでせねばならぬのかのう。

以心伝心の主従、心の中で同じことを考える。


「徳川は、浜松城に諸将を集め家中全体の意志統一をはかったようじゃな」

「はい、北条からの使節も会議に参加させたと聞いております」

「徹底抗戦する方針が決定されたようじゃな。どうも石川数正に対する調略は逆効果のように見えるが」

「押したり引いたり緩急をつけて奔命せしめ最後に従わせるつもりでございましょう」

「うむ、しかしより一層臣従させることが難しくなったような気がするが」


天正十三年師走の春日山城。

直江屋敷でお船と兼続が議論している。

「真田はどうじゃ」

「武田龍宝(信玄次男)様の遺児をどこからか探し出してきて擁立し、甲斐まで進撃するというております」

「木曽も小笠原も関白殿下の陣営に寝返ったようじゃし、真田が調子に乗るのは分かるが、関白殿下には徳川を滅ぼす気はないのじゃから手綱をしめねばならぬのう」

「それがしも注意が必要じゃと思うております」

真田は武田旧臣を糾合して武田家を再興する夢でも持っておるのかな。あやつは食えぬ男じゃが可愛げがあるから憎めない。

「そういえば真田の息子が春日山に来たようじゃな」

「それがしも会うのが楽しみです」

「若いといえば伊達の当主も若いようじゃのう」

「永禄十(1567)年生れじゃから、ちょうど真田の次男・信繁(幸村)と同い年の十九歳です。なんでも信長を尊敬し、信長の様に天下を取ると言うておるそうで、なかなか覇気のある若者のようでございますな。しかし信長を尊敬する者が出て来るとは、世の中変わりましたのう」

「うむ、生きておるときは恐ろしいだけの男じゃったがのう。しかし伊達の当主が信長を尊敬しておるのは別の意味かも知れぬぞ。伊達の当主は母親に疎まれておるようじゃ。家中に弟を擁立しようとする派閥があり、その中心に生母(義姫)がおる。もちろん、最上の調略の一環じゃが」

なんと。

「信長にも同じようなことがあったじゃろう。生母・土田御前に疎まれ、弟信行を贔屓されたことが」

「言われてみればそうじゃ。しかしお船殿よく調べておられますなあ」

「情報はどんなに多くても多すぎるということはない。取捨選択する必要はあるが。信玄公は、信長の人となりを知ろうとして信長の好む踊りを自ら踊ってみたそうじゃ。信玄公のようなお方でも、そこまでされておるのじゃ。われらもあらゆる手を使って相手のことを知らねばならぬ」

ふむふむ、その通りじゃ。

「そうじゃ、真田信繁殿を米沢に連れて行ったらどうじゃ」

「エッ!人質でございますよ」

「現下の情勢で真田がわれらを裏切ることはあるまい。旅をすれば信繁殿の心底を知ることができるし、同い年の伊達の当主の心を測る参考にすることもできる。一石二鳥の名案じゃと思うが」

確かに本庄も褒めておったし信繁殿は、なかなか見どころのある若者のようじゃな。閉じ込めておくのは勿体ない、旅は学びの宝庫じゃ。連れて行ってやろうか。

「御実城様にお願いしてみましょう」

お船殿との会話は有益なことが多い。それがしには過ぎた女房様じゃ。

「ちと、肩が凝っておる。揉んでおくれ」

「へい」

心の中を読んだような要求に唯々諾々と従う兼吉。


「そなた船は初めてか。心配せずともよい。結構頑丈に出来ておる。かなり揺れてもちょっとやそっとでは沈没することはないぞ」

「気持ちが悪くなってまいりました」

「これは北国船と言って日本海を南北に行きかい交易する船じゃ。船員も熟練したものばかりじゃ。ちょっと季節が悪いので難渋しておるようじゃが」

「(人質として)小田原におるとき海を見たことがござったが、これほど揺れるとは思いもよりませなんだ」

日本海を北上する兼続一行。御実城様の許しが出たので真田信繁も兼続の従者として参加している。

「しかし上杉家は交易によって栄えておるのですね。それがしのような山猿には想像もつかぬことでございました」

「おお、そういえば、そなたの父上に初めてお目にかかったとき、確かに長篠敗戦の直後で敗残兵を率いて郷里に帰られる途中じゃったが、謙信公の義は豊かな国に住む者の驕りじゃといわれた。貧しい甲斐を豊かにするために戦っている信玄公には義などと言うておる余裕はなかったと言われたことがあった。はるか昔のことじゃ」

「ご家老様は、わが父をどのように思われますか」

「というと」何を言わせたいのじゃろう。

「わが父は、ご家老様のことを、わしを知るこの世にただ一人のお人じゃというております」真田は、褒め殺しもお家芸として継承させるつもりなのか。

「そなたの父上はひいき目なしに名将じゃ。寡兵を以て大軍を破る術を心得ている。

しかも危なげなくじゃ。こたびの上田合戦まことに見事じゃった。そればかりではない。調略も見事じゃ。われらは何度も煮え湯を飲まされた」

「しかし何故か処世は下手じゃのう。なぜ徳川に臣従せぬのじゃろう。徳川は武田の旧臣を盛んに召し抱えておる。特に石川数正が出奔してからは、武田の軍制を、そのまま取り入れておると聞く。信玄公に“わが眼”とまで言われたお父上なら、徳川に仕えれば重く用いられるじゃろうに。やはり信玄公の幕僚であった誇りが邪魔をしておるのじゃろうか」

「わが父には不思議なところがございます。やることなすこと、そこらの野盗野伏のごときあざとさじゃが、損得勘定ができぬようでございます」

「それは真田の心の中に理想というか夢の様なものがあるからじゃろう。そういえば武田崩れの直前、天下に名を挙げたいと言うておられたことがある。気楽な三男坊であった頃が懐かしいと」

「そなたは、たらい回しの人質じゃから気楽な次男坊というわけでもないが、御家のことはご嫡子信之殿に任せて、天下に名を挙げることを考えて見ればどうじゃ。さすれば、お父上のことがもっと良くわかるであろう」

「それがしにそのような機会が巡ってくるじゃろうか」

「来るかもしれぬぞ。関白殿下の天下統一は着々と進んでおるが、関白殿下にお子はない。将来ひと波乱もふた波乱あること間違いなしじゃ」

「ご家老様は不思議なお方でございますね。世の中の動きがよく見えておるようじゃ。やはり欲がないからでござるか」

うむむ、それがしに欲がない、そんなことはないぞ。

「それがしにも夢がある。平和な時代に国造りをすることじゃ。学校を造り、そこでさまざまな書物を読みたいとも思うておる」

「やはり変わっておられる」そうかな

「長い乱世も収束の時期を迎えたようじゃ。この時代に生まれあわせた、われらは力を合わせて泰平の世を作らねばならぬ。そなたも、さまざまな人物におうて研鑽をするのじゃ」

「まずは伊達政宗じゃ。そなたと同い年と聞く。そなたの意見を頼りにしておる。感じたこと、気づいたこと、何でも言うてくれ」

そろそろ村上に着くな。新潟津が使えればよいのじゃが。

本庄が首を長くして待っておるじゃろう。


「残念なお知らせじゃが伊達の当主は米沢城に戻っておらん。いまだ戦をしておる」

「なんと陸奥の国では真冬でも戦ができるのか。われらはそなたの城に入りかけたところで雪が落ちてきて、ここの真田殿が生き埋めになりかけたのに。雪があまり降らないのかな」

「おぉ、どこかでお見掛けしたお顔だと思うたら、真田の息子殿ではないか。そなたは兄君が弟君か」

「弟の信繁でございまする」

「そなたの爺様の幸隆殿には、わしは本当に酷い目に遭わされた。なにしろ越後に攻め込むと約定しておったのに」

「本庄因幡守、その話は長くなるのか」

「おぉ、昔話はいずれ酒でも飲みながら、ゆっくり致すことにしてまずは伊達じゃ」

「信繁殿には、それがしの従者として付いて来てもらい、いろいろ役に立ってもらうつもりじゃ。信繁殿に予備知識はない。必要な知識をお話しくだされ」

「おお、それはおもしろいお考えじゃ。ざらっとお話しするが分からぬことがあれば遠慮なく質問して下され」

「はい、わかりました」

「伊達の当主・政宗殿は、御父上輝宗殿の初七日が済むと同時に一万三千を率いて出陣されておる。輝宗殿は温厚な良いお方じゃったのに、あのような非業の死を遂げるとは。謙信公に降伏するとき仲介してもらったことがある、わしにとって恩人じゃった」

「輝宗殿は、どのような最期じゃったのじゃ。それがしも詳しいことを知らぬが」

兼続が訊く。

「なんでも降参して、とりなしを頼んできた二本松城主畠山義継に拉致されていく途中、それに気づいた伊達家臣に畠山もろとも殺害されたとのことじゃ。迂闊といえば迂闊な話じゃが、自分の家臣に討たれるとはのう」

新発田重家の後援をする敵じゃった男だが無念な最期じゃのう。

「弔い合戦に出陣した政宗殿は、二本松城を包囲したが、そこに佐竹の援軍三万が攻めかかってきた。戦は、伊達の大敗じゃったようじゃが佐竹が急に撤退したので助かったようじゃな。伊達殿は、そのまま小浜城に入って越冬しておる」

「うむ。それでは、われらも小浜城へ行かねばならぬのう。で、その城はどこじゃ」

われらも佐々みたいになってきたぞ、大丈夫かな?ちょっと心配になってきた兼続。


「小浜城は大内定綱のもとの居城。阿武隈川をはさんで二本松城の対岸にある城でございます。伊達は二本松城を包囲したまま越冬し、春になれば総攻撃という段取りのようじゃ」

「で、小浜城にはどうやって行くのですか」

信繁が尋ねる。

「うん、阿賀川を遡り猪苗代湖を渡り阿武隈川の支流に出ればよい。ほとんど舟で行けます。そうじゃ、わしも暇じゃから、ご案内つかまつろう。話したいことが山ほどあるし」

本庄、そなた話し相手がおらぬのか。

厳冬とはいえ、それほど急ぐ旅ではなく天候を慎重に見極めながら一行は進む。

「それにしても最上義光は悪辣な男でござる。あやつの策略で大宝寺義氏殿が家臣に殺されてしまい庄内平野は最上に取られそうな形勢になっておりまする。わしは次男・千勝丸(義勝)を大宝寺義興殿の養子に送り込み徹底的に援護するつもりじゃ」

「しかし新発田が片付かないと大兵を送り込むことはできぬぞ。それにじゃ、関白殿下のご意向を確かめねばならぬ。そなた知っておるか。われらは新発田攻めさえ、関白殿下の許可がなければできないような状況なのじゃ」

越中の代りに庄内を呉れるみたいな話を聞いた気がするが独断専行と咎められるかもしれぬ。

「泣けてきますな。謙信公が生きておられたら何と言われたであろうか」

「謙信公が生きておられたら、そもそも最上ごときが、われらに敵対するようなことはあるまい」

「それもそうじゃ」

「来年、われらは上洛することとなっておる。その際、石田などに工作して最上攻撃の許可を頂くつもりじゃ。時間はかかるかもしれぬが必ず頂く。その時、そなたに働いてもらわねばならぬ。今のうちに調略したり兵要地誌を作ったり準備をしておいてほしいのじゃ。伊達との関係もつないでおかねばなるまいよ」

「伊達の先代の奥方は、最上の妹でござるよ。伊達の家中はどうなっておるのじゃろう」

「どうも先代の奥方を中心とする派閥が、政宗殿の弟を擁立しようと画策しておるようじゃ」

「最上の差し金じゃな」

「最上義光という男、なかなか調略に長けておるようじゃな」

「本当に悪辣な奴じゃ。嫌な奴じゃ」

宇喜多直家のような奴じゃろうか。

「しかし公平に言えば、なかなか治政に優れておるようじゃ、わしは嫌いじゃが。それに人を引き込む魅力と敵であったものを臣下とする度量もあるようじゃ。わしは認めんが」

ろくな戦もせずに出羽南部(村山・最上郡)を短期間に制圧した秘密は、そういうことか。なかなかの男のようじゃ。本庄も一目置くほどの。

「そなた勝てるか」

真顔で兼続が訊くと、本庄はにっこり笑って胸を叩く。


 やっと一行は阿武隈川に辿り着く。なぜか兼続は岩魚釣りに夢中になっている。ふむふむ、当りが来ても焦ってはならぬのじゃな。

それを見ていて信繁が本庄に質問する。

「敵の只中にあっても、ご家老様は、よく落ち着いておられますなあ。なぜじゃろ」

「そうじゃな、あのお方にはそういうところがある。川中島で北条の大軍を前にしても、わしの話に夢中になっておられた。勇気があるのか、抜けておるのか、わしにも分からぬが」

声を潜める本庄。

「しかし、それだけではないぞ。われら一行の周りには夥しい数の細作がばら撒かれておる。索敵のためじゃ。ご家老から一時も離れぬ顔がキレイな従者がおるじゃろう。あれは細作の頭目じゃ。のんびりしておるようで打つべき手は必ず打っておる。ゆえに、御実城様はご家老を万事隙無き男と信頼されておるのじゃ」

「なんと気が付きませなんだ」

「そなたの父上もそうじゃが、できる男は危険を冒しておるように見えて危険を冒さないものじゃ。そなたも見習うべきじゃな。まあ、ご家老に身辺警護がついておるのは、ご家老の奥方・お船殿が、美男子のご家老の浮気を監視するためという説もあるが。世にも稀な仲睦まじい夫婦なので、わしは信じておらぬ」

本庄が誤解を信繁に吹き込んでいることも知らず、兼続は岩魚を釣っている。


 のんびり舟旅を続けた一行、小浜城にたどり着く。

「やれやれ来年になるかと思うたぞ」本庄が呟く。

「伊達の首脳陣は殉死した者や、この前の人取橋の戦いで戦死した者が多いので、陣容が一新しておると思われる。新しい重臣たちがどんな考えを持っておるのか、知らねばならぬ」

兼続、一行に細かく指示を出す。

「これは、これは、かたじけない。痛み入ります」

伊達の警備兵も感激したのか、すらすら城内へ招き入れられる。

「それがしは片倉小十郎でござる。左京大夫様(政宗)は二本松城の偵察に行っておられる。湯漬けでも食して体を温めて暫くお待ちくだされ」

これが伊達政宗の腹心片倉小十郎か、まだ三十にならないくらいじゃな。落ち着いた男じゃ。

「輝宗公は何故亡くなられたのか。言える範囲で構わぬから教えて下され。わしが信玄に騙されて謀反を起こし絶体絶命になった時、降伏の仲介をして下さったのが輝宗公じゃ。わしにとって輝宗公は命の恩人じゃ」

本庄は口も上手いが外交も上手いのう。

「厳冬にもかかわらず弔問のために来てくださった上杉の皆様にお隠しすることは何もございません。すべて包み隠さずお話いたしましょう」

片倉は自由裁量を認められておるようじゃな。

「輝宗公は温厚で人柄の良いお方じゃったから、みなから慕われておりました。二本松城城主畠山義継は、それにつけこんだのでござる」

小十郎、怒りを抑えきれない声色で語り始める。

「左京大夫(政宗)様に降伏し所領の大半を召し上げられることになった畠山は、隠居されておった輝宗公にとりなしを頼んだのじゃが、それが聞き入られないと逆心を起こし輝宗公を拉致し、阿武隈川を渡り二本松城に連行しようとしたのでございます」

「なぜ拉致されたのじゃ」

「輝宗公が城門まで見送りに出られたところ突然に畠山がうずくまり、輝宗公が手をお貸しされたところ、その手を逆手に取り刃を首に突きつけて連行したのでございます。一瞬のことであり誰も止めることができませなんだ」

小十郎、無念な顔をする。

「急を聞いた左京大夫(政宗)様も追手に加わったのですが、誰も手出しをすることができませぬ。なにしろ首に刃を突きつけられておるのじゃから」

うむ。

「そして、とうとう阿武隈川の岸辺まで来てしもうた」

一同が情景を浮かべ息をのんでいるところに政宗が戻ってくる。


「左京大夫様が戻られました」

一同、政宗に向き直り挨拶する。

「直江山城でございます。こたびの輝宗公の横死、上杉家中は、みな驚き悲しんでおります。ゆえに、わが主は、それがしを弔問の使節として派遣されたのでございます。こたびのご不幸、心からお悔やみ申し上げます」

憔悴しきった顔の政宗が、かるくうなずいた。

体のあちこちに打ち身でもあるのか大儀そうに体を動かす。

兼続たちの不審そうな表情に気づいたか説明する。

「人取橋の戦で矢が一矢、銃弾が五発鎧に当たった。ケガはしてはおらぬが、体のあちこちが痛いのじゃ。それによく寝ておらぬ」

「ふう」おおきな溜息をつく政宗。

「わしが父上を殺した。わしが命令して父上を殺させた」

政宗の目が紅くなり顔が歪む。


「左京大夫(政宗)様。あの場合、ああするしか方法がありませんでした。ご自分をこれ以上責めてはなりませぬ。お体を壊すようなことがあれば、先代(輝宗)様の御心に背くことになります。先代様がおっしゃられたのじゃ、わしを撃てと」

小十郎が優しく言う。

「いや、他の方法があったかもしれぬ。畠山も父上を殺す気はなかったのかもしれぬ。交渉次第では、身柄を取り返すことができたかもしれぬ。わしは、そうするべきじゃった。川を渡らせてはならぬ、と、それしか想うておらなんだ。今、思えば、打つ手は他にもあった。それなのに、わしは父上に対して発砲を命じたのじゃ」

「畠山勢に対して発砲を命じたのでございます」

「いや発砲すれば、父上が殺されることは分かっておった。わしは、その瞬間計算したのじゃ。父上の身柄を取り戻す交渉になれば、これまで経略してきた仙道のほとんどの領地を返還せねばならぬ。さすれば伊達の武名は地に落ち、家中の者もわしに従わなくなる。ただでさえ、わしの家督相続には反対する者が多かったのに、これでは収拾がつかなくなる」

針が落ちても分かるくらい静かな小浜城の謁見の間。

「そう思ったわしは、わしに円満に家督を継がせるため、まだ四十二の働き盛りにもかかわらず隠居までして下さった父上を殺したのじゃ」

頭の働きの鋭いお方じゃ。そのため自分を責める矛先もするどい。つらい話じゃ。


「わしは天下を取る。天下を取らねば泉下の父上にあわせる顔がない」

政宗は静かに言う。

伊達は昔から京とのつながりを重視してきた家じゃ。現に関白殿下に使者を送っておるのじゃから、天下の情勢も分かりそうなものなのに。

兼続一行の怪訝な顔に気が付いた政宗。

「ははっ、わしは悲しみのあまり頭がおかしくなったのではないぞ。関白殿下の天下統一事業が着々と進んでおることは承知しておる。しかし関白の兵が奥羽に来る前に北条と組んで蘆名・佐竹を滅ぼし奥羽を平定しておれば天下を争覇する戦いができるのではないか。わしは、そう考えておるが、どうじゃ」

うむ、確かにそうかもしれぬが、時間があるかのう。

「現に関白は徳川を臣従させることに手間取っておるのではないか。九州の島津もなかなかの勢いじゃと聞いておる。数年の時間があるのではないか」

「しかし徳川が臣従するのは時間の問題です。徳川が関白殿下に質子を送り停戦が実現した後、戦争でもない臣従でもない奇妙な状態が続いておりますが、郷土防衛に駆り出されておる徳川領内の農村の疲弊は限界を越えております。そろそろ一揆が起きるのではないかと、われらは見ております」

弔問にかこつけた真の目的も話しておかねばならぬ。

「われらは関白殿下に関東・奥羽の取次ぎを命じられております。そして謙信公の時代より北条と何度も戦い、佐竹とは特に親しいものでございます」

「そんなことは、わしも分かっておる。百も承知で言うておるのじゃ」

急に早口になった政宗、兼続の目を見ながら尋ねる。

「関白とはどのようなお方なのじゃ。天下を統べるにふさわしいお方なのか。そなたは何度も会うておるのじゃろう」

調べはついておるのか。

「関白殿下は下賤の身から成り上がられたお方なれど、その度量の大きさはまさに宏大無辺、天下を取るに相応しいお方と思いまする」

「度量が大きいとはどういうことじゃ。具体的に話してくれ」

「今年の夏、関白殿下は越中を攻め佐々成政という男を降伏させました。佐々は尾張比良城主で、総見院様が馬廻りから武功に優れた者を選抜した黒母衣衆の筆頭、学問もあり総見院様も一目置くほどの男でございます。ところがこの男、草履取りであった関白殿下を、ことあるごとに苛めたそうでございます。名門出身で学問もある佐々は、成り上がり者の関白殿下と反りが合わなかったようですな」

「関白殿下は許しがたい仕打ちを受けたと仰せでございましたな。しかし関白殿下は恨み骨髄の佐々を、そして賤ケ岳と今回の小牧の陣と二回も敵対した佐々を関白殿下はお許しになられております。常々敵を味方にすると仰っておられます」

「ううむ」政宗が沈思黙考する。


「われらが大内定綱を許すようなことじゃろうか」

片倉小十郎が呟く。

「大内とは」本庄が尋ねる。

本庄は何もかも知っておるくせに、とぼけて聞くところが上手いのう。

「大内定綱こそ、今回の戦の発端を作った男でござる。この城(小浜城)の元の城主じゃ。もともと田村の被官じゃったが蘆名に付いたりわれら(伊達)についたり忙しい男じゃった。ところがこの男、左京大夫様が家督を継いだ際米沢に伺候し臣従する米沢に住むと言うておったのに、いつの間にか小浜に帰り何度使者を送っても米沢に出てこぬ」

「それどころか、瓜の蔓には瓜がなり、瓢箪の蔓には瓢箪がなる。伊達の弓矢が大したものではないことを知っておる、即刻攻めかかってきたらよかろうと悪口雑言を吐

く始末じゃ。思うに、左京大夫様を若年と侮り伊達の家中もまとまってないと判断し

われらを挑発する役を買って出たのじゃ。大内個人で、こんな大それたことができるはずがない。おおよそ蘆名の意向が働いておることは、最初から分かっておった」

どうも蘆名と伊達の関係が理解しかねる。蘆名の先代の奥方は、輝宗公の娘ではないか。伊達と蘆名は協同して新発田の援助をしておったのではないか。はっきりさせなければならぬ。


「蘆名の家中は、どのようなことになっておるのじゃろう」

本庄、話の核心が分かっておるな。

「蘆名の家中はとにかく統制が取れておりませぬ。なにしろ先代は二階堂からの養子じゃったし今は乳飲み子の亀王丸様が当主でござる。これでは家臣の心も離れよう」

片倉小十郎が説明する。

「輝宗公が亀王丸様の後見をしておったのじゃろう。伊達びいきの家臣もおるのではないじゃろうか」

本庄、さらに質問する。

「そのような者がおれば、人取橋の戦いで、われらがあそこまで大敗することはありませなんだ」

片倉小十郎、自嘲気味に答える。しばらく考え込んでいた政宗が口を開く。

「上杉の者は奥羽の情勢がつかめておらぬようじゃ。奥羽は古い家が多い、そして政略結婚も多い。ゆえに、みな親戚じゃ。それゆえ、何もかも温いのじゃ。戦をしても相手を滅ぼすことはせず、ほどほどのところで収める。すぐに他の親戚が仲裁にはいるからのう。その繰り返しじゃ。しかし、こんな状態では、奥羽はいつまでたっても

上方の風下に立たねばならぬことになる」

「考えてみよ、関白の天下平定の軍が攻め込んできたら各個撃破されるだけじゃ。わしは一日も早く奥羽に新しい秩序を作り出さねばならぬと思うておる。そのため、わしが最初にやったのが小手森城の撫で斬りじゃ。小手森城内、女子供も容赦なく犬畜生に至るまで命あるものすべてを殺した。八百人とも千人とも言われておるが正確な数はわからぬ。わしにも慈悲の心はあるつもりじゃが、信念に基づいてやった虐殺じゃ。みな驚き恐怖しておる。はっきり言って近隣の領主は、みなわしの敵になった。

蘆名も佐竹も、われらの親戚じゃが、すべて敵となった。人取橋の戦いで、佐竹の軍勢が三万に膨れ上がったのは、そのせいじゃ」

なんと怒りに任せて虐殺したわけではないのか。計算づくなのか。


小手森城の虐殺は政宗公が、これまでの奥羽の戦ぶりとは違うことを示すために行ったというのか。関白殿下の軍勢が奥羽に攻め込む前に奥羽を平定するために。しかし、その結果みな敵に回ったのではないか。政宗公のお考えと事態は逆の方向に向かっているのではないか。輝宗公が築き上げた伊達を盟主とする南奥羽の同盟は崩壊したのではないか。兼続、心の中で考える。


「人取橋の戦いは、どのような戦況だったのでございますか」

本庄が尋ねる。

「輝宗公の初七日の後、わしは弔い合戦のための軍勢を集結させた。田村・相馬からの援軍をあわせて総勢一万三千。敵は佐竹の軍勢が一万、蘆名が一万、岩城・畠山などが一万、合計三万じゃ。われらは一万三千のうち二本松城包囲部隊などを残して、わし直率が四千、伊達成実の別動隊千、合計五千で迎撃した」

「しかし、わしには勝てる自信があった。相手は烏合の衆、兵力の多寡は関係ない、と。大体、連合軍というものは、我が身の無事を第一に考えて戦わぬものが出て来るものじゃ。足並みも乱れてくるはずじゃ、と」

ふうむ、謙信公の如き戦術眼を持っておるのじゃろうか。

「ところがじゃ、いざ戦が始まると、いきなり佐竹勢が攻め込んできた。噂に聞いておったが佐竹の鉄砲隊は凄かったな。旗本が周りを固めておる、わしにさえ鉄砲玉が五発当たるくらいの弾幕じゃ。あっという間に前軍が突破され佐竹勢が、わが本陣に突入してきた。そしてわし自身、槍を持って戦う乱戦となった。左右から敵の新手も迫って来る。軍配を預けた鬼庭左月が殿しんがりとして討ち死にするまで戦い、伊達成実の別動隊が奮戦してくれたお陰で、わしはやっと岩角城に入ることができた。しかし味方は傷つき、敵は勢いに乗っておる。絶体絶命じゃと思うた。ところがじゃ、翌朝になると敵は姿を消しておった。まさしく天佑神助じゃ」


何か、おかしい。政宗公は、本当のことを真実らしく言っておられるが、何か隠しておるようじゃ。不思議なお方じゃ。自分を小さく見せようとしておるのじゃろうか。なにやら得体の知れぬ所がある。それとも、自分に自信があるのじゃろうか。


「みなさま、お疲れでございましょう。お部屋を用意しましたのでお休みください。明日は蘆名・最上対策を話し合いましょう」

片倉小十郎が案内する。

部屋に通された兼続一行、盗聴されてないか確かめた後さっそく打ち合わせの会議。

「どうも政宗公というお方が分からぬ。お話しされる理想は高いようじゃが、打たれる策は裏目裏目となっておるようじゃ」

「眼高手低ということかな。まだお若いから仕方ないのでは」

兼続と本庄が話し込んでいると信繁(真田幸村)が口を挟む。

「政宗公は伊達家全体を死地に投じられたのではありますまいか。”これを亡地に投じて然る後に存し、これを死地に陥れて然る後に生く”ではありませぬか」

孫子か。さすが風林火山の旗が立っておった武田家出身だけあって真田親子は兵法に詳しいようじゃ。

「死地には吾れ将に活きざるを以てせんとす。故に兵の情は、囲まるれば則ち禦ぎ、已むを得ざれば則ち闘い、過ぐれば則ち従う、か」

兼続が続ける。

「伊達家中の統制を強化するために絶体絶命の状況に伊達家を投じたというのか」

「はい、それがしが本日見聞したところによれば、奥羽の諸大名の家中は統制が取れてないようでございます。このなかに小なりとも統制の取れた一家が生まれれば、奥羽平定も夢ではありますまい。政宗公は輝宗公が一代をかけて作られた同盟を打ち壊し、その上に新しきものを打ち立てようとされておるのではありますまいか。政宗公のやり方は遠回りの様で案外、王道を行くものやもしれませぬ」

ほほぉー、なるほど。それ故これほどの逆境のなかにあっても落ち着いておるのか。

信繁殿を連れてきて、良かった。


翌日、伊達政宗・片倉小十郎とまた会談する。

「伊達の周りは敵だらけじゃ。蘆名・相馬・大崎・最上とすべて敵じゃ。しかし佐竹は北条に備えねばならぬし、蘆名は家中が乱れておる。わしが心配するのは伯父上のことじゃ」

最上義光のことか。本庄も来たかいがあったようじゃな。

「最上の伯父は謀略で最上を、ここまで大きくされたお方じゃ。世間の評判は、そなたたちも存じておろうが物凄く悪い。しかし伯父上は不思議な男で伯父上に会うた者はみな伯父上に心服する。敵であった者の家臣も内通する。人を信用させる何かがあるのじゃ。それに寛大な男じゃ。かつて敵であった者でも惜しみなく大封を与える。わが母も伯父上の妹であるせいか、何事も伯父上に相談せよと、信頼しきっておる。どうも、わが弟竺丸を擁立する工作もしておるようじゃ」

政宗公は、あらいざらい話すつもりなのじゃろうか。

「わしはいずれ最上殿を討つつもりでございます」

本庄も、つられて存念を明かす。

兼続は心の中で苦笑し、政宗も笑うが何も言わない。


「ところで、ご承知のことと思われますが、われらは新発田の反乱に手を焼いております。新発田の反乱が、これほど長引いておるのは蘆名の援助がある為でござる。ゆえに蘆名に関しては、伊達さまと上杉の利害は一致しております」

「最上に関しては、本庄殿と利害が一致しておるようじゃな」

「われらは関白殿下に東国の取次ぎも任されておりますゆえ。伊達さまのために役に立つこともあろうかと思われます」

すると片倉小十郎が口をはさむ。

「しかし蘆名が滅んだあとは上杉さまと戦うことになるやもしれませぬなあ」

「小十郎、当たり前のことを言うでない。味方などというものは敵の仮の姿にすぎぬ。いずれ毘沙門天の旗と戦場で相まみえる日もあろう。楽しみじゃ」

政宗公と話していると、切り取り放題の戦国時代に生きておる気がするな。
























 

















 













































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