第7話賤ヶ岳の戦い
天正十(1582)年
六月十二日
「信長が死んだらしい。天罰てきめんじゃ」
久しぶりに明るい春日山城重臣会議。
「越中では須田満親殿が魚津城を奪回いたしました」
「上野では藤田信吉殿が沼田城攻略の準備を進めております」
「信濃では真田昌幸殿などが服属を申し出ております」
これまで押されていた各戦線で上杉の反攻作戦が開始されようとしている。
「とにかく北信四郡を確保せねばならぬ。春日山城近辺まで攻め込まれるようなことは二度とあってはならぬ」
景勝に一礼した兼続が議論を開始する。
「信長の死が確実なものとなれば、北条や徳川も独自の動きを強めるじゃろう。われらも遅れを取ってはならぬのじゃが、獅子身中の虫・新発田重家がおる。できれば調略で解決したいと考えておるが、みなの意見を聞きたい」
「因幡守(新発田重家)も当てが外れて慌てておるじゃろうが、希代の強情者ゆえ、簡単には降参してきますまい」
新発田重家の抑えを命ぜられていた本庄繁長が発言する。今後の新発田対策を相談するために招致したのだ。
天文八(1540)年生れの本庄繁長は、この年四二歳。揚北(阿賀野川以北の地域)の有力国人領主である本庄氏は越後秩父氏の本家で分家に色部氏・鮎川氏がある。
永禄十一(1568)年四月に武田信玄に使嗾され上杉謙信に謀反した前科がある。一年近く戦ったが結局、翌永禄十二年三月に蘆名盛氏の仲介で嫡男(顕長)を人質に差出し降伏した。その後、出家して雨順斎を名乗り蟄居謹慎していたらしい。
天正五(1577)年閏七月二三日付「伊達輝宗宛織田信長朱印状」には「信長は、謙信の悪逆を追伐するので、伊達左京大夫(輝宗)殿も越後国の本庄雨順斎と相談する事と軍忠を督促す」とあるから、その後も怪しい動きをしていたようではある。
御館の乱では、嫡男顕長は景虎派についたが、繁長本人は一応景勝派として行動した。御館落城寸前の頃、景虎より援兵を要請されたが繁長は応じなかった。そして景虎敗死後、降伏した顕長は廃嫡を条件に助命されている。
「色部長実殿は、新発田重家の妹婿じゃ。信長が死んで孤立無援になったから降参せよと説得させてみます。それでも従わなければ御実城様に親征して頂きましょう。まず当面は北信四郡を確保せねばなりませぬ」
重臣会議で兼続が先鋒となり、他の軍団も順次、北信に進駐することとなった。
すると本庄繁長が「わしもお供つかまつりたい」と言い出す。
「そなたには新発田攻めに活躍して貰わねばならぬ」と婉曲に断ろうとすると、
「新発田には進攻してくる気力はありませぬ。わしも信玄が越後に来ないと知った時がっかりしました。因幡守の気持は手に取るようにわかる」そりゃ経験者じゃから。なんとかして断ろうとしたが、景勝が「本庄越前守(繁長)、与六を助けよ」と言ったので、本庄繁長は兵を持たない参謀として同行することとなった。
六月十五日
直江兼続、与板衆一千を率いて信濃を南下中。そこに春日山城より書状が届く。
一昨日、須田相模守方より召仕の者罷り越し、才覚申す分は、明智の所より魚津迄使者指し越し、御当方無二の御馳走申し上ぐべき由来り候と承り候、実儀候はば、定めて須田方より直に使を上げ申さるべく候、将又推参し至極申す事御座候へども、その元の儀大方御仕置仰せ付けられ候ハ〻早速御馬納められ、能・越両州御仕置これを成され御尤もの由存じ奉り候。この旨よろしく御披露に預かるべく候、恐惶謹言…
河隅越中守忠清
(天正十年)六月(十?)三日
直江与六殿
なんじゃこれは、魚津城の須田満親殿のところに明智の使者が来て「上杉殿は(将軍に)最大の尽力をして差し上げる時が来た」と言上したらしいな。明智が謀反を起こしたのは、将軍の命令によるものなのか?どうも、わけがわからぬ。明智は柴田勝家を挟撃する共同作戦をしたいのか。
「早速、早馬を出して御実城様にお知らせするのじゃ」
「上方では信長の弔い合戦が始まるようじゃが、どうすればよいと思う」
本庄繁長に質問する。
「干渉せぬことですな。先が全く読めませぬ。誰が勝つか。負ける方に肩入れして無用な恨みを買えば大変なことになります」
確かに。
「誰が勝つと思う」
しばらく考え込む本庄。
「柴田勝家、羽柴秀吉、明智光秀、丹羽長秀、滝川一益のうちの誰かですな」
ふうむ。
「三七、紙と筆を」
「あい」
兼続が、さらさらと織田家の重臣たちを書き出す。
「六月初め頃の情勢判断によるものじゃ」
柴田勝家(越前・加賀・能登・越中)
越中魚津城で上杉と対陣中だった
羽柴秀吉(近江三郡・播磨・但馬・因幡・備前・美作・伯耆)
備中高松城で毛利と対陣中
明智光秀(近江一郡・丹波・丹後・山城・大和)
池田恒興(摂津)とともに信長本隊として羽柴秀吉を救援する予定だった
滝川一益(上野・信濃二郡)
上野厩橋城で関東を鎮撫中
丹羽長秀(若狭)は神戸信孝(信長三男)を大将とする四国遠征軍を大坂で編成中
蜂屋頼隆(和泉・丹羽義弟)津田信澄(信長甥・光秀女婿)も参陣する予定だった
「明智勢と池田勢は武田攻めの時の信長の本隊じゃから、信長は旗本に裏切られたようなものですな」
「池田恒興は信長の乳兄弟じゃから、謀反には与しておらぬのではなかろうか」
「明智は柴田をいちばん警戒しておるから、われら上杉に挟撃するよう提案してきたと思いますが、誰が勝つか分からぬ抗争に関与するのは危険ですな」
本庄は、御館の乱で難しい立ち回りを余儀なくされたから実感こもってるね。
「羽柴は毛利の大軍と対峙しており、滝川は遠すぎる。北陸の柴田と大坂の丹羽が南北から明智を挟み撃ちすることになるのではないかな。勝敗がつくまで時間がかかりそうじゃ。この間に、われらは失地を回復するべきですな」
六月十三日に山崎の合戦で羽柴秀吉が明智光秀を打ち破っているが、当然まだ知らない二人である。
天正十(1582)年
六月
五日 柴田勝家、宮崎城を攻略
六日 柴田陣中に本能寺の変が伝わる
八日 上杉景勝、色部長実へ
「上方で凶事があり織田諸将はことごとく敗軍となった」と伝える
十三日 滝川一益、沼田城へ援軍、藤田信吉敗れて越後に亡命
十四日 河尻秀隆、徳川家家臣の本多信俊を殺害
德川軍、尾張鳴海に到着
十六日 北条氏直・氏邦、上野倉賀野に出陣
十八日 河尻秀隆、武田遺臣に殺害される
神流川の合戦(第一次)滝川勝利
十九日 神流川の合戦(第二次)北条勝利
秀吉から家康に、上方を平定したとの報告。徳川軍、三河に撤退
二二日 北条氏直、松井田城に入城
二七日 酒井忠次、信濃伊那郡に進攻。
二八日 大久保忠世、甲斐を平定
下旬 (上杉が支援する)小笠原洞雪斎、深志城占領
七月
二日 徳川家康、浜松城出陣
三日 北条軍、碓氷峠を越えて小諸城に入城
九日 徳川家康、甲府に到着
真田昌幸、上杉から北条に寝返る
中旬 (徳川が支援する)小笠原貞慶、洞雪斎を追放し深志城占領
十三日 上杉に服属していた春日信達の謀反が露見し、家族ともども磔にかけられる
十四日 千曲川を挟んで上杉軍と北条軍が対陣
十九日 千曲川で対峙していた上杉軍と北条軍が停戦
二九日 北条軍、真田昌幸・松田憲秀を殿に千曲川より撤退
八月
七日 北条軍氏直本隊が甲斐に進攻、若神子城に着陣
九日 上杉景勝、新発田攻めに転進。
十日 徳川家康、新府城に入り、北条軍と対陣
十二日 黒駒の戦い
九月
依田信蕃、真田昌幸を調略。北条より徳川に寝返らせる
佐竹義重、宇都宮国綱、北条方の上野館林城を攻撃
十三日 徳川家康、宇都宮国綱に織田の援軍として柴田・丹羽・羽柴が来ると伝える
二五日 北条軍、沼津城を攻撃するが失敗
十月
真田昌幸、依田信蕃、碓氷峠を占領、北条軍の補給路を断つ
十五日 京で秀吉主催の信長の葬儀が行われるが、信雄・信孝・柴田参加せず
二八日 北畠信雄・神戸信孝より徳川家康に和睦勧告
二九日 德川・北条和睦。
①北条氏は占領していた甲斐都留郡(郡内)と信濃佐久郡を徳川に引き渡す
②徳川氏は北条氏の上野領有を認め真田昌幸が確保している沼田領を引き渡す
③北条氏直の正室に家康息女督姫を輿入れさせ同盟を結ぶ
天正十(1582)年
六月二三日
「北条軍、滝川軍を追撃して、そのまま信濃に進攻してくるようです」
「敵の兵力は推定五万。先鋒は真田昌幸」
「北条は信長の死を確信したと同時に大軍を動員して滝川を攻撃したようじゃな」
「北条は滝川を討っても織田の報復はないと思ったのでしょうな」
「さて敵は五万、われらは一千じゃが、参謀殿はどうされる」
「何の北条など百万おっても案山子のようなものでござる。どんどん行きましょう」
海津城の西の千曲川河畔に布陣する。後詰の景勝の本隊は海津城に入った。
「二一年前になるのか、懐かしいのう。あの時は海津城が邪魔でしかたなかった」
対岸に八幡原を見て、ひとり感慨にふける本庄繁長。
七月五日
「北条軍主力は碓氷峠を越え、氏直は小諸城に入りました」
「信濃の国人領主が争って北条に服属を申し出ております」
北条の大軍を迎え撃つため、陣地の構築に余念のない兼続、ふと思いつく。
「三七、細作を街道・間道に配置して通信を封鎖せよ。怪しい奴は殺しても構わぬ」
「あい」
七月十三日
「北条勢、先鋒約一万、北上しております。明朝にも川中島に到着いたします」
しかし本庄繁長、少しも動じない。
「北条など武田に比べれば話にならない弱兵でござる。そういえば今、海津城に詰めておる高坂信達(昌元)殿は二千の兵で四万の北条を破ったとか。高坂に与力してもらおうかのう」
呑気な奴じゃと呆れながら
「黄瀬川の戦いじゃろう。それがしも勝頼公に伺ったことがある」
と調子を合わせる。
兼続も高坂信達と話をしてみたいとずっと思っている。御館の乱の際、高坂弾正殿が武田家首脳を説得してくれなかったら、それがしは御実城様ともども敗死しておった。われら上杉家にとって大恩人の息子じゃ。
そこに海津城より伝令、なんと高坂信達が謀反を企み、それが露見したとのこと。
「海津城に戻る」
「行ってきなされ。北条は雨宮の渡しを通って八幡原に布陣するつもりのようじゃ。敵は大軍、小細工するはずもない」
海津城まで戻り、景勝に会う。
「御実城様、御無事ですか」
「わしの身には何もない。海津城に近づく胡乱な奴が検問に引っかかり、尋問したら北条の密使で、高坂宛の書状を持っておったのじゃ。そやつが吐いた。北条軍が来たら海津城に火をかけ内応する。わしを殺す計画もあったようじゃ」
「どうも意図が分からぬ。あまりにも杜撰すぎる。書状を出したのは真田のようじゃ。それでそなたに尋問してもらおうと思ったのじゃ」
ひきすえられた高坂信達、悪びれた様子もなく兼続をねめすえる。
「なぜじゃ、そなたの父・高坂弾正殿には、われらは大恩がある。勝頼公ともども、われらを救ってくれた恩人じゃ。ゆえに、われらもそのつもりで、そなたを遇するつもりじゃった」
「真田に何か吹き込まれたのか」
何も答えない高坂信達。
「それがしは、そなたに会って礼を言いたいと思っておったのじゃ。そなたのことは勝頼公からも聞かされておった」
すると突然、高坂が「亡国の苦しみが、そなたに分かるのか」と大音声で叫ぶ。
なんと、ものすごい開き直りに、景勝謀殺のことで相当頭に来ている兼続
「どういう意味じゃ」と怒鳴り返す。
「森長可が海津城を撤退する時、人質を連れて行ったことを知っておるか。あいつは人質を楯に逃亡を図ったのじゃ。わしは、何度も息子を返してくれるように頼んだ。何度も何度もじゃ。安全は命に代えて保証するから、と。そして松本で人質を解放する約束が整った。しかしあいつは、その約束を反故にして、わしの息子を槍で串刺しにして殺したのじゃ、元服したばかりのわしの子を。他の者の人質、数十人もおったがみな殺された」
高坂の眼から涙が流れる、少し紅く見える、これが血涙というものか。
「わしの子は森庄助という。森長可が烏帽子親となり森姓も賜った。だから他の者が殺されても、わしの子だけは助けられるのではと淡い期待を持っていた」
ははは、と乾いた笑い。
「森長可は、真っ先にわしの子を自分の手で刺し殺した。わしの眼の前でじゃ」
なんと。
「森長可は、われらにとっても仇敵、一緒に戦えばよいではないか」
「われらは二度と誰の家臣にもならぬ」
「真田は北条に降っておるではないか」
「真田殿が北条に降っておるのは一時の方便。いずれ北条も徳川も上杉も、この信濃から叩き出す、遠大な計画をお持ちじゃ」
「それに乗ったのか。そなたは真田に騙されておる。真田は自分のことしか考えておらぬ」真田の本心は、そうだとしても力足らずじゃ、心の中でつぶやく兼続。
「なぜ景勝公を謀殺しようとしたのじゃ」
「わしは、武田崩れの時、急に怖くなって沼田城から逃げた。新府城からも逃げた。海津城まで逃げて、森長可が来たので息子を人質に出して、へつらった」
「わしの父は高坂弾正、武田にその人ありと謳われた名将じゃ。わしの兄は高坂昌澄、長篠で立派な最期を遂げられた。それなのに、わしは、いくじなしの卑怯者じゃ。上杉景勝公を討つことで汚名を返上しようと思ったのじゃ」
「そなたの家族、みな磔にして首を北条に送る。言い残したことはないか。森長可には、いずれ天罰が下るじゃろうが下らなければ、われらが討つ。冥府で待っておれ」
「なぜじゃろう。北条軍四万が迫って来たとき少しも怖くなかった。それなのに、なぜ、あの時逃げ出したのじゃろう。わしは沼津城で死ぬべきじゃった。臆病風に吹かれて逃げてしまった」
「どうしていいか分からなくて、新府城に行った。そして勝頼公のお供をしたいと申し出て、長坂釣閑斎殿に拒否された。典厩信豊様に協力して北信で兵を糾合して、織田軍の背後を衝いてくれと言われたが、体のいい厄介払いじゃったな」
「わしは沼津城で死ぬべきじゃった。臆病風に吹かれて、逃げ出したため、汚名を残し地獄を見た。沼津城を捨てた後は蛇足の人生じゃった。はよう、殺せ」
真田の奴、今日という今日は本当に頭にきた。調略するにも人を選べ。こんな無骨者に諜者がつとまるわけがない。しかも御実城様謀殺の嫌疑ということであれば助けようもない。他のことなら高野山に登らせることもできるのに、絶対許さん。真田を滅ぼす。
翌朝、高坂夫婦と三歳の男子・高坂の最後の息子が、海津城で磔に懸けられた。
高坂一族の首桶とともに千曲川河畔の陣に戻る。対岸には北条の大軍が到着していた。六文銭の旗も見える。ふつふつと怒りがこみ上げてくる。使い番を呼び、夜襲の準備を命じる。
「御家老、如何したのじゃ」あらまし説明する。
本庄は「死に場所を探しておったのじゃろうか」と呟く。
「御家老、将の頭に血が上ると兵が殺気立ちます。大軍を前に殺気立つと弱気を押し隠そうとしていると勘違いされて、つけいれられる」
「小敵の
「それは武田じゃろう」
「まあまあ、夜襲の準備は良い。夜襲するつもりで兵に周りの地理を覚え込ませるのじゃ。地の利を知れば兵は落ち着く」
馬鹿にされているような気もするが、ほんに本庄は使える男じゃなと感心する兼続。
「朝飯でも食いましょう」北条の大軍を前に朝ご飯。
北条の陣の中心に赤青黄白黒の旗指物を付けた部隊が整然と布陣している。
「なんじゃ、あれは」
「北条の本隊、
「高坂の首桶に“果たし状”を付け、真田に送りつけて、あとは相手の反応を見るだけじゃな」
「そうじゃ、動かざること山の如しじゃ」なぜか孫子づいている本庄繁長。
「ところで、そなた、なぜ謙信公に叛いたのじゃ」退屈しのぎに聞いてみる。
「永禄四(1561)年の第四次川中島の戦い、ご存知か。ちょうど、このあたりじゃ。屍山血河とはあのことじゃ。わしも他の揚北衆と共に予備隊として参加した」
「そなたの謀反と、どんな関係がある」
「まあ、まあ、聞かれよ。わしらが投入されたのは、わざと負けて見せて義信隊を前に出させた時じゃ。武田の陣に乱れが生じたので一気に突き崩そうとして甘粕隊以外の予備隊がすべて投入された。謙信公は戦の天才じゃ。戦機というものを知っておる。しかし、われらの前に典厩信繁隊が立ち塞がって、一歩も引かず全滅するまで戦った。これほど勇敢な男に、わしは後にも先にも会ったことがない。そうこうしている間に、妻女山攻撃隊が背後から攻めかかってきた。甘粕隊が奮戦してくれたが、味方は総崩れじゃ」
「川中島の戦いのことなら子供の時から何度も聞かされておる。川中島の戦いとそなたの謀反とどんな関係があるのじゃ」
永禄四年の川中島の戦いと永禄十一年の本庄繁長の謀反とは七年の時差があるのに。
「命からがら逃げたわしは思うた。信玄が妻女山攻撃隊を出して、われらを挟み撃ちにしようとしたことを見抜いたのなら、なぜ八幡原に布陣する信玄の本陣勢を正面から攻撃したのじゃろう。それでは時間差はあるが、結局敵の作戦に、はまったことになるのではないか。実際、武田は妻女山攻撃隊が戻ってくるまでの時間稼ぎじゃ、というて戦っておった。あの濃い霧の中じゃ。背後から攻めれば、信玄の首もあっさり取れていたかもしれん、と思うたのじゃ」
なにー。つい、話に引き込まれる兼続、北条の大軍を前に川中島談義が続く。
「信玄本陣を背後から攻撃する。そんなことができたのか」
「できたはずじゃ。われらは武田の物見全部潰しておったし、信玄の本陣の位置を正確につかんでおった」
「信玄本陣後方に大軍を展開する広さがあったのか」
「あるでしょう」対岸の八幡原を指し示す。兼続もつられて見る。
こんな話初めてじゃ。本庄は戦上手と聞いておったが、確かに物を考える男じゃ。
「古志(下田?)長尾一族に長尾藤景というものがおったのじゃが、わしは、そやつに言うてしもうたのじゃ。攻撃方向を転換するべきじゃった、と。ところが、そのため、二人で謙信公の采配をそしったという噂が立ってしもうた。謙信公の耳にも入って身辺調査が行われ、本当かどうか知らんが、長尾藤景には裏切りの証拠が出てきて、わしが藤景誅殺を命じられたのじゃ」
「殺したのか」
「おお、殺さねば、わしまで疑われる」
ふーん。二人が話に熱中していたら海津城より伝令。
「徳川家康、九日に甲府に到着」
やっと来たか。これで氏直も気が気ではないだろう。
こんなところで道草食っていたら、旧武田領全部、徳川のものになる。
「対岸の北条勢動き出しました」
陣形を変えて攻撃態勢を作る北条の軍勢。大軍なだけに壮観な眺めじゃな。
「海津城より芋川殿ご出陣。われらの後方に展開中。御実城様の旗本も出ます」
こちらも受けて立つ態勢じゃ。
「戦にはならぬ。北条は、われらを脅しつけて講和を有利に運ぼうとしておるのじゃろう」
「そうじゃな」うなづく兼続。
「北条より軍使」川を渡って軍使が来る。
「われらは、のらりくらり時間稼ぎすればよい。時間が経てば経つほど、われらが有利になる」
「そうじゃな、ところで謀反の話はどうなった」
「わしの心の中に、謀反の気持が芽生えたのは、藤景誅殺が発端じゃ。わしへの疑いは晴れたことになったが、その後も謙信公に疑われていることが、ありありと分かっておった。すると不思議なもので謙信公への疑問も浮かんできた。謙信公は毘沙門天を信仰されておったが確かに軍神ともいうべきお方じゃった。戦えば必ず勝った。しかし、その後がよくない。何も手当をされない。じゃから勝ちを生かすことができない。謙信公が何回越山(関東出兵)したか、ご存知か。十四回じゃ。しかし何も得るものはなかった。謙信公の武名が上がっただけじゃ。戦をすれば兵は死に傷つく。費用も馬鹿にならない。それを上杉の義というだけでは、我慢にも限度がある」
本庄、言いすぎじゃ。と言いたいところだが、兼続、おもしろいので言えない。
北条の軍使が何度も川を渡ってくる。そのたびに条件がどんどん有利になる。
「そろそろ潮時じゃ」
上杉家が北信四郡を確保することで和議が成立した。
即座に北条軍は南下を開始した。
「北条軍に諜報部隊を同行させよ。徳川との戦の様子を逐一報告させるのじゃ」
「これで信濃は一件落着。次は新発田じゃ」
八月九日、上杉景勝は春日山城で休むことなく、新発田攻めに出陣する。兼続も引き続き先鋒を務める。本庄は、自分の領地から南下してくる手勢と新発田城近くで合流する手筈を整えて、兼続と同行することになった。
「わしが謙信公に対する不満を持っていることを嗅ぎつけた武田の細作が謀反を勧めにきた。共同作戦の提案じゃ。わしは、その頃庄内の大宝寺も抑えておったし揚北衆の中条、同族の色部・鮎川も味方になってくれると信じておった。謙信公は、確かに軍神のようなお方じゃが、五分にやれるのではないかと思ったのじゃ」
「やれると思ったら、やりたくなるものじゃ。特に相手が日本国中並び無き名将ともなれば、戦って自分の力を試したくなるものじゃ。当時のわしは二八歳、血気に逸っておった」
「敵としての謙信公はどうじゃった」
「恐ろしいぞ、謙信公は。心の中まですべて読まれておる気にさせられる。まあ、実際読まれておるのじゃが」
「降伏したのは何故じゃ。結構、善戦しておったらしいではないか」
「まず中条や色部・鮎川がわしに加担せず、大宝寺が先に降伏した。頼みにしていた信玄、あいつは上野沼田城を攻撃すると約定しておったのに、駿河に攻め込み北条を怒らせ薩埵峠で立ち往生じゃ。最初から、わしを助けるつもりなど毛頭なかったのじゃ。駿河進攻作戦のために、わしを利用しただけじゃ。それが分かって阿呆らしくなった」
「それで降伏したのか」
「そうじゃ」
「ところで新発田重家、降伏すると思うか。信長が死んだ今、孤立無援じゃ」
「難しいのう。わしなら、もう降伏しておるじゃろうが、新発田は強情な男じゃ。それに景勝公は景虎様も道満丸様も殺しておる。謙信公の様に降参しても許されるとは思えないのではないじゃろうか」
それもそうじゃ。心の中で同意する兼続。
八月二五日に上杉景勝は新発田領内に進入、五十公野城近くに着陣した。
上杉軍本陣で景勝と兼続が話し合っている。
「阿賀野川を越えれば別の国のようじゃな」
「御意」
春日山城から遠すぎる。隣は会津・米沢じゃ。
「陣中におる新発田重家の弟・盛喜殿を使者に、降伏するよう説得させてみます」
「うむ」
しかし説得は失敗する。新発田勢の戦意は高く、新発田川を外堀として泥田に囲まれた新発田城にはなかなか近づけない。景勝が親征すれば、新発田重家は降伏すると思い込んでいた上杉軍は当てが外れる。
「どうも、蘆名・伊達が後ろ盾になっておることで強気になっておるようじゃ」
「蘆名の重臣・金上盛備が援護しておるようです。赤谷城から補給物資を送り込んでいるようですな」
われらは孤立無援になったと思っていたが、本人は思っていないようじゃね。
「新潟津には越中から補給物資を積んだ船が入っておるようじゃ」
「佐々成政は、清洲会議で越中を安堵されておる。われらを挟撃するつもりのようじゃな」
「新発田重家を平定するためには時間がかかりそうですな」
兵は疲れており兵糧も心細くなってきた。
「来年こそ討ち取ってくれるわ」
北信を平定した勢いで新発田も平定しようと勢い込んでいた景勝、しぶしぶ撤兵に同意する。
「本庄殿、そなたは北辺の要。今後とも、しっかり頼みますぞ」
「御家老も堅固で、また昔話を聞いてくだされ」
春日山城に凱旋する上杉本隊と別れ、兼続は与板衆とともに山東郡与板城に初めて入城する。なぜか、お船も春日山城から里帰りしており出迎えてくれた。
「御台所様より、お休みを頂いたのじゃ」
「この城はわが父大和守(直江景綱)が造った城じゃ。そして今はそなたの城じゃ」得意げに城内を隅々まで案内してくれるお船。
それがしが守らなければならぬ城と領地と家臣。
与板衆を率いて信濃から揚北まで駆けまわっていたはずなのに初めて実感する兼続。
最後に案内された広間には、与板衆の主だった家臣が集められていた。
「わが父大和守(直江景綱)が亡くなり、御実城様(この場合は上杉謙信)が亡くなり、わが夫藤九郎殿(直江信綱)も亡くなった。この数年、みなには苦労をかけたことと思う。しかしようやく上杉家は危機を脱することができた。みなの働きのお陰じゃ。ゆえに日頃の忠節を労いたい。今宵は無礼講じゃ。存分に飲んで食べてくれ」
なぜか、お船が挨拶する。いや、それがしの出番じゃなかったのかな?
「わらわの新しい婿・直江与六兼続殿じゃ。御実城様(上杉景勝)の信頼厚い側近で
もある」お船が顎をしゃくった、挨拶せよということらしい。
「川中島から揚北まで、長い戦陣ご苦労じゃった。まずは礼を申す。上杉家の柱石である直江家の当主になることは名誉なことじゃが、それがしはまだ二三歳の若輩である。いろいろ至らぬことも多いと思うが、精一杯務めるつもりじゃ。よろしく頼む」
ボロボロの挨拶をしてしまう兼続。
その後、兼続の席に与板衆が入れ代わり立ち代わり挨拶に来る。家臣から注がれた酒を飲まないわけにもいかないので酔っぱらってしまう。
翌朝、兼続とお船が櫓に登って領内を眺めていたら初老の家臣が挨拶に来る。
「改めてご挨拶申し上げます。篠井正信でございます」
「わが父大和守の弟・篠井正信殿じゃ。与板城の留守居をしてもらっておる」
「伯父上、いつも夫婦で春日山城に詰めておるから迷惑かけております」
「いえ御実城様の側近、与六殿のお役に立てることは無上の喜びで誇らしく思っております。妹が連れてきていた赤子が、りっぱな武将になって感無量でございまする」
もともと母親の実家なので、つながりが強い直江家と兼続である。
「今後とも、よしなにお願いいたす」
数日後、忙しい直江夫婦は春日山城に戻ることになった。
「志駄義秀殿を」
与板衆の副将として助けてくれている志駄義秀を呼んでくるよう指図する兼続。
「見ての通り、それがしは忙しい。与板衆のことは全て志駄殿にお任せする。よろしく頼みます」
「はっ。お任せください。何か問題があればご相談いたします」
志駄殿は、それがしと同い年の従兄弟(母親が直江家出身)信頼できる男じゃ。
春日山城に戻った兼続とお船、細作からの報告を整理する。
「徳川軍、約八千。新府城跡に立てこもり、北条軍と対峙中」
勝頼公が造られた新府城、その建設のための重税が滅亡の一因になった新府城が、武田の宿敵・徳川の役に立つとはのう。
「徳川家康はなかなかの人物のようじゃの。甲府に入って、すぐに勝頼公が亡くなった天目山近くの田野に景徳院を創建したようじゃ。冥福のためじゃというて、武田旧臣の心を取る最良の方法じゃ」
「徳川は、武田の旧臣を召し抱えておるのですか」
「依田信蕃という男を知っておるか」
「確か長篠の戦いの後、遠江二俣城を半年間堅守したお方では。その後、駿河田中城主になられたとか」
「武田崩れの時も、ひとり田中城を堅守し続けたそうじゃ。勝頼公が亡くなり武田家は滅亡したという穴山梅雪の書簡を受けて、ようやく開城したという男じゃ」
「武田武士の亀鑑ですな」
「その後、徳川に匿われておったらしいが、本拠の佐久郡春日城に戻り、調略しておるらしい」
徳川家康は、信長に唯々諾々の男かと思っておったが勇気もあるようじゃな。確かに依田信蕃は危険を冒して匿う値打ちのある立派な男じゃが。
「戦況は、どうなっておるのですか」
「北条は新府城の北、若神子に陣を敷いておる。小田原から徳川の背後を攻撃するため別動隊が派遣されたが、黒駒というところで徳川に敗れておる」
「北条は大軍じゃから、今後どうなるか分かりませぬが、やることなすこと後手を踏んでおるように見えますな」
「北条は氏直が信玄公の外孫じゃから、大軍で信濃に入れば武田家の者は北条に従うと勘違いしておったようじゃ」
春日山城・直江屋敷。上野・信濃の地図を見ながら焦れている兼続。細作より真田昌幸が寝返り、徳川の配下になったという報告が届いたのだ。
「これでは真田を攻撃することができぬ。北条の味方をするわけにはいかぬからな」
しかし表立っての攻撃はできなくても、攻撃の準備はできるじゃろ、細作を潜入させて情報を集めようと思いついた兼続、三七に指示する。
情勢が落ち着いたら兼続自ら出陣し真田を攻め潰すと固く決心している。
依田信蕃の調略によって、北条を裏切り徳川に付いた真田は、さっそく碓氷峠を占拠し、北条の補給路を断った。景勝に報告する兼続。
「相変わらず変わり身が早い奴じゃのう。武田家が滅亡して、北条、滝川(織田)、上杉、北条、そして德川じゃ。手も早いようじゃな」
「しかし北条は何も考えずに、滝川一益を破った勢いのまま信濃に進攻してきたのでしょうか」
「徳川を過小評価していたのじゃろう」
「それがしも徳川が、これほどやるとは思いませんでした」
信長の忠実な弟分という印象しか無かったが意外や意外、なかなかやりおる。
「家康は劣勢を承知で新府城跡まで進出し陣頭指揮しておるらしい。信玄公の攻勢を凌いできたあいつの歳月は無駄ではないようじゃ」
「元は今川の人質じゃったと聞いております。言うに言えない苦労をかさねてきたのでしょう」
「その後、二十年間、信長に忍従してきたのじゃ。誰にも出来ることではない。われらも甘く見ているとひどい目にあわされるぞ。現に小笠原洞雪斎は深志城から追放されておる」
「御意」
われらはどうしても謙信公のつもりで物事を見る癖がある。残念ながら、今のわれらには謙信公ほどの力はないし、敵はさらに強大になっている。小笠原洞雪斎の深志城奪還作戦も、藤田信吉による沼田城奪還作戦も失敗した、われらに後詰する余力がないせいじゃ。ようやく確保できた北信四郡でも、高坂が叛いておる。その現実を弁えて注意深く行動せねばならないと気をひきしめる兼続。
「北条と徳川の和睦が成立したようじゃ」
十一月初旬、驚くべき報告が来る。
①北条氏は占領していた甲斐都留郡(郡内)と信濃佐久郡を徳川氏に引き渡す
②徳川氏は北条氏の上野領有を認め沼田領を北条に引き渡す
③北条氏直の正室に徳川家康息女の督姫を輿入れさせ同盟を結ぶ
直江夫婦が議論している。
「北条は上野、徳川は甲斐・信濃と勢力範囲を分けたようじゃな」
「北条にとっては大変な譲歩ですな。理由は何ですかな」
「真田に碓氷峠を封鎖され補給路を断たれたことが大きいようじゃな。それに佐竹・宇都宮などが上野館林城を攻撃しておる」
「足元に火がついて講和せざるを得なくなったということですか」
「この講和は北畠信雄・神戸信孝連名の勧告を受けたものらしい」
「信長の次男と三男を中心とする“織田政権”が再建されたということじゃろうか」
「いや、よく分からぬ。当初は、信長の旧領国に北条が侵略してきたと織田諸将は憤慨し、柴田勝家・羽柴秀吉・丹羽長秀などが徳川家康の援軍として出陣する話になっておったようじゃが、立ち消えとなっておる。徳川は織田の援軍が来ると宣伝工作しておったようじゃが」
「“織田政権”内部で対立が激しくなっておるということですか」
「それにしても真田は、いい面の皮ですな。徳川を勝たせたのに領地を取られるとは」
「それでじゃ。真田からそなたに面会要請が来ておる」
なんと。
「攻め潰してやろうと思っておるのですが、可哀そうな高坂を利用して御実城様謀殺を企むなど許せませぬ」
「東国に北条・徳川の大同盟が成立したのじゃ。しかも“織田政権”のお墨付きじゃ。三者が協力して攻めてきたら何とする。上杉家滅亡の危機を再現することになるぞ」
そうじゃ。
「御実城様は誇り高いお方じゃ。敵に膝を屈するくらいなら潔く滅亡を選ぶようなお人じゃ。家臣はそのような状況に立ち至らないように先回りして行動せねばなるまい。上杉家を守ることに比べれば、そなたの個人的な心情など何の価値もない。そなたは上杉家の命運を背負う立場にある。何が大義か考えるのじゃ」
こんこんと説教される兼続。仕方なく、真田に会う段取りをつける。
「それから、そなたが真田領に放った細作、全員が消息不明になっておるぞ。真田に聞いてみよ」
なんと。七尾城攻めで活躍した手練れ揃いじゃったのに。
「真田の防諜体制は鉄壁のようですな」
「真田は武田の諜報機関そっくりそのまま吸収したようじゃな」
「真田は何を考えておるのでしょうか」
「天下でも狙っておるのかのう」
晩秋の善光寺。紅葉や銀杏が降り積もる境内を、ゆっくり歩く長身の男が一人。よく見ると、この男の周りには十人ばかりの護衛がおり、周囲を注意している。よほど身分の高い男らしい。男の足が止まり目がらんと光る。何かに気がついたようだ。急に駆け出す男、まわりの護衛も慌てて移動する。
「その団子、日持ちしますか」「はい」団子屋の娘に丁寧に尋ねる兼続。
「そなた、栃の実とモチ米を混ぜて捏ね、蜂蜜で煮上げる餅をご存じないか」
ちょっと、せき込んだように聞く。
「いいえ、存じません。昔なら有ったかもしれませんが」
善光寺周辺は兵火に遭い、御本尊も甲斐に移され寂れている。団子屋も境内の一軒きりしか残ってない。団子を食べながら真田を待つ。
「お待たせして申し訳ない。上杉の御家中の方を新参の家来が間違えて捕まえてしもうて申し訳ござらん。そっくり、お返しいたします」
やはり諜報部隊を拡充したようじゃな。
「それはかたじけない。で、何の用じゃ」
「北条と徳川の和睦が成立したことはご存知か。北条は甲斐・信濃から撤退し、甲斐・信濃は徳川の領分になった。北条は、上野制圧に専念することになった」
「北条にしてみれば大譲歩じゃのう。やはり関東制覇以外は興味がないのかな」
「いや違う。信濃に進攻してきた北条軍は全滅寸前じゃった。そのため織田の調停による和睦を受けたのじゃ。わしが碓氷峠を封鎖し北条軍の補給路を断ったから家康は勝てたのじゃ」
「それなのに家康の奴、上野のわが所領すべて北条に引き渡せと言ってきた。いずれ代地をかまえるから、悪いようにはしないからじゃと」
「待てないのか」
「待つとか待たんとか、そういう次元の話ではない。わしの功を全く認めておらぬ。このようなお方に従うことは金輪際できん」
「それがそなたの本心か」
「そうじゃ」
「上野沼田城は北条に取られるくらいなら、真田が持っておる方がまだマシじゃな」
「そうじゃろ」
「ただ上杉が真田を引き受けるということは、徳川・北条を相手にする覚悟が必要じゃ。徳川・北条の和睦は、形の上とはいえ織田の調停を受け入れる形で行われておる。上方の情勢とも連動してくるじゃろう。今しばらく情勢を見極めたいのじゃ」
そなたの心根もな、心の中で呟く兼続。真田は少し悲しい顔をしていた。
天正十(1582)年
六月二七日
清洲会議
①参加者
柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興(信長乳兄弟)
②後継体制
三法師(信長嫡孫・三歳)を北畠信雄(信長次男)神戸信孝(信長三男)が後見
堀秀政(信長側近)が傅役、柴田・丹羽・羽柴・池田が執権する体制
③領地再配分
三法師 (安土城・近江一郡)
北畠信雄(尾張・織田に復姓)
神戸信孝(美濃・織田に復姓)
羽柴秀勝(丹波・信長四男)
柴田勝家(越前+近江三郡加増)
丹羽長秀(若狭+近江二郡加増)
羽柴秀吉 (播磨・但馬+河内・山城)
池田恒興(摂津三郡・出家して勝入斎と称する)
七月 秀吉、山城国山崎に城を造る
九月 柴田勝家・お市の方(信長妹)により妙心寺で信長百日忌(十一日)
羽柴秀勝(秀吉養子)により大徳寺で信長百日忌(十二日)
十月 羽柴秀吉により大徳寺で信長葬儀(十一日~十五日)
柴田勝家、堀秀政に書状を送り、秀吉の山崎築城を非難(十六日)
羽柴秀吉、信孝に書状を送り三法師を安土城に移さない信孝を非難(十八日)
羽柴秀吉、丹羽・池田と連携し、織田信雄を「御家督」に決定
⇒三法師を岐阜城に奉じる信孝、柴田勝家と対立深まる
十一月
柴田勝家、前田利家・金森長近・不破勝光を使者として派遣
十二月
九日 秀吉、長浜城を攻撃。城主柴田勝豊降伏
二十日 信雄・秀吉、岐阜城を攻撃。信孝降伏、三法師を安土城に移す。
天正十一(1583)年
一月 滝川一益、柴田側に立って挙兵
二月 柴田勝家、出陣。
春日山城に戻ったら、上条宜順宛てに将軍の御内書が届いていた。
景勝と兼続だけでは心許ないので、老練な狩野秀治も呼んで相談することになった。
「勝家と和与せしめ、一統の帰洛を馳走候(十一月二一日付)」
柴田勝家と和睦して、将軍の京都帰還に協力せよ?
「この間は、“北国一統に出勢せしめ、忠功を
「柴田勝家は羽柴秀吉に対抗するために、鞆の将軍を奉じるつもりなのじゃろうか」
「将軍を利用して毛利と上杉を味方につけたいのでしょう」
「背後を安全にしたいわけか」
「羽柴秀吉からも同盟を結びたいという書状が届いておる」
「羽柴は、柴田と戦う際、柴田の背後をわれらに討たせたいのでございましょう」
「しかし羽柴が勝つかのう。柴田軍は精強じゃ。佐々一人だけでも手に余る強敵じゃが」
ここまで黙って聞いていた狩野秀治が発言する。
「毛利は、羽柴・柴田双方によい顔をして、味方になる振りをして実際には何もしないつもりじゃと思います。毛利家には元就公の“天下を競望せず”という遺訓があります。かかってくる火の粉は払うが、積極的に天下にかかわる気は元々ありませぬ」
なるほど。
「われら上杉も同じように行動するべきということか」
「新発田征伐に手を取られて協力できなかったと言い訳すればよいと思います」
「しかし羽柴にとって、今ほど上杉の戦略的価値が高い時はございません。うまく恩を売っておくべきかと。それがしが直接羽柴に会ってきます。羽柴秀吉の人物・力量を確かめてきます」
「そう言えば不思議な添え状も来ておるぞ。本能寺の直後、明智からの使者が何を申したか知りたいと書いておる。石田佐吉というものじゃが」
明智の使者?今ごろ何故?石田という人は歴史を記録する係の祐筆なのじゃろうか?
「本庄繁長が来ておる。そなたの上方行きに同行したいというておる」
今回の上方行きには御館の乱以降、断絶してしまった青苧販売網の再構築という仕事もある。神余親綱が生きておれば適任じゃったが、景虎派として敗死した。青苧販売網は重要な資金源になるし、情報の伝達にも利用できる。本庄はできる男じゃし、顔も広いようじゃ、仕事を分担してもらうのも悪くない。了承する兼続。
「上方に行って参ります。これはお土産です」
善光寺で買った団子をお船に差し出す兼続。
「わらわは最近太り気味じゃ。土産は食べ物以外にして下され」
「そなたには波里以外にも身辺警護がついておることは忘れるでないぞ」
本当についておるのじゃろうか、一度も見たことがないが。
すると、お船が心を見透かしたようにニヤリと笑う、背筋がゾクッとする兼続。
冬の海を渡る。夜の海を眺めながら魚津城攻防戦の時、能登に上陸して全滅した長景連一族のことを想う。
「どういう気持ちで、舟を漕いでおられたのじゃろう?死ぬために行く海路じゃが」
すると本庄が近寄ってくる。
「明朝には、敦賀に着くようじゃ。思い出すのう」
また?「何をじゃ」
「謙信公のお供をして上洛したときの事じゃ」
「永禄二(1559)年の二度目の上洛か。そなたがお供しておったとは初耳じゃの」
「わしは二十歳になったばかりじゃったが上洛すると聞いて参加を願い出た。もっとも向こうも留守中に勝手なことをされては困ると、渡りに船で連れて行ってくれた」
本庄、そなたの話には、どこか苦いところがあるのう。
「謙信公は、上洛されて何をされた。それがしは謙信公が天下にお立ちになったら、何をするおつもりじゃったのか知りたいのじゃ」
「謙信公には、そのような野心はござらん。一度目の上洛は“(国主待遇を意味する)白笠袋と毛氈鞍覆の使用許可”と“従五位下・弾正少弼に叙任”されたことに対する御礼言上であり、二度目の上洛は上杉憲政様から申し出があった“関東管領職”の内示を受けるためでござる」
「大兵を率いて行ったのに」
「永禄元(1558)年五月に三好・松永に京を追われた将軍から九月に上洛要請があった。当初は三好・松永を討伐するつもりじゃったが、十二月に和睦が成立して将軍も京に戻っておった。謙信公が上洛したのは永禄二年四月じゃから間が悪かったな」
確かに。
「それでも将軍を蔑ろにする三好・松永を成敗するおつもりじゃったが結局、義輝様のお許しがなかった。その後のことを考えると残念なことじゃったな」
「謙信公は、何をお考えじゃったのじゃろう」
「あのお方は越後国主という地位に満足されておったのじゃろう。何しろ、越後は水利がよくて米がよく獲れる。青苧・越後上布の利益も莫大なものじゃ。金山・銀山もある。日本国中探しても、これほど豊かな国はそうそうあるまい」
「政治的な野心はなかったのかのう」
「ない。国主の座を放り出して出家しようとしたくらいじゃから」
「関東管領のお役目を忠実に果たそうとされたのか」
「わしにも、あのお方の考えがわからぬ。何度も煮え湯を飲まされた信玄が、駿河進攻作戦で北条と衝突し絶体絶命となった時、信濃に攻め込めば武田を滅ぼすこともできたのに、そうはされなかった」
「信玄が必死に手を回して出してもらった将軍の御内書に従い進攻を止められた。信長なら鼻をかんで捨てたようなものを大切にされておられた」
そうなのだ、謙信公は筋目を大切にされた。しかし反対に言えば徹底性に欠けるともいえる。どうしても勝つ、どうしても滅ぼすという徹底性がないのじゃ。懲らしめれば、それでよしとするところがあるのじゃ。謙信公に謀反した北條高広・本庄繁長も許されておる。大熊朝秀は甲斐に逃げたがな。
「謙信公は義侠の人なのじゃ。強きを挫き弱きを助けということかのう。一個の男子としては真に見事なものじゃが、わしから見れば物足りぬ。もっと、いろいろ出来たはずじゃ。謙信公が、ご自分の力を信じておられたら関東平定もすぐに出来たはずじゃ」
「謙信公は、ご自分の力を信じてなかったというのか」
「謙信公は、欲のない神のようなお方じゃった。潔癖でもあった。それゆえ他人に理解されることがなかった。なんというか、接点が見つからんと言うた方がよいかのう。あれだけ助けてもらった関東の諸将も謙信公のことを理解しようとしなかった。そういうことが繰り返される中で、謙信公はご自分の限界を知ったというか、諦めたようなところがあったのではないかのう」
「やはり上野をご自分の分国にして、関東の諸将を家臣にすればよかったかもしれぬなあ」
本庄繁長の謙信公語りが続く。本庄、御実城様(上杉景勝)と、じっくり謙信公について語り合え、きっと話が合うはずじゃ。
本庄と京で別れ兼続と三七は山崎に向かう。本庄には、近衛家など上杉家と関係の深い貴族への工作、青苧販売網の再構築などの仕事をしてもらう。うん。なにやら、背中に粘りつくような視線を感じた気がしたが気のせい、気のせい、気にしない。
それにしても山崎の戦いの戦場に城を造るとは、明智討伐の功績の看板を立てておるようなものじゃな。山崎城のある天王山麓の宝積寺に到着すると、すぐに秀吉の本陣に通された。近習らしき若者に来意を告げる。
すると奥から日に焼けたしわだらけの小男が顔を見せ
「今、堀殿と重要な話をしておるので少し待っていただけ。佐吉、応接せよ」
と言う。
「それがしは石田佐吉と申す、以後お見知りおきを」
あっ、思い出した。
「明智の使者のこと、お尋ねの手紙を下されたお方じゃな」
兼続、調査書を渡し「そなたは秀吉公の歴史を叙述する係の祐筆なのか」と尋ねる。すると石田は大爆笑する。きょとんとする兼続。笑いすぎて目に涙を溜めた石田。
「失礼。そなたが、そう思うのも無理ないのう。これは意外と重要なことなのじゃ。盟約の証として、そなたに教えて進ぜよう」
兼続、興味津々。
「秀吉公が他の諸将、例えば柴田などに先んじて明智を討つことができたのは何故か、おわかりか」
「毛利と講和して中国大返しという強行軍で山崎に到着したと聞いております」
「その前じゃ。なぜ秀吉公は明智の謀反を知ったのか」
「詳しくは存じませぬが、確か明智が毛利に送った使者が闇夜に間違えて秀吉公の
陣地に迷い込んだと聞いておりますが」
「世間ではそうなっとるのう。というか、われらがそういうことにしておる」
「実際は違うのですか」
「違う。高松城の水攻めのために、われらは一里に渡って堤を築いた。すっぽり水攻めにするために、高さは三間じゃ。いくら慌てていても闇夜であっても間違いようがあるまい。よしんば間違えて迷い込んだとして、そんな男のいう荒唐無稽な話、信じられるか。明智に上様が討たれたなど」
うん、うん。
「毛利は今でこそ律儀が表看板じゃが、元は謀略で成り上がった家じゃ。明智に謀反の兆しありと言う流言は、以前より何度も流されておる。毛利は、われらの隙を狙って、いろいろ諜報戦を仕掛けておった。われらは、頭から信じておらなんだが、一応その度に安土に報告しておった」
「それでは誰から情報を得たのですか」
「ここからが秘密の話じゃ。聞けば、そなたも共犯者じゃ。一生、秘密は守ってもらわねばならぬ。本能寺の変について秀吉公に正確な情報を送ってきた者は明智じゃ」
えー、驚きのあまり声が出る。振り返ると三七は尻もちをついている。
「すると秀吉公は明智と謀反の計画を立てておったのですか」
「そうではない。明智の謀反は発作的なものじゃ。それが証拠に圧倒的な兵力差だったのに、二条御所の戦いでは明智の指揮官級の戦死者が多い。兵が相手を知って怯えたため、指揮官級のものが陣頭に立たねばならなかったためじゃ。兵まで話が通っておらん。時間が無かったのじゃろう」
「それでは何故、明智は秀吉公に書状を送ってこられたのか」
「もともと明智と秀吉公は親しい間柄じゃ」
そこまで話したところで、中から「入っていただけ」と声がした。
石田と一緒に中に入ると三十くらい温厚そうな武将が「私はこれで」と丁寧なお辞儀をして出て行った。
「堀殿は流石じゃ。上様に寵愛されただけのことはある。佐吉、堀殿を見習え。そなたは、わしの取次ぎをしておるが、取次ぎをするものは、どうしても増長してしまうものじゃ。そなたの後に、わしの姿を見、そなたの言葉を、わしの言葉と思ってへりくだる。そなたもいい気になっていると、わしが死んだら、みなから袋叩きにあうぞ。そなたには愛想がない。その点、堀殿は上様が亡くなられても、みなから重んぜられておる。何故か、よく考えよ」
いきなり石田に説教する秀吉、石田も負けてない。
「ご自分が死んだ後のことを心配されるならば、女遊びをほどほどにして、養生して長生きすることをお考えになるべきではありませんか」
うわー、こんなこと言っていいの。ちょっと、驚く兼続。
「話は聞こえておった。堀殿も聞いておられた。困っておったぞ」
「あの、堀殿とは」兼続が質問する。
「堀秀政殿じゃ。上様の近習を長く勤められ、本能寺の変の時には、たまたま軍監として、われらのところに派遣されていたので難を逃れた。利口で戦上手で人柄もよい、申し分のない男じゃ。この石田も利口では負けぬがのう」
「羽柴筑前守(秀吉)様。上杉にとって柴田勝家は仇敵。羽柴様と盟約を結び柴田を討つことに異存はござらんが実は、われらは、その後のことを心配しております。ざっくばらんに言って、柴田を滅ぼした羽柴様が、その次に上杉を討たんとしているのではないかと疑念を持っております」兼続、ずばり斬り込む。
すると秀吉、ちょっと感心したような顔をして、にっこり笑う。
「つまり信用できぬということじゃの。うん、うん、無理もない。上様のやり方で
は、そう思われても仕方ない。しかし、わしは違う。上様のやり方は、味方さえ敵に回すようなところがあったが、わしは、敵を味方にすることを考えておる」
かなり失礼なことを言ったのに全然怒らず、こちらの意図を正確に理解している。
「その前に佐吉の話の始末を、わしがつけよう。わしが、どんな人間か、そなたに知ってもらわねばならぬ。佐吉が言うたように、わしと明智は親しい間柄じゃった。わしは上様の草履取りからの成り上がり者、明智は上洛直前に足利義昭公を連れてきた新参者じゃ。上様は、そんなわれらを引き立てて下されたが、妬むものも多かった。上様が酒宴を開いても二人のところには、誰も来ない。自然に親しくなった」
「そうそう、命を助けられたこともある。朝倉攻めの時、浅井が裏切り、わしが
すると伝令が入ってきた。
「信孝様が動き出したようでございます。滝川も呼応するやもしれませぬ」
「やはりな」
秀吉、伝令を呼び出陣の支度を命じる。
「滝川も、わしの味方をすればよいものを。関東で敗れて逃げ帰って来てから、やぶれかぶれじゃ」
「高松城に来た明智の使者は、どんなことを言ったのですか」
「おお、明智はわしに協力して柴田と戦うことを持ちかけてきた。最近の上様は確かにおかしかったし、折に触れて明智とそのような話をしていたので、あいつは、すんなり、わしが同意すると思ったのじゃろう。それに毛利の大軍と対峙しておるわしの軍も上様が亡くなった報告が入れば瓦解すると思うたふしもある。ちょうど、滝川のようにな」
「明智は、やはり新参者じゃ。わしと上様の関係が全く分かってない」
そう言うと秀吉のしわだらけの顔に、さらにしわがより涙が流れてきた。驚く兼続。
「わしは尾張中村の貧しい百姓のせがれじゃ。父は早くに戦死し、やもめになった母は再婚されたが、その再婚相手と折り合いの悪かったわしは家を飛び出し、諸国を放浪した。遠江で松下様という領主に拾われ一生懸命働いたが、同僚に妬まれ、尾張に舞い戻ることになった」
「その後に仕えたのが上様じゃ。上様は、わしが一生懸命お仕えする気持ちがあることをすぐに見抜かれ、仕事を次から次へと任せてくださった。最初は台所の奉行、塀のつくろいから、墨俣一夜城、段々と大きな仕事をさせて下さったのじゃ。わしが、どれほど感激したか、そなたに分かるか」
鼻水も出てきた秀吉、嗚咽する。
「それまで、わしには居場所がなかった。どうして生まれてきたのじゃろう。何をすればよいのじゃろうと考えておった。そのわしに、上様は働き場所を作って下さった。頑張れば、さらに大きな働き場所を作って下さったのじゃ。これほど、しあわせなことはあるまい。やればやるだけ、大きな仕事を作って下された。最終的には、毛利攻めの大将にまでして下された。ただの百姓のせがれを、そこまでにして下さったのじゃ。そんなお方は、天地開闢以来おるまい」
「そして今年の正月には諸将が居並ぶ中、わしを上座に引き上げて下され、額をなで、侍ほどのものは筑前(秀吉)にあやかりたいものだ、とまで言うて下されたのじゃ。温かい手じゃった。 その手の感触と晴れがましさ、これまでの苦労が報われた感激は今も忘れてはおらぬ」
鼻をかむ秀吉、心打たれる兼続。石田は、いつの間にか居なくなっていた。
「そのわしに上様を討った、同心しろと明智は言うて来たのじゃ。これほど、頭にくることがあるか。即座に取って返し、かたき討ちをする決心をしたが、明智への返事は同心したいが毛利の大軍の前で動きが取れない、 ということにした。油断させて、こっそり取って返し、あいつを打ち破るためじゃ」
そして秀吉は兼続をいざない山崎の戦いの戦場を見せる。
「策は当たったぞ。われらが山崎に到着する直前、明智の最精鋭・斉藤内蔵助利三の部隊は、まだ長浜城にいた。柴田勝家の南下に備えるためじゃ。斉藤の部隊は、三日間二十里を踏破する強行軍の後、左翼の先鋒として戦に突入じゃ。そして斉藤の部隊
から明智軍は崩れた。疲労困憊しておったからじゃろう。もっとも、わしの直率の部隊も、中国大返しの疲労のためか、動きが鈍くてやきもきしたものじゃ」
今度は、秀吉にっこり笑う。
「こんなものでよろしゅうございますか」
石田が書いたばかりの文書を携えて戻ってきた。秀吉に見せる。
「うん、うん。直江殿にも見ていただこう」
兼続も見せてもらう。
今度、羽柴秀吉、備中国で乱妨をくわだてるについて、将軍御旗を出だされ、三
家(毛利・吉川・小早川)も、ご対陣のよし、まことに御忠烈の至りであって、長く末の世まで伝えられるでありましょう。しからば、光秀ことも、近年信長に対し憤りを懐き、遺恨黙って放置しがたいので、今月二日、本能寺において信長父子を誅し、素懐を遂げました。なおかつ将軍のご本意も遂げられたこと、今生の喜び、これに過ぎるものはありません。よろしく御披露ください。
六月二日 惟任日向守(明智光秀)
小早川左衛門佐(隆景)殿
「何ですか、これは」
「たった今、そなたに頂いた調査書をもとに偽造した明智の書状じゃ。明智は、われ
らにではなく、毛利に書状を出したことにするためじゃ」
なんと手の込んだことをする。歴史が偽造される瞬間に立ち会った兼続、ふと司馬遷も、こんな風に騙されておるのかなと思い、
「後世の史家は戸惑うことでしょう」と口にする。
すると二人は顔を見合わせ爆笑する。
「ほんに直江殿は愉快な男じゃな。面白い」秀吉が腹を抱える。
「結果論でしかものが言えぬ史家など
「われらは、これより信孝様を奉じる柴田勝家と戦う。そんな時に、われらが明智と謀反を計画していたなどと言われれば、織田家中の多数派工作にも支障が出よう。大体、どうしてあんなに早く戻ってこれたのか、疑問に思っておる者も多い。中国大返しじゃというて、ごまかしておるが。柴田も必死じゃ、劣勢を挽回しようとして、ありとあらゆる手を打って来ておる。この前も前田利家などを使わして春まで休戦にしようと必死じゃった。これは転ばぬ先の杖じゃ」
なんという深慮遠謀!
「これで、われらは秘密を共有する一味じゃ。直江殿、これから頼むぞ」
ばん、と背中を叩かれる。
「長浜城はすでに奪回した。われらは雪が溶ける前に、信孝様を降し、滝川を討つ。そして柴田の南下に備えることといたす。決戦は春、場所は近江長浜あたりではないかのう。そこでじゃ柴田軍が南下したら、その留守を上杉殿に衝いてほしいのじゃ」
兼続ここで安請け合いして後で失望させては反動が空恐ろしいと計算し正直に言う。
「柴田はわれらにとっても仇敵、討ちたいのはやまやまですが実は」
謙信公以来の上杉家の武勇を汚すことになるかのう。
「佐々成政の鉄砲隊に圧倒されており、手も足も出ない状態でございます。しかし攻勢のふりをして、柴田の部隊の一部を拘束するぐらいのことはできます。それと、これをお納めください」
と、越中・能登・加賀・越前などに派遣した細作の報告を元に作成された詳細な絵図面を差し出す。万事隙無き男、直江兼続、こういうところは抜かりがない。
「はっはっはっ」秀吉が爆笑する。
「わしは、そなたが気に入った。そなたの知行はどのくらいじゃ。わしに仕えぬか」
「殿、このお方は上杉殿の一の家臣でござる。それは無理な話じゃ」
「佐吉、直江殿に新しい鉄砲でもお贈りするのじゃ」
「直江殿、一緒に晩飯を食おう」
秀吉、出陣を控えた夜なのに兼続を離さない。
「わしは天下を取る。さすれば、そなたも富貴思いのままじゃ。どうじゃ」
秀吉、ちょっとしつこい。兼続、話を逸らす。
「敵を味方にする、とはどういうことでございますか」
「敵を味方にする。おお、忘れておったぞ。わしは毛利攻めで不思議な男に出会った。最悪の男じゃ。こやつほど腹黒いものは、この下り果てた世でもおらぬ。恩人も縁者もおかまいなしに殺す、それも毒殺、暗殺など陰険なやり方でじゃ。なにしろ十年連れ添うた自分の細君の父親を平然と殺せる男じゃ。そのため細君は自殺しておる。どうじゃ、こんな腹黒い男は東国にはおるまい」
真田がおりまする、心の中で呟く兼続。
「しかし、この男、宇喜多直家というが、こやつが、わしを助けてくれたのじゃ。そしてわしは、敵を味方にするこつをつかんだのじゃ」
うん、なに、おもしろそうじゃ。
「わしが毛利攻めの総大将にしていただいたのは、天正五年十月のことじゃ。手取川の戦いの前、無断で離脱して上様に本気で斬られそうになった直後じゃから、わしも必死じゃった」
「手取川の戦いのとき、なぜ離脱したのですか」
「柴田軍は、柴田自身もそうじゃが、佐久間・佐々など尾張の筋目正しい武士で構成された部隊じゃ。わしとは、まったく適わない者どもじゃ。特に佐々などは露骨に嫌がらせをしてくる。こんな奴らと一緒に戦えるか、と無断で離脱してきた。上様は激怒され、わしは辞世を考えておったが、ちょうど松永久秀が謀反を起こしたので、うやむやにすることができた」
秀吉公は誇り高い男なんじゃね。
「松永久秀を攻め滅ぼした後、六千の兵を率いて播磨に出陣した。黒田官兵衛の根回しもあって、最初はすらすらと進んだ。しかし、その後が大変じゃった。別所長治が裏切る、荒木村重が裏切る。わしの知恵袋、竹中半兵衛は病気になるし、黒田官兵衛は荒木を説得に行って戻ってこん。牢に入れられていたのじゃ。毛利の大軍は迫ってくる。援軍を頼もうにも、みな忙しく来てくれん。そんな時、宇喜多直家から内応の申し出があったのじゃ。わしは飛びついた。あいつは、備前・美作の領主じゃ。これまで毛利の先鋒として敵じゃった者が味方になってくれるのじゃ。独断で服属を許し、上様に事後承諾して頂こうとして、また怒られた。今度こそ、本気で斬られそうになったが逃げ帰って、うまく誤魔化した」
ふーん、秀吉公は信長に何回も怒られているんじゃね。
「わしが別所攻めに専念できたのも宇喜多が毛利を食い止めていてくれたお陰じゃ。
というか、世間ではわしが毛利攻めで大きな功績を挙げたことになっておるが、その功績のほとんど全て宇喜多直家のお陰じゃ」
秀吉公は人を使えるお方じゃな。部下の功績を正しく評価できるお方じゃ。
「わしも腹黒いという評判は聞いておったし、いろいろ調べさせた。聞けば聞くほど知れば知るほど、いやな奴じゃ。あの男、最後には体が崩れる奇病で亡くなったが、世間のものは因果応報というた程じゃ。しかし、わしには一貫して忠実な男じゃった。なぜか、分かるか」
思わず身を乗り出す兼続。
「それは、わしが、あいつの、この世にただ一人の理解者だったからじゃ」
「理解者とは、どういう意味ですか」
兼続、食いつく。
「理解者というても、あいつの行動すべてを是認するわけではない。ただ、あいつがどうして陰険な謀殺を繰り返したのか理解しようとしたのじゃ。そうせざるを得なかった、あいつの悲しみもな。裏切る奴は、利口な奴じゃ。世の中がよく見えておるということじゃろう。世間の評判など気にはせんと言いながら、実は気にしておる。理解者を欲しておるのじゃ」
自分に真田を理解できるのじゃろうか。
それにしても秀吉公は、はかりしれないお方じゃ。
「あいつの臨終のとき、わしは、あいつが人質に出してあった息子を連れて行ってやった。秀長(秀吉弟)などは、これは謀略で、おびき寄せられて殺されるかも知れんと、えらく心配しておったが、わしには確信があった。わしを殺すということは、あいつにとって、自分を殺すということじゃ。絶対に、そんなことはないと」
はあ、何かすごいな。
「秀吉公は、人たらしの天才というのは、そういうことなのですか」
「はっはっ。人たらしというのは決して褒め言葉ではないぞ。大体、上様にそんなことが通用すると思うておるのか。上様は、そんな小賢しいことが一番嫌いじゃった。あっという間に斬り殺されておるわ。人を動かすことができるのは真心だけじゃ」
眼の前にいる風采のあがらない小男が大きく見える兼続。
「わしは上様に仕えるまで、世の中の下の下で、這いずり回っておった。嫌なことも沢山見たし聞いた、自分も巻き込まれたこともある。おお」
秀吉、ぶるっと震える。
「いやじゃ、いやじゃ、思い出したくない。ともかく、わしは本当に嫌なものを見てきた。しかし、そのせいか他の者より、人の心がよく分かるつもりじゃ。これが、わしの唯一の長所じゃ」
「宇喜多直家に裏切られるとは思わなかったのですか。どうすれば裏切られないのですか」
「信じてやることじゃ。そして、このお方だけは失望させてはならない。なぜなら、この世で自分のことを理解してくれるのは、このお方だけじゃ、というものになれば、絶対に裏切られることはない」
うーん。
「殿、紀之介(大谷吉継)が戻ってきました。美濃の調略に目途がついたようです」
「そうか、では滝川は後回しじゃ。まず信孝様を討つ。信雄様はどうなっておる」
「信孝様を討つ気満々で出陣の準備を進めておるようでございます」
秀吉公は織田家の次男・三男の仲の悪さに付けこんで天下を簒奪する気なのじゃな。曹植の七歩詩が思い浮かんだ兼続。
慌ただしくなった山崎城、兼続は丁寧に暇乞いをする。
「直江殿、またな」
京に戻り本庄繁長と合流する。本庄がもう少し手間取ると言うので翌日、兼続は京の町を散策することにする。
「波里、ついて参れ」
「ゴメン、うちは越後から来る細作の面倒を頼まれているので行けません」
京に連れてきた人数が少ないから仕方ないか。
「御家老、今日のところは宿舎でゆっくりされては」本庄が半笑いで言う。何故じゃ不思議じゃ。そう言えば、みな兼続の顔を見ると半笑いで何かを隠しているようだ。
天正十年も暮れるな、本当に色々なことがあった年じゃった。武田が滅亡し、上杉も滅亡寸前に追い込まれた。信長が横死して、東国に北条・徳川の同盟が成立し、上方では秀吉公と柴田の戦いが始まろうとしている。上杉は、どうするべきじゃろう。真田の扱いは、どうすればいいのじゃろう。いろいろ考えながら歩いていると、寺院の焼け跡に出くわす。火事じゃろうかと、歩く人に「ここは何という寺院ですか」と
尋ねると不審そうな顔で「本能寺」と言われた。
おお、これが本能寺か。更地になっておるから狭いような気がするが。明智が謀反起こして信長を討ってくれたところか。信長の遺体は発見されなかったそうじゃな。
明智を破った神戸信孝(信長三男)は、明智の首と胴体と明智軍の戦死者三千余の首を、本能寺に晒して信長の供養をしたそうじゃが、ここじゃったのか。
万一、秀吉公が負けた場合も想定せねばならぬ。やはり上杉は参戦するべきではないな。新発田攻めを口実にして越中まで手が回らないことにしよう。いろいろ、考えながら歩いていると、今度は格子の向こうにキレイな女性が鈴なりになっている家屋に出くわす。なんじゃろ?
好奇心で近づいて中に入ろうとした瞬間、後ろから「なおえかねつぐ」と女の声で呼び捨てにされる。あれ!
お船殿の声にそっくりだと振り向いたら、瞳に怒りの炎をめらめら燃やすお船の姿。「捕縛せよ」あれ!
ちょうど角で、大八車が倒される。あれ!
「助けて下され」通行人の注意が逸らされ死角が作られる。 あれ!
左右から細作が殺到する。あれ!あれ!
目隠しをされ手足を縛られた兼続、駕籠に押し込まれる。あれ!あれ!あれ!
「奥方様、捕縛いたしました。状況から見て未遂でございますが、心証は真っ黒かと思われます」
「うむ。十分詮議せねばなるまい。者ども、ひったてい」
えー。何これ、本庄が言うておったのはこれか、しかし、どうすればいいのじゃ。縛り上げられて、駕籠に押し込められた直江兼続、何故かぐーぐー寝てしまう。
冬の日本海にしては、珍しく穏やかな海を一隻の船が進んでいる。越後上布を京に運んだその帰りなのか、商談がうまくいった商人たちが弾んだ声で会話をしている。
そのなかに、見るからに違和感のある一組の男女の姿がある。
「兼吉、肩をもめ」「へい」
もみもみ、よかった。これぐらいで済んで。
何故か、呼び名まで変えられている兼続。
深い安堵の溜息と共に数日前のことを思い出す。
「到着しました」どすん。
「すみません。担ぎ手が疲れてしまって」
「かまわぬ。わらわの部屋に連行せよ。他のものは大儀じゃった」
駕籠を落とされ腰を打った兼続、ずるずる引きずられて行く。
「どういうことじゃ」あくまで冷静に聞こえるお船の声。それが恐ろしい兼続。
「どうしてお船殿は京におられるのですか。御台所様(菊姫)のお世話はどうなっておるのですか」先に質問攻めして誤魔化そうとしている。
「うむ。わらわが今回上洛したのは、菊姫様のお使いなのじゃ。菊姫様の腹違いの弟君に武田信清様というお方がおられるのじゃが、武田崩れの後、高野山に登っておられる。このお方を今回上杉家で召し抱えることになったので、そのお話を持ってきたのじゃ」うまく話に乗ってきた。しめしめ、この調子で行こう。
「それは大変よいお話ですね。武田のお血筋を上杉に残すのは、よいお考えだと思います。それで先様の感触は」
「信清様も武田家の再興ができるとお喜びのようじゃ。もっともわらわが高野山に行くわけには参らぬから、使者の口上によるものじゃが」
「よかったですね」ああ、よかった。話がそれて。
「わらわが来たのには、もうひとつ理由がある。上方における諜報網の構築じゃ。そのために、先日真田から送り返された者どもを連れてきた。面が割れたので東国では使えぬからな。それに真田の調略を受けて送り込まれたやも知れぬ。そこらのこと、わらわ自身の眼で確かめたかったのじゃ」
ふーん。お船殿は相変わらず考えが深いのう。
「では、それがしを襲わせたのにも意味があるのですか」
「実はそうじゃ。いかに真田の諜報機関が優秀だとしても、あっさり捕まえられて、みな自信を失っておる。信頼も失っておるのではないかと心配もしておるかもしれん。そこで、そなたを襲わせたのじゃ」
なるほど。
「見事なものじゃったのう。わらわの変わらぬ信頼に応えてくれた。わらわが個人的なことを命じたので親近感も生まれたであろう」
「なるほど、なるほど。やはり、お船殿は唐の軍師のようなお方でございますね。やることに無駄がない」
「そなた、おべんちゃらを言って話を逸らせたつもりかもしれぬが、そうはいかぬ。罰として、そなたは越後に帰るまで、わらわの世話をせよ。実は連れてきた者、全て上方に残していくことになった。波里もじゃ。上方の情勢を、いち早く掴まねば上杉の命運にかかわることになるでな」
「そなたの名前は、越後に帰るまで兼吉じゃ」
「へい」なぜか後世の丁稚のような返事をしてしまう兼続。
もみもみ。本庄も、この船に乗っておるはずじゃ。はやく、助けに来い。
兼続、念力で本庄を呼ぶ。本庄なら、うまく取りなしてくれるはずじゃ。
「兼吉、まじめにやれよ。もっと心を込めて揉め」
もみもみ、もみもみ。本庄、早く来い。もみもみ。
春日山城に戻った兼続、早速景勝に報告する。ちょうど、景勝は狩野秀治と情勢分析をしていた。
「おぉ、大儀じゃったな。それで秀吉とは、どのような人物じゃった?」
「へい」「ん、どうしたのじゃ」「いえ、なんでもありませぬ」
「秀吉公は一度会っただけで百年の知己になったような心持にさせられるようなお方です。わずかな間に、泣いて自分の心情を吐露されるかと思えば、想像もできないような陰謀を明らかにされたり、変幻自在に人の心を獲られるお方です。まず万人に仰がれる器量の持主、天下を狙えるお方であると拝察いたしました」
「そなたも、すでに心を獲られたようじゃのう。しかし、あの者は山中鹿之助殿など尼子残党の勇士を見殺しにした奴じゃ。信長同様、計算高い男であることを忘れてはならぬ」
尼子家出身の狩野秀治、上月城のことが引っかかっているようだ。確かに、あの寸分漏らさぬ証拠隠滅の手並みを見れば、甘い男でないことは間違いない、それはその通りじゃ。
「柴田勝家は、信長の三男信孝を擁し織田家を守る立場で戦うつもりじゃろうが、秀吉は、どのような名分で戦うのじゃろう」
「信長の次男信雄を迎立するような話をされておりました」
「信雄か。清須会議でも誰も後継者に推すものがなかった不覚なお人じゃという世間の評判じゃが」
「御実城様。先日、徳川と北条は織田の調停を受け入れる形で和睦いたしましたが、その調停は信雄・信孝の連名で出されております。信長も若き時分はうつけ者と言われておりました。信雄も、あるいは爪を隠す鷹かもしれませぬ」
「うむ。そうじゃな。油断禁物。われらがいちばん注意しなければならないことは、徳川・北条・織田の連合軍が攻め込んで来ることじゃ。本能寺直前のような事態は何としても避けなければならぬ」
「早く新発田を片づけねば大きな禍になるやもしれませぬな」
「そのことでございますが本庄繁長はなかなか使える男でございます。御実城様に対する忠誠心も、まずまず問題ないように思いまする。任務を与えればよろしいかと」
新発田対策に本庄を推挙する兼続。
本庄の名前が出ると景勝と狩野、とたんに笑顔になる。半笑いで狩野が言う。
「本庄が言いふらしておるぞ。そなたとお船殿夫婦の仲睦まじいこと、見たことがないと。そなたが、まめまめしくお世話するので、邪魔をしては悪いと一歩も近づけぬ有様じゃったと」
「そなたは家中第一の愛妻家じゃと城下の町人どもにも評判じゃ。わしらの耳にまで届くぐらいにな」景勝も満面の笑顔。
兼続の心に突風が吹く。
「それがしは愛妻家ではない。恐妻家じゃ。なぜじゃ。なぜ誰も解ってくれないのじゃ」心の叫びは届かない。
天正十一(1583)年
一月 滝川一益、挙兵
二月 七日 上杉景勝、秀吉・信雄に誓紙を送る
二月 秀吉軍、北伊勢に進攻
三月 柴田軍、北近江に進攻
三月 佐々成政、魚津城再占領
三月 十日 柴田勝家、越前北ノ庄城出陣
三月十一日 秀吉、佐和山城に入る
三月十七日 秀吉軍、賤ヶ岳に布陣
秀吉、上杉景勝に佐々成政攻撃を要請
四月十六日 織田信孝、再挙兵。秀吉軍、大垣へ
四月十九日 佐久間盛政、攻撃開始
四月二十日 秀吉軍、賤ヶ岳に帰還
四月二一日 佐久間盛政、撤退開始。柴田勝家軍、敗走
四月二二日 前田利家、秀吉軍に降伏
四月二三日 秀吉軍、北ノ庄城包囲。
四月二四日 柴田勝家、お市の方と共に自害
四月二八日 佐々成政、降伏。
四月末 織田信孝、織田信雄に包囲され降伏
四月二九日 織田信孝、切腹
論功行賞
丹羽長秀 若狭を安堵。越前、加賀南半分(能美郡・江沼郡)を加増
前田利家 能登を安堵。加賀北半分(石川郡・河北郡)を加増
織田信雄 尾張・南伊勢を安堵。北伊勢・伊賀を加増
池田恒興 摂津(伊丹)から美濃(大垣・岐阜)へ転封
蜂屋頼隆 和泉(岸和田)より越前(敦賀)へ転封
佐々成政 越中を安堵。
羽柴秀長 播磨・但馬安堵。
蒲生氏郷 近江日野を安堵。伊勢亀山加増
高山右近 摂津高槻を安堵。
中川秀政 摂津茨木を安堵。
六月 秀吉、山崎から大坂に移転
七月 伊勢長島の滝川一益、降伏
九月一日 秀吉、大坂城築城開始
天正十一(1583)年正月。
雪に埋もれた春日山城に上方に配置した細作より戦況報告が続々届く。
「信雄を総大将に迎えた秀吉軍は、美濃に進攻し岐阜城を包囲。信孝は降伏し、三法師を秀吉軍に渡した模様」
「信雄と信孝は兄弟じゃろ。仲良く出来んのか」
ああ、御実城様(上杉景勝)は、三郎殿(上杉景虎)とご自分のことを重ね合わせておられるのじゃな。
「年は二十五歳と同じでございますが、母親が嫡子信忠と同じということで、先に生まれた信孝を差し置いて、信雄の方が次男になったようでございます」
「それだけ聞いても、仲良くなれそうもないのう」
「清洲会議のときも、後継者を争う二人の軍勢が衝突寸前だったと聞いております」
「それで秀吉は三法師を後継者にすることができたのじゃな。三歳の幼児を後継者などお笑い草じゃ」
「秀吉公は、あくまで織田信雄を利用して、信孝・柴田勝家・滝川一益を討つおつもりかと。秀吉公は卑賤の身寄り成り上がられたお方ゆえ、譜代の家臣を持ちませぬ。播磨や宇喜多など新付の家来と織田家の元の同僚を服属させているにすぎません。その中には、丹羽長秀や池田恒興のように明らかに格上の者も含まれております。秀吉公にとって名分こそ生命線じゃと思われます」
「それにしても信孝・柴田は迂闊じゃのう。信雄を取り込めば、秀吉は将軍でも引き出すしか方法は無かったろうに」
「そうですな。織田家対秀吉公の構図にすれば、秀吉公に服属しておる丹羽・池田はもとより、堀秀政なども動揺したかもしれませぬな。信孝・柴田にも充分な勝機が生まれたかと思います」
「それを気づかせないようにしておるのが秀吉の腕ということか」
「信雄に相当うまいことを言っておるのでしょう」
「しかし今度の戦いは読めませぬ。柴田の与力の前田利家などは秀吉公と特に親しく娘を秀吉公の養女に出しておるそうでございます。秀吉公の軍のなかにも柴田に心寄せておる者がおるとの噂もあります。元は、同じ織田家中の者ども、われらの窺い知れぬ繋がりがあるやもしれませぬ」
「われら上杉は、どうするべきじゃろう」
「まず越中進攻の準備をするべきかと」
「うむ、須田満親に準備させよう。ところで、そなた子はまだか」
なんと、何を突然おっしゃるのじゃ。
「わしにまだ子がないからと言うて、そなたまで、わしに付き合う必要はない」
「滅相もございませぬ。国事に邁進するのみでございます」
「本庄が言うておったぞ」
また、本庄!
「夕陽の沈む船の上で、肩に手を置いて仲睦まじく話す、そなたとお船は、まるで一幅の絵のようであったと」
御実城様、本庄は目が悪いようでございます。
「しかし、あまりにも仲の良い夫婦は子ができんとも言うが、今年は子作りにも励むのじゃ」
もう何もかも嫌になった兼続、すべてをぶん投げて高野山に登ろうとした謙信公のお気持ちがわかったような気がする。
「お船、そこに座れ。そなたと夫婦になって、もう一年以上になる。去年は、御家存亡の危機じゃったし、信綱殿のことがあったから、それがしも大目に見ておったが、年も改まったことじゃし、今年は真の夫婦にならねばならぬ。古の聖人も言っておる。嫁しては夫に従えと。そなたも、それがしに従うのじゃ。よいか」
お船が微笑む。
「まあ、うれしい。そのお言葉を待っておりました。私も今年は女らしく兼続様に尽くします」
よし、これで行こう。シミュレーション完了。後世、農民に一年中説教する「四季農戒書」の作者に仮託されてしまう兼続、細々とした説教は得意中の得意である。
「お船殿、そこにお座りくだされ」ちょっと弱腰かのう。お船が微笑む。あれ?
「そのお言葉を待っておりました」あれ?
「ちょうど肩が凝ってめまいがしそうなくらいじゃ。そなたを呼びに行こうと思ってたところじゃ」
あれ?あれ?また、もみもみ?
「ところで、そなた真田の細作が動いておることは掴んでおるのか?どうも家中に調略をしかけておるようじゃ」
なんと!
「せめて真田の動きを止めないと家中に被害が出るぞ」
「そのことでございますが」
兼続、秀吉に聞いた宇喜多直家の話をする。
「まずは真田を信じることが第一かと思いますが、それがしは信じることができませぬ」
「そなたは話を取り違えておる。その宇喜多とかいう佞人を信じさせた秀吉公の偉さが分かっておらぬようじゃ。裏切りを繰り返してきた宇喜多が、秀吉公になぜ忠実じゃったのか?宇喜多は秀吉公に
「女房ひとり信じさせることができぬ、そなたには無理な話じゃ」
説教するつもりが、大説教される。
子作りまでの遠き道のりを、改めて実感し暗澹たる気持ちになる兼続。
三月上旬。柴田軍出陣。
「予想より早いのう」
「信孝や滝川一益がやられているのを見て、がまんできなくなったようでございます。雪を踏み固めて、進撃路を作ったようでございます」
「北近江で決戦か」
「いや細作の報告によれば、北国街道には、切れ目なく荷駄が続いているとのこと。柴田は、北近江を要塞化して長期戦に持ち込み、秀吉軍の乱れを待つつもりかと」
「柴田は老練じゃから、秀吉が仕掛けても受けなければ長期戦になるのかのう」
「秀吉公から柴田の背後を討つよう要請が来ております。天下の安危、卿の諾否によって決すとまで、書いておるようで」
「わしも見たが、どういうことかのう」
「秀吉公にお目通りした時、はっきり上杉にその力はないと、それがしは言うております。なにやら、たくらみがあるやもしれませぬ」
「うむ」
秀吉軍の優勢は動かない。しかし長期戦になれば、何が起こるか分からない。秀吉軍は大軍だが、秀吉に対する忠誠心は強くない。実は上杉景勝、秀吉の元に兼続を送り、誓詞を取り交わしているが心情的には柴田軍を贔屓している。謙信公が病に倒れず、関東を平定した後、上洛していたら北近江で信長と決戦になっていたはずじゃ。それを重ねて見ている。それに群雄割拠の時代に戻ってほしいという願望もある。そうすれば誰に遠慮することもなく上杉の家を守っていける。
兼続、景勝の心の動きが手に取るようにわかるが、予想と願望を取り違えてはいけないとも思う。
春日山城の直江屋敷。兼続、細作の報告を待ちかねている。
「柴田軍が北近江・柳ケ瀬に着陣し、それに対応して秀吉公が長浜城に入ってから、もうひと月になるのではないか。動きはないのか。報告が遅れておるのか」
「まったく動いてはおりませぬ。双方、付近の山々を要塞化して対峙しておるとのことです」
波里の配下のいうことじゃから、本当じゃろうが、それにしても動かぬのう。
「双方、各地に使者を送っておるようでございます」
こうなれば外交戦になるしかない。
「柴田は将軍を旗印にして毛利を動かそうとしております。他にも四国の長宗我部、紀伊の雑賀衆などにも使者を送って秀吉の背後を討たしめようとしております」
昨日の敵は今日の友というわけか。しかし、毛利も長宗我部も、あからさまな介入はすまい。勝敗が逆賭しがたいのに、負ける方に肩入れして、勝った方に恨まれるわけにはいかんからのう。劣勢の柴田にしても越前・加賀・能登・越中を抑えておる。
少なく見積もっても四万は動員できる力がある。兵力だけでも、まともにやりあえるのは北条くらいじゃろ。装備でいえば天と地じゃ。
「徳川はどうじゃ」
「徳川は中立を維持。その一方で武田の旧臣を盛んに召し抱えております。すでに、その数は数百名に上っております」
德川が武田の精鋭を手に入れたのか。ますます強敵になったのう。徳川家康、端倪すべからざる奴じゃ。家康は信玄公をどう思っておるのじゃろう。殺される寸前まで行ったのに尊敬しておるのかな。
「越中はもうだめか」景勝が呟く。
「須田満親殿、魚津城を放棄、越後まで後退しております」兼続が応える。
本能寺の後、奪回した魚津城、また取り返されてしまった。
「佐々成政、ひとりでも持て余すのう」
鉄砲、鉄砲、ずっとこれにやられている。
「佐々には新発田重家と連携して越後国内に進攻する目論見もあるようでございます」
秀吉公に越中・能登は手柄次第と言われておるのに、これではあべこべじゃ。
「織田信孝、再挙兵。秀吉軍、差し出された人質を磔にして岐阜に向けて出陣」
「柴田軍、総崩れ。柴田勝家、所在不明」
「北の庄城陥落。柴田勝家自刃」
なんと油断しておった。こんなに短い間に勝敗が決するとは。いったい何が起こったのじゃ。
「細作に、どんな些細な情報でもよいから、全て送ってくるように命じよ」
兼続、少し焦っている。
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