第3話謙信の義
「波里そなたも飲まぬか」
明日は春日山城に到着する前夜、宿屋の部屋で波里をねぎらう兼続である。
「ありがと。あまーい」
「いける口じゃの。ところで相談があるのじゃ」
「何?与六様」
「今回の任務、そなたには世話になったな」
波里が背後をがっちり護ってくれたお陰で、危険を感じることなく行動できた。
「夜のこと。うちの体と別れたくなくなったんじゃないの」
着物をはだけて兼続の目の前に乳房を放り出す。
「ほーれほれ。ほーれほれ」
まて、まて、まてい。まてい。まてい。もう、仕方ないなあ。
汗びっしょりで全裸の二人。兼続の腕枕に波里が頭を載せて会話している。
「波里、そなたと別れたくない」
「うれしい。うちも」
熱烈な接吻をする二人。
「そなたを直江から貰い受けようと思うのじゃが問題ないか」
「うれしい。うちはお船様配下の細作ですから、お船様にお願いしてみてください」
お船様、そういうことだよね。なんか、急に難しく思う兼続。
「それでじゃ。それがしの(小者のふりをした)護衛になってもらうために、三つのことを守ってもらいたいのじゃ」
「なに」
「ひとつ目は、二人の仲を完全に秘匿することじゃ。それがしには敵が多い。それがしの想い人が、そなたであることが知れると、そなた自身に危険が及ぶ」
「想い人って、恥ずかしいけど、うれしい。うれしい。分かったよ」
「ふたつ目は、毎晩は無理じゃということじゃ」
「またまた、そんなこと言っちゃって。毎晩何回も可愛がってくれたじゃないの」
「みっつ目は、三七の衆道っぽいのは禁止じゃ」
「それは、逆の意味に取れというなぞかけですか。あんなによがっていたのに」
はっ恥ずかしい。
「ともかーく、ともかく守るのじゃ」
「はーい。分かったよ。ご主人さま」
大丈夫かな。分かってる?
「じゃあ、主従の契りのもう一回」
だから本当に分かってる?
春日山城に戻った兼続、さっそく上杉景勝に報告する。
「ううむ。諸国にその名を知られた武田の侍大将たちは、ほとんど討ち死にか」
「はい。戦の恐ろしさをまざまざと見せつけられた旅でございました」
「ところで御実城様が、そなたの帰りを待っておられる。帰ったら報告に来させるようにとの仰せじゃ。疲れておるところ済まぬが今夜お目にかかる手筈となっておる」
「はっ、有難き幸せ」
「それがしの小姓、樋口与六兼続を連れてまいりました」
「面をあげよ」
神々しいとしか言いようがない。美しい小姓に囲まれて微笑むそのお姿。
享禄三(1530)年生まれの上杉謙信は、この年四六歳。卓越した戦術眼と統率力を誇る戦国有数の戦上手である。しかし勝利を成果に変えていく政治力に問題があり北信・関東・越中に連年出兵してきたが、労多く功少なしと評価されている。しかし、そもそも本人は他人の領土に興味がないのだから(武田信玄や北条氏康と比べる)その物差しは間違っていると言える。ただ本人の無欲は家臣には理解されておらず、しばしば謀反の原因となってもいる。
「もそっと近う。近う」
緊張する。
「おお、そなたか。見知った顔じゃ。喜平次が春日山に連れてきた幼い小姓じゃな。こたびはご苦労じゃったな」
永禄七(1564)年夏、景勝の父であり上田長尾家の当主・長尾政景が舟遊びの事故で溺死する事件が発生した。母の仙桃院(謙信の実姉)とともに当時十歳だった景勝が春日山城に引き取られることになり、五歳の兼続も供をすることとなった。
謙信は、自身の家督相続に反対し謀反した長尾政景に対する警戒心を解くことはなく、不慮の事故死ではなく謙信が暗殺したのではないかという噂も出た。反面、甥にあたる景勝には惜しみない愛情を注ぎ、謙信が自ら筆を執った「伊呂波尽」などの手習い本が残されている。謙信が景勝を引見する時、傍らには兼続が控えており、直接会話することはないにしろ、美少年好きの謙信が覚えていないはずもない。
「三郎も呼んでおいた。甲府におったこともあるゆえ役に立つやもしれぬ」
美少年揃いの謙信の小姓と並んでも全く遜色のない華麗な美男子が会釈する。
「義兄上、お元気そうで何よりでございまする」
景勝が挨拶する。
天文二三(1554)年生まれの上杉三郎景虎は、この年二二歳。北条氏康の七男。今川・北条・武田の三国同盟が結ばれた後、武田信玄の養子となった。しかし永禄
十一(1568)年、信玄が駿河に進攻し同盟が破れたので、小田原に帰された。
元亀元(1570)年、上杉と北条が同盟することになり、人質として上杉に送られることになった。四月上州沼田城で謙信と対面「関東一の美少年」と謳われる美貌を気に入った謙信は、自らの初名「景虎」を与え、姪の華姫(景勝の実姉)を娶せた。
元亀二(1571)年十二月、亡くなった北条氏康の家督を相続した氏政は、武田との同盟を復活、自動的に上杉と北条の同盟は消滅したが、謙信の景虎に対する寵愛は変わらず、小田原に帰されることもなく、今も春日山城二の廓に居住している。
謙信、景勝、景虎、兼続の前に酒と膳が用意された。
「与六、そなたの冒険譚が今宵の酒の肴じゃ。無礼講じゃ。好きなことを言え」
御実城様、御心遣いありがとうございます。
「長篠の戦いで討ち死にした武田の侍大将は次の方々です。山県昌景殿、馬場信春殿、内藤信豊殿、原昌胤殿、真田信綱殿、真田昌輝殿、望月義勝殿、武田信実殿、三枝昌貞殿」
「なんと、武田の名将勇将ことごとく討ち死にではないか」
景虎が呟く。
「どのような戦じゃったのじゃ」
謙信は目を瞑って聞いており、景勝はもともと極端な無口。必然的に景虎と兼続の質疑応答となる。
「三重の柵に立て籠もる織田・徳川の陣地に武田が攻めかかるも鉄砲に防ぎ止められ、次第に戦力と体力を奪われていったようでございますな。半日くらい、そのような戦闘が続き、武田の攻撃力が尽きたところで、満を持した織田・徳川の新鋭部隊が反撃に転じ、武田の戦線が崩壊し敗退となったようでございます」
「鉄砲で武田の突撃を防ぎ止めることができたのか」
「本願寺に加勢する紀州雑賀の鉄砲隊は、鉄砲の集中運用に長けており織田は苦戦したことがあるようで、それを模倣したのではないかと武田の者は言っておりました」
「鉄砲隊の待ちかまえる陣地の前に軍勢を半日近くも張り付けにしておくなど信じられんな。武田ともあろうものが。鉄砲は強力な武器じゃが距離を取れば無力となる」
めずらしく景勝が発言する。
「そうであろうな。命中率も考えた鉄砲の有効射程は、せいぜい
すかさず景虎が日ごろの修練の一端を披露する。
「さまざまな策略を巡らせて武田勢を鉄砲隊の待つ陣地前に誘導したのじゃろう。それも戦の一部じゃ」
謙信が意見する。
「武田にもう少しで柵を突破できると思い込ませたのでしょうな。扶桑随一、天下最強という武田の自負心が織田にうまく利用され、大敗したのではございませぬか」
兼続も意見を言う。
「これが鉄砲を使った新しい戦なのか。信長は恐ろしい男じゃ」
景虎が呟く。
不思議な空気感じゃ。われらは徳川と同盟しており、間接的に織田とも同盟を結んでおるといえる。同盟を結んでいる味方が宿敵の武田に完勝したのに、誰も喜んでおられぬな。むしろ残念がっておるようにさえ見える。
「それがしが甲府におったのは十四の歳まででした。子供過ぎて断片的な記憶しかないのですが、永禄八(1565)年の義信事件は鮮明に覚えております。正月に信玄公に対する謀反の発覚、八月に首謀者飯富兵部虎昌殿の斬首、十月には義信公が幽閉されました。そして十一月に、廃嫡された義信公に代わる新たな後継者として勝頼公が伊那の高遠城から甲府に呼ばれ、信長公の養女との婚儀が執り行われました」
何かを思った景虎が話し出す。
義信公の正室は今川の出じゃし、信玄公の駿河進攻に反対する勢力が集まったんじゃろうね。それを多分、信玄公が冤罪事件をでっちあげて粛清したわけか。信玄公自身、先代の信虎殿を追放したお人じゃから、人一倍強い猜疑心が、ありもしない謀反のたくらみを見つけてしまったのじゃろうな。
「それがしは北条の人質ですから、周囲も親今川派ばかりであることを差し引いても、勝頼公を歓迎する空気は全くなかったと断言できます。諏訪を継ぐはずの妾腹の四男が、甲斐源氏の棟梁になるのか、世も末じゃという陰口ばかりでした。まあ、信玄公の悪辣な所業を直接批判できないので、勝頼公が身代わりとなって武田家中の非難の的になっていたとは思いますが」
「親の所業が子に報いじゃ」謙信が呟く。
「その後、幽閉されていた義信公が亡くなられ、同じく幽閉されていた穴山信君様の弟御・穴山信嘉様も切腹させられました。今川と親しかったというだけで多くの者が粛清され追放されました。ですから一門衆はじめ家中の勝頼公に対する態度は、いちだんと冷ややかなものになりましたな。まあこれは親今川派からの見立てですが」
なるほど。
武藤昌幸の義信公にこだわった発言の意図がやっと分かったような気がするわ。
「勝頼も家中の統制に苦労しておったのじゃな。最初がこれでは、きつかろうて」
景勝が呟く。
「永禄十一(1568)年に武田の駿河進攻が開始され、それがしは小田原に戻されたゆえ、その後のことは存じませぬが」
「ところで、それがしは高坂弾正殿に会ってまいりました」
「海津城の高坂か」
景虎と兼続の質疑応答に戻る。
「はい。飯田あたりで捕まり高坂殿の本陣に連行されました」
「危険な目には遭わなかったのか」
「少しは。槍ぶすまに囲まれてしまいました。その後、縛り上げられて本陣に連行されましたが、高坂弾正殿は、それがしのことを知っておるようでした」
「高坂弾正は、わしより上杉家中に詳しいかも知れぬな」
謙信が冗談になってない冗談を言う(仏事に没頭する謙信は家臣のことをあまりよく知らないと思われているし実際知らない。謀反が続発するひとつの原因でもある)
「その後は賓客として扱われました。高坂弾正殿は、今後の武田の外交方針を御実城様に伝えて欲しいと仰せでした」
「なんと言っておったのじゃ」
「こたびの敗戦で、武田は単独では信長公に対抗できなくなった。上杉・北条・武田が連携して対抗するほかないと仰せでした」
「紀州におわす将軍も、上杉・北条・武田の三和をお望みじゃ。じゃが、簡単にはいくまい。われらと武田は殺し合ってきた宿敵じゃからな。山浦国清(村上義清の息子)殿のように先祖伝来の領地を奪られたものもおる。恨み骨髄じゃろうって」
「上杉・北条・武田の三和の鍵は三郎になるやもしれぬぞ。わしは、そなたの兄・北条氏政とは、どうしても馬があわぬのじゃが。そなたであれば、うまく纏めることができるやも知れぬな」
「御実城様、御言葉を返すようで申し訳ございませぬが、北条氏政は弟であるそれがしが人質になっておるにもかかわらず、上杉との同盟を反故にした男でございます。
それがしを見捨てたわけでございます。もはや兄とも思うておりませぬ」
三郎殿と北条の関係はどうなっておるのじゃろう。切れているのか。
「追放されてもおかしくない、それがしを変わらず慈しみ、ご信任下さっておる御実城様を本当の父と思い、お仕えしていく所存でございます。もし小田原攻めを行う時あらば、それがしに是非先鋒をお命じ下さいませ」
「はっはっはっ」謙信が朗らかに大笑する。
「御実城様は三郎殿をご自分の後継者とお考えなのじゃろうか」
三の廓にある屋敷に戻ってきた景勝が兼続に愚痴っている。
「御実城様は、伝統や権威をとても大切にされるお方です。越後国主家は喜平次様、上野国主家は三郎殿に継がせるお考えじゃと思います。山内上杉家は、兄弟で越後・上野を治めておりました、その伝統を回復させるおつもりじゃと思います」
「では関東管領は三郎殿がなるのか」
どちらが後継者かということに拘りがあるんじゃね。さっき寵愛ぶりを見せつけられたから仕方ないか。それに三郎殿は顔が奇麗なだけではなさそうじゃな。相当に頭の切れる男じゃ。それなりに苦労しておるようだし、侮れぬ。
「三郎殿は、北条の人質。しかも実家とは切れたお方。固有の戦力をもちませぬ。ご本人が何をお考えになっても大したことはできないと思いますが、ただ担ぎやすい神輿であることは間違いありませぬな」
腹黒の本性を見せた兼続、声を細める。
「われら上田衆は御父上の横死以降、各地の前線に分散配置され逼塞を余儀なくされてきましたが、喜平次様が御実城様の正式な養子となったことで、家中でも最大級の戦力を誇る軍団として再編されました。しかし家中には、われらの勢力が伸長することを快く思わない者もおります」
「古志(長尾)じゃな」
「御意。しかし古志だけではありませぬ。御父上政景公は御実城様と厳しく対立いたしましたから、そのことを遺恨に思う者も家中にはおりまする。上田衆憎しと思うものが、三郎殿を擁立するやもしれませぬな」
「誰じゃ」
「今はわかりませぬ。誰が敵になるか味方になるかは」
それは御実城様が亡くなった後のことじゃから遥か先の話になるな。
腹黒すぎる兼続。
「ともかく、三郎殿とは仲良くせねばなりませぬ。御実城様も兄弟仲良く助け合っていってもらいたいとお望みなのですから。隙を作ってはなりませぬ、敵につけ入れられまする。血を分けた実の父子でも殺し合わねばならぬのが戦国の世でございます」
「姉上(景虎の正室・華姫)のことを思うと、争いたくはないな」
「御意。それがしも同じ気持ちでございまする」
万一のことを今から準備計画しておかねばならぬやもしれぬな。一旦ことあらば、先制的に行動して既成事実を積み重ねていくのじゃ。三郎殿が変な気を起こす余裕を与えないように。われわれの優位は行動の速さにしかない。
数日後、謙信から使いがあり実城御殿に呼ばれる兼続。
「信長より書状が届いておる」
…武田四郎三(河)信(濃)さかいめに至ってはたらき候条、即時に出馬せしめ、去月廿一日一戦を遂げ切り頽し平均に属し候…
信長畿内そのほか北国、南方の儀につきて取りまぎれ候きざみ、武田信玄遠(江)三(河)さかいめへ動き罷り出で候いつ。いつに候とも手合においては討ち果たすべく候由あいこしらえ候あいだ、信玄断絶候条、残り多く候いき。
四郎その例にならい出張候。まことに天与の儀に候間、思惟浅からず取り懸けてことごとく討ち果たし候。四郎赤裸の躰にて一身北げ入り候と申し候…
信濃境い目岩村と申す要害甲州に従い、相抱え候条、取巻候。種々懇望せらるといえども、攻め殺す覚悟に候ところ、赦し候。五三日中に落去なすべく候あいだ、然らば信州に出勢いたすべく候。連々そのほうより承り候儀も候条、信、甲に至り、
信長公は御実城様に信濃・甲斐への出兵を要請しておるわけか。
「ひとつの戦で、ここまで情勢が変わってしまうものなのですね。長篠の戦の前は、それがしは徳川が武田に寝返ることを心配しておったのですが。三河に続いて美濃からも武田の勢力は一掃される情勢ですな」
「いや全く、その通りじゃ。武田に長篠城を包囲された家康は、岐阜に援軍を要請する使者を派遣したが信長は腰を上げようとせず、家康は三度目の使者に援軍を出してくれないのであれば、武田に降り勝頼に遠江を進呈して、代りに尾張を貰うと言えと言ったそうじゃ。慎重な家康にしては随分思い切った発言じゃが、それほど追い詰められておったのじゃろうな」
家康公の焦燥が伝わってくるようじゃ。
「わしは、信濃に兵は出さぬ。高坂に教えてやれ」
「はっ。早速に」
そこに美貌の女性が入ってきた。
「失礼いたします。城下の浄興寺より書状が届けられております」
お船殿が何故に?
あぁ、女性を近づけない御実城様の身辺のお世話は直江景綱殿の奥方様がしておられると聞いておったのじゃが、娘のお船殿もお手伝いされておられるのか。
そういうことか。
先に読んだ謙信が書状を渡してくれる。
「与六、読んで見よ」
態染筆候。すなわち当寺の儀、去年以来籠城について諸人の疲れ推量あるべく候。
当流法儀破滅候べき事、愁嘆至極に候。門下の輩、忠節をぬきんでらるるは、聖人へ
対し奉り、報謝これに過ぎず候。当国太守累年申し談ずるの旨、相変らず本望に候。
それにつき調略の子細候あいだ、千万無心の儀ながら、ひとかど馳走わけて頼みいり候…殊に坊主分の儀はもちろん、はたまた法儀油断あるべからず。老少不定のならいにて候あいだ、かねがね信心決定あるべく候。このうえには報謝の念仏申すべきこと肝要に候。委細按察法橋申すべく候なり。あなかしこ々々
六月十三日 顕如 花押
浄興寺御坊
「浄興寺はもとは信濃にあったのじゃが第四次川中島の戦いで兵火に遭い住職も焼死したので、憐れに思ったわしが春日山城下に招いたものじゃ」
「なんと、これは本願寺からの和睦の打診ではございませぬか。北陸の一向一揆が味方になれば京への道が開けます」
「もともと、わしと本願寺の関係は悪くなかったのじゃ。二度の上洛の時も何の妨害も受けなかったし、証如上人(顕如の父)に面会したこともある。関係が悪化したのは甲斐の極悪人のせいじゃ」
「永禄八(1565)年三月に武田と本願寺の間で同盟が結ばれたようでございます。信玄の正室は左大臣三条公頼の娘で顕如上人の正室の姉にあたります。信玄は、その関係を利用したのじゃと思います」
謙信と兼続の会話に自然と入ってきたお船。ちょこんと座る。大変な博識じゃな。
「信玄は駿河進攻をすでに決定しており後顧の憂いをなくすために布石を打ったのじゃろうて」
永禄八年といえば義信事件の年じゃが、ありとあらゆる布石を打ってくるのじゃな。信長公もそうじゃな。長篠の大勝を自慢すると同時に御実城様に出兵を勧めておる。
「北陸の一向一揆というても一枚岩ではない。意志統一には時間がかかるじゃろう。
その間、わしもいろいろ動くつもりじゃ。いずれ発せられるであろう将軍の織田討伐の御内書にお応えするための準備をせねばならぬ」
北陸道を南下し織田信長を打ち破り将軍を京にお迎えして幕府を再興する。今後の大方針が定まったわけじゃ。高坂に教えてやろうぞ。
「ところで二人は初対面ではなかろう」
謙信がお船と兼続の顔を見て言う。
「はい与六殿の母はわが父直江景綱の妹でございますゆえ従姉弟同士でございます」
お船の父直江景綱は、為景・晴景・謙信と三代に仕えた宿老。戦以外ほぼ仏事に没頭する謙信に代り内政外交を統括していたため、居城である山東郡与板城を離れ春日山城に詰めていることが多かった。正室を持たない謙信の奥向きは景綱の継室(お船の実母)が取り仕切っていたといわれている。謙信の遺言を聞き取った(と主張した)のは、この人。父と母のそれぞれの事情でお船は春日山城で育つことになった。
男児のいない直江家のために上州総社長尾家から婿養子の直江与兵衛尉信綱を迎え
ろうたけた人妻になった後も、父を助けて直江の諜報部門を指揮し、母を助けて謙信の身辺の世話をするお船である。
「春日山城に御中城様と一緒に参ってから、幼い時はよく遊んでいただきました」
兼続も仕方なく調子を合わせる。いや、イジメられてただけなんだけど。
「与六、馬になれ」「与六、そこから飛べ。鳥になれ」「与六、首実検の首になれ」
命令された無理難題の数々。悪夢がよみがえるわ。もう少し年が離れていれば、優しいお姉さんだったかもしれないが、幼い頃の三歳の年の差は微妙かつ絶対的である。男女席を同じうせずの七歳を超えても、しばらくイジメられ尽すことになった。
お船殿は悪逆なイジメっ子だった過去を隠しきって、別人のようにふるまっておるが、それがしには本性が見えておる。不幸な過去に基づく強い猜疑心がありもしないものを見せているのか、いやそうではない。なぜか漢文調になる兼続。
「ところでお船殿が手配して下さった波里とか申す細作。大変気に入りました。それがしに頂けませぬか」
御実城様の前なので、まさかお船殿も断れまいと算段し正面突破を図る兼続。
「与六殿は上杉にとって大切なお人。身辺を守る護衛は必要ですね。わかりました」
ふう。うまくいった。
「実は、あの娘はお船の腹違いの妹です。与六殿、よろしくお願いいたしますね」
な、なんと。う、うそじゃろ。め、めまいが。気絶しそうになる兼続。
「お恥ずかしい話ですが、父が細作の女に産ませたものでございます。子供のおらぬ細作の棟梁に懇望され下げ渡しました。あの娘は将来、細作の棟梁になる者です」
直江景綱、細作の統制を強固なものにするために実娘を養子として送り込んだのか。
「実の妹なのは、本当に、ほんとうですか。本人は知らないのではありませぬか」
汗びっしょりになった兼続、謙信の前にいることも忘れて念押ししてしまう。
「本人は知らぬ。細作の棟梁を父と思うておる。そなたも口外無用じゃ」
「じゃが」お船の眼が意地悪そうに光る。
「船(お船)の下には波(波里)があろう。あれは、わらわを裏切らぬ忠実な細作じゃ。そなたの行状すべて聞いたぞよ。お盛んなことで」
うわー。どこまで知ってるの。波里、裏切ったか。お船殿やっぱり苦手じゃ。
「はっーはっはっ」謙信が大爆笑した。
「何怒ってるの?」
「与六様、機嫌直してよ」
寝ている兼続の布団にいつの間にかもぐりこんでいる全裸の波里。
いつもなら、すぐに乳繰り合いが始まるのだが、流石に今日の兼続は怒っている。
「ねえってば」
「ねえ」
「仕方ない、実力行使で行くしかないか」
兼続の顔に陰毛を擦りつけながら、陰茎を咥えこむ。
く、苦しい。い、息ができぬ。気持ちいい。不本意じゃ。
ああ、何故に心と体は別なのか。自分の体さえ思い通りにならないのか。
兼続の詠嘆を無視するかのように、大きくなってしまった陰茎に腰を沈める波里。
ゆっくり、ゆっくり動き出す。
髪を振り乱し、乳房を自分で揉みながら、兼続を体の奥底で感じている。
目を瞑った顔が美しい。確かに、お船殿に似ているやもしれぬな。
汗びっしょりで全裸の二人。
乳房に顔を埋めていた兼続、顔を上げて口火をきる。
「波里、お船殿に何を言ったのじゃ」
「全行程、詳細を報告したけど。報告書読みませんでしたか」
「夜の方の話じゃ」
「えっ。与六様が毎晩うちを可愛がってくれたこと?」
そうじゃ。
「そんなこと言うわけないでしょ。恥ずかしいじゃない」
えっ?
「今日お船殿に会って、そなたを貰い受けたのじゃが。その時、お船殿に“そなたの行状、すべて聞いたぞよ。お盛んなことで”と言われたぞ。心当たりはないのか」
「ない」
「本当か」
「いや。ある」
「どっちじゃ」
「言えない。掟があるから」
「吐け。吐くのじゃ。折檻するぞ」
「折檻して」
「折檻するぞ」
「折檻して、早く」
猫のように体を伸ばして、丸く大きな尻を突き出す波里。
「うちのお尻を叩いて。早く、早く、早く」
稀代の策謀家気どりなのに、こんなに色仕掛けに弱くて本当に大丈夫なのか、兼続。
天正三(1575)年九月、謙信の関東出兵に動員された上田衆は後詰として上州沼田城で待機中である。
「こたびの越山(関東出兵)の目的は何じゃ」
暇を持て余した景勝が兼続に訊ねる。
「桐生を攻めておるようでございますが、御実城様の関東出兵の歴史をまとめて、考えてみましょうか」
「うむ。そもそも、われら上田衆は関東への関門にあたる坂戸城を守る者じゃ。知っておいて損はないじゃろうな」
「祐筆のところに行って、少し調べてみます。三七、紙と筆を持ってついてまいれ」
「あい」
兼続たちより先に、上杉謙信の関東出兵を年表にまとめると次のようになる。
永禄 元(1558)年 関東管領上杉憲政、越後に亡命。長尾景虎の庇護をうける
永禄 二(1559)年 長尾景虎 二度目の上洛
⇒将軍義輝より①三管領・将軍家一族なみの待遇②憲政を補佐し関東の武士を動員し
指揮する論拠③信濃守護・武田信玄に対して信濃国内に干渉する論拠を得る
永禄 三(1560)年 長尾景虎、上杉憲政を奉じて関東に出兵(八月)
上野の大半と下野の南西部を制圧。武蔵中北部も服属させる
永禄 四(1561)年 長尾景虎、小田原城を包囲(三月)
⇒ 景虎、憲政より関東管領職、家名を譲られる。偏諱も与えられ上杉政虎となる
上杉政虎、古河公方として足利藤氏を擁立
⇒北条の関東公方足利義氏・(擬)関東管領北条氏康に対抗するために
関白近衛前嗣(前久)・関東公方足利藤氏・関東管領上杉政虎体制を構想する
⇒将軍足利義輝より偏諱を賜り、上杉輝虎となる(十二月)
永禄 五(1562)年 足利藤氏、北条に捕らえられる(二月)
永禄 九(1566)年 下総臼井城攻めに失敗、大敗したと言われる(四月)
永禄 十(1567)年 武田信玄、西上野を制圧。北條高広、北条に服属(十二月)
⇒厩橋城城代の
永禄十一(1568)年 武田信玄、駿河に進攻を開始。三国(甲駿相)同盟崩壊する
永禄十二(1569)年 越相同盟(六月)。武田信玄、小田原城攻撃(九月)
⇒関東公方足利義氏、関東管領上杉輝虎を相互承認。上野全体、松山・岩槻以北の武
蔵などを上杉の領土と認める。北条は武田との戦いに集中するため停戦を求めた。
⇒佐竹・里見など反北条派の反対を押し切った。反北条派に武田が接近することに
元亀 元(1570)年 上杉輝虎、不識庵謙信と称し(十二月)上杉謙信となる
元亀 三(1572)年 甲相同盟復活。越相同盟は消滅。
元亀 四(1573)年 武田信玄、死去(四月・天正への改元は七月)
天正 三(1575)年 長篠の戦い(五月)
兼続と三七が作ってきた年表を見ながら語り合う景勝と兼続。
「賽の河原で石を積んでおるような年月じゃの」
「御実城様が小田原を包囲した時、山内上杉の旧臣だけでなく関東中の武士が集まり総勢十万を超えたそうですな」
「少し大げさじゃな。しかし、この時北条を攻め滅ぼすことができておったなら」
「無理ですな。北条と同盟した武田が北信を手中に収めようとしておりましたから。
緊急帰国した御実城様は直後に第四次川中島の戦いを戦っております」
「御実城様は、ご自分が伝統や権威を尊重されるお方じゃから、他人もそういう者じゃと思っておられる。小田原を包囲したことで関東を平定した。後は関白近衛前嗣様・関東公方足利藤氏様の権威で関東を治められるとお考えじゃったのかな」
「御実城様が帰国した直後に北条に古河を攻撃され、足利藤氏様は捕虜となり謀殺されております。幸い近衛前嗣様と上杉憲政様は越後に無事帰還できましたが、懲りた近衛様は都に帰っております」
「御実城様の関東支配構想の中心人物、関東公方がいきなり敵の捕虜となって抹殺されたのじゃから、最初から蹉跌をきたしておるな」
「永禄九年の臼井城攻めの失敗も、かなり痛かったようですな。不敗の軍神ではないと関東の諸将が一斉に離反したと聞いております」
「関東の者どもは、御実城様が越山してくれば服属し、帰国すれば叛くような奴輩じゃ。裏切る奴らは皆殺しにしてやればいいのじゃ」
「確かに、信長公なら躊躇なく皆殺しにされるでしょうな」
「信長公は、比叡山を焼打ちし、長島一向一揆を殲滅し、今は越前の一向門徒を虐殺しておる。悪魔のような所業じゃが、この末世を収束させるためには、誰かがやらねばならぬことじゃと、わしは思う。われらには決して、決して、できぬことじゃが」
「越前府中は死骸の山で空き地もない有様との報告を受けております。越前国内で、少なく見積もっても数万の者どもが惨殺されたようでございます。信長公は叛く者は決して許さないと天下に死骸の山を見せておるのですな」
下り果てたる、この末世では天下万民を承伏させる強さが必要なのじゃ。じゃが
「御実城様は決してそのようなことはされぬお方じゃ。現に、この先の厩橋城にいる北條高広、あの粗忽者は二度謀反して二度許されておる。揚北の本庄繁長も武田信玄に誑かされて謀反したが許されておる。下野の佐野昌綱などは都合十回も戦って何度も降参しておるが、その度に許されておる。人質も斬られておらぬ」
景勝が溜息をつく。
「御実城様は、お優しい人なのじゃ。衆生を救う仏の弟子なのじゃ。しかし、そこにつけこまれている」
喜平次様は、御実城様に心酔しておるゆえ、もどかしく感じておるのじゃろうね。
「御実城様は、神仏にすべてを委ねる生き方を貫いておられます。私心なく邪念なく。それゆえ
「そうじゃな。永禄四年の下野唐沢山城を救援する時は、北条勢三万五千が包囲しているのに、毘の旗を立てわずか四五騎で突破して城に入ったと聞いておる。まさしく毘沙門天の化身じゃな」
そこまで危険を冒して助けてやったのが後で十回戦う佐野昌綱なんだけどね。
景勝の謙信に関する話は、無いものねだりの文句から始まり、最終的には全身全霊の傾倒で終る。天下に二人となき名将、その養子であることは何と誇らしいことか。
「しかし“私心なく邪念なく”という生き方は、政略をまったく考えておられないように見えて、そこが家臣や服属する諸将に理解されないところでもありまするな」
「そうなのじゃ。上野など、最初からご自分の分国としておけばよかったのじゃ。御実城様は、何も欲してはおられぬ。自分の領土を増やそうとする考えを、私心邪念と否定されておられる。それゆえ戦はすべて受け身で始まっておる。御自ら仕掛けて主導権を取ることがないゆえ、個々の戦で勝利しても結局は領土を取られておる。北信も関東もそうじゃ。それが口惜しいのじゃ」
「流石に反覆つね無き越中はご自分の分国にされることを決めたようですが」
「それも上洛を急ぐためじゃ。我欲からではない」
「この世の乱れを正すため、関東管領としてのお役目と将軍からの上洛要請、ふたつとも果たそうとされておるのでしょうな」
「御実城様のお役に立ちたい。お心のうちを知りたい」
景勝の脳裏に謙信の傍らに控える華麗な美男子の顔が浮かぶ。何故あいつなのじゃ。
「こたびの出兵の目的は佐竹・宇都宮などとの同盟の再構築のためじゃと思います。
もともと反北条で連携しておったのでございますが、武田信玄の駿河進攻で三国同盟が瓦解し、北条はわれら上杉と同盟を結ぶことになりました。このため、反北条の佐竹などとの連携が切れてしまいました。北条氏康が死んだあと、北条との同盟も消滅しましたが、佐竹・宇都宮との連携は切れたままとなりました」
「短期間に敵と味方が入れ替わったのじゃから、簡単には修復できまいな」
「長篠の戦の影響が、ここにも出ております。同盟とはいいながらも強力な隣国を警戒するために配置されていた軍団が北関東に移動し北条の攻勢が強まっております。危機感をもった佐竹などが、再びの連携を求めておるのでございます」
「なるほどな」
天正四(1576)年二月、将軍足利義昭が紀州由良を離れ備後鞆の浦に移った。足利尊氏が捲土重来、九州から京にのぼる途上、この地で光厳上皇より新田義貞追討の院宣を賜った因縁の地である。将軍義昭を庇護した毛利家は、石山本願寺を救援することを決定する。将軍を奉じて幕府を再興することを大義名分とする本願寺・毛利・上杉を中心とするいわゆる第三次信長包囲網が形成されることになった。
天正五(1577)年正月。春日山城の屋敷で降り積もる雪を見ながら酒を飲んでいる景勝と兼続。他の小姓たちはずっと機嫌が悪い景勝を恐れ、他の用事にかこつけて近寄ってこない。前年九月、上杉謙信は兵五千を率いて越中に出陣したのだが景勝は春日山城の留守居を命じられていたのだ。
「御実城様は、能登七尾城を包囲したまま越年されたようじゃな。それなのに」
「春日山城の留守居は御父政景公も勤められていた大切なお役目です」
兼続、にこやかに景勝に酒を勧める。
「政景公が春日山城を守っておった故に、御実城様は武田と川中島で思う存分戦えておったわけで、その功労は御実城様も認めておられます」
「そんなことは分かっておる。越後国内の抑え、関東への警戒、わしにしかできぬお役目じゃ」
「御意」苛立ちも頂点に達しているようじゃな。
「ご両所、無聊をかこっておられるようですね」
臨時の実城(本丸)と定めた景勝の屋敷に、お船が訪ねてきた。
「上方の情勢などについて城代様にご報告致します」
ありがたい。腐っている喜平次様を励ましにきてくれたんやね。
前年の天正四(1576)年の情勢を時系列で整理すると次のようになる。
一月 信長、近江安土山に新城の造営開始
二月 能登の畠山氏で内紛
三月 上杉謙信、越中に出陣
四月 信長、本願寺攻撃開始
五月 上杉謙信、帰国
六月 上杉謙信、本願寺と和睦
七月 木津川海戦、毛利は包囲されている本願寺への物資補給に成功
八月 北条氏政、上杉・武田・北条の三和を認める
九月 上杉謙信、越中に再出陣
十二月 上杉謙信、能登七尾城を包囲
景勝と兼続とお船は同じく春日山城で育った幼馴染なので自然となごやかになる。
助かったわ、いつもは苦手なお船も今日は天女に見える兼続である。
「そなたも、正月なのに婿殿(直江信綱)に会えず淋しいのではないか」
急に機嫌がよくなった景勝、お船に酒を注ぐ。
「父直江景綱とともに石動山城の守備をしておると便りがありました。最近めっきり老け込んだ父に成り代わり与板衆(直江家は山東郡与板城を本拠とする)の指揮をしております。いつまでも婿呼ばわりは、可哀そうですよ」
「御父上は七十近いじゃろ。ご苦労なことじゃな」
「信長が安土に城を移したのは上杉対策でしょうか」
「うむ、本願寺を味方につければ、まずわれらが北陸道で負けることはない。最終決戦場は近江となるじゃろうな」
「明年(天正六年)あたりに決戦ですか。それがしも是非参陣したいものじゃ」
兼続も思わず呟いてしまう。
「越前で柴田の軍勢を殲滅する。そして近江に進攻する。北近江のどこかで信長自身が率いる軍勢と対陣することになるじゃろうな。御実城様は戦上手じゃから戦機を見出して攻勢に出るやも知れぬが、実は拘束しているだけでよいのじゃ。その間に、山陽道、瀬戸内海を東進する毛利の大軍が織田の本願寺包囲軍を殲滅し上洛する」
「武田も岐阜城を衝きます」兼続が付け加える。
「織田の分国は四分五裂となり崩壊するじゃろうて。最後は追い詰められた信長が安土城に火をかけて自刃で終りじゃな。その日が来るのが待ち遠しいわ」
「でもその前に御実城様は関東に出兵されると思いますわ」
「何故じゃ」
「御実城様の関東管領職は、北条から承認されているだけはありませぬ。将軍からも信長からさえも承認されております。御実城様の性格から言って、関東を平定した実績なしに将軍にお目にかかれるとは思えませぬ」
「なるほど、そうやもしれぬな」
「しかし関東平定ともなると何年もかかるのではありませぬか。信長討伐の戦機を逸してしまいます。北条氏政も将軍の要請する三和を認めているのに」
兼続がお船に質問する。
「そこで三郎殿が役に立つのです。上野を平定して山内上杉の上野国主家を再興し、その当主に三郎殿を擁立すれば北条は喜ぶでしょう。実の弟なのですから。われらも関東平定の名分がたちます。武田も文句は言えないでしょう」
「なるほど御実城様も三郎殿が三和の鍵になると仰せられておったが、そういうことか。さすれば関東に残る三郎殿に代り上洛戦の先鋒はわれらになるやもしれぬな」
景勝の顔が弛んでいる。先陣に立つ、ご自分の雄姿を想像しているのかな。
「ただ北条は信義無き者。圧倒的な大軍を糾合して、われらの力を見せつける必要があります。上洛戦が始まった後、北条に佐竹攻撃などされたら、われらの鼎の軽重が問われます」
いやいやお船殿は大変な政治家じゃ。度外れた決戦主義者の御実城様と好対照じゃ。
「三郎殿が関東管領になるのならば、喜平次様は京の管領になるやもしれませぬな」
「いやいや、正月早々、楽しい夢物語を聞いたぞよ。はっはっはっ」
天正五(1577)年四月に帰国した謙信は閏七月に越中に出陣、九月十五日には能登七尾城を攻略する。勢いに乗る上杉勢は加賀に進攻、北上中の柴田勝家率いる織田勢と九月二三日に手取川付近で接触、不期遭遇戦に驚き退却する織田勢を追撃し勝利を得た。
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