第6話

 006



「ネイロが攫われた?」



 明け方。



 出先から屋敷へ戻る最中、ネイロが何者かに攫われたという情報が憲兵から入った。正体は分からないが、目撃者の証言によればいきなり頭を殴打して腹を何度も蹴り飛ばし、憲兵が駆けつけた頃にはすっかり姿を消していたのだという。



 これは、領民の正しさを信じた罰なのだろうか。私は、仕事も忘れて街を走り回り、ネイロの痕跡を探し回ることしか出来なかった。



「どこだ、ネイロ……っ」



 領民たちに聞いても、何も情報が得られない。これは明らかに魔術師の犯行だ。そして、そんなにも高等な術で人一人を誘拐出来る実力者など、私は一人しか心当たりが無かった。



 屋敷に向かうと、メイドでなく本人が出迎える。気持ちが焦り過ぎて、部屋に通されるよりも前に問い詰めてしまった。



「……もしや、あなたか? カリム様」



 しかし、彼は静かにため息をついて頭をポリポリとかいて私を見つめるだけだ。「なんのことか」と尋ねる姿に苛立ち、私はまるで決めつけるようにネイロの誘拐を突き付けた。



「落ち着いてください、プレリア卿。あなたが焦る気持ちは分かりますが、敵を見誤ってはなりません。僕はあなたの味方です」

「だが! こんなにも痕跡を残さずに犯行をこなせる存在など高位の魔術師しかあり得ない! あなたほどの魔術師で、ネイロの能力に気が付いている者が他のどこにいるというのだ!?」

「トワイライト騎士団」



 ……デートが見つかれば自分は殺される。ネイロがそう言っていたのを、私は思い出した。



「僕は、あの愚連隊が犯行に絡んているモノだと睨んでいます。あそこならば、追放された強力な魔術師や戦士が多く所属していますからね」



 ならば、問題はこの街のどこに連中の根城があるのかということだった。



 一体、いつから連中がポートウォールに住み始めたのだ? 連中の活動拠点は、王都以外ではランバークラフトやカリム様のご実家であるベンリルのような公爵家の屋敷がある巨大な都市だけのハズなのに。奴らの組織は、伯爵家をカバーするほどにまで拡大しているというのか。



 ……いや、違う。



 あいつらは、狂った愛国者たちだ。この国の形が変わることを誰よりも嫌うバーサーカーだ。そして、ネイロは連中と相反する活動家。貧困によるチャンスの不平等を憎み、格差を埋めようと奔走する平和の使者。彼らが、互いの存在を知らずにあり続けることなどあり得ただろうか。



 なにより、アクィラ公爵とネイロ。本当に、クー・クリウス帝国の義賊はこの二人だけなのだろうか。



「……まさか、ネイロは最初から目をつけられていた?」

「いいえ。僕には、彼が最初から目をつけられるようなドジを踏むとは思えない。それに、もしも最初からバレていたのならデータセンターが無事なことが理解出来ないのです」



 その通りだ。



 ネイロが、カイザーを盲信し存在意義すら忘れてしまった人間たちに冷静なネイロが出し抜かれるとは思えない。そもそも、ネイロは金儲けをする気がなく、故にデータセンターや警備会社と繋がっている痕跡を一つとして残していない。



 にも関わらず、彼が義賊という事実がバレた? 何一つ証拠がなく、ミスも犯さず、影のように働きカリム様以外に有能さを見破られなかった男が?



 そんなバカな話が――。



「つまり、ネイロ氏が義賊だとはバレていない。そう考えるのが妥当でしょう」



 瞬間、全身に悪寒が走り身が強張った。義賊だとバレていないのに拐われたと言うならば、理由は一つしか見つからなかったからだ。



「……わ、私が、ホテルで涙を流したから。あの話を聞いた者がいたから。ネイロは、私を誑かす悪党として断罪されたというのか?」

「現状、その可能性が高いでしょう」



 ならば、あのホテルにヒントがあることは間違いない。私はカリム様の言葉も待たずにホテルへ向かうと、支配人を呼び出して部屋に入ってくるなり胸ぐらを掴んでナイフを顔面へ押し付けた。



 接客したウェイターを除外しこの男を犯人だと決めつけたのは、ほとんど直感であった。



「ひ、ひぃ!」

「答えろ、支配人。ネイロは、私の執事はどこにいる?」

「プレリア卿! そのやり方は――」

「黙っていてくれ! まどろっこしいのはウンザリだ!」

「し、しかしだな……っ」

「さぁ、言え!! トワイライト騎士団に囚われたのならば、もう時間が残されていないのだ!! ここへ来るまでにも見張りの目があったのは分かっている!! 貴様と連中が繋がっていることはお見通しだ! 根城はどこにある!?」



 ハッタリに目線が動いたのを見て、私は支配人の首へ更にナイフを押し付ける。ツーと血が流れ、手を伝い血液が私の軍服を濡らした。



「殺されたいか、支配人」

「しかし、告げれば私の命が――」



 ならば、こいつは密告しただけでメンバーということではないのだろう。大方、連中の活動資金を提供しているサポーターといったところか。



「答えれば私が直々に助けてやる。この街に私よりも強い者はいない。どちらの方が貴様の命が助かる可能性が高いか、考えられないほど愚かでもあるまい」

「……っ」

「さぁ、これが最後の詰問だ! 言え!! 私の執事はどこだ!?」

「か、海岸の地下倉庫です! もう使われていない第四倉庫に、ここから食料を届けたことがあります!」



 カリム様に支配人を預け、すぐさま海岸の倉庫へ向かう。あの場所は、嘗て敵の上陸作戦から防衛するために作られた塹壕だ。埋め潰されるハズだったのだが、ネイロが来る以前の私が、限界に耐えきれずサボり計画を先延ばしにしていた時代の遺物なのだ。



 ……また、私のせいではないか。あの時、私が早くに行動していればみすみす連中の侵入を許すこともなかったかもしれないのに。



「ネイロ!!」



 扉を蹴破って中へ飛び込むと、仲間内だけにも関わらず仰々しい鉄仮面を被り鎧にマントを身に着けた者共が屯していた。連中の特徴だ。例え同じ目的を持った仲間であったとしても、決して面を晒したりはしない。こうして、情報が漏れることを防ぎ秘密裏に国家へ逆らう人間を消し去っているのだ。



「これはこれは、プレリア伯爵閣下。このようなムサ苦しい場所に、なぜおいでなされたのですかな?」

「私の執事が世話になっているだろう」

「執事? あぁ、プレリア伯爵閣下を誑かした女ったらしな無法者のことですか」



 言うと、この支部のリーダーだろうか。鉄仮面に綺羅びやかな特徴のある男が剣をしまって最敬礼で私に敬意を示した。



「ご安心ください、既に粛清は済んでおります」

「粛清が済んでいる、だと?」

「清らかなプレリア伯爵閣下にとって、いっときはお痛ましい想いに苛まれるかもしれませんが。しかし、あなた様が汚し尽くされる前に事なきを得られたと我々は心より安堵しております。あれは、殺されて然るべき存在だったのですよ」



 目の前が、真っ白になっていく。



「女性であられ、しかも一人で領主を務めるプレリア伯爵閣下に、あのような悪い虫がつくことは我々も危惧していたのです。侵入前に気がつけなかった我々の愚かさを、どうかご寛大な御心でお許しください」

「き、貴様らのような連中がいるから……っ」

「どうなさいましたか? プレリア伯爵閣下」

「貴様らのような人間がいるから!! この国からいつまでたっても格差が消えないのだ!!」



 ……次に気が付いた時には、部屋の中は既に血の海となっていた。壁に引っかかった男たちの肉体から、滴る血液の音が静かで暗い倉庫の中に響く。その中を、震える足を抑えながら奥へ進む。



 そして、たどり着いた鉄格子の部屋には。



「……いやだ」



 両の手首を鎖で張り付けられ、力なく吊られているネイロがいた。



「こんなの、嫌だよ……っ」



 爪はすべて剥がされ、体には夥しい数の刺傷。鼻と男性器は切り落とされていて、潰された目からは涙のように無数の血が流れていた。



「ネイロォっ!!」



 大声で呼び、彼を縛る鎖を斬り裂いて体を支える。すぐに横にならせると、彼は静かに存在しない瞳を向けて歪な笑顔を見せた。



「も、申し訳、ござい、ません。ご主人様。わた、くしは……」

「喋らないで! すぐに病院に連れて行ってあげるから!」



 立ち上がろうとする私を、ネイロは震える手で抑える。



 彼は、生きることを諦めていた。



「や、やはり、この世は、どこまで行っても、暴力の支配か、らは、逃れ、られないので、しょうか」

「喋らないで!」

「わたくしの、やってい、た、ことは、ご主人様の、言う通り、すべて無駄な、こ、とだったのかも、しれま、せんね」

「違う! そんなワケない! ネイロは間違ってないよ!」



 涙がボロボロと流れ、ネイロの血を滲ませる。



「すべての者にチャンスを与えるんでしょ!? だったら、こんなところで死んだらダメだよ!!」

「……リア。なりた、い自分に、なれました、か?」



 言って、彼は私の頬を優しく撫でる。



 ……そうだった。私は、もうそんな後悔をしたくないって決めていたんだった。



「ねぇ、ネイロ。一つ、聞いてもいい?」

「なん、なりと……」

「わ……っ。ひっ……。私は、恋に落ちなくても、ひぐ……っ。ね、ネイロの活動には協力したよ。それなのに、どうして私を抱いてくれたの?」

「嘘で、愛を語れる、ほど、器用じゃない、からです」



 そして、彼は最期にもう一度だけ笑った。



「大好き、だったよ。リア」



 ネイロの手が、地面に落ちる。



「……私も大好きよ、ネイロ」



 私の彼に告白が届いたのかを知る術は、もうこの世界に存在していなかった。

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